続発する介護施設での虐待事案と限界まで追い込まれる介護職の厳しい現実

神奈川県立の知的障害者施設「中井やまゆり園」で明らかになった不適切な対応に対する報告書が、県の設置した外部調査委員会により提出された。報告書によれば虐待疑いが25件と明らかにされたほか、その衝撃的な内容に波紋が広がっている。俳人で著作家の日野百草氏が、社会福祉施設に長く勤めた元職員に障害者、利用者サービスにおける現場の厳しい現実について聞いた。
【写真】障害者虐待防止法が全会一致で可決 * * *「虐待は絶対にいけませんが、虐待が無くならないのが現実です」

社会福祉施設や福祉関係機関に長く勤めた元職員(60代)に話を伺う。背が高く恰幅のいい方で知識も経験も豊富、筆者も別の福祉関係の取材でお世話になったことがある。現在は体調の問題もあり現役ではないが地域ボランティアでその経験を生かしている。 社会福祉施設とは老人ホームはもちろん身体および心身(知的)障害者、生活困窮者などあらゆる福祉サービスの施設を指す。あえて大きく書いたのは、彼はそのすべての施設を経験してきたからだ。ある意味、この国の福祉のあらゆる現場を見てきたと言っても過言ではない。「利用者が弄便(ろうべん)する、血だらけのナプキンを投げつける、職員が後ろから殴られて失神する、これもまた現実です」 淡々と語る彼の口からは非常に厳しい現実が具体性をもって挙げられる。断っておくが本稿、決して虐待を肯定するわけでも、これらの行為を興味本位に取り上げるわけでもない。また福祉業界の用語はなるべく平易に置き換えているが、一部は説明を加えた上で原文ママとする。ちなみに弄便とは大便で遊んだり、食べたりの行為である。また便宜上、施設における福祉関係者は「職員」、障害者は「利用者」とする。「体の大きな30代の男性利用者がお尻から便を取り出しては人形のようなものを作って遊びます。80代の男性利用者は軟便を床に漏らすと手でワックスがけのように塗り拡げます。高齢利用者の中には排便機能が低下している方もいますから下剤を使って排便コントロールをしている場合があります。そうなると大量の泥状便や水様便が出ます。意思疎通の難しい状態の方だと撒き散らしたり、床に倒れ込んで泳ぐような仕草をしたりで全身が大便まみれになります」 泥状便とは泥のような便で、水様便は水のような便、いわゆる下痢便である。「彼らなりの意味があってしている行動で、自分を綺麗にしようとして別のところに塗りたくるとか、遊んでいるつもりとか、おむつが気に入らないとか、怒られるので便をシーツの中や引き出しの中に隠す場合もあります。彼らにとっては意味のある行動ですから、その行動を肯定する言葉で落ち着かせてシャワーに連れていく、そればかりではありませんが、施設では別に珍しくもない日常です。清掃作業もまた日常です」 清掃担当者がいる、いないに関わらず、基本的に排泄や吐瀉は職員が対応する場合が多い。施設の規模や方針、その時々の現場判断にもよるが、保健衛生上の問題があるため専門知識が必要となる。「しかし突発的な粗相なら時間はかかりますが元通りにできても、弄便が常態化しているような方の部屋では限界があります。ある施設で「綺麗にしていないじゃないか」と先輩職員が若手職員を注意しているのを咎めたことがありますが、その利用者の方はさっきお話しした、便で人形を作る方でしたからやめません。彼にとっては趣味ですからね。それでも、昔に比べれば排泄介助も含めて技術的にも改善したとは思いますが」 こうした利用者の側に立つ、そのやり方は施設や職員により様々だろうが、とても難しいことだと思う。「人形の出来が悪いと思ったら壁に投げて壊しますし、満足すれば何体でも作ります。24時間3交代とかその方のみ、つきっきりでお世話をするなら止められるかもしれませんが、まず無理です。気に入らないことがあると暴力に訴えてきますから職員が危ない。それなりの清掃となり、臭いもとれませんが、もう仕方がないのです。