「テロリスト!」「え?ウソでしょ。逮捕?」“ヨーロッパ最後の独裁国家”ベラルーシで撮り鉄→警察に見つかり…24歳日本人を襲った恐怖

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〈《ベラルーシで日本人が拘束》外務省が“渡航禁止”勧告も…捕まった当事者(25)が今だから明かす、“ヨーロッパ最後の独裁国家”に行ったワケ〉から続く
2024年12月、「ヨーロッパ最後の独裁国」ともいわれる東欧ベラルーシで、一人の日本人が拘束された。当時24歳、旧ソ連の鉄道に魅せられ、撮影のために観光でベラルーシを訪れていた、照井希衣さんだ。
【画像】ベラルーシで200日超拘束された、照井希衣さん(25)
その後、米国が対ベラルーシへの制裁緩和の交換条件として要請した大規模な恩赦によって釈放されることとなるが――。拘束の瞬間、200日にわたる“獄中生活”、釈放されるまでの日々を綴った、照井さんの著書『ベラルーシ獄中留学記』(小学館)より、拘束された一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/はじめから読む)

※2026年4月現在、外務省はベラルーシ全土に高い危険情報を発出しています(ウクライナとの国境周辺地域で危険レベル4〔退避勧告〕、それ以外のベラルーシ全土で危険レベル3〔渡航中止勧告〕)。不要不急の渡航の中止、滞在中の場合は早期出国が強く求められています。
◆◆◆
幹線道路に出ると、ウクライナ西部の街〈Житоmir(ジトーミル)〉の名が記された看板が出てきた。ウクライナ国境との距離の近さを実感する。
街頭が灯る薄暗い道には、私以外に誰もいなかった。通行人はおらず、車もほとんど通らなかったが、心細さからか、もし見つかったら通報されてしまうのでは、という危惧がよぎった。けれど、ほかに道はない。撮れ高に期待をかけ、不安を打ち消すようにして歩みを進めた。市街地を離れると、景色が一変した。道路は、背の高い木々が茂る森を突っ切るように真っ直ぐ続く。家屋は見当たらない。
地図で確認した地点には1時間ほどで到着した。近くには小さな停留所がある。無人駅だろうか。私は、カリンコヴィチ駅を午前9時10分に出発する列車を待った。午前9時15分。走行音とレールのきしみがわずかに響いた。
朝靄が漂う中近づいてくる列車。すかさずカメラを構える。列車はゆっくりと減速し、停留所で止まった。乗客1人を降ろし、再び発車する。
降りた客は私のもとに近づいてきた。何か言われるだろうか。目を逸らし、列車に意識を集中させる。結局、乗客は一言も発さずに通り過ぎていった。
念のために少し時間を置いてから後ろを振り向くと、すでにその姿は消えていた。私はいつものように、撮影した写真をバックアップするため、マイクロSDカードをカメラから取り出し、サブ端末のAndroidに差し替え、予備のカードをカメラに差して次の列車に備えた。
それから30分。車両がぼんやりと見えた。カメラを再び構える。
〈ЧМЭ3〉という車両だろうか。旅客車両ではなく、業務用のイメージが強い。本来なら数両編成のはずが、なぜか1両だけだった。好みのフォルムではなく、たった1両だけのためにリスクを冒すのはコスパが悪い。私はカメラを隠し、通行人のふりをしてやり過ごそうとした。
おかしい。〈ЧМЭ3〉が、私の目の前で停車した。
拘束直前に撮影した列車(2024年12月1日)(『ベラルーシ獄中留学記』より)
すぐにオレンジ色のゼッケンをつけた鉄道関係者が降りてきた。私に向かって、しきりに何か言っている。「撮影はダメだ」ということだろうか。関係者の話を聞いているうちに、どこからともなく警官が現れ、停留所に誘導される。
そこには、白と青のカラーリングのパトカーが止まっていた。
面倒なことになったと感じたが、どこかで楽観視していた。私はただの旅行者にすぎない。簡単な注意を受けるか、少しの間、取り調べを受けるくらいだろう。Android端末を使い、敬愛する撮り鉄仲間の佐藤さんに〈捕まっちゃいました! すぐ撤退すべきでしたね〉とXのDMで報告。彼とは日常的に連絡を取っていた。iPhoneは真っ先に確認されると思ったので、面倒になりそうなGooglePhotosやXのアプリはこの段階で削除した。
警官の1人がスマホを見せてきた。画面には、Google翻訳によって日本語に訳された言葉が表示されていた。
「ここは鉄道の撮影が禁じられています」
私もGoogle翻訳を用いて、こう返した。
「私はこの国で鉄道を撮影することを禁止する法律はないと聞いていました。どの法律の何条に書かれているのか、お教えいただけませんか?」
警官が再びスマホを見せる。
「隣国の戦争のせいで」
警官に促されて歩く。停留所に、3台のパトカーが待機しているのが見えた。警官の数は全部で7人くらいか。たかが旅行者1人の職質の割にはずいぶん大げさだ。
パトカーの前でiPhoneを取り上げられ、パスワードを求められた。肩に星の階級章をつけた警官が、私のリュックサックを開け、中身をチェックし始める。なかには、パソコンやカメラ、ドローンなど電子機器ばかり。撮り鉄には欠かせないツールだが、不信感を抱かれても文句は言えない内容だった。
それにしても寒い。ようやく陽が昇ってきたとはいえ、12月のベラルーシは、ほぼ一日中氷点下の世界だ。露骨に寒がる私に、停留所にいた駅員が温かいお茶とミトンを手渡してくれた。
私は手持ち無沙汰で、iPhoneをはじめとした電子機器類、リュックサックの中身を執拗にチェックする警官たちを見ていた。
そういえば。
左ポケットに入っているサブ端末のAndroidをまだ確認されていない。データはバックアップ途中。アプリの削除はできるだけしたくない。でも、見つかったら大変なことになるかもしれない。ポケットがスマホの形に膨らんでいるから、バレるのは時間の問題だろう。
申告を忘れただけなのだが、今さら出しても「なんで隠していたんだ!」と怒られるか、「なぜ2台もスマホを持っているんだ?」と問い詰められるのは目に見えている。言い出すタイミングを完全に失った。
せめて、GooglePhotosとXのアプリだけでも消しておきたい。私はジャケットのフードやミトンを利用して死角を作り、Androidを操作しようとした。その瞬間、警官の1人と目が合った。
見られた。
警官は私を睨みつけ、おそらく「何、こそこそしているんだ!」というようなことを言って、Androidを取り上げた。画面には、先ほどの佐藤さんとのXのDMの画面が表示されていた。私は慌ててホームボタンをタップしたが、遅かった。
警官は、いとも簡単にXを再起動すると冷たく問いただした。
「これは誰だ?」
Google翻訳を通して、「友人です」と回答する。
佐藤さんは、私を撮り鉄の道に誘ってくれた大切な恩人であり、特別な人だ。今回の道中でも、画像を送ったり撮影地のアドバイスを求めたりしていた。
警官に佐藤さんの存在を知られてしまった。インターネットで知り合ったので詳しくは知らないと弁明したが、明らかに訝しんでいる。
私の態度がかんに障ったのか、大柄な警官に首根っこを掴まれた。貨物コンテナに身体を押し付けられ、まくし立てられた。
意味はわからないが、語気の強さから相当怒っているのは間違いない。
「Извините(すみません)」「Извините」「Извините」
大学の授業で教わったロシア語を繰り返すが、誰も聞く耳をもってくれない。あっという間に手錠をかけられてしまった。
「え? ウソでしょ。逮捕? え、困る。っていうか、やだ。ヤダヤダヤダヤダ」
心の声が日本語で漏れてしまう。駄々っ子のようになった私を、手錠をかけた警官はこう揶揄した。
「Террорист!(テロリスト!)」
「Нет! Ятурист! Турист!(違う! 私は旅行者だ! 旅行者だ!)」
必死に叫んでも、事態は変わらなかった。

