コンテンツ共有サービスnoteのある記事が話題となっている。4月に投稿された記事のタイトルは「25歳童貞が12億円稼いで300人以上の美女を抱きまくり、詐欺で全財産失った実話」と、これでもかとパワーワードが並ぶ。 引きこもり、高校中退、25歳無職童貞、投資で大成功、そして詐欺で無一文……。どのエピソードも現実離れしているため、さすがにウソじゃないかと思いきや、作者のよしさん(@style_seduce)は「ぜんぶ事実です」と取材に応じてくれた。いまはカプセルホテルに連泊しながら、あと数か月で生活費もつきるというにもかかわらず、淡々と「だれかの救いになってくれれば」と奇妙な半生を打ち明ける。
◆引きこもり、無職、25歳童貞
――まずはどのような家庭で育ったのでしょうか? 引きこもり、無職、25歳童貞になるのは、家族の影響が大きかったのでしょうか。
よしさん:大きかったですね。特に母親の影響が大きかった。父は慶應卒の寡黙なエンジニア、母は美大卒の専業主婦。母は病的なまでにオーガニックにこだわり、毎食、野菜を500グラムぐらいとらされました。それもドレッシングや調味料をあまりつかわず、蒸しただけのサトイモやカボチャをそのまま食べさせられるので、めちゃくちゃマズイわけです(笑)。でも母のおかげで、肌はツヤツヤで、髪もサラサラ。女子からは「トリートメントなにつかっているの?」と訊かれるぐらいでした。
そんな生活が一転したのは、中学生の頃、母が長期入院したためです。その後、僕が高校生のときに母は亡くなってしまうのですが、厳しいしつけを受けていた反動から、昼間は友だちとゲームセンターに入りびたり、夜までずっとゲームしていました。ドン・キホーテで買ったスナック菓子を食べ、清涼飲料を山ほど飲む。夜9時に父はオイリーな弁当を買って帰ってくる。そんな生活を1か月も続けていると、顔中にニキビが出てくるようになりました。おでこからあごまで顔中のいたるところに。
当時は、食事の影響でニキビが出るという知識がありませんでした。だから周りも「顔を洗っている?」と訊いてくるばかりで、どんどんニキビは悪化していきます。肌が汚くなると、自然と女子から避けられるようになりました。
◆ネット空間は救いの世界だった
――非モテ人生がはじまったのですね。
よしさん:そうです。その頃、父がパソコンを買ってくれました。理系の父からすれば、プログラミングの勉強でもしてほしいと思っていたのかもしれませんが、僕は「Winny」(ファイル共有ソフト)でゲームやエロ動画をダウンロードして遊ぶなど、一日中パソコンにハマってしまいました。僕にとってネット空間は救いの世界だった。学校の中で居場所がなかったので、はじめてできた居場所でした。
父との会話はなく、高校のときには家出しました。保護者面談のとき、体育の授業をサボっていたことを父が先生から聞き、「学校に行かないならもう勝手にしろ」と言われました。真面目に勉強はしていたから、高校の成績は良かったので多少はほめてもらえると期待していたのですが、ひとこともなかった。体育の授業をサボっていたのは、誰も僕とペアを組んでくれなかったからです。それからは祖母の家で暮らしました。
◆引きこもり生活に訪れた転機は?