本人がその臭いを好きな場合もありますし、それがお気に入りの場所なのですから」 他者および自身に対して危害を加えようとする行為が常態化している利用者もいる。強度行動障害にまで至らなくともそれに近い行動で他害を繰り返す。どうしても落ち着かない方はどうするのか。「施設の方針にもよるのですが、医師の許可をいただいていれば投薬です。現実には落ち着かずに暴れてしまう方もいます。噛みつかれたり、引っ掻かれたり、殴られたり、とくに私が個人的に痛いのはつねりですね。若い男性入所者に全力でつねられると場所にもよりますが本当に星が飛びますよ。大人の手加減なしのつねりですからね。あとは拘束(後述)でしょうか。それ以外はとにかく我慢です。障害者虐待防止法もありますが、やはり入所者にも理由があり、そのたびに試行錯誤で対応します。認知症でも男性が暴れると思わぬ力を発揮する場合があります。ご高齢でも体力的に若い方もいますから」介護職員が守られないのは仕方のないこと 障害者虐待防止法とは「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」のことで、2012年10月1日より施行された。大きなきっかけとなったのは2004年、福岡県の知的障害者更生施設「カリタスの家」における虐待の発覚である。厚生労働省は「国や地方公共団体、障害者福祉施設従事者等、使用者などに障害者虐待の防止等のための責務を課すとともに、障害者虐待を受けたと思われる障害者を発見した者に対する通報義務を課す」としている。「私たちが守られないのは仕方のないことと個人的には覚悟していましたが、職員の中には理不尽と思っている方々も多いのは現実です。利用者は意思疎通の難しい方々ですから、私たちが何をされても守られる術はありません」 虐待行為の定義には外傷が生じる行為や身体拘束などの「身体的虐待」、暴言や心理的外傷を与える言動による「心理的虐待」、障害者にわいせつな行為をする「性的虐待」、長時間の放置などで介護を放棄する「ネグレクト」、そして障害者の金銭を勝手に使うなどの「経済的虐待」がある。障害者虐待防止法で禁止されているが、逆に職員および親族等の養護者はこれらを障害者から受けてもこの法は適用されない。一般的な民事、刑事となる。「39条がありますから、難しいでしょうね」 39条とは下記の刑法第39条のことである。1.心神喪失者の行為は、罰しない。2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。 刑法上、責任無能力者(14歳未満および心神喪失者のこと)は原則として刑事責任を負わないとされている。「実際、怖い思いをしたと辞める方もいます。それを責めることもできません。もちろん、職員による過剰防衛、虐待もあります」 福祉施設において虐待とされる事件は度々報告されている。直近では2022年9月6日、神奈川県立中井やまゆり園は外部調査委員会の報告書を受け、以下の虐待および不適切な支援について公表した。〈報告書では、「虐待が疑われる」として25件、「不適切な支援等であり、支援方法を見直すべき事案」として12件の事案が明らかになりました。中井やまゆり園の利用者の皆さん、ご家族の皆さんはもとより、多くの皆さんにお詫び申し上げます。 また、「人権意識の大きな欠如が生じている」「虐待に対する知識及び意識共に欠如している」など、大変厳しい指摘もあり、重く受け止めております〉 その報告書には25件の虐待の疑いなどが記されている。抜粋すると「居室の天井が便まみれとなっている環境で生活をさせた事案」「利用者の顔を平手打ちし、こぶしで額を殴ったとされる事案」「服を着たままシャワーをかけたとされる事案」「利用者の肛門内にナットが入っていた事案」「水やみそ汁を多量に飲ませていたとされる事案」などを挙げているが、これについて、どう思うか。「虐待はあってはならない。これは最初にも言いましたが大前提です。当たり前の話です。お互い人間なのですから。私の尊敬する職員の方々も、何をされても受け流して、ときには毅然と職務を全うしていました。