私はテロリストとして逮捕されてしまった? 心拍数が高まった。なぜXだけでも早く削除しなかったのか。悔やんでも悔やみきれない。そもそも列車を撮っていただけで何も悪いことはしていないはずなのに、テロリスト扱いをされるなんて。人生で経験したことのない感情に襲われた。
金属製の手錠の冷たさと重さが、現実を突きつけてきた。本物の手錠だった。
私は自分に言い聞かせた。警官に対する態度が悪かっただけで、無実とわかれば解放されるだろう。この手錠は、取り調べが終わるまで一時的に自由を制限するための物なのだろう。いくらヨーロッパ最後の独裁国家といわれる国でも、列車を撮っただけで逮捕されるなんてありえない。こんな理不尽がまかり通るはずがない。
しばらくして車の後部座席に乗せられた。見張り役の若い警官が助手席に座った。その間もほかの警官たちは、私のスマホをいじったり、リュックサックの中をかき回したりしている。
時折、若い警官のスマホに連絡が入る。ヘヴィメタルのような強烈なイントロで、着信のたびに動揺してしまった。
車で待つ間にも、列車が何本も通過していく。どのくらい時間が経っただろうか。2~3時間は経ったかもしれない。
少しほとぼりが冷めると空腹を感じた。助手席の警官にお腹が空いたとジェスチャーで伝えると、私のリュックサックを漁ってお菓子を渡してくれた。甘いカラメル入りのお菓子だ。数個を食べ終え空腹が満たされると、自分が買ったお菓子を食べる自由すらも奪われている事実に気づき、愕然とした。
(照井 希衣/Webオリジナル(外部転載))

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