「紀子さまは愛をもって接してくださらない」 厳しいご指導に職員がため息 「ねぎらいのお言葉など、まるでない」

【全2回(前編/後編)の前編】
先月23日に誕生日を迎えた小室眞子さん。当日は家族でドライブに出かけ、カメラに対しても満面の笑みを見せてくれた。夫妻がアメリカで穏やかな生活を送る一方、皇室では異常事態が起きているという。秋篠宮家のお世話をする皇嗣職のトップである吉田尚正大夫(だいぶ・65)と両殿下の間に看過できない溝が生じ、ついには“招待状事件”にまで発展、吉田氏の退任説が流れているのだ。「週刊新潮」が当の大夫を直撃すると……。
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【写真を見る】まさかの「カメラ目線」で… 小室眞子さんが誕生日に見せた“意外な表情”
秋篠宮家では今年、節目となる慶事が相次ぐ。6月29日はご夫妻の成婚35周年の記念日にあたり、9月6日は悠仁さまの成年式。そして、来たる11月30日には、秋篠宮さまが60歳のお誕生日を迎えられる。
こうした中で、ご一家を切り盛りされる紀子妃は精力的に日々のご公務にあたられている。宮内庁担当記者が言う。
「11月5日には総裁を務める『母子愛育会』をご訪問、各地で子育て支援や住民の健康づくりに取り組む人たちの活動交流会に出席されました。また6日には、都内墨田区で催された『VVI(視覚障害者との交流の会)50周年記念コンサート』にご臨席。続く7日には、同じく都内でろう者による手話劇を鑑賞されています」
10月28日に催された園遊会では、学業優先のため悠仁さまのご出席は見送られた。それでも新年の一般参賀には初めてのご参列が見込まれ、次代の皇室を担われる皇嗣家のお立場は、いっそう重みを増していく。ご家庭内に皇位継承権者をお二方擁される紀子妃の重圧は計り知れず、それもあって周囲へ求める仕事のハードルは高まるばかり。“ご指導”もおのずと熱を帯び、現場では紀子妃から容赦ないフレーズが発せられていることは、これまでも報じられてきた。そして、
「つい最近も、紀子さまから宮邸の職員に対し、厳しいお言葉があったのです」
そう明かすのは、ご一家の事情を知る関係者である。
「紀子さまは、職員に仕事の心構えを説かれていました。以前から『宮家で働けるのですから感謝しないといけません』などと仰っていたのですが、この時もまた『宮家のために何かしよう、という気持ちが感じられません。あなた方は宮家への愛が足りないのです』と嘆かれていました」(同)
が、職員へのご指示は目まぐるしく変わり、それらを確かめるべくお伺いを立てようとすれば、文字通り“聞く耳を持たない”ご姿勢から苛烈なご指導になってしまう。そんな職場での「お言葉」であったため、
「職員の間では“紀子さまご自身が、ちっとも私たちに愛をもって接してくださっていないのに”などと、不満の声が上がっていました。紀子さまは日頃から“私の思い通りに動くのが仕事”といったお考えで職員に接しておられ、ご自身のなさりたいことを実現するための、いわば“ツール”と職員を捉えられている。ねぎらいのお言葉など、まるでありません」(同)
かようなお振る舞いによる“不協和音”は、現場の職員との間にのみ生じているわけではない。あろうことか、ご一家をお支えすべき「最側近」との間にも、看過できない溝が横たわっているというのだ。
秋篠宮家のお世話をする皇嗣職のトップは、2024年2月に就任した吉田大夫である。西村泰彦宮内庁長官(70)と同じく警察官僚出身で、共に警視総監まで上り詰めている。
「西村長官は6月に70歳を迎えました。長官や侍従長、皇嗣職大夫などの特別職は定年が定められていませんが、70歳が目安とされており、間もなく長官も退任します」(前出の記者)
後任には、総務省出身で現在ナンバー2の黒田武一郎次長(65)が就く予定。ところがそんな折、
「重職を担う吉田大夫にも目下、退任説がささやかれているのです。実際に秋以降、その去就は複数のメディアで報じられている。宮内庁に入る際は警察庁の先輩である西村長官の強い勧めもあったといい、その長官が辞めるタイミングで身を引くのでは、というのが根拠の一つになっています」(同)
もっとも、就任から2年足らずで皇嗣職トップが去るとなれば、紛うかたなき異常事態である。
「大夫は福岡県警本部長時代、工藤会壊滅作戦の指揮を執ったことでも知られます。警察庁を退官後、トヨタ自動車の顧問などを経て22年7月、宮内庁御用掛に任用されました。以来、一貫して秋篠宮家を担当してきたのです」(前出の記者)
非常勤職員である御用掛から一気に側近トップへと昇格したのは、取りも直さず秋篠宮ご夫妻のご期待の表れであろう。それでも、
「ご夫妻との関係は現在、決して良好ではありません。むしろ吉田さんは、遠ざけられているといえます」
とは、さる皇嗣職関係者である。
「吉田さんが御用掛に就いたのは、小室さんの問題が尾を引き、秋篠宮家への批判が沸き起こっていた時期でした。当時の加地隆治大夫は、いわばご夫妻のイエスマンで、騒動を収めるすべもなかった。すでに後任は吉田さんに内定しており、吹き荒れるバッシングを鎮める役割が、周囲から期待されていました。吉田さん自身、ご一家の置かれた状況を改善したいとの思いから、兼職が可能な御用掛の期間も、民間での役職を投げうって宮家の仕事に専念してきたのです」(同)
ところが、
「吉田さんは『このようにしたらいかがでしょうか』と、ご夫妻に提案を重ねてきました。ですが、そうした進言をするうち、ご夫妻から距離を置かれるようになり、とりわけ紀子さまに疎まれてしまったというのです」(前出の皇嗣職関係者)
そんな“関係”を如実に物語る出来事が、つい先頃起きていたという。
後編【「皇嗣職トップは紀子さまに疎まれてしまった」 退任説の背景にある「招待状事件」とは】では、吉田大夫の退任説について、詳しく報じる。
「週刊新潮」2025年11月20日号 掲載