どんなに利用者から理不尽な目に遭っても『かわいいところもある』『ほんとうはすてきなひと』と触れ合える職員もいます。心が通じたときの喜びは何物にも代え難い、私もそれが励みでした。しかし誰しもそれができるとは限りません。むしろ私がお話しした現実(弄便や他害など)を前に、それができないほうが普通だと思います。私も新人に対しては『できないほうが当たり前』と考え、教えてきたつもりです。小さな言葉の暴力や強引な指示など、してはいけませんが、せざるをえないこともあります」 彼は踏み込んだ話もしてくれた。「先ほど性的虐待を挙げられましたが、逆に入所者による女性職員に対する性的虐待やセクハラもあります。彼らも人間ですから、性的な欲求はあります。むしろ自制の働きづらい分、直情的に行動します。それで辞めてしまう女性職員もいます。他害だけでなく、自慰行為も血が出るまでする方もいましたし、先ほどの(中井やまゆり)園の話ではないですが、肛門にいろんな物を入れてしまう方もいました。もちろん、そのケースがそうだと指しているのではなく、私の場合という話ですが」安易に関連づけるメディアの問題も 障害者と性の話は難しい問題で、いまだにタブー視されているのもまた現実だ。しかし彼らもまた人間であり、当たり前のように性欲はある。「福祉専門学校を出たばかりのある女性職員は辞めるとき、利用者のことをとてもここでは言えない内容で罵って去りました。それに対して『あんな子、辞めて正解』と言う職員もいましたが、私は彼女にも同情しましたし、仲間として申し訳なく思いました」 介護は誰でもできる仕事など嘘である。ましてや意思疎通の難しい利用者を相手にする施設はプロフェッショナルでないと務まらない。いや、プロでも難しい世界だと語る。「体をいつもいじられて、つきまとわれて、ある男性利用者の行動にノイローゼぎみでした。私も含めて何とかしようとしたのですが、利用者の中には本当にどうにもならない方がいるのも現実なのです。どうにもならないなんて、こんなことを言ってはいけないのですが、時に暴れ、暴力をふるい、弄便や誤った性的な行動を繰り返す利用者を受け流したり耐えたりは人間の精神的な許容範囲を超えていると思います。私も含めそれが出来る方もいますが多くはない。そうなれば辞める人はもちろん、暴力には暴力を、と考える職員も出てきてしまう。投薬や拘束も施設の判断によりますが、ずっとそれで対応するわけにもいきません」 拘束とは身体拘束のことで、抑制帯という体をベッドに固定する帯や、手や指先の自由を効かなくするミトン(いわゆる鍋つかみ)をはめたりする行為である。座位保持装置を長時間、拘束椅子として使う行為もこれにあたる。「虐待ではなく、入所者のためを思っての拘束もあるのです。もちろん自分たちの危険を回避する意味もありますが。意思疎通の難しい方々ですし、大男が全力で拳を振るってくるため職員も仕方なく問題行動から即拘束、という場合もあります。もちろん駄目です」 拘束には厳しい条件がある。一般的には「切迫性」(危害が及ぶ場合)、「非代替性」(他に手段のない場合)、「一時性」(ごく短時間)の3つすべてを満たした上で本人および家族への説明、施設内の虐待防止委員会やそれに準ずる職員会議を経て拘束と定義されている。「建前上はそうですね。拘束は虐待につながりますし、なにより人権侵害ですからね。慎重な行動が求められるのはわかります。しかし現場では即応しなければならないこともあります。法律の正しいことは当然ですが、職員の苦しみはどうでもいいのでしょうか」 2022年6月、この身体拘束における厳しい条件を見直す報告書が厚生労働省の有識者会議でまとめられた。精神科病院などにおける身体拘束の要件見直しについてだが、身体拘束の被害者団体などはこれに反発している。想像を絶する厳しい環境で働く職員の方々、虐待がいけないことは当然だが、果たして虐待を非難するだけで解決することなのだろうか。「どちらの立場にも言い分はあるでしょう。虐待をしたとされる職員も、最初から虐待しようと思って福祉の道を志したわけではないと思うのです。