離婚の事情は人それぞれ。とはいえ一度はお互いを信頼して結婚したはずの二人がスピード離婚をしてしまうのにはそれなりの理由があるようだ。今回はスピード離婚した経験のある3人の男女に、離婚決断の経緯やその理由を聞いてみた。
【写真】この記事の写真を見る(5枚)※写真はイメージです iStock.com◆ ◆ ◆結婚して、「あれ、そんなケチだったの?」 ゲーム会社に勤めていた34歳の女性・堀田亜美さん(仮名)。都内の一等地にある裕福な家で何不自由なく育ち、社会人になって知り合った37歳の男性と29歳の時に結婚した。

「相手の男性はご両親が教師で田舎生まれのお坊ちゃん。性格は穏やかで優しかったし、マーケティング会社の役員だかで年収も1500万円くらいはあったはず。結婚前に源泉徴収票を見せられたことがありました。 ただ、正直に言えば私は実家が裕福だったし自分でもそれなりに稼いでいたので相手の収入にそこまでこだわりは無かったんです。まじめに働いている優しい人であれば一緒にやっていけるかなと思って結婚したんですが、そう簡単じゃなかったですね。 結婚して一緒に暮らし始めたら途端に彼は豹変して、まず、めちゃくちゃケチだったことが発覚しました。結婚前は『家賃も生活費も全部僕が出すから大丈夫だよ』とか言ってたんですが、ある日何かの拍子で喧嘩になって口論するうちになぜか家賃を半分払えって言い出したんです。ホントに小さい男ですよ。『約束が違う!』とかグチャグチャ言うのも嫌だったからスパンと払ったし、その月から別れるまでずっと払い続けました」 それでも、お金の話だけならまだ何とかなると思っていたが、次第にモラハラ体質も顔を出すように。堀田さんは結婚後も仕事を続けていたが、共働きにもかかわらず、家事全般はすべて堀田さんの担当だった。「元旦那は家事も一切やらないから、なし崩し的に全部私。そのくせ細かく注文ばかりつけてくるんです。たとえば食事もすべて私が作っていましたけど、出来合いの御惣菜とかを買ってくると『手作りじゃない』と文句を言ってくる。食費とかもほとんど私の財布から出してたんですよ。 洗濯物にもうるさくて、洗い方が悪かったみたいで『これは高い生地なんだから、洗濯機じゃなくて手洗いでこういう手順で洗えよ』とか言われたときにはさすがにブチ切れました。もうアホかと。 束縛も酷くて、私が退社するときは『帰るコール』というか、帰宅する旨をLINEで報告しろと言うのに、自分からそういう連絡をしてきたことはありませんでした。結局、元旦那はお嫁さんじゃなくて家政婦が欲しかったんでしょうね」 モラハラ夫に耐え切れなくなった堀田さんは、結婚後半年も待たずに離婚を決断し、実家に戻ったという。「離婚を切り出したら案の定、グチグチ言ってきましたけど、淡々と手続きを進めてすぐ別れました。以降はそれっきりです。こないだ久しぶりにLINEで連絡が来ていましたが、内容も見ずに即ブロックしました」地元から離れたことが、離婚の引き金となったケース 都内在住の会社員・小島吉彦さん(仮名・38歳)が結婚から10カ月で離婚したのは10年ほど前のこと、離婚までの経緯は本当にありふれたものだったという。「出会いはmixiの趣味コミュニティ。掲示板で何となく話が合って、そのうち個人的にやり取りをするようになったんです。ある年のクリスマスイブに彼女の方から『地元で友達と飲んでるんだけど、来ない?』みたいな誘いで会ったのが最初。彼女の地元は僕の家から1時間半以上かかる場所でしたが、行きましたよ。それで彼女の友達も交えて朝まで飲んだのがきっかけで、3カ月後くらいに付き合い始めました。 彼女は地元の友達も多かったし、付き合い始めてからはそういうコミュニティにもどんどん『彼氏なの』と紹介してくれました。そういう場でも僕が浮かないように気を使って盛り上げてくれるような面倒見のいい性格で、そういう面にも惹かれました」 1年半ほどの交際期間を経て、ごく自然な流れで結婚する。交際中はお互いの家を行き来していたが、結婚後は都内で部屋を借りて一緒に暮らし始めた。「今考えれば結婚前に同棲くらいしておけばよかったですね。彼女は地元でやっていた仕事を辞めて都内に来たんですが、それまでの環境がガラリと変わってしまい、特に地元の友達から離れてしまったことがストレスになっていたようです。 僕も僕で仕事が忙しくなってしまい、家を空けることも多くて、なんだかんだで結婚式を挙げたのも入籍後半年たってからでした。ギリギリそのくらいまではうまくいっていたんですが、今思えば言わずに我慢していたんでしょう。もう少し寄り添ってあげればよかったんだろうけど気付けませんでした」 小さな喧嘩が増え、彼女はその喧嘩を口実に実家へ帰ることが増えていったという。「地元に帰ったら、すごく楽しかったんでしょうね。そのうち喧嘩とか関係なく地元に帰ることが増えて。その頃には彼女がバイトを始めたこともあって、ますますすれ違いで喧嘩しても謝るようなタイミングもないまま毎日が過ぎました。それでまた些細な喧嘩になった時、僕から『こんな感じで喧嘩ばっかしてたら、そのうち離婚になっちゃうよ』って口にしたら、向こうも『確かにそうだね、でも今だったら引き返せるね』って。 お互いに夫婦中心の生活じゃなくなってたし、僕も彼女も一度リセットしたい気持ちだったんでしょう。そこからはお互いスンナリと『じゃあ離婚しよう』みたいな感じでした。入籍してから10カ月、結婚式からは4カ月目でした。なぜか離婚届も二人で一緒に窓口まで出しに行きました」 こうした場合、不満を抱えつつも生活を続けていくうちに持ち直すというのはよく聞くケースだが、なぜスパッと離婚を決められたのか。「生活してみたら合わない部分がたくさん見えてきていたし、お互いそこを歩み寄ることもできなかった。離婚後、共通の友達から『二人とも全然タイプが違うし、離婚するかもとは思ってた』と言われたときは結構ショックでしたが、無理をして生活を続けてもどうなっていたか。子供もいなかったし、お互いやり直せるタイミングでの離婚はどちらにとっても良かったんだと思います」 離婚後は何もやる気になれず、家に閉じこもって酒を飲むような傷心モードに入っていたという小島さん。数年ほどしてようやく立ち直り、その後、再婚。相手の方も再婚して幸せに暮らしているそうだ。「結婚したい!」ブルドーザーのように動いた結果… 都内で医療関連の仕事に就く山田結衣さん(仮名・37歳)は、昨年5月に結婚し、10月に離婚したばかり。戸籍上の結婚生活は5カ月、実質的な結婚生活はわずか2週間ほどしかなかったという。「以前から人並みに結婚願望はあったんですが、仕事も面白かったしそのうちできればいいかなという感じでした。それが33歳になった頃から無性に結婚したくなったんです。自分でもよく分からないけど、みんな結婚する権利を持ってるのに、どうして私はできないんだろう、もう結婚しないと自分を認めてあげられないみたいな状態に陥ってしまって。 婚活を始めて、最初は自力で相手を見つけようと友達に紹介してもらったり居酒屋で逆ナンしたりしていました。あと仕事関係でもそれなりに出会いはあって誘われたりもしましたけど、どうしても仕事が絡むと仕事優先で付き合う気にはなれなくて。