《独占スクープ》大谷翔平の26億円を騙し取った“違法賭博の胴元”が告白!「水原一平、エンゼルスとの本当の関係」【蜜月ポーカー写真の存在】

MLBで目のくらむような大金を稼ぐドジャース・大谷翔平(31)。巨額の「大谷マネー」をめぐって世界を驚かせたのが、2024年3月に発覚した元専属通訳・水原一平受刑者(40)による「違法賭博事件」だ。
【写真】水原、フレッチャー、ボウヤーが机を囲んでポーカーに興じる「蜜月写真」。折れた大谷のバットを手に笑顔の水原も
大谷の口座から大金が流れた事件の真相はどこにあるのか。8月29日(米・現地時間)に米連邦地裁で判決言い渡しを受ける違法賭博の胴元、マシュー・ボウヤー被告(50)が、その直前にノンフィクションライター・水谷竹秀氏の独占インタビューに応じた。(文中敬称略)【全3回の第1回】
ここに1枚の写真がある。四角いテーブルを囲んで、体格のいい男たちがトランプやチップを手元に盛り上がっている。中央に座る人物は、向かいの“大男”に、控えめな笑みを浮かべていた。
「これがイッペイとの出会いだったんだ」
米カリフォルニアの自宅でこう切り出した“大男”は、水原を通じて大谷の口座から大金を得ていた違法賭博の胴元・ボウヤーである。
水原が大谷の口座からカネを盗み、違法なスポーツ賭博をしていたという衝撃的なニュースが流れたのは2024年3月のこと。
大谷から盗んだ額は約1700万ドル(約26億円)にのぼり、賭博を通じて水原が抱えた負け額は約1億8293万ドル(約284億円)にも膨らんだ。その賭博の運営者が、ボウヤーだった。
「このポーカーに参加していたのは、(当時)エンゼルスのデビッド・フレッチャー(内野手)ら関係者と、俺の友人たちだ。エンゼルスからは他に2人ぐらい、中堅どころの選手がいたね」(ボウヤー、以下同)
フレッチャーは、その年のエンゼルスで最も多くの試合に出場した主力選手だ。当時、大谷と積極的にコミュニケーションをとっていた人物でもある。違法賭博の胴元であるボウヤーは、チームからこんなに近い距離にいたのだ。
ボウヤーは水原のスキャンダルが発覚する半年前の2023年10月、米捜査当局の家宅捜索を受け、違法なスポーツ賭博の運営を行ったとしてのちに起訴された。その判決が8月29日(現地時間)、米連邦地裁で言い渡される直前に、私の取材に応じたのだった。
太い両腕にはタトゥーがびっしりと入り、引き締まった体の胸板は厚い。その風貌や「違法賭博の胴元」という肩書きのイメージとは裏腹に、彼は私に偉ぶるようなそぶりを見せず、きちんと質問に答えた。もしかすると水原も、この腰の低さに気を許したのかもしれない。
冒頭のポーカー大会は、2021年9月、サンディエゴの海沿いに浮かぶ4つ星ホテルで行われた。現地で行われたパドレスとの試合終了後、ホテルに戻った仲間たちで始めたのだという。
「その時、一平はスマホでスポーツ賭博をやっていたんだ。それを見た友人が『ヘイ! ここにいるマット(ボウヤーの愛称)もスポーツ賭博を運営しているよ』と声をかけ、一平を紹介してくれた。彼はその日のうちに俺の賭博のウェブサイトにアカウントを作り、翌日にはもう賭け始めていたよ」
南米コスタリカを拠点にスポーツ賭博を運営していたボウヤーには当時、顧客が約700人いた。そのうち最も多額のカネが入るのが、大谷の口座からの入金だったという。
「俺が運営していたスポーツ賭博によって一平の人生を破壊してしまったことは、反省しているよ」
巨額の「大谷マネー」はたびたびトラブルに見舞われている。今年8月にはハワイに購入した別荘をめぐって、ディベロッパーから代理人と大谷本人が訴えられたばかりだ。
大谷の口座からボウヤーへのカネの流れは、法廷で明らかにされてきた。訴状によると、水原がボウヤーのウェブサイトでスポーツ賭博を始めたのは2021年9月。冒頭の写真が示す「ポーカー大会」の時期とも一致している。
「一平がアカウント開設時に設定した1回の賭け金の範囲は50~1000ドルだ。アカウントの資金は8000ドル。本人の希望でその額にした。最初に賭けたのはトルコのサッカーチームの試合。一平が賭けるのは80%がサッカーだったね」
しかしボウヤーは当時、大谷の口座からカネが振り込まれるとはつゆほども思っていなかったという–第2回記事では、振り込みがあった際にボウヤーがとった行動や、エンゼル・スタジアムで水原と会った際に交わした会話などについて詳報している。
(第2回につづく)
【プロフィール】水谷竹秀(みずたに・たけひで)/ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材している。
※週刊ポスト2025年9月12日号