クマの目撃情報が続発して日々メディアを賑わせているが、静岡県富士宮市では10月25日、小学校でクマの足跡が見つかり騒然となった。
また岩手県盛岡市では11月12日朝、相次いでクマが目撃され、現場近くの中学校が休校となった。
秋田県秋田市でも同日、市内の複数の地点でクマが目撃され、小学校が臨時休校するなどした。
クマの出没により、子供たちの生活にも影響が出はじめている。
2019年1月29日にネット配信されたニュースに興味深いものがある。
「クマが一緒にいてくれた」 行方不明の男児を森で発見
米ノースカロライナ州で行方不明になり、丸2日以上たって森の中で見つかった3歳の男児は、森にいる間ずっとクマと一緒だったと話していることが分かった。ケイシー・ハサウェイちゃん(3)は22日、親類宅の庭から姿を消した。大規模な捜索の末、24日に無事発見された。地元捜査当局者が28日、CNNに語ったところによると、ケイシーちゃんは搬送先の救急病院で、「森の中に友達がいて、その友達はクマだった」と話したという。同当局者によれば、ケイシーちゃんがクマと一緒にいたことを示す証拠はないが、最初の夜は氷点下まで冷え込み、2日目の夜には50ミリの雨が降る過酷な状況の中で、何かがケイシーちゃんの助けになっていたならよかったと指摘した。(CNN 抄出)
筆者は北海道の地元紙80年分を通読してヒグマによる事件を収集、データベース化して、拙著『神々の復讐』(講談社)にまとめたが、幼児をさらう「人さらいグマ」の話題は、戦前の資料でも散見された。
それらはいずれも子供を「喰う」のではなく「慈しむ」のが目的としか思えない不可解な事件であった。
たとえば大正13年9月2日の「小樽新聞」に、「巨熊の傍に一夜を明かす」という不思議な事件が報じられている。
雨竜郡幌加内村二十四線の農業、山田藤太郎の娘ミツ(3歳)が、母親が洗濯に出た留守中、行方不明となった。八方手分けして付近の山中を探したが、夜になっても手がかりがなく、クマのためにさらわれたものと諦めていた。
ところが翌日の午後3時頃、同村の大塚某が山林を通行中に、不思議にも子どもの泣き声を耳にしたので、草むらの中を百間ほど分け進むと、「顔面虫にさされて血にまみれ虫の息となっているミツ」を発見。さらにその二間(約3.6メートル)先に巨熊がうずくまっているのを見つけて仰天し、ミツを抱えて一目散に逃げ出した。ヒグマもその剣幕に驚いたのか、山中深く逃げ込んでしまった。幌加内村では当時、夜な夜な巨熊が出没して作物を荒らしていたという。
一方で、クマがまさに赤児をさらうところを危うく助け出した事例もある。
以下の事件も、人さらいグマを連想させる不可解な事件である。
勇払郡厚真村で、同村大字下振内村中山長蔵の二男清治(6歳)が付近の小川に遊びに行ったが、そのうち清治の姿が見えなくなったので、部落民総出で三昼夜、ほとんど不眠不休で捜索したが皆目分からなかった。
12日後、炭焼き夫が木炭材伐採のため当麻内山中に分け入った際に幼児の死体を発見した。所轄警察と医師が現場へ向かい検視をしたところ、死体は清治と判明、死因は餓死で死後5日と検定された。
しかしわずが6歳の幼児が、行方不明となった現場から人跡未踏の山中を一里(約4キロ)余りも、どうやって来たのか、まるで見当が付かなかった。
また他にも不可思議な事実があった。
記事では「老孤に養われた」とあるが、山ブドウはクマの好物でもある。幼児が密林の中をひとりで4キロも歩いたとは考えにくく、ヒグマがくわえていったと見るのが自然ではないだろうか。
樺太出身の芥川賞作家、寒川光太郎は、北海道を題材にした作品で知られるが、ヒグマにさらわれた娘の挿話も遺している。
荒々しい四歳熊が、結婚するばかりになっていた娘を口にくわえて、再び密林の中へ消えて行ったとか、数年後逃げかえったその娘はもう使いものにはならぬ白痴のようであったとか、全身毛だらけの無気味な幼兒が山中で噛み殺されていたとか、ぞっと背筋をはうような物語は、年々くりかえされる人間殺戮の被害と相まって、シカリコタンの性悪熊を証明する立派な事実として一般に確く信じられているところである。
(中略)エトロフの漁村の一少女が、熊にさらわれたまま行方不明となり、やがて数年経った頃ようやく離されて父母の家へ帰ることが出来た、それから後というもの、その少女は、一言も三年間の話には触れず、何かの気配を感じては、まっ蒼となって家へ逃げこんだりしたという話を聞いた。少女が熊と一緒にいたことを語らないのは、一言でもそれに触れたら恐しい復讐をされるからだ、という(『北海道熊物語』)
これらの話は、民俗学者、柳田国男の『山の人生』にある「サンカ伝説」と酷似しているが、本州から移住した人々によって、ヒグマに置き換えられたのかもしれない。
最後に海外での奇跡のような事例を紹介しよう。
九年間熊と育つ 女ターザン出現 乳呑児時代にさらわれる
乳呑児の時、熊にさらわれて以来九年間、わたり熊の子として育てられた当年九歳の熊娘がオリンパス山で名高いウルダー山中で発見された。今を去る九年の昔、ウルダー山麓にほど近い一農家の生後三ヶ月の乳呑児が熊にさらわれた事件があったが、ただちに付近の山林一帯にわたって大捜索が行われたが杳として行方知れず、まったく熊の餌食になってしまったものとあきらめていた。
しかるに最近、猟師の一隊がたまたまとある森陰で日向ぼっこをしている一頭の大きな牝熊を発見、見事にこれを射止めて、さて熊の死体に近寄ると、突如その陰から髪振り乱した真っ裸の少女が躍り出で、歯をむき出して猟師達に飛びかかった。荒れ狂うその子供をようように「生け捕り」にして村へ連れ帰ったのだが、この子供こそ九年前、ウルダー山中に消息を絶った乳呑児の成長した姿であった。
九年もの間、熊に育てられたこの少女はまったく人間性を失い、子熊と同様の唸り声を発し、人間が近づくとすぐ爪を立て歯をむいて跳びかかる始末、いま彼女はイスタンブールの精神病院に収容され静かに熊から人間への再誕生の日を待っている(「北海タイムス」昭和12年7月29日)
———-中山 茂大(なかやま・しげお)ノンフィクション作家、人喰い熊評論家明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。———-
(ノンフィクション作家、人喰い熊評論家 中山 茂大)