そんな感じで3年くらいあがいたんですが、もう若い頃のような恋愛力がなくなってて、全然上手くいきませんでした。 そこでもうプロの力を借りるしかないとネットで探した結婚相談所に入会しました。登録料は30万円ぐらいで他に紹介されるごとにかかる毎月のコストが数万円。自分にプレッシャーをかける意味もあってあえて高額なところを選びました」 結婚という目標に向かって走り始めたまではよかったが、すでにこの時点でやり方を間違えていたという。「最初に登録した頃はありのままの自分で相手と会っていたんです。でも髪も金髪だったし、私は焦るとマシンガントークになってしまい、相手に怖がられたりして。そこで相談所のアドバイスもあって、清楚な黒髪に変えて写真を撮りなおし、少し猫をかぶることにしたんです。 自分のデータも多く公開することにしました。相談所では最初の段階で男性側が見られるのは女性の写真と年齢だけなんですが、男性側は女性を『35歳以下』で検索する人が多くて、当時36歳の私には厳しかった。 なので、アピールポイントとして700万円の年収なども公開しました。公開した途端に年収300万円台のアルバイトなんて人から何件か申し込みがありましたけど、さすがに安定した職に就いて経済的に自立している人が希望だったので、そちらはお断りしました。 でも、今思えばやっぱり自然体で臨むべきでしたね。清楚系にしたのもそうですが、お酒は大好きなのにたしなむ程度とか、タバコは吸わないとか、相手に気に入られるため小さな嘘をいっぱいついちゃったんです」相談所に入会してから3カ月、スピード婚することに それでも入会して1カ月ほどの間に5人とコンタクトし、3番目に紹介された大手運送会社のドライバー職の男性と交際に発展したという。「4歳年下の彼は年上好きで、背が高くて男っぽい顔の女性が好みだったらしく、条件の合った私に積極的にアプローチをしてくれたんです。私のほうも、それまで会った人の中で唯一ちゃんと会話ができてフィーリングもよかったし、仕事もまじめにやっていることがわかったので、いい人だな、かわいらしい人だな、と。進捗は相談所に報告することになっていましたから、3回ほど会ってすぐ結婚を前提とした本交際に進みました。 この頃にはもう結婚しようと決めていて、借金とか入れ墨とかがないことを確認したり、家族の宗教や病気、資産状況とかも聞きましたね。二人で子供はどうしたいか、結婚したらどの街に住むか、家賃や家計はどう分担するかといった話もしたし、私からも実は家庭的じゃないので料理は得意じゃないとか、仕事は続けたいといった要望を出して、お互いに合意していった感じです。 普通の交際ならこういう部分で時間をかけてお互いのことを分かり合っていくのかもしれません。でも、私は目標ができるととにかく効率的に早く物事を進めたくなる性格で、結婚に対してもそうでした。 相談所の費用もバカにならないし、正直、どれだけ早く結婚して退会できるか、みたいな感覚もあったんです。彼のほうは、結婚生活についてそこまで深くは考えてなかったのか、あんまりこだわりがなくて、『結婚式もやるならいいよ、めんどくさいから任せるよ』って感じ。結婚後に住む場所の希望があったくらいでした」 山田さんはお互いの両親への挨拶や式場の手配、結婚に伴う雑事をテキパキと処理してゆき、結婚相談所に入会してから約3カ月で結婚式を挙げるというスピード婚を達成する。ところがゴールが見えた途端、心境がガラリと変わってしまったという。一人暮らしの部屋を引き払う段階になり、涙「あの時はとにかく結婚という目標を達成することにエネルギーを集中させていて、今考えると完全に暴走してましたね。先に入籍と式を挙げて、同時進行で新居を探していたので、式の後に同居する流れになったんですが、式が終わってから一人暮らしの部屋を引き払っていざ引っ越す段階になって、自分はあんまり他人と一緒に住みたくないんだってことに気づいてしまったんです。『一緒に住みたくない病』です。 なんだかんだと理由を付けて引っ越しを引き延ばしたけど、いつまでも続けるわけにいかず、最後に泣きながら引っ越しをしたことを覚えています。 何かはっきりした事件があったわけではないんだけど、気持ちにシャッターが下りてしまったというか、すべてが面倒臭くなってしまったんですね。その頃は一緒に住むことに決めた郊外の場所も気に入らなくなるし、入籍して自分の名字が変わったことまで後悔してました」 結局、新居で一緒に暮らした期間はわずか2週間ほど。耐え切れなくなった山田さんは些細な喧嘩をきっかけに家を出て、そのまま戻ることはなかったという。「最初の1週間は頑張ってご飯を作ったりして気合で乗り切ったんですが、蕁麻疹が出たりと、分かりやすく体調を崩して動けなくなっちゃったんです。そんなある日、私が向こうの想像以上に料理ができないことが原因で喧嘩になり、その日の夜に家を出ちゃいました。新婚生活を放棄して逃げたんです。 1カ月ほどホテルから会社に通いながらLINEとかでやり取りを続けました。もちろん旦那さんが悪いわけじゃないし、私も気持ちが落ち着いたら何とか話し合って改善できればと思っていたんですが、何を話してもすぐ喧嘩になるし、そのうち実際に会うことも怖くなってしまい、最後にはどうすれば相手から離婚を切り出してもらえるかしか考えられなくなってしまって。 最後には旦那側も諦めてくれました。めっちゃお金も請求されたけど、彼の言い分も当然なので、色を付けて多目に払いました。結局、結婚から離婚までの5カ月で体重が8kgも落ちてましたね」それでも再婚はあきらめない 散々相手を振り回した挙句、スピード離婚した山田さんだが、それでも再婚は諦めていないという。「今思うと、私は最初から結婚したいというだけで、具体的にどんな生活をしたいとか全然考えていなかった。とにかく一回は結婚しないと収まらなかったんでしょうね。別の人と結婚していても同じように暴走していたと思います。元夫は事故にあったようなもので、可哀そうなことしちゃいました。 私自身は一切後悔はしてないし、また改めて結婚もしたいと思ってます。もともと就職と一緒で1、2回くらいは失敗するかなと思ってたし、次は前回の失敗を踏まえたうえで、自然体の自分で相手を探そうかと。今は別居婚とかもありますしね」 離婚の事情はそれぞれだが、印象的だったのは話を聞いた3人とも基本的にはポジティブで、その後、しっかりと自分に合った生き方や幸せを見つけていたこと。決断は早い方がいい場合もあるのかも。(清談社)
※写真はイメージです iStock.com
◆ ◆ ◆
ゲーム会社に勤めていた34歳の女性・堀田亜美さん(仮名)。都内の一等地にある裕福な家で何不自由なく育ち、社会人になって知り合った37歳の男性と29歳の時に結婚した。
「相手の男性はご両親が教師で田舎生まれのお坊ちゃん。性格は穏やかで優しかったし、マーケティング会社の役員だかで年収も1500万円くらいはあったはず。結婚前に源泉徴収票を見せられたことがありました。
ただ、正直に言えば私は実家が裕福だったし自分でもそれなりに稼いでいたので相手の収入にそこまでこだわりは無かったんです。まじめに働いている優しい人であれば一緒にやっていけるかなと思って結婚したんですが、そう簡単じゃなかったですね。