もちろん拘束される方はもちろん、ご家族のお気持ちもわかります。でも、これは私の勝手なお願いかもしれませんが、どうか彼らを『虐待』というわけで優生思想の持ち主とされる植松と同じ扱いで報道したりしないで欲しいのです。一方的すぎます。虐待はもちろん絶対にいけません。しかしすべてを植松になぞらえるのはあんまりです」 自省も含めメディアの問題もある。植松とは相模原障害者施設殺傷事件の植松聖のことだ。2016年、知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」の入所者19人を殺害した元職員である。彼は「生産しない者には価値がない」という優生思想の持ち主で、「社会の役に立つため」に入所者19人を次々と殺害した。「彼と同じにしては可哀想です。中井やまゆり園は公立で支援体制の評判も良かったと記憶しています。研修会も定期的に外部に開放しています。なにより他の施設で断られるような方々も引き取っていた施設です。だからこそ、より難しい状態になったのだと思います」 手に負えないと判断されると利用者は施設を断られるケースがある。たとえば強度行動障害などは本当に難しく、施設を転々とする事例もある。それでも最終的に誰かが引き受けなければならない。中井やまゆり園もまたそうした役割を担っていた。「それが仕事、と言われればそれまでですが、この問題は現場の職員に押しつけ、非難するだけでは解決しないと思うのです。何より人手が足りない、待遇が悪い。この(中井やまゆり)園は公立ですからお給料も待遇も民間(社会福祉法人など)よりずっと良いと思いますが、それでも仕事内容に見合っていると思えません。同じ仕事をしてきたからというわけでなく、本当にそう思うのです」 何より待遇の改善だと語る。浅慮な処罰やその施設だけの問題に矮小化しては解決しない、それほどまでに、日本の福祉の現場は限界ということか。「虐待は絶対にいけません。しかし虐待にまで追い詰めるのは、利用者の行為だけではないと思うのです。他人事、綺麗事だけでは虐待は無くなりません。社会生活の完全に難しく帰る場所もない利用者がいる。職員は常に限界。これが現実です」【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。
* * *「虐待は絶対にいけませんが、虐待が無くならないのが現実です」
社会福祉施設や福祉関係機関に長く勤めた元職員(60代)に話を伺う。背が高く恰幅のいい方で知識も経験も豊富、筆者も別の福祉関係の取材でお世話になったことがある。現在は体調の問題もあり現役ではないが地域ボランティアでその経験を生かしている。
社会福祉施設とは老人ホームはもちろん身体および心身(知的)障害者、生活困窮者などあらゆる福祉サービスの施設を指す。あえて大きく書いたのは、彼はそのすべての施設を経験してきたからだ。ある意味、この国の福祉のあらゆる現場を見てきたと言っても過言ではない。
「利用者が弄便(ろうべん)する、血だらけのナプキンを投げつける、職員が後ろから殴られて失神する、これもまた現実です」
淡々と語る彼の口からは非常に厳しい現実が具体性をもって挙げられる。断っておくが本稿、決して虐待を肯定するわけでも、これらの行為を興味本位に取り上げるわけでもない。また福祉業界の用語はなるべく平易に置き換えているが、一部は説明を加えた上で原文ママとする。ちなみに弄便とは大便で遊んだり、食べたりの行為である。また便宜上、施設における福祉関係者は「職員」、障害者は「利用者」とする。
「体の大きな30代の男性利用者がお尻から便を取り出しては人形のようなものを作って遊びます。80代の男性利用者は軟便を床に漏らすと手でワックスがけのように塗り拡げます。高齢利用者の中には排便機能が低下している方もいますから下剤を使って排便コントロールをしている場合があります。そうなると大量の泥状便や水様便が出ます。意思疎通の難しい状態の方だと撒き散らしたり、床に倒れ込んで泳ぐような仕草をしたりで全身が大便まみれになります」