――転機はいつ訪れたのでしょうか。
――大学では女性との出会いも多そうですがいかがでしたか。
よしさん:変われないままでしたね。心を完全に閉ざしていたので、友達もできなかった。サークル、ゼミ、バイトなどの大学生らしい経験を一切せず、卒業してしまいました。唯一、40日くらいカナダのバンクーバーに語学留学した経験を積めたのは収穫でした。英語力も飛躍的に伸びましたし、海外への抵抗感もなくなった。留学経験は、いろいろ新しいものごとをはじめる原動力になっています。まあ、そんな状況ですから、就職活動もしませんでした。
◆ナンパを断られ…渋谷の交差点で絶叫
――それで25歳童貞の無職となったわけですね。ここからモテようと恋愛に目覚めたのはなぜでしょうか。
よしさん:25歳になる直前に、たまたまストリートナンパの動画をYouTubeで見つけたんです。ナンパはチャラチャラした世界で僕には無関係の世界だと思っていたのですが、その動画に出ていた高石宏輔さんは、元引きこもりで、パニック障害、対人恐怖症といろいろコンプレックスを抱えていた。そんな自分を克服するために、あえてショック療法としてナンパを選んだらしく、こんな方法があるのかと衝撃を受けました。
それから高石さんのカウンセリングに受け、毎日、ナンパをするために、渋谷、池袋、新宿あたりにいくようになりました。しかし、童貞コミュ障がいくらがんばってもどうにもなりません。一人に断られると、他の女性からも同じように価値がない男だと見られてるように感じる。あるとき、渋谷のスクランブル交差点のTSUTAYA近くで女性に声をかけたら、ヘラヘラとなめられながら、連絡先交換を拒否されました。
そのとき、プツンと切れちゃって、「オレの人生をなんだって思ってんだ。オレがもし死んだってお前には関係ねえもんな!」と絶叫しながら、カバンを地面にぶつけていました。めちゃくちゃヤバイ奴ですよね。そもそも女性からしたら、オレが死んでもまったく関係ないわけですから、その通りなのに(笑)。
◆それでもナンパを続けたワケは?
――なぜそこまでつらい日々でもナンパをやめなかったのですか。
よしさん:女性に復讐しなければと思っていたからです。これまでの人生は、女性からまるで存在しないも同然に扱われてきたから、女性という生き物に復讐したかった。
大学のとき、1度だけ勇気を出して女性に話しかけたことがあります。ノートを取ってなかったので、「ノートの写真を撮らしてください」と。たった写真4~5枚で済むのに、一番前の席の女性に断られ、そのあとも順々に断られました。7人目の女性でようやく写真を撮らしてもらったのですが、見返してみると文字はハングルだった。ノートはなにを書いているかわからないし、その子が優しかったのは留学生だったから。あれが学生時代に女性にがんばってアプローチした最初で最後でしたね。ひとりでも撮らしてくれていたら、もっとちがった学生生活になっていたかもしれません。
ナンパではじめて連絡先教えてくれた人も、一緒に食事してくれた人も外国人でした。外国人に優しくされると、余計に同じ日本人には相手されない自分に虚しさが募ってきて、精神的にかなり落ち込んでいました。そんなとき、出会ったのがナンパ講師の流星さんです。コミュ障童貞の僕を連れ、キャバ嬢を足止めし、15分かけて説得し、バーに連れ出す。1対1でも難しいのに、すごいですよね。それから街で会うと無料で指導してくれ、服のアドバイス、会話の進め方など教えてくれ、少しずつですが皮がむけてきて、1か月後にはじめて女性を抱きました。
◆童貞から1年で女性70人を抱くまでに
よしさん:ないです。終わるとすぐにホテルを出ました。30分ぐらいです。一応、連絡先を訊いたのですが、「そういうのは私やっていないから」と拒否されましたね。だから名前も知りませんし、童貞卒業の喜びもとくにありません。ただ事実として覚えているだけです。
――ストリートナンパはいつまで続けたのですか。
よしさん:その後、彼女が出来たりして間が空きましたが、活動期間1年で70人ほど抱いてきました。それからは、自分からアプローチしなくても、相手が寄ってくる方法はないかと考え、女性を“悦ばせる”技術をまとめたブログ開設にいたりました。
はじめて1か月ぐらいで5人の応募がありました。女子大生も2人いて、それが結構かわいいんですよ。女の子の動画を編集し、ブログにアップすることで、また新しい女の子がどんどん応募してくるという循環ができました。元アイドルも来ましたね。港区女子やキャバ嬢などハイスペックな女性からも連絡があり、会ったその日にホテルにいって、体験してもらう流れで、どんどんと女性経験は増えていきました。
<取材・文/柏木隆之介>