結婚して一緒に暮らし始めたら途端に彼は豹変して、まず、めちゃくちゃケチだったことが発覚しました。結婚前は『家賃も生活費も全部僕が出すから大丈夫だよ』とか言ってたんですが、ある日何かの拍子で喧嘩になって口論するうちになぜか家賃を半分払えって言い出したんです。ホントに小さい男ですよ。『約束が違う!』とかグチャグチャ言うのも嫌だったからスパンと払ったし、その月から別れるまでずっと払い続けました」
それでも、お金の話だけならまだ何とかなると思っていたが、次第にモラハラ体質も顔を出すように。堀田さんは結婚後も仕事を続けていたが、共働きにもかかわらず、家事全般はすべて堀田さんの担当だった。「元旦那は家事も一切やらないから、なし崩し的に全部私。そのくせ細かく注文ばかりつけてくるんです。たとえば食事もすべて私が作っていましたけど、出来合いの御惣菜とかを買ってくると『手作りじゃない』と文句を言ってくる。食費とかもほとんど私の財布から出してたんですよ。 洗濯物にもうるさくて、洗い方が悪かったみたいで『これは高い生地なんだから、洗濯機じゃなくて手洗いでこういう手順で洗えよ』とか言われたときにはさすがにブチ切れました。もうアホかと。 束縛も酷くて、私が退社するときは『帰るコール』というか、帰宅する旨をLINEで報告しろと言うのに、自分からそういう連絡をしてきたことはありませんでした。結局、元旦那はお嫁さんじゃなくて家政婦が欲しかったんでしょうね」 モラハラ夫に耐え切れなくなった堀田さんは、結婚後半年も待たずに離婚を決断し、実家に戻ったという。「離婚を切り出したら案の定、グチグチ言ってきましたけど、淡々と手続きを進めてすぐ別れました。以降はそれっきりです。こないだ久しぶりにLINEで連絡が来ていましたが、内容も見ずに即ブロックしました」地元から離れたことが、離婚の引き金となったケース 都内在住の会社員・小島吉彦さん(仮名・38歳)が結婚から10カ月で離婚したのは10年ほど前のこと、離婚までの経緯は本当にありふれたものだったという。「出会いはmixiの趣味コミュニティ。掲示板で何となく話が合って、そのうち個人的にやり取りをするようになったんです。ある年のクリスマスイブに彼女の方から『地元で友達と飲んでるんだけど、来ない?』みたいな誘いで会ったのが最初。彼女の地元は僕の家から1時間半以上かかる場所でしたが、行きましたよ。それで彼女の友達も交えて朝まで飲んだのがきっかけで、3カ月後くらいに付き合い始めました。 彼女は地元の友達も多かったし、付き合い始めてからはそういうコミュニティにもどんどん『彼氏なの』と紹介してくれました。そういう場でも僕が浮かないように気を使って盛り上げてくれるような面倒見のいい性格で、そういう面にも惹かれました」 1年半ほどの交際期間を経て、ごく自然な流れで結婚する。交際中はお互いの家を行き来していたが、結婚後は都内で部屋を借りて一緒に暮らし始めた。「今考えれば結婚前に同棲くらいしておけばよかったですね。彼女は地元でやっていた仕事を辞めて都内に来たんですが、それまでの環境がガラリと変わってしまい、特に地元の友達から離れてしまったことがストレスになっていたようです。 僕も僕で仕事が忙しくなってしまい、家を空けることも多くて、なんだかんだで結婚式を挙げたのも入籍後半年たってからでした。ギリギリそのくらいまではうまくいっていたんですが、今思えば言わずに我慢していたんでしょう。もう少し寄り添ってあげればよかったんだろうけど気付けませんでした」 小さな喧嘩が増え、彼女はその喧嘩を口実に実家へ帰ることが増えていったという。「地元に帰ったら、すごく楽しかったんでしょうね。そのうち喧嘩とか関係なく地元に帰ることが増えて。その頃には彼女がバイトを始めたこともあって、ますますすれ違いで喧嘩しても謝るようなタイミングもないまま毎日が過ぎました。それでまた些細な喧嘩になった時、僕から『こんな感じで喧嘩ばっかしてたら、そのうち離婚になっちゃうよ』って口にしたら、向こうも『確かにそうだね、でも今だったら引き返せるね』って。 お互いに夫婦中心の生活じゃなくなってたし、僕も彼女も一度リセットしたい気持ちだったんでしょう。そこからはお互いスンナリと『じゃあ離婚しよう』みたいな感じでした。入籍してから10カ月、結婚式からは4カ月目でした。なぜか離婚届も二人で一緒に窓口まで出しに行きました」 こうした場合、不満を抱えつつも生活を続けていくうちに持ち直すというのはよく聞くケースだが、なぜスパッと離婚を決められたのか。「生活してみたら合わない部分がたくさん見えてきていたし、お互いそこを歩み寄ることもできなかった。離婚後、共通の友達から『二人とも全然タイプが違うし、離婚するかもとは思ってた』と言われたときは結構ショックでしたが、無理をして生活を続けてもどうなっていたか。子供もいなかったし、お互いやり直せるタイミングでの離婚はどちらにとっても良かったんだと思います」 離婚後は何もやる気になれず、家に閉じこもって酒を飲むような傷心モードに入っていたという小島さん。数年ほどしてようやく立ち直り、その後、再婚。相手の方も再婚して幸せに暮らしているそうだ。「結婚したい!」ブルドーザーのように動いた結果… 都内で医療関連の仕事に就く山田結衣さん(仮名・37歳)は、昨年5月に結婚し、10月に離婚したばかり。戸籍上の結婚生活は5カ月、実質的な結婚生活はわずか2週間ほどしかなかったという。「以前から人並みに結婚願望はあったんですが、仕事も面白かったしそのうちできればいいかなという感じでした。それが33歳になった頃から無性に結婚したくなったんです。自分でもよく分からないけど、みんな結婚する権利を持ってるのに、どうして私はできないんだろう、もう結婚しないと自分を認めてあげられないみたいな状態に陥ってしまって。 婚活を始めて、最初は自力で相手を見つけようと友達に紹介してもらったり居酒屋で逆ナンしたりしていました。あと仕事関係でもそれなりに出会いはあって誘われたりもしましたけど、どうしても仕事が絡むと仕事優先で付き合う気にはなれなくて。そんな感じで3年くらいあがいたんですが、もう若い頃のような恋愛力がなくなってて、全然上手くいきませんでした。 そこでもうプロの力を借りるしかないとネットで探した結婚相談所に入会しました。登録料は30万円ぐらいで他に紹介されるごとにかかる毎月のコストが数万円。自分にプレッシャーをかける意味もあってあえて高額なところを選びました」 結婚という目標に向かって走り始めたまではよかったが、すでにこの時点でやり方を間違えていたという。「最初に登録した頃はありのままの自分で相手と会っていたんです。でも髪も金髪だったし、私は焦るとマシンガントークになってしまい、相手に怖がられたりして。そこで相談所のアドバイスもあって、清楚な黒髪に変えて写真を撮りなおし、少し猫をかぶることにしたんです。 自分のデータも多く公開することにしました。相談所では最初の段階で男性側が見られるのは女性の写真と年齢だけなんですが、男性側は女性を『35歳以下』で検索する人が多くて、当時36歳の私には厳しかった。 