泥状便とは泥のような便で、水様便は水のような便、いわゆる下痢便である。
「彼らなりの意味があってしている行動で、自分を綺麗にしようとして別のところに塗りたくるとか、遊んでいるつもりとか、おむつが気に入らないとか、怒られるので便をシーツの中や引き出しの中に隠す場合もあります。彼らにとっては意味のある行動ですから、その行動を肯定する言葉で落ち着かせてシャワーに連れていく、そればかりではありませんが、施設では別に珍しくもない日常です。清掃作業もまた日常です」
清掃担当者がいる、いないに関わらず、基本的に排泄や吐瀉は職員が対応する場合が多い。施設の規模や方針、その時々の現場判断にもよるが、保健衛生上の問題があるため専門知識が必要となる。
「しかし突発的な粗相なら時間はかかりますが元通りにできても、弄便が常態化しているような方の部屋では限界があります。ある施設で「綺麗にしていないじゃないか」と先輩職員が若手職員を注意しているのを咎めたことがありますが、その利用者の方はさっきお話しした、便で人形を作る方でしたからやめません。彼にとっては趣味ですからね。それでも、昔に比べれば排泄介助も含めて技術的にも改善したとは思いますが」
こうした利用者の側に立つ、そのやり方は施設や職員により様々だろうが、とても難しいことだと思う。
「人形の出来が悪いと思ったら壁に投げて壊しますし、満足すれば何体でも作ります。24時間3交代とかその方のみ、つきっきりでお世話をするなら止められるかもしれませんが、まず無理です。気に入らないことがあると暴力に訴えてきますから職員が危ない。それなりの清掃となり、臭いもとれませんが、もう仕方がないのです。本人がその臭いを好きな場合もありますし、それがお気に入りの場所なのですから」
他者および自身に対して危害を加えようとする行為が常態化している利用者もいる。強度行動障害にまで至らなくともそれに近い行動で他害を繰り返す。どうしても落ち着かない方はどうするのか。
「施設の方針にもよるのですが、医師の許可をいただいていれば投薬です。現実には落ち着かずに暴れてしまう方もいます。噛みつかれたり、引っ掻かれたり、殴られたり、とくに私が個人的に痛いのはつねりですね。若い男性入所者に全力でつねられると場所にもよりますが本当に星が飛びますよ。大人の手加減なしのつねりですからね。あとは拘束(後述)でしょうか。それ以外はとにかく我慢です。障害者虐待防止法もありますが、やはり入所者にも理由があり、そのたびに試行錯誤で対応します。認知症でも男性が暴れると思わぬ力を発揮する場合があります。ご高齢でも体力的に若い方もいますから」
障害者虐待防止法とは「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」のことで、2012年10月1日より施行された。大きなきっかけとなったのは2004年、福岡県の知的障害者更生施設「カリタスの家」における虐待の発覚である。厚生労働省は「国や地方公共団体、障害者福祉施設従事者等、使用者などに障害者虐待の防止等のための責務を課すとともに、障害者虐待を受けたと思われる障害者を発見した者に対する通報義務を課す」としている。
「私たちが守られないのは仕方のないことと個人的には覚悟していましたが、職員の中には理不尽と思っている方々も多いのは現実です。利用者は意思疎通の難しい方々ですから、私たちが何をされても守られる術はありません」
虐待行為の定義には外傷が生じる行為や身体拘束などの「身体的虐待」、暴言や心理的外傷を与える言動による「心理的虐待」、障害者にわいせつな行為をする「性的虐待」、長時間の放置などで介護を放棄する「ネグレクト」、そして障害者の金銭を勝手に使うなどの「経済的虐待」がある。障害者虐待防止法で禁止されているが、逆に職員および親族等の養護者はこれらを障害者から受けてもこの法は適用されない。一般的な民事、刑事となる。
「39条がありますから、難しいでしょうね」
39条とは下記の刑法第39条のことである。
