「視線恐怖症」で引きこもったボクサー語る”絶望”

プロボクサーの小川椋也選手。「視線恐怖症」の苦しみを赤裸々に明かしてくれた(写真:本人提供)
【写真】「視線恐怖症」のボクサー・小川椋也さんの貴重なファイト姿!
「視線恐怖症」──。現在Netflixで人気を博している小栗旬、ハン・ヒョジュ主演のドラマ『匿名の恋人たち』を観て、このワードを初めて知った人は少なくないはずだ。
「視線恐怖症」とは、「人の視線が怖い」「自分の目つきが相手を不快にさせてしまうのでは」という強い不安が、日常や対人関係の歯車を容赦なく狂わせてしまう状態を指す。その「視線恐怖症」を抱えつつも、拳を前に突き出して生きている男がいる。プロボクサーの小川椋也選手(26)だ。
同ドラマを観た小川選手は、「結構、共感した部分がありました。視線恐怖症のヒロイン、イ・ハナ(ハン・ヒョジュ)さんが、周囲の視線を避けるように両目の外側を手で覆って歩くシーンなんて、本当にそうそう、と思いました」と語る。
他人と目が合うことや視線を向けられることが極端に怖く、過去には約3年間、引きこもっていたこともあったそう。だが、症状が治っていないなか、ボクサーとしての一歩を踏み出した。なぜ彼は、逃げ出したくなる怖さを抱えたままリングへ向かえたのか。この症状により、どれほどの苦しみを味わってきたのか。「視線恐怖症」の実態について聞いた。
『匿名の恋人たち』は、幼い頃から極度の潔癖症を抱え、人に触れられない若き実業家・藤原壮亮(小栗旬)と、天才的な腕を持つショコラティエでありながら「視線恐怖症」を抱えるイ・ハナ(ハン・ヒョジュ)が、チョコレートを通じて出逢い、少しずつ心を通わせていく物語だ。
二人の傷が寄り添いながら輪郭を変え、本当の愛へと歩調を合わせていく過程に、多くの視聴者が「心がきゅっとした」「チョコレートを見ると胸がときめく」と声を上げた。小川選手も、「純粋に面白かったですね。話の展開に夢中になって、一気に観ちゃいました」と笑い、こう続ける。
「ドラマでも描かれていましたけれど、僕の場合はシンプルに『人と目を合わせなきゃいけない状況』がきついんです。特に人混みのなかだと『常に見られている』と思って、具合が悪くなり、時には呼吸さえも難しくなる。
だから、例えばイ・ハナさんが食事をしようとお店に入ったものの、他の客や店員の視線に耐えられなくなって外に飛び出てしまうシーンなんて、本当に共感しました。『やっぱもう無理、きつい』。その気持ち、すごくわかるんですよ」(小川選手/以下同)
インタビューのあいだ、彼は何度も「きつい」と言った。たった一語なのに重い。喉元で引っかかる石のように重い。
「他の人からしたら“何が?”って思われるかもしれないですけど……」と前置きしながらも、彼にとってその「きつい」には、発汗、動悸、皮膚感覚のざわめき、世界のピントが一瞬で失われる感じ──。病のすべてが閉じ込められている。「とにかく“きつい”としか言えない」。その言葉に、当事者だけは“本当の意味”で頷けるのだろう。
彼を襲った症状は2016年頃、静かに、しかし確実に彼を侵食し始めた。小川選手は「実はもともと、人と馴染んだりコミュニケーションを取ったりするのが苦手だった」と明かしたうえで、淡々とこう語る。
「高校生活がうまくいかず中退して、その後はスーパーマーケットで働き始めたのですが、明るく『いらっしゃいませ』って接客ができなくて。したくても、当時の僕は心身が不安定で、笑顔がどうしても作れなかったんです。やがて『“この店員嫌だな”って思われているかもしれない……』。そう考え出してから、急に“誰かの視線”や“人目”が気になるようになりました」