なので、アピールポイントとして700万円の年収なども公開しました。公開した途端に年収300万円台のアルバイトなんて人から何件か申し込みがありましたけど、さすがに安定した職に就いて経済的に自立している人が希望だったので、そちらはお断りしました。 でも、今思えばやっぱり自然体で臨むべきでしたね。清楚系にしたのもそうですが、お酒は大好きなのにたしなむ程度とか、タバコは吸わないとか、相手に気に入られるため小さな嘘をいっぱいついちゃったんです」相談所に入会してから3カ月、スピード婚することに それでも入会して1カ月ほどの間に5人とコンタクトし、3番目に紹介された大手運送会社のドライバー職の男性と交際に発展したという。「4歳年下の彼は年上好きで、背が高くて男っぽい顔の女性が好みだったらしく、条件の合った私に積極的にアプローチをしてくれたんです。私のほうも、それまで会った人の中で唯一ちゃんと会話ができてフィーリングもよかったし、仕事もまじめにやっていることがわかったので、いい人だな、かわいらしい人だな、と。進捗は相談所に報告することになっていましたから、3回ほど会ってすぐ結婚を前提とした本交際に進みました。 この頃にはもう結婚しようと決めていて、借金とか入れ墨とかがないことを確認したり、家族の宗教や病気、資産状況とかも聞きましたね。二人で子供はどうしたいか、結婚したらどの街に住むか、家賃や家計はどう分担するかといった話もしたし、私からも実は家庭的じゃないので料理は得意じゃないとか、仕事は続けたいといった要望を出して、お互いに合意していった感じです。 普通の交際ならこういう部分で時間をかけてお互いのことを分かり合っていくのかもしれません。でも、私は目標ができるととにかく効率的に早く物事を進めたくなる性格で、結婚に対してもそうでした。 相談所の費用もバカにならないし、正直、どれだけ早く結婚して退会できるか、みたいな感覚もあったんです。彼のほうは、結婚生活についてそこまで深くは考えてなかったのか、あんまりこだわりがなくて、『結婚式もやるならいいよ、めんどくさいから任せるよ』って感じ。結婚後に住む場所の希望があったくらいでした」 山田さんはお互いの両親への挨拶や式場の手配、結婚に伴う雑事をテキパキと処理してゆき、結婚相談所に入会してから約3カ月で結婚式を挙げるというスピード婚を達成する。ところがゴールが見えた途端、心境がガラリと変わってしまったという。一人暮らしの部屋を引き払う段階になり、涙「あの時はとにかく結婚という目標を達成することにエネルギーを集中させていて、今考えると完全に暴走してましたね。先に入籍と式を挙げて、同時進行で新居を探していたので、式の後に同居する流れになったんですが、式が終わってから一人暮らしの部屋を引き払っていざ引っ越す段階になって、自分はあんまり他人と一緒に住みたくないんだってことに気づいてしまったんです。『一緒に住みたくない病』です。 なんだかんだと理由を付けて引っ越しを引き延ばしたけど、いつまでも続けるわけにいかず、最後に泣きながら引っ越しをしたことを覚えています。 何かはっきりした事件があったわけではないんだけど、気持ちにシャッターが下りてしまったというか、すべてが面倒臭くなってしまったんですね。その頃は一緒に住むことに決めた郊外の場所も気に入らなくなるし、入籍して自分の名字が変わったことまで後悔してました」 結局、新居で一緒に暮らした期間はわずか2週間ほど。耐え切れなくなった山田さんは些細な喧嘩をきっかけに家を出て、そのまま戻ることはなかったという。「最初の1週間は頑張ってご飯を作ったりして気合で乗り切ったんですが、蕁麻疹が出たりと、分かりやすく体調を崩して動けなくなっちゃったんです。そんなある日、私が向こうの想像以上に料理ができないことが原因で喧嘩になり、その日の夜に家を出ちゃいました。新婚生活を放棄して逃げたんです。 1カ月ほどホテルから会社に通いながらLINEとかでやり取りを続けました。もちろん旦那さんが悪いわけじゃないし、私も気持ちが落ち着いたら何とか話し合って改善できればと思っていたんですが、何を話してもすぐ喧嘩になるし、そのうち実際に会うことも怖くなってしまい、最後にはどうすれば相手から離婚を切り出してもらえるかしか考えられなくなってしまって。 最後には旦那側も諦めてくれました。めっちゃお金も請求されたけど、彼の言い分も当然なので、色を付けて多目に払いました。結局、結婚から離婚までの5カ月で体重が8kgも落ちてましたね」それでも再婚はあきらめない 散々相手を振り回した挙句、スピード離婚した山田さんだが、それでも再婚は諦めていないという。「今思うと、私は最初から結婚したいというだけで、具体的にどんな生活をしたいとか全然考えていなかった。とにかく一回は結婚しないと収まらなかったんでしょうね。別の人と結婚していても同じように暴走していたと思います。元夫は事故にあったようなもので、可哀そうなことしちゃいました。 私自身は一切後悔はしてないし、また改めて結婚もしたいと思ってます。もともと就職と一緒で1、2回くらいは失敗するかなと思ってたし、次は前回の失敗を踏まえたうえで、自然体の自分で相手を探そうかと。今は別居婚とかもありますしね」 離婚の事情はそれぞれだが、印象的だったのは話を聞いた3人とも基本的にはポジティブで、その後、しっかりと自分に合った生き方や幸せを見つけていたこと。決断は早い方がいい場合もあるのかも。(清談社)
それでも、お金の話だけならまだ何とかなると思っていたが、次第にモラハラ体質も顔を出すように。堀田さんは結婚後も仕事を続けていたが、共働きにもかかわらず、家事全般はすべて堀田さんの担当だった。
「元旦那は家事も一切やらないから、なし崩し的に全部私。そのくせ細かく注文ばかりつけてくるんです。たとえば食事もすべて私が作っていましたけど、出来合いの御惣菜とかを買ってくると『手作りじゃない』と文句を言ってくる。食費とかもほとんど私の財布から出してたんですよ。
洗濯物にもうるさくて、洗い方が悪かったみたいで『これは高い生地なんだから、洗濯機じゃなくて手洗いでこういう手順で洗えよ』とか言われたときにはさすがにブチ切れました。もうアホかと。
束縛も酷くて、私が退社するときは『帰るコール』というか、帰宅する旨をLINEで報告しろと言うのに、自分からそういう連絡をしてきたことはありませんでした。結局、元旦那はお嫁さんじゃなくて家政婦が欲しかったんでしょうね」
モラハラ夫に耐え切れなくなった堀田さんは、結婚後半年も待たずに離婚を決断し、実家に戻ったという。
「離婚を切り出したら案の定、グチグチ言ってきましたけど、淡々と手続きを進めてすぐ別れました。以降はそれっきりです。こないだ久しぶりにLINEで連絡が来ていましたが、内容も見ずに即ブロックしました」
都内在住の会社員・小島吉彦さん(仮名・38歳)が結婚から10カ月で離婚したのは10年ほど前のこと、離婚までの経緯は本当にありふれたものだったという。