1.心神喪失者の行為は、罰しない。2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
刑法上、責任無能力者(14歳未満および心神喪失者のこと)は原則として刑事責任を負わないとされている。
「実際、怖い思いをしたと辞める方もいます。それを責めることもできません。もちろん、職員による過剰防衛、虐待もあります」
福祉施設において虐待とされる事件は度々報告されている。直近では2022年9月6日、神奈川県立中井やまゆり園は外部調査委員会の報告書を受け、以下の虐待および不適切な支援について公表した。
〈報告書では、「虐待が疑われる」として25件、「不適切な支援等であり、支援方法を見直すべき事案」として12件の事案が明らかになりました。中井やまゆり園の利用者の皆さん、ご家族の皆さんはもとより、多くの皆さんにお詫び申し上げます。 また、「人権意識の大きな欠如が生じている」「虐待に対する知識及び意識共に欠如している」など、大変厳しい指摘もあり、重く受け止めております〉
その報告書には25件の虐待の疑いなどが記されている。抜粋すると「居室の天井が便まみれとなっている環境で生活をさせた事案」「利用者の顔を平手打ちし、こぶしで額を殴ったとされる事案」「服を着たままシャワーをかけたとされる事案」「利用者の肛門内にナットが入っていた事案」「水やみそ汁を多量に飲ませていたとされる事案」などを挙げているが、これについて、どう思うか。
「虐待はあってはならない。これは最初にも言いましたが大前提です。当たり前の話です。お互い人間なのですから。私の尊敬する職員の方々も、何をされても受け流して、ときには毅然と職務を全うしていました。どんなに利用者から理不尽な目に遭っても『かわいいところもある』『ほんとうはすてきなひと』と触れ合える職員もいます。心が通じたときの喜びは何物にも代え難い、私もそれが励みでした。しかし誰しもそれができるとは限りません。むしろ私がお話しした現実(弄便や他害など)を前に、それができないほうが普通だと思います。私も新人に対しては『できないほうが当たり前』と考え、教えてきたつもりです。小さな言葉の暴力や強引な指示など、してはいけませんが、せざるをえないこともあります」
彼は踏み込んだ話もしてくれた。
「先ほど性的虐待を挙げられましたが、逆に入所者による女性職員に対する性的虐待やセクハラもあります。彼らも人間ですから、性的な欲求はあります。むしろ自制の働きづらい分、直情的に行動します。それで辞めてしまう女性職員もいます。他害だけでなく、自慰行為も血が出るまでする方もいましたし、先ほどの(中井やまゆり)園の話ではないですが、肛門にいろんな物を入れてしまう方もいました。もちろん、そのケースがそうだと指しているのではなく、私の場合という話ですが」
障害者と性の話は難しい問題で、いまだにタブー視されているのもまた現実だ。しかし彼らもまた人間であり、当たり前のように性欲はある。
「福祉専門学校を出たばかりのある女性職員は辞めるとき、利用者のことをとてもここでは言えない内容で罵って去りました。それに対して『あんな子、辞めて正解』と言う職員もいましたが、私は彼女にも同情しましたし、仲間として申し訳なく思いました」
介護は誰でもできる仕事など嘘である。ましてや意思疎通の難しい利用者を相手にする施設はプロフェッショナルでないと務まらない。いや、プロでも難しい世界だと語る。
「体をいつもいじられて、つきまとわれて、ある男性利用者の行動にノイローゼぎみでした。私も含めて何とかしようとしたのですが、利用者の中には本当にどうにもならない方がいるのも現実なのです。どうにもならないなんて、こんなことを言ってはいけないのですが、時に暴れ、暴力をふるい、弄便や誤った性的な行動を繰り返す利用者を受け流したり耐えたりは人間の精神的な許容範囲を超えていると思います。私も含めそれが出来る方もいますが多くはない。そうなれば辞める人はもちろん、暴力には暴力を、と考える職員も出てきてしまう。投薬や拘束も施設の判断によりますが、ずっとそれで対応するわけにもいきません」
