【藤澤 志穂子】なぜ秋篠宮家に「国民の思い」は届かないのか…学習院関係者が抱く「違和感」の正体

親子四代で学習院出身という元全国紙記者の藤澤志穂子氏(昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員)が、『学習院女子と皇室』(新潮新書)を6月に出版した。
秋篠宮家に対する様々な批判が広がっている背景を、皇室と縁の深い学習院女子中・高等科(学習院女子部)の歴史をひもときながら、各種資料と卒業生の証言をもとに分析している。
一般には「学習院の内部から初めて批判の声が上がった」と受け止められているようだ。ただ、学習院内での批判はかなり以前から、水面下では噴出していたという。
以下、藤澤氏による論考。
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先日、さるベテランの皇室ジャーナリストに拙著『学習院女子と皇室』(新潮新書)に関する取材をして頂きました。女性週刊誌「女性自身」に掲載された記事によれば、本書は、初めて学習院の内部から上がった秋篠宮家に対する批判の声を取り上げたものと受け止められているようです。
「伝統的に学習院の卒業生は、“皇室を支える”という気持ちが強く、これまで秋篠宮家を批判する取材に協力する人はそう多くはありませんでした。しかしこの本には多数の卒業生の声が記されており、『いよいよ学習院からも……』という声が宮内庁内部からも聞こえてきます」(皇室担当記者)(「女性自身」7月18日号)
実は、秋篠宮家に対する学習院関係者の「違和感」は、かなり以前から筆者の耳には入ってきていました。筆者は曾祖父から親子4代の学習院出身で、親戚の多くがOB・OGであり、その友人知人を含め、さまざまな反応が入ってきます。
総じてこれまでの学習院関係者の秋篠宮家に対する違和感のもとを辿ると、小室眞子さんの結婚と、悠仁親王の進学問題にあるように思います。
眞子さんの結婚において、2017年の最初の婚約会見で筆者が覚えたのは、「収入が決して高くはないパラリーガルの男性と一般女性が結婚するならば、普通は共働きを考えるのではないか」という違和感でした。
眞子さんは降嫁し、一般国民となるにもかかわらず、あの時点で生活に関する明確な人生設計があるようにはお見受けできなかったのです。
ただ当初、ホテルでの開催が想定された披露宴に招かれるはずだった旧皇族の方々は、総じて歓迎ムードでいらしたようです。久しぶりの皇族女性の慶事に「お式に何を着ていこうかしら」と楽しみにしていた方もおられたと伺います。
お相手の小室圭さんに対する一抹の不安は、おそらく心の底で感じていらしたかもしれません。ですが「宮家のなさることだから」と打ち消していたのではないでしょうか。
それが一変したのは、小室さん側の金銭トラブルが発覚して以降です。
母の佳代さんに対する不信感も強まったようで、たとえば旧皇族の集まりである菊栄親睦会については「日常的に時候の挨拶など、直筆のお手紙のやり取りもございます。佳代さんではお書きになるのは難しいかもしれませんね」といった、お付き合いをやんわりと拒絶する声までが聞こえてきました。
眞子さんについて、「国際基督教大ではなく学習院大学に進んでいれば、こんなことにはならなかったのに」という学習院関係者の嘆きのような声が強まったのはこのころからです。
ニューヨークでの生活を満喫しておられる夫妻の姿が伝えられるたび、「高額なはずの生活費はどこからねん出されておられるのか」といった不満も聞かれます。
実は旧皇族、旧華族とされる人たちの中にも、戦後、身分を離れ自活を余儀なくされ、苦労をされた方々が数多くあります。「それに比べてお気楽な」といった複雑な思いも、もしかしたら「違和感」の背景にはあるのかもしれません。
今後、後を引きそうなのが悠仁親王の進学問題でしょうか。
お茶の水女子大附属幼稚園・小学校・中学校、そして筑波大学付属高校へという進路から考えて、今後、学習院大学に進まれる可能性は極めて低いでしょう。
そのこと自体は無理もないことかもしれない。卒業生として寂しさを感じないわけではないものの、客観的に見ればそう考えます。
そもそも、最近の学習院OB・OGの傾向として、子女を幼稚園や初等科から学習院に入学させるケースは相変わらず多いのですが、途中から慶應など有力な他校へ進むことが増えてきています。
それにはどのような理由があるのでしょうか。
後編記事『悠仁さま「次の進学先」で危惧される国民の「不満と反発」《このままでは眞子さん結婚騒動の二の舞》』では、現在の学習院の実態を解説するとともに、宮内庁の危機管理について警鐘を鳴らす。