「出会いはmixiの趣味コミュニティ。掲示板で何となく話が合って、そのうち個人的にやり取りをするようになったんです。ある年のクリスマスイブに彼女の方から『地元で友達と飲んでるんだけど、来ない?』みたいな誘いで会ったのが最初。彼女の地元は僕の家から1時間半以上かかる場所でしたが、行きましたよ。それで彼女の友達も交えて朝まで飲んだのがきっかけで、3カ月後くらいに付き合い始めました。
彼女は地元の友達も多かったし、付き合い始めてからはそういうコミュニティにもどんどん『彼氏なの』と紹介してくれました。そういう場でも僕が浮かないように気を使って盛り上げてくれるような面倒見のいい性格で、そういう面にも惹かれました」
1年半ほどの交際期間を経て、ごく自然な流れで結婚する。交際中はお互いの家を行き来していたが、結婚後は都内で部屋を借りて一緒に暮らし始めた。「今考えれば結婚前に同棲くらいしておけばよかったですね。彼女は地元でやっていた仕事を辞めて都内に来たんですが、それまでの環境がガラリと変わってしまい、特に地元の友達から離れてしまったことがストレスになっていたようです。 僕も僕で仕事が忙しくなってしまい、家を空けることも多くて、なんだかんだで結婚式を挙げたのも入籍後半年たってからでした。ギリギリそのくらいまではうまくいっていたんですが、今思えば言わずに我慢していたんでしょう。もう少し寄り添ってあげればよかったんだろうけど気付けませんでした」 小さな喧嘩が増え、彼女はその喧嘩を口実に実家へ帰ることが増えていったという。「地元に帰ったら、すごく楽しかったんでしょうね。そのうち喧嘩とか関係なく地元に帰ることが増えて。その頃には彼女がバイトを始めたこともあって、ますますすれ違いで喧嘩しても謝るようなタイミングもないまま毎日が過ぎました。それでまた些細な喧嘩になった時、僕から『こんな感じで喧嘩ばっかしてたら、そのうち離婚になっちゃうよ』って口にしたら、向こうも『確かにそうだね、でも今だったら引き返せるね』って。 お互いに夫婦中心の生活じゃなくなってたし、僕も彼女も一度リセットしたい気持ちだったんでしょう。そこからはお互いスンナリと『じゃあ離婚しよう』みたいな感じでした。入籍してから10カ月、結婚式からは4カ月目でした。なぜか離婚届も二人で一緒に窓口まで出しに行きました」 こうした場合、不満を抱えつつも生活を続けていくうちに持ち直すというのはよく聞くケースだが、なぜスパッと離婚を決められたのか。「生活してみたら合わない部分がたくさん見えてきていたし、お互いそこを歩み寄ることもできなかった。離婚後、共通の友達から『二人とも全然タイプが違うし、離婚するかもとは思ってた』と言われたときは結構ショックでしたが、無理をして生活を続けてもどうなっていたか。子供もいなかったし、お互いやり直せるタイミングでの離婚はどちらにとっても良かったんだと思います」 離婚後は何もやる気になれず、家に閉じこもって酒を飲むような傷心モードに入っていたという小島さん。数年ほどしてようやく立ち直り、その後、再婚。相手の方も再婚して幸せに暮らしているそうだ。「結婚したい!」ブルドーザーのように動いた結果… 都内で医療関連の仕事に就く山田結衣さん(仮名・37歳)は、昨年5月に結婚し、10月に離婚したばかり。戸籍上の結婚生活は5カ月、実質的な結婚生活はわずか2週間ほどしかなかったという。「以前から人並みに結婚願望はあったんですが、仕事も面白かったしそのうちできればいいかなという感じでした。それが33歳になった頃から無性に結婚したくなったんです。自分でもよく分からないけど、みんな結婚する権利を持ってるのに、どうして私はできないんだろう、もう結婚しないと自分を認めてあげられないみたいな状態に陥ってしまって。 婚活を始めて、最初は自力で相手を見つけようと友達に紹介してもらったり居酒屋で逆ナンしたりしていました。あと仕事関係でもそれなりに出会いはあって誘われたりもしましたけど、どうしても仕事が絡むと仕事優先で付き合う気にはなれなくて。そんな感じで3年くらいあがいたんですが、もう若い頃のような恋愛力がなくなってて、全然上手くいきませんでした。 そこでもうプロの力を借りるしかないとネットで探した結婚相談所に入会しました。登録料は30万円ぐらいで他に紹介されるごとにかかる毎月のコストが数万円。自分にプレッシャーをかける意味もあってあえて高額なところを選びました」 結婚という目標に向かって走り始めたまではよかったが、すでにこの時点でやり方を間違えていたという。「最初に登録した頃はありのままの自分で相手と会っていたんです。でも髪も金髪だったし、私は焦るとマシンガントークになってしまい、相手に怖がられたりして。そこで相談所のアドバイスもあって、清楚な黒髪に変えて写真を撮りなおし、少し猫をかぶることにしたんです。 自分のデータも多く公開することにしました。相談所では最初の段階で男性側が見られるのは女性の写真と年齢だけなんですが、男性側は女性を『35歳以下』で検索する人が多くて、当時36歳の私には厳しかった。 なので、アピールポイントとして700万円の年収なども公開しました。公開した途端に年収300万円台のアルバイトなんて人から何件か申し込みがありましたけど、さすがに安定した職に就いて経済的に自立している人が希望だったので、そちらはお断りしました。 でも、今思えばやっぱり自然体で臨むべきでしたね。清楚系にしたのもそうですが、お酒は大好きなのにたしなむ程度とか、タバコは吸わないとか、相手に気に入られるため小さな嘘をいっぱいついちゃったんです」相談所に入会してから3カ月、スピード婚することに それでも入会して1カ月ほどの間に5人とコンタクトし、3番目に紹介された大手運送会社のドライバー職の男性と交際に発展したという。「4歳年下の彼は年上好きで、背が高くて男っぽい顔の女性が好みだったらしく、条件の合った私に積極的にアプローチをしてくれたんです。私のほうも、それまで会った人の中で唯一ちゃんと会話ができてフィーリングもよかったし、仕事もまじめにやっていることがわかったので、いい人だな、かわいらしい人だな、と。進捗は相談所に報告することになっていましたから、3回ほど会ってすぐ結婚を前提とした本交際に進みました。 この頃にはもう結婚しようと決めていて、借金とか入れ墨とかがないことを確認したり、家族の宗教や病気、資産状況とかも聞きましたね。二人で子供はどうしたいか、結婚したらどの街に住むか、家賃や家計はどう分担するかといった話もしたし、私からも実は家庭的じゃないので料理は得意じゃないとか、仕事は続けたいといった要望を出して、お互いに合意していった感じです。 普通の交際ならこういう部分で時間をかけてお互いのことを分かり合っていくのかもしれません。でも、私は目標ができるととにかく効率的に早く物事を進めたくなる性格で、結婚に対してもそうでした。 相談所の費用もバカにならないし、正直、どれだけ早く結婚して退会できるか、みたいな感覚もあったんです。彼のほうは、結婚生活についてそこまで深くは考えてなかったのか、あんまりこだわりがなくて、『結婚式もやるならいいよ、めんどくさいから任せるよ』って感じ。結婚後に住む場所の希望があったくらいでした」 山田さんはお互いの両親への挨拶や式場の手配、結婚に伴う雑事をテキパキと処理してゆき、結婚相談所に入会してから約3カ月で結婚式を挙げるというスピード婚を達成する。