拘束とは身体拘束のことで、抑制帯という体をベッドに固定する帯や、手や指先の自由を効かなくするミトン(いわゆる鍋つかみ)をはめたりする行為である。座位保持装置を長時間、拘束椅子として使う行為もこれにあたる。
「虐待ではなく、入所者のためを思っての拘束もあるのです。もちろん自分たちの危険を回避する意味もありますが。意思疎通の難しい方々ですし、大男が全力で拳を振るってくるため職員も仕方なく問題行動から即拘束、という場合もあります。もちろん駄目です」
拘束には厳しい条件がある。一般的には「切迫性」(危害が及ぶ場合)、「非代替性」(他に手段のない場合)、「一時性」(ごく短時間)の3つすべてを満たした上で本人および家族への説明、施設内の虐待防止委員会やそれに準ずる職員会議を経て拘束と定義されている。
「建前上はそうですね。拘束は虐待につながりますし、なにより人権侵害ですからね。慎重な行動が求められるのはわかります。しかし現場では即応しなければならないこともあります。法律の正しいことは当然ですが、職員の苦しみはどうでもいいのでしょうか」
2022年6月、この身体拘束における厳しい条件を見直す報告書が厚生労働省の有識者会議でまとめられた。精神科病院などにおける身体拘束の要件見直しについてだが、身体拘束の被害者団体などはこれに反発している。想像を絶する厳しい環境で働く職員の方々、虐待がいけないことは当然だが、果たして虐待を非難するだけで解決することなのだろうか。
「どちらの立場にも言い分はあるでしょう。虐待をしたとされる職員も、最初から虐待しようと思って福祉の道を志したわけではないと思うのです。もちろん拘束される方はもちろん、ご家族のお気持ちもわかります。でも、これは私の勝手なお願いかもしれませんが、どうか彼らを『虐待』というわけで優生思想の持ち主とされる植松と同じ扱いで報道したりしないで欲しいのです。一方的すぎます。虐待はもちろん絶対にいけません。しかしすべてを植松になぞらえるのはあんまりです」
自省も含めメディアの問題もある。植松とは相模原障害者施設殺傷事件の植松聖のことだ。2016年、知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」の入所者19人を殺害した元職員である。彼は「生産しない者には価値がない」という優生思想の持ち主で、「社会の役に立つため」に入所者19人を次々と殺害した。
「彼と同じにしては可哀想です。中井やまゆり園は公立で支援体制の評判も良かったと記憶しています。研修会も定期的に外部に開放しています。なにより他の施設で断られるような方々も引き取っていた施設です。だからこそ、より難しい状態になったのだと思います」
手に負えないと判断されると利用者は施設を断られるケースがある。たとえば強度行動障害などは本当に難しく、施設を転々とする事例もある。それでも最終的に誰かが引き受けなければならない。中井やまゆり園もまたそうした役割を担っていた。
「それが仕事、と言われればそれまでですが、この問題は現場の職員に押しつけ、非難するだけでは解決しないと思うのです。何より人手が足りない、待遇が悪い。この(中井やまゆり)園は公立ですからお給料も待遇も民間(社会福祉法人など)よりずっと良いと思いますが、それでも仕事内容に見合っていると思えません。同じ仕事をしてきたからというわけでなく、本当にそう思うのです」
何より待遇の改善だと語る。浅慮な処罰やその施設だけの問題に矮小化しては解決しない、それほどまでに、日本の福祉の現場は限界ということか。
「虐待は絶対にいけません。しかし虐待にまで追い詰めるのは、利用者の行為だけではないと思うのです。他人事、綺麗事だけでは虐待は無くなりません。社会生活の完全に難しく帰る場所もない利用者がいる。職員は常に限界。これが現実です」
【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。