明日のために今日できることはがんばろう…年齢を重ねるほど責任が生まれ、ついがんばってしまいがちです。でも、年齢を重ねるほどに無理が効かなくなってしまうことも。ライター・編集者の一田憲子さんもそんな自分自身と向き合い、がんばることを少しずつ手放したそう。一田さんの文庫『大人になってやめたこと』(扶桑社刊)から一部抜粋してご紹介します。
久しぶりにインフルエンザにかったときのこと。最近の薬はとてもよく効いて、熱は1日でストンと下がりますが、その後が辛い! 体がフラフラして節々が痛く、3日間はなにも喉を通りません。元の状態に戻るまで4~5日かかってしまいました。
「今年こそは、風邪をひかないように!」と手洗い、うがいなど気をつけていた矢先だったので、「はて? どうしたら毎日心も体も元気に過ごすことができるのだろう?」と改めて考えました。
とにかく頼りになるのは、自分の中にある免疫力と自己治癒力しかありません。これを高めるためには、「疲れすぎない」ことと、「寝不足にならない」ことが大事。そこで、普段の生活習慣をもう一度見直してみました。
私は、どうやら10の力を持っていたら10使いきらないと気がすまないようです。燃料をすべて使いきり、空っぽにしてからパタリと寝る…というイメージ。多少オーバーワークになっても、気合で乗り越えてきました。
もちろん、いつも走り続けているわけではなく、ダラダラもします。夕飯が終われば、テレビを見ながら寝落ちすることもしょっちゅう。ハッと22時頃目覚めたら、またパソコンの前に座り、0時まで仕事をして、「さっき仮眠したし」と、結局寝るのが遅くなってしまいます。
多分、私の中には「この1時間あれば、アレを前倒しして片づけられるし」とか、「明日やるコレを今日やっておけば、明日ラクだし」という思いが常にあり、「やらなくてはいけないことリスト」を一つでも減らしておきたいのだと思います。
でも、これがずっと続くと、夜眠ってスイッチをきったとしても燃料補給が8割ぐらいしかできていないうちに、朝になります。そして、また走りださないといけません。どうにか、9割ぐらいでやめることを覚えなければ…と感じるようになりました。0時ギリギリまで仕事をするのではなく、せめて23時にやめて、残りの1時間は、ゆっくり音楽を聴いたり、本を読んだりしよう…。ということです。
ただし、コレがなかなか難しい。つい「あと、もうちょっと」と、なにかを片づけてしまいたくなります。ほとほと自分が欲張りだなあということに、今さらながら呆れてしまいます。
9割でやめるためには、「やること」を1つ減らさなくてはいけません。それはなにかを「諦める」ということです。“欲張り”には、コレができないのです。いつもは10個しか入らない枠に11個、12個を詰め込みがちなのに、9個に減らすだなんて…。
かつて「エヌ・ワンハンドレッド」を営んでいらっしゃった大井幸衣ゆきえさんが「私のモットーは、明日でいいことは、今日やらないってことよ」とおっしゃったのを聞いて、なるほど~と思いました。私は、「明日のことを今日やっておけば、明日がちょっとラクになるかも」と思っていましたから…。でも、よく考えてみれば、明日のことを今日やっておいても、明日になれば、またやらなくてはいけないことが生まれてきて…と、きりがないのです。
だったら、今目の前にあることの中で、「明日でいいこと」を探してみたら…。ありました、ありました、いっぱい! あの書類の整理も、このリストづくりも、キッチンの片づけも、DMの整理も、明日でいいかもしれない…。なんだ、今日どうしてもやらなくちゃいけないことはそう多くない、と気づきました。私は常に先へ先へと前倒しすることで、自分の不安を解消しようとしていただけなのかもしれません。必要なのはあと1割を残して、ガラガラとシャッターを下ろす潔さ。
そんな「9割の目」を持って、自分の人生を眺めてみたら、毎日が変わってくるかもしれません。極端なことを言えば、今、生活のほとんどすべてを占めている仕事をしなくなる日がいつかやってくるかもしれないし、絶対コレだけはしておかなくちゃ、と思い込んでいる掃除や日々のごはんづくりだって、しなければしないでなんとかなる…。いつも正面からしか見てこなかったものを、後ろから見ると、価値観がぐらりと揺らぎます。9割でやめる、ということは、単に時間にゆとりを持つだけでなく、そんな「もう一つの視点」に気づくことなんだろうなあ。
「なにがなんでも、今日はここまでならなくちゃ」と思い込んでいた自分をふっと緩めてみる…。そうやって、自分を甘やかし、許し、解放することも、必要になってきたのかなと思います。ふ~っとひと息ついたとき、見える風景、聞こえる音、感じる風を大事にしたい。そう思うと「あと1割」の先に広がっている世界をのぞくことがなんだか楽しみになってきました。