ところがゴールが見えた途端、心境がガラリと変わってしまったという。一人暮らしの部屋を引き払う段階になり、涙「あの時はとにかく結婚という目標を達成することにエネルギーを集中させていて、今考えると完全に暴走してましたね。先に入籍と式を挙げて、同時進行で新居を探していたので、式の後に同居する流れになったんですが、式が終わってから一人暮らしの部屋を引き払っていざ引っ越す段階になって、自分はあんまり他人と一緒に住みたくないんだってことに気づいてしまったんです。『一緒に住みたくない病』です。 なんだかんだと理由を付けて引っ越しを引き延ばしたけど、いつまでも続けるわけにいかず、最後に泣きながら引っ越しをしたことを覚えています。 何かはっきりした事件があったわけではないんだけど、気持ちにシャッターが下りてしまったというか、すべてが面倒臭くなってしまったんですね。その頃は一緒に住むことに決めた郊外の場所も気に入らなくなるし、入籍して自分の名字が変わったことまで後悔してました」 結局、新居で一緒に暮らした期間はわずか2週間ほど。耐え切れなくなった山田さんは些細な喧嘩をきっかけに家を出て、そのまま戻ることはなかったという。「最初の1週間は頑張ってご飯を作ったりして気合で乗り切ったんですが、蕁麻疹が出たりと、分かりやすく体調を崩して動けなくなっちゃったんです。そんなある日、私が向こうの想像以上に料理ができないことが原因で喧嘩になり、その日の夜に家を出ちゃいました。新婚生活を放棄して逃げたんです。 1カ月ほどホテルから会社に通いながらLINEとかでやり取りを続けました。もちろん旦那さんが悪いわけじゃないし、私も気持ちが落ち着いたら何とか話し合って改善できればと思っていたんですが、何を話してもすぐ喧嘩になるし、そのうち実際に会うことも怖くなってしまい、最後にはどうすれば相手から離婚を切り出してもらえるかしか考えられなくなってしまって。 最後には旦那側も諦めてくれました。めっちゃお金も請求されたけど、彼の言い分も当然なので、色を付けて多目に払いました。結局、結婚から離婚までの5カ月で体重が8kgも落ちてましたね」それでも再婚はあきらめない 散々相手を振り回した挙句、スピード離婚した山田さんだが、それでも再婚は諦めていないという。「今思うと、私は最初から結婚したいというだけで、具体的にどんな生活をしたいとか全然考えていなかった。とにかく一回は結婚しないと収まらなかったんでしょうね。別の人と結婚していても同じように暴走していたと思います。元夫は事故にあったようなもので、可哀そうなことしちゃいました。 私自身は一切後悔はしてないし、また改めて結婚もしたいと思ってます。もともと就職と一緒で1、2回くらいは失敗するかなと思ってたし、次は前回の失敗を踏まえたうえで、自然体の自分で相手を探そうかと。今は別居婚とかもありますしね」 離婚の事情はそれぞれだが、印象的だったのは話を聞いた3人とも基本的にはポジティブで、その後、しっかりと自分に合った生き方や幸せを見つけていたこと。決断は早い方がいい場合もあるのかも。(清談社)
1年半ほどの交際期間を経て、ごく自然な流れで結婚する。交際中はお互いの家を行き来していたが、結婚後は都内で部屋を借りて一緒に暮らし始めた。
「今考えれば結婚前に同棲くらいしておけばよかったですね。彼女は地元でやっていた仕事を辞めて都内に来たんですが、それまでの環境がガラリと変わってしまい、特に地元の友達から離れてしまったことがストレスになっていたようです。
僕も僕で仕事が忙しくなってしまい、家を空けることも多くて、なんだかんだで結婚式を挙げたのも入籍後半年たってからでした。ギリギリそのくらいまではうまくいっていたんですが、今思えば言わずに我慢していたんでしょう。もう少し寄り添ってあげればよかったんだろうけど気付けませんでした」
小さな喧嘩が増え、彼女はその喧嘩を口実に実家へ帰ることが増えていったという。
「地元に帰ったら、すごく楽しかったんでしょうね。そのうち喧嘩とか関係なく地元に帰ることが増えて。その頃には彼女がバイトを始めたこともあって、ますますすれ違いで喧嘩しても謝るようなタイミングもないまま毎日が過ぎました。それでまた些細な喧嘩になった時、僕から『こんな感じで喧嘩ばっかしてたら、そのうち離婚になっちゃうよ』って口にしたら、向こうも『確かにそうだね、でも今だったら引き返せるね』って。
お互いに夫婦中心の生活じゃなくなってたし、僕も彼女も一度リセットしたい気持ちだったんでしょう。そこからはお互いスンナリと『じゃあ離婚しよう』みたいな感じでした。入籍してから10カ月、結婚式からは4カ月目でした。なぜか離婚届も二人で一緒に窓口まで出しに行きました」
こうした場合、不満を抱えつつも生活を続けていくうちに持ち直すというのはよく聞くケースだが、なぜスパッと離婚を決められたのか。
「生活してみたら合わない部分がたくさん見えてきていたし、お互いそこを歩み寄ることもできなかった。離婚後、共通の友達から『二人とも全然タイプが違うし、離婚するかもとは思ってた』と言われたときは結構ショックでしたが、無理をして生活を続けてもどうなっていたか。子供もいなかったし、お互いやり直せるタイミングでの離婚はどちらにとっても良かったんだと思います」
離婚後は何もやる気になれず、家に閉じこもって酒を飲むような傷心モードに入っていたという小島さん。数年ほどしてようやく立ち直り、その後、再婚。相手の方も再婚して幸せに暮らしているそうだ。
都内で医療関連の仕事に就く山田結衣さん(仮名・37歳)は、昨年5月に結婚し、10月に離婚したばかり。戸籍上の結婚生活は5カ月、実質的な結婚生活はわずか2週間ほどしかなかったという。
「以前から人並みに結婚願望はあったんですが、仕事も面白かったしそのうちできればいいかなという感じでした。それが33歳になった頃から無性に結婚したくなったんです。自分でもよく分からないけど、みんな結婚する権利を持ってるのに、どうして私はできないんだろう、もう結婚しないと自分を認めてあげられないみたいな状態に陥ってしまって。