そしてある日、発作のような症状が起きる。レジで突然パニックになったのだ。呼吸が浅くなり、視界が狭まり、頬が熱くなる。やむをえず病院の門を叩いた。そして医師に告げられたのは「社交性不安障害」。
「視線恐怖症」は、「社交性不安障害」の一種といわれ、対人恐怖の一類型として語られることが多い。特徴は、他人の目を直視できない、ただ「見られている気がする」だけで緊張や動悸が走る、人混みや教室・職場で強い不安に襲われる、自分がどう見られているかに過剰な焦点が合ってしまう──等々。
小川選手は今も試合に向かうたびに周囲からの視線に恐怖を感じてしまうという(写真:本人提供)
小川選手の場合、「視線恐怖症」を発症するまでに次のような“負の連鎖”があった。まず、レジでどうしていいかわからない場面から「赤面恐怖症」を発症。極度の緊張で頬が赤くなる症状だ。続いて、その赤面を見られたくない「他者視線恐怖症」へ。やむをえずスーパーを辞め、通信高校に入り直すことを決めて電車に乗ると、今度は「脇見恐怖症」が顔を出す。
「脇見恐怖症」は、視界の端に入ってくる人を異常に意識してしまう、あるいは誰かの視界に入ってしまうことを避けようとする症状だ。周囲を傷つけたくない、相手に嫌な思いをさせたくない──その思いが募り、「こんな自分を見て他人が不快にならないか」を過度に恐れることで現れるという。当然、不特定多数の目がある電車に乗ることはできなくなった。
思いやりの心が、自分に向けての攻撃の矛となってしまう──なんとも理不尽な症状が彼を襲う。優しさがあるからこそ追い詰められた小川さんだったが、この負の連鎖はまだ終わらなかった。
「そこからさらに『自己視線恐怖症』になりました。自分の目がその人を睨んでいるように見えないか、目つきまで気になってきてしまったんです。家族が相手でも怖くて、目を合わせられなくなりました。『脇見恐怖症』で電車に乗れないから、ひとりで通えるように自動車の免許を取ろうと教習所に行こうとしても、やっぱり“人の目”からは逃れられない。
やがて、「何から何までできない」という自己嫌悪で八方塞がりになってしまいました。その時はどん底でしたね。絶望感でいっぱいになっていました。いつしかスーパーやコンビニはおろか、玄関から一歩も出られなくなって……そこから3年間、引きこもり生活になってしまったのです」
──この日、玄関のドア一枚が、世界への厚みになった。
引きこもりの時間は、静かだが過酷だ。時計の針だけは正確に進むのに、心も身体も止まったまま。さらには……。
「ストレスで過食して、最終的に30キロも太ってしまったんです。そうなると『こんな姿、誰にも見られたくない。人を不快にさせてしまう』という思いがプラスされ、余計に外に出られなくなりました」
今ではボクシングができるほどになったが、当時は部屋からすら出られなかった(写真:本人提供)
茫然自失で「なんとか息をしているような生活」が続いていたが、ある日、一筋の光が差した。部屋の天井から吊るされたサンドバッグが目に入ったのだ。これは、まだ元気だった頃に買っておいたもの。
「実は僕、子どもの頃からボクサーに憧れていたんです。“強い男って格好いい”──その象徴がボクサーだったから。単純な理由ですが、そんな男になりたくて、『まずは形から』とサンドバッグを入手したんですよね。
どん底期には目に入らなくなっていましたが、自室で人目につかない生活を送るうち、少しだけ心が安定してきていたのかな。『変わらなきゃ』『やっぱり、僕はボクシングがやりたい』と、胸をくすぶっていた思いが強くなり、少しずつ活動を始めたんです」
あがきながら、もがきながら。だがそこから、彼の静かな反撃が始まっていった。サンドバッグを叩くのはもちろん、筋トレも行った。さらには、人目につかない深夜の河原でのランニングも(外出時にはサングラスを装着)。地元のフィットネス系のセルフジムへは、人がまばらな昼帯だけ通うなどの工夫を行った。
