マンガ好きのウクライナ少女・ズラータさん、日本で描く夢…「太宰治を読むときは嫌な気分忘れた」

ロシアに侵略されたウクライナから、横浜市にたった一人で避難してきたズラータ・イヴァシコワさん(17)が、日本にたどり着くまでの日記を出版し、話題を呼んでいる。
4年前から独学で日本語を学んでいたことが縁で、日本にやってきたという彼女。大好きな日本人にこそ、知ってほしい思いとは――。(読売中高生新聞編集室)
■太宰治の初版本、1万5000円で購入
ウクライナ東部のドニプロで美術の専門学校に通っていたズラータさん。ロシアが侵略を始めた翌日(2月25日)、学校へ行くと、先生から突然、「戦争なので学校は休校する」と告げられた。
「最初は信じられませんでした。それまでも『戦争が始まる』という情報はインターネットで流れていたけれど、本気では備えていなかったから。もっともっと学校に通って、絵を勉強したかった。友だちとのお別れも、ちゃんとできませんでした。
日本のみなさんには、今やりたいことが、明日もできるとは限らないことを知ってほしい。後悔しないように、やりたいことを先延ばしにしないで…と伝えたいです」
そもそも日本語を勉強し始めたきっかけは、13歳の頃、たまたま祖母宅の本棚にあった日本語の教科書を手に取ったことだという。
「最初は、見たこともない不思議な形の文字に驚きました。ちょうど夏休み中で時間もあったので、教科書を見ながら、平仮名や片仮名を書いてみたのです。
単語が分かるようになると、そのうち日本語のマンガも読むようになりました。絵が中心でセリフも短いので、初めは分からなくても、繰り返し読んでいるうちに、だんだん理解できるようになりました。最初にハマったのは、文豪がキャラクターになって、作品にちなんだ特殊能力を使って戦う人気マンガ『文豪ストレイドッグス』です。
その中でも特に印象に残ったのが、太宰治でした。もっと彼のことを知りたい、作品を読んでみたい……。それぐらい気になって仕方なかった」
15歳の時、その気持ちが高じて、1万5000円もの大枚をはたき、ネットオークションで「人間失格」の初版本を購入した。
「高い買い物でしたが、一生の宝物になる気がしたから、迷いはなかった。今でも手に入れてよかったと思います。その頃には、読み書きが上達していたし、日本語の塾にも通わせてもらっていました。けれど、『言う』を『言ふ』と書いたり、『気』が(旧字の)『氣』になっていたり、日本語も時代によって変化してきたことを学びました。
戦争が始まって落ち込んだ時も、日本に避難する時も、太宰を読んでいる時だけは、その世界に入り込んで、いやな気分を忘れられました」
■戦争が始まり、母が告げた「日本行き」
漠然と「いつか日本に行きたい」と考えていたズラータさん。その道を開いてくれたのは、誰よりも彼女の気持ちを理解してくれている母ジュリアさんの一言だった。
「戦争が始まって3週間ほどたった、ある朝、お母さんから突然、「あなたは日本に避難するのよ」と言われました。最初は戸惑いました。だって、お母さんや親戚を置いていけないと思ったから。日本以外の国だったら絶対に避難しなかったでしょう。
でも、お母さんは貯金をかき集めて渡航費の一部などを準備してくれ、インターネットで日本での『身元保証人』も見つけてくれていました。お母さんは私のために、こんなに頑張ってくれている……。そう知って、考えが変わりました。今、日本に行かなければ、一生行けなくなってしまうかもしれないという不安も頭をよぎりました」
翌朝にはドニプロの自宅を出発し、鉄道とバスを乗り継いで2日後に、隣国ポーランドの首都ワルシャワに逃れることができた。
「戦争の影響で電車は運行が不規則になっていて、最寄り駅では5~6時間待ちました。丸一日ぐらい、電車に乗りましたが、爆撃の標的にされてはいけないので、車内はライトを落としていて、真っ暗の中で過ごさなければなりませんでした。
ポーランドでは数日間シェルターで過ごしてから、ホテルに移りました。この時、体力が落ちていたところに、張り詰めていた気持ちが緩んだのか、高熱が出たんです。大使館でビザの手続きをして、これから出国という時に、PCR検査を受けたら、新型コロナウイルスに感染していることがわかりました。1回でも陰性になれば飛行機に乗れると思い、3回も検査したのに、全て陽性でした」
戦争が始まってからは、空襲警報におびえ、精神的に追い詰められる日々を過ごしてきたが、一番つらかったのはこの時だったという。
「高熱が出ているのにビザの手続きをするのもつらかったですが、全部乗り越えて、これでようやく日本に行けるという時に、コロナにかかってしまうなんて…。明らかな自分のミスで日本行きがかなわないのなら、仕方ありません。でも、せっかくお母さんがくれたチャンスなのに、無駄にしてしまったという思いが強かった。誰もいないところで泣いてしまったこともありました」
■アニメーションの背景描きたい
5回目の検査でようやく陰性になり、4月9日に日本の土を踏んだ。現在は横浜市で暮らし、日本語学校に通う。最近、将来の目標もできた。
「日本語が学べて、どんどん分かるようになってきて、とても楽しいです。
そして、将来はアニメーションの背景を描きたいと思うようになりました。『攻殻機動隊』というアニメの背景がすばらしくて、同じようなものを描けるようになりたいんです。だから、日本の美術大学に進学して、しっかり学びたい。そのための受験勉強も始めました。
ウクライナの専門学校ではオンライン授業が再開されたので、時間があれば参加するようにしています。でも、以前のように学校に通うことは、恐らく無理だと思っています。将来を考えると、不安な気持ちもありますが、今は新しい目標に向かって頑張りたいです」
故郷から遠く離れた日本で、多くの人に支えられ、平穏な日々をかみしめているからこそ、日本人に伝えておきたいことがある。
「私はいま、たくさんの人たちに支えられ、大好きな日本で何不自由なく生活することができています。ここに来るまでの旅の途中でも、多くの人々の優しさに触れ、助けてもらいました。日記を出版したのも、そうしたみなさんに対する感謝の気持ちを形にしたいと思ったからです。
ウクライナで続いている戦争に何の意味があるのかわからないし、すぐにやめてほしいです。でも、それが簡単ではないことも理解しています。日本のみなさんには、ウクライナのように、不当な戦争に巻き込まれてしまう国もあるという現実を知ってほしい。そして、日本の暮らしが、いかに穏やかで幸せなものかを改めて考えてもらうきっかけになれば、とてもうれしいです」(聞き手 スタッブ・シンシア由美子)
略歴
ウクライナ東部の工業都市・ドニプロ出身。今年10月、ロシアのウクライナ侵略が始まってから、横浜市に避難するまでの日々をつづった手記「ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記」(世界文化社、税込み1650円)を出版した。