群馬県上野村の御巣鷹の尾根に日航機が墜落し、520人が亡くなった事故から40年です。時間がたっても変わらない「空の安全」への願い。遺族の「今」を取材しました。 ◇今年も迎えた慰霊の日。墜落現場の御巣鷹の尾根では、多くの遺族らが祈りをささげました。40年前の1985年8月12日。日本航空123便が墜落し、乗客・乗員520人が犠牲となりました。父・河口博次さんを亡くした娘の真理子さん。10日、事故後に生まれた息子の亜慧(あさと)さん(24)とともに、御巣鷹の尾根を訪れました。
父・博次さんが事故で亡くなる 河口真理子さん「父がビール好きだったので」単身赴任先の神戸に戻るため、123便に搭乗していた博次さん。河口真理子さん「(弟から)電話がかかってきて、パパが見つかったって。パパは遺書を書いてるって言って」博次さんの胸ポケットから見つかった手帳に、家族に宛てた言葉が書かれていたのです。河口真理子さん「この筆圧とかね。魂が一言一言にのめり込んでいるようなものなので」乱高下する機内で懸命に残した言葉。父が最後に記したのは…。「本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」河口真理子さん「父の気持ちがこれを私たちの手に、ちゃんと届くように守っていたんだなと」事故後、安全を誓ったはずの日本航空。しかし、2023年以降、パイロットの飲酒問題など、運航上のトラブルが相次ぎました。河口真理子さん「人事の仕組みとかオペレーションとか、何か課題があるんじゃないかなと。520人の犠牲が何のためにあったんだということになってしまう」 ◇日本航空では、研修で墜落現場を登るなど、教訓を継承し続けていますが…。日本航空安全推進部運営グループ 酒井宏彰グループ長(8日)「仕事の先につながっている最終的な安全というところに対して、なかなか意識が向かず、どこか自分の中で甘えがその部分に勝ってしまって起こってるのかなと」確実な空の安全のために。「懸念を感じたらまず立ち止まり、安全を守り抜く決意が重要だ」と話しました。 ◇結婚して半年だった妻を亡くした工藤康浩さん。事故の8年後に、理佳子さんと再婚しました。精神的に不安定だった康浩さんを支えてきた理佳子さん。7月、2人の姿は群馬県の大学にありました。この日、学生にある言葉を伝えた理佳子さん。夫の前妻が亡くなる 工藤理佳子さん「あなたに代わっていきるということ」遺族らが40年にあたってまとめた文集に、寄稿した言葉でした。工藤理佳子さん「自分が不思議でならない。だってあなた(夫の前妻)とは一度も出会っていないのだから。悲しい出来事に向き合い、自分たちに相応な発信をしてきた。発信することは、あなたのいのちを活(い)かすことだって、やっと気づいた」“亡きあなたのいのちをいかすため”。2人は今、新たな挑戦を始めています。地域活動の一環で始めた映画制作。そして撮り続ける中で、一つの思いが芽生えました。前妻を亡くす 工藤康浩さん「御巣鷹だとか人の命の重さだとか、考えていることを、僕らなりに表現できる映画を作ってみたい」御巣鷹を題材にした映画作り。前妻を亡くす 工藤康浩さん「生きることの裏腹に死があることは間違いなくて。いつ訪れるか分からない死に対して、どう生きていったら良いのかというのは大きなテーマ」事故後、それぞれの人生を歩んできた遺族たち。二度と悲惨な事故が繰り返されないように。時間がたっても願いは変わりません。
群馬県上野村の御巣鷹の尾根に日航機が墜落し、520人が亡くなった事故から40年です。時間がたっても変わらない「空の安全」への願い。遺族の「今」を取材しました。
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今年も迎えた慰霊の日。墜落現場の御巣鷹の尾根では、多くの遺族らが祈りをささげました。
40年前の1985年8月12日。日本航空123便が墜落し、乗客・乗員520人が犠牲となりました。
父・河口博次さんを亡くした娘の真理子さん。10日、事故後に生まれた息子の亜慧(あさと)さん(24)とともに、御巣鷹の尾根を訪れました。
父・博次さんが事故で亡くなる 河口真理子さん「父がビール好きだったので」
単身赴任先の神戸に戻るため、123便に搭乗していた博次さん。
河口真理子さん「(弟から)電話がかかってきて、パパが見つかったって。パパは遺書を書いてるって言って」
博次さんの胸ポケットから見つかった手帳に、家族に宛てた言葉が書かれていたのです。
河口真理子さん「この筆圧とかね。魂が一言一言にのめり込んでいるようなものなので」
乱高下する機内で懸命に残した言葉。父が最後に記したのは…。
「本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」
河口真理子さん「父の気持ちがこれを私たちの手に、ちゃんと届くように守っていたんだなと」
事故後、安全を誓ったはずの日本航空。しかし、2023年以降、パイロットの飲酒問題など、運航上のトラブルが相次ぎました。
河口真理子さん「人事の仕組みとかオペレーションとか、何か課題があるんじゃないかなと。520人の犠牲が何のためにあったんだということになってしまう」
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日本航空では、研修で墜落現場を登るなど、教訓を継承し続けていますが…。
日本航空安全推進部運営グループ 酒井宏彰グループ長(8日)「仕事の先につながっている最終的な安全というところに対して、なかなか意識が向かず、どこか自分の中で甘えがその部分に勝ってしまって起こってるのかなと」
確実な空の安全のために。「懸念を感じたらまず立ち止まり、安全を守り抜く決意が重要だ」と話しました。
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結婚して半年だった妻を亡くした工藤康浩さん。
事故の8年後に、理佳子さんと再婚しました。精神的に不安定だった康浩さんを支えてきた理佳子さん。
7月、2人の姿は群馬県の大学にありました。この日、学生にある言葉を伝えた理佳子さん。
夫の前妻が亡くなる 工藤理佳子さん「あなたに代わっていきるということ」
遺族らが40年にあたってまとめた文集に、寄稿した言葉でした。
工藤理佳子さん「自分が不思議でならない。だってあなた(夫の前妻)とは一度も出会っていないのだから。悲しい出来事に向き合い、自分たちに相応な発信をしてきた。発信することは、あなたのいのちを活(い)かすことだって、やっと気づいた」
“亡きあなたのいのちをいかすため”。
2人は今、新たな挑戦を始めています。
地域活動の一環で始めた映画制作。そして撮り続ける中で、一つの思いが芽生えました。
前妻を亡くす 工藤康浩さん「御巣鷹だとか人の命の重さだとか、考えていることを、僕らなりに表現できる映画を作ってみたい」
御巣鷹を題材にした映画作り。
前妻を亡くす 工藤康浩さん「生きることの裏腹に死があることは間違いなくて。いつ訪れるか分からない死に対して、どう生きていったら良いのかというのは大きなテーマ」
事故後、それぞれの人生を歩んできた遺族たち。二度と悲惨な事故が繰り返されないように。