これは功を奏した。身体は少しずつ軽くなっていき、最終的にはなんと20キロの減量に成功。人が少ない時間帯を選び、週2回のマンション清掃のバイトもこなせるようになり、そこから胸の奥で、子どもの頃からの夢が2度目の産声を上げ始める。「これなら、ボクシングを本格的に始められるかも!」。
だが運命は意地悪だ。次の段差が思いの外、高かった。いや、高すぎた。ボクシングを習うための最初の一歩──ボクシングジムの見学・体験に、どうしても行けないという日々が続いたのだ。ジムを訪れれば必ず、トレーナーや事務員とのやりとりが生じる。行くと決めるだけで、いや、行こうと思うだけでも、1週間、2週間、3週間と時間が溶けてしまったという。
絶体絶命の当時の小川選手を救ったのは……(写真:本人提供)
こうなると気持ちばかりが焦る。だがどうにもならない。当時の葛藤の様子は彼の公式YouTubeでも動画で見ることができる。「今日も予約していたのに、やっぱり行けませんでした……」。暗い夜の闇の中、そう語る彼の声色には、挫折の温度がそのまま残っている。
その姿を見れば、誰だって「夢はここで終わるのか」と思ってしまうだろう。だが、人生何が起こるかわからないものだ。小川選手の場合は、その転機は人の形をして現れることになる。それが、現在通うジムの会長とトレーナーだ。1カ月近くかかって、なんとか門を叩いたジムで、小川さんは彼らと出会った。
精神疾患を抱える多くの人にとって、“理解者”の存在は酸素にも等しい。とはいえ、周囲が当人の苦しみを理解するのは難しいものだ。
例えば、励ますつもりの旅行や食事の誘いが、当事者にとっては重圧に変わることもある。「その気持ちは嬉しいのに、行かなきゃという気持ちがプレッシャーとなり、胸が苦しくなることもあるんです」と小川さん。善意の矢印が、期せずして心を窮屈にすることも十分に起こりうる。
だが、このジムの人々は違っていた。「わかった。どういう場面できついの?」。やっとの思いで見学に行き、「自分はこういう症状を抱えているが、ボクシングが強くなりたくて」と伝える小川さんに対し、会長たちは否定するでもなく、変に心配するそぶりを見せるでもなく、こう聞いたという。
この問いは、彼のこれまでの苦しみを、心を解かしてくれた。責めるためではなく、寄り添い、支えるための問いだったからだ。小川さんは、具体的な場面を挙げながら自分が向き合ってきた「きつさ」を伝えた。スタッフたちは、「できる限り工夫するから頑張ってみよう」と小川さんを受け入れた。その日から、ジム通いの日々が始まる。
憧れのプロボクサーに向け、小川選手はついに一歩を踏み出した(写真:本人提供)
小川さんは挫折することなく練習に励むことができた。スタッフたちの適切な配慮があったからだ。例えば、「視界に人影が入るだけで鼓動が荒くなるなら」と、器具の配置を動かし、壁や障害物で視線の通り道をそっと遮ってくれた。練習中に「きついです」と言えば、「何がきついか」を具体的に聞いてくれた。
祝勝会では、人の目が気にならないよう、個室の店や空いている時間帯を選んでくれた。“背中を押す”ではなく“隣に立つ”。優しさのかけ方を当事者の形に合わせて変えてみる。そんな彼らの実践が、小川選手の足を少しずつ前へ前へと運んでいった。
そして2021年3月、地道な練習を重ねた小川選手は見事、念願のプロライセンスを獲得。長年の夢を掴んだ瞬間だった。迎えたデビュー戦も、KO勝利と勢いづけてくれた。現在の小川選手の戦績はプロ9戦で、5勝(1KO)2敗(1KO)2分け。目標は当然、「日本チャンピオンです」と小川選手。
大きな「ハンデ」を抱えながらも、心強い仲間たちに支えられ、今日も彼はリングに立つ。さらなる高みを目指して。