婚活を始めて、最初は自力で相手を見つけようと友達に紹介してもらったり居酒屋で逆ナンしたりしていました。あと仕事関係でもそれなりに出会いはあって誘われたりもしましたけど、どうしても仕事が絡むと仕事優先で付き合う気にはなれなくて。そんな感じで3年くらいあがいたんですが、もう若い頃のような恋愛力がなくなってて、全然上手くいきませんでした。 そこでもうプロの力を借りるしかないとネットで探した結婚相談所に入会しました。登録料は30万円ぐらいで他に紹介されるごとにかかる毎月のコストが数万円。自分にプレッシャーをかける意味もあってあえて高額なところを選びました」 結婚という目標に向かって走り始めたまではよかったが、すでにこの時点でやり方を間違えていたという。「最初に登録した頃はありのままの自分で相手と会っていたんです。でも髪も金髪だったし、私は焦るとマシンガントークになってしまい、相手に怖がられたりして。そこで相談所のアドバイスもあって、清楚な黒髪に変えて写真を撮りなおし、少し猫をかぶることにしたんです。 自分のデータも多く公開することにしました。相談所では最初の段階で男性側が見られるのは女性の写真と年齢だけなんですが、男性側は女性を『35歳以下』で検索する人が多くて、当時36歳の私には厳しかった。 なので、アピールポイントとして700万円の年収なども公開しました。公開した途端に年収300万円台のアルバイトなんて人から何件か申し込みがありましたけど、さすがに安定した職に就いて経済的に自立している人が希望だったので、そちらはお断りしました。 でも、今思えばやっぱり自然体で臨むべきでしたね。清楚系にしたのもそうですが、お酒は大好きなのにたしなむ程度とか、タバコは吸わないとか、相手に気に入られるため小さな嘘をいっぱいついちゃったんです」相談所に入会してから3カ月、スピード婚することに それでも入会して1カ月ほどの間に5人とコンタクトし、3番目に紹介された大手運送会社のドライバー職の男性と交際に発展したという。「4歳年下の彼は年上好きで、背が高くて男っぽい顔の女性が好みだったらしく、条件の合った私に積極的にアプローチをしてくれたんです。私のほうも、それまで会った人の中で唯一ちゃんと会話ができてフィーリングもよかったし、仕事もまじめにやっていることがわかったので、いい人だな、かわいらしい人だな、と。進捗は相談所に報告することになっていましたから、3回ほど会ってすぐ結婚を前提とした本交際に進みました。 この頃にはもう結婚しようと決めていて、借金とか入れ墨とかがないことを確認したり、家族の宗教や病気、資産状況とかも聞きましたね。二人で子供はどうしたいか、結婚したらどの街に住むか、家賃や家計はどう分担するかといった話もしたし、私からも実は家庭的じゃないので料理は得意じゃないとか、仕事は続けたいといった要望を出して、お互いに合意していった感じです。 普通の交際ならこういう部分で時間をかけてお互いのことを分かり合っていくのかもしれません。でも、私は目標ができるととにかく効率的に早く物事を進めたくなる性格で、結婚に対してもそうでした。 相談所の費用もバカにならないし、正直、どれだけ早く結婚して退会できるか、みたいな感覚もあったんです。彼のほうは、結婚生活についてそこまで深くは考えてなかったのか、あんまりこだわりがなくて、『結婚式もやるならいいよ、めんどくさいから任せるよ』って感じ。結婚後に住む場所の希望があったくらいでした」 山田さんはお互いの両親への挨拶や式場の手配、結婚に伴う雑事をテキパキと処理してゆき、結婚相談所に入会してから約3カ月で結婚式を挙げるというスピード婚を達成する。ところがゴールが見えた途端、心境がガラリと変わってしまったという。一人暮らしの部屋を引き払う段階になり、涙「あの時はとにかく結婚という目標を達成することにエネルギーを集中させていて、今考えると完全に暴走してましたね。先に入籍と式を挙げて、同時進行で新居を探していたので、式の後に同居する流れになったんですが、式が終わってから一人暮らしの部屋を引き払っていざ引っ越す段階になって、自分はあんまり他人と一緒に住みたくないんだってことに気づいてしまったんです。『一緒に住みたくない病』です。 なんだかんだと理由を付けて引っ越しを引き延ばしたけど、いつまでも続けるわけにいかず、最後に泣きながら引っ越しをしたことを覚えています。 何かはっきりした事件があったわけではないんだけど、気持ちにシャッターが下りてしまったというか、すべてが面倒臭くなってしまったんですね。その頃は一緒に住むことに決めた郊外の場所も気に入らなくなるし、入籍して自分の名字が変わったことまで後悔してました」 結局、新居で一緒に暮らした期間はわずか2週間ほど。耐え切れなくなった山田さんは些細な喧嘩をきっかけに家を出て、そのまま戻ることはなかったという。「最初の1週間は頑張ってご飯を作ったりして気合で乗り切ったんですが、蕁麻疹が出たりと、分かりやすく体調を崩して動けなくなっちゃったんです。そんなある日、私が向こうの想像以上に料理ができないことが原因で喧嘩になり、その日の夜に家を出ちゃいました。新婚生活を放棄して逃げたんです。 1カ月ほどホテルから会社に通いながらLINEとかでやり取りを続けました。もちろん旦那さんが悪いわけじゃないし、私も気持ちが落ち着いたら何とか話し合って改善できればと思っていたんですが、何を話してもすぐ喧嘩になるし、そのうち実際に会うことも怖くなってしまい、最後にはどうすれば相手から離婚を切り出してもらえるかしか考えられなくなってしまって。 最後には旦那側も諦めてくれました。めっちゃお金も請求されたけど、彼の言い分も当然なので、色を付けて多目に払いました。結局、結婚から離婚までの5カ月で体重が8kgも落ちてましたね」それでも再婚はあきらめない 散々相手を振り回した挙句、スピード離婚した山田さんだが、それでも再婚は諦めていないという。「今思うと、私は最初から結婚したいというだけで、具体的にどんな生活をしたいとか全然考えていなかった。とにかく一回は結婚しないと収まらなかったんでしょうね。別の人と結婚していても同じように暴走していたと思います。元夫は事故にあったようなもので、可哀そうなことしちゃいました。 私自身は一切後悔はしてないし、また改めて結婚もしたいと思ってます。もともと就職と一緒で1、2回くらいは失敗するかなと思ってたし、次は前回の失敗を踏まえたうえで、自然体の自分で相手を探そうかと。今は別居婚とかもありますしね」 離婚の事情はそれぞれだが、印象的だったのは話を聞いた3人とも基本的にはポジティブで、その後、しっかりと自分に合った生き方や幸せを見つけていたこと。決断は早い方がいい場合もあるのかも。(清談社)
婚活を始めて、最初は自力で相手を見つけようと友達に紹介してもらったり居酒屋で逆ナンしたりしていました。あと仕事関係でもそれなりに出会いはあって誘われたりもしましたけど、どうしても仕事が絡むと仕事優先で付き合う気にはなれなくて。そんな感じで3年くらいあがいたんですが、もう若い頃のような恋愛力がなくなってて、全然上手くいきませんでした。
そこでもうプロの力を借りるしかないとネットで探した結婚相談所に入会しました。登録料は30万円ぐらいで他に紹介されるごとにかかる毎月のコストが数万円。自分にプレッシャーをかける意味もあってあえて高額なところを選びました」
結婚という目標に向かって走り始めたまではよかったが、すでにこの時点でやり方を間違えていたという。
「最初に登録した頃はありのままの自分で相手と会っていたんです。でも髪も金髪だったし、私は焦るとマシンガントークになってしまい、相手に怖がられたりして。そこで相談所のアドバイスもあって、清楚な黒髪に変えて写真を撮りなおし、少し猫をかぶることにしたんです。
自分のデータも多く公開することにしました。相談所では最初の段階で男性側が見られるのは女性の写真と年齢だけなんですが、男性側は女性を『35歳以下』で検索する人が多くて、当時36歳の私には厳しかった。
なので、アピールポイントとして700万円の年収なども公開しました。公開した途端に年収300万円台のアルバイトなんて人から何件か申し込みがありましたけど、さすがに安定した職に就いて経済的に自立している人が希望だったので、そちらはお断りしました。