小川選手は地道な練習を重ね、勝利を掴む回数を着実に増やしている(写真:本人提供)
──こう綴ってきたが、これは単純な“克服物語”ではない。なぜなら、彼の「視線恐怖症」は今も隣にいる。つまりは治っておらず、「症状を抱えたまま」だからだ。
それでも、周囲は彼の活躍を喜んでくれている。引きこもり時代を知る親族は、毎回のように会場へ足を運んでくれ、「良かったな」「頑張ってるな」と声をかけてくれる。その瞬間、胸は温かくなる。けれど同時に、小さな罪悪感が囁く──「実はまだ治ってなくて、申し訳ない」。現実はかくも過酷だ。
そんな彼のファイトスタイルは、意外にも「インファイト」、接近戦である。ガードを固めつつ、地を踏み鳴らし、とにかく前へ! 相手とがっつり目を合わせることはできないが、全体像をとらえて、素早く隙をつくのだという。
そもそも論として、3年間の沈黙と、その後の一歩一歩が乗った彼の“拳”が、軽いはずがない。そして、これまで彼をいじめ抜いてきた“苦しみの壁”もリング上では変化する。「なにくそ」とはね返す“護りの壁”へと性質を変え、彼へのダメージを軽減してくれる。
そうして自分を奮い立たせ続ける小川選手には最近、なんとも喜ばしい変化があった。少しの時間、限られた状況下でのことではあるが、なぜだか「人目が怖くなくなる」という奇跡だ。それは、ボクシングでの勝利の夜に現れる。
試合に勝つと、会場を出るまでの道のりには、彼を祝う人だかりができる。当然、「視線恐怖症」ならば人の目が気になってしまうはず。ところが、勝利を手にした夜だけは怖くない。むしろ、自分を見てほしいという気持ちがわくのだそうだ。
「ボクシングで勝ったときだけは、怖さよりも“誇らしさ”が勝る。『お願いだから自分を見ないでくれ』。日々抱いているそんな気持ちが、不思議と『俺っていうボクサーをもっと見てくれ!』に変わるんです」
リングの中で“夢中”になれる数分間は、症状の輪郭を薄くする。呼吸が深くなり、世界が再びピントを取り戻し、それでいて恐怖だけを曖昧にしてくれる。
「これまで僕は“理解”してくれる方たちに救われてきました。ファンや動画に応援コメントをくださる方はもちろん、ジムの会長やトレーナー、仲間たち。そして家族も。とても感謝をしています。
……もちろん、症状の波はあります。でも、希望があるから毎日を生きられる。『きついなあ、もう嫌だ』ではなく、『こんなにきついんだから、ここで負けてたまるか!』。その気持ちがあるから、思いを拳に乗せられる。『視線恐怖症』もほかの症状も、すべてひっくるめてリングへ連れて行き、これからも戦い続けたいと思います!」
最後に小川選手は、こう締めてくれた。
「あのドラマで『視線恐怖症』を知ったという方も多いと思います。もし近くに、僕と似た悩みの人がいたら──その人のペースを尊重してあげてほしいです。本人が望むやり方で、望む場所へと少しずつ近づけるように。
実際に同じ症状で悩んでいる方にはこう伝えたいです。僕にはボクシングがあります。イ・ハナさんにはチョコレートがありました。僕の症状は決して治っていません。でも、絶対的な“支え”がひとつあるだけで、精神は確かに回復に向かいます。心が軽くなります。“何か”でも“誰か”でも、あなたのその“ひとつ“を見つけてもらえたら嬉しいです」
彼のボクサー人生も、「視線恐怖症」と共に歩む人生も、まだゴングは鳴ったばかりのようだ。そんな彼が、いつかチャンピオンベルトを腰に巻き、観衆の熱に包まれながら、両拳を高く掲げる夜が来るはず……! その瞬間を、この目で見たい。声が枯れるまで、拍手で包み込んでみたい。
小川選手が大きな「きつさ」を乗り越え、世界チャンピオンの座につく日が楽しみだ(写真:本人提供)
(衣輪 晋一 : メディア研究家)