でも、今思えばやっぱり自然体で臨むべきでしたね。清楚系にしたのもそうですが、お酒は大好きなのにたしなむ程度とか、タバコは吸わないとか、相手に気に入られるため小さな嘘をいっぱいついちゃったんです」
それでも入会して1カ月ほどの間に5人とコンタクトし、3番目に紹介された大手運送会社のドライバー職の男性と交際に発展したという。
「4歳年下の彼は年上好きで、背が高くて男っぽい顔の女性が好みだったらしく、条件の合った私に積極的にアプローチをしてくれたんです。私のほうも、それまで会った人の中で唯一ちゃんと会話ができてフィーリングもよかったし、仕事もまじめにやっていることがわかったので、いい人だな、かわいらしい人だな、と。進捗は相談所に報告することになっていましたから、3回ほど会ってすぐ結婚を前提とした本交際に進みました。
この頃にはもう結婚しようと決めていて、借金とか入れ墨とかがないことを確認したり、家族の宗教や病気、資産状況とかも聞きましたね。二人で子供はどうしたいか、結婚したらどの街に住むか、家賃や家計はどう分担するかといった話もしたし、私からも実は家庭的じゃないので料理は得意じゃないとか、仕事は続けたいといった要望を出して、お互いに合意していった感じです。
普通の交際ならこういう部分で時間をかけてお互いのことを分かり合っていくのかもしれません。でも、私は目標ができるととにかく効率的に早く物事を進めたくなる性格で、結婚に対してもそうでした。
相談所の費用もバカにならないし、正直、どれだけ早く結婚して退会できるか、みたいな感覚もあったんです。彼のほうは、結婚生活についてそこまで深くは考えてなかったのか、あんまりこだわりがなくて、『結婚式もやるならいいよ、めんどくさいから任せるよ』って感じ。結婚後に住む場所の希望があったくらいでした」
山田さんはお互いの両親への挨拶や式場の手配、結婚に伴う雑事をテキパキと処理してゆき、結婚相談所に入会してから約3カ月で結婚式を挙げるというスピード婚を達成する。ところがゴールが見えた途端、心境がガラリと変わってしまったという。
「あの時はとにかく結婚という目標を達成することにエネルギーを集中させていて、今考えると完全に暴走してましたね。先に入籍と式を挙げて、同時進行で新居を探していたので、式の後に同居する流れになったんですが、式が終わってから一人暮らしの部屋を引き払っていざ引っ越す段階になって、自分はあんまり他人と一緒に住みたくないんだってことに気づいてしまったんです。『一緒に住みたくない病』です。
なんだかんだと理由を付けて引っ越しを引き延ばしたけど、いつまでも続けるわけにいかず、最後に泣きながら引っ越しをしたことを覚えています。
何かはっきりした事件があったわけではないんだけど、気持ちにシャッターが下りてしまったというか、すべてが面倒臭くなってしまったんですね。その頃は一緒に住むことに決めた郊外の場所も気に入らなくなるし、入籍して自分の名字が変わったことまで後悔してました」
結局、新居で一緒に暮らした期間はわずか2週間ほど。耐え切れなくなった山田さんは些細な喧嘩をきっかけに家を出て、そのまま戻ることはなかったという。「最初の1週間は頑張ってご飯を作ったりして気合で乗り切ったんですが、蕁麻疹が出たりと、分かりやすく体調を崩して動けなくなっちゃったんです。そんなある日、私が向こうの想像以上に料理ができないことが原因で喧嘩になり、その日の夜に家を出ちゃいました。新婚生活を放棄して逃げたんです。 1カ月ほどホテルから会社に通いながらLINEとかでやり取りを続けました。もちろん旦那さんが悪いわけじゃないし、私も気持ちが落ち着いたら何とか話し合って改善できればと思っていたんですが、何を話してもすぐ喧嘩になるし、そのうち実際に会うことも怖くなってしまい、最後にはどうすれば相手から離婚を切り出してもらえるかしか考えられなくなってしまって。 最後には旦那側も諦めてくれました。めっちゃお金も請求されたけど、彼の言い分も当然なので、色を付けて多目に払いました。結局、結婚から離婚までの5カ月で体重が8kgも落ちてましたね」それでも再婚はあきらめない 散々相手を振り回した挙句、スピード離婚した山田さんだが、それでも再婚は諦めていないという。「今思うと、私は最初から結婚したいというだけで、具体的にどんな生活をしたいとか全然考えていなかった。とにかく一回は結婚しないと収まらなかったんでしょうね。別の人と結婚していても同じように暴走していたと思います。元夫は事故にあったようなもので、可哀そうなことしちゃいました。 私自身は一切後悔はしてないし、また改めて結婚もしたいと思ってます。もともと就職と一緒で1、2回くらいは失敗するかなと思ってたし、次は前回の失敗を踏まえたうえで、自然体の自分で相手を探そうかと。今は別居婚とかもありますしね」 離婚の事情はそれぞれだが、印象的だったのは話を聞いた3人とも基本的にはポジティブで、その後、しっかりと自分に合った生き方や幸せを見つけていたこと。決断は早い方がいい場合もあるのかも。(清談社)
結局、新居で一緒に暮らした期間はわずか2週間ほど。耐え切れなくなった山田さんは些細な喧嘩をきっかけに家を出て、そのまま戻ることはなかったという。
「最初の1週間は頑張ってご飯を作ったりして気合で乗り切ったんですが、蕁麻疹が出たりと、分かりやすく体調を崩して動けなくなっちゃったんです。そんなある日、私が向こうの想像以上に料理ができないことが原因で喧嘩になり、その日の夜に家を出ちゃいました。新婚生活を放棄して逃げたんです。
1カ月ほどホテルから会社に通いながらLINEとかでやり取りを続けました。もちろん旦那さんが悪いわけじゃないし、私も気持ちが落ち着いたら何とか話し合って改善できればと思っていたんですが、何を話してもすぐ喧嘩になるし、そのうち実際に会うことも怖くなってしまい、最後にはどうすれば相手から離婚を切り出してもらえるかしか考えられなくなってしまって。
最後には旦那側も諦めてくれました。めっちゃお金も請求されたけど、彼の言い分も当然なので、色を付けて多目に払いました。結局、結婚から離婚までの5カ月で体重が8kgも落ちてましたね」
散々相手を振り回した挙句、スピード離婚した山田さんだが、それでも再婚は諦めていないという。
「今思うと、私は最初から結婚したいというだけで、具体的にどんな生活をしたいとか全然考えていなかった。とにかく一回は結婚しないと収まらなかったんでしょうね。別の人と結婚していても同じように暴走していたと思います。元夫は事故にあったようなもので、可哀そうなことしちゃいました。
私自身は一切後悔はしてないし、また改めて結婚もしたいと思ってます。もともと就職と一緒で1、2回くらいは失敗するかなと思ってたし、次は前回の失敗を踏まえたうえで、自然体の自分で相手を探そうかと。今は別居婚とかもありますしね」
離婚の事情はそれぞれだが、印象的だったのは話を聞いた3人とも基本的にはポジティブで、その後、しっかりと自分に合った生き方や幸せを見つけていたこと。決断は早い方がいい場合もあるのかも。
(清談社)