旧暦の宝永四年十一月二十三日、ひと月前に起こった宝永地震の余波もおさまらぬまま、富士山が噴火しました。宝永の噴火(1707年12月16日)です。午前に噴煙がわき起こるかと思うと、間も無く軽石が降り注ぎ、夕刻には噴煙を通して火柱や火山雷の光が見えるようになりました。
近年、過去の災害を読み解き、来るべき災害に備える機運が高まっています。富士山は、これまで多くの噴火を繰り返してきましたが、この300年前の宝永噴火が、いまのところ“最新の噴火”です。この宝永の噴火から、わたしたちは何が学べるでしょうか?
今回は、『富士山噴火と南海トラフ』の著者である鎌田 浩毅さんの解説で、顕著な被害を出したと考えられている火山灰を中心に、富士山噴火と降灰についてみてみたいと思います。
美しい形は、火山によってできた富士山は何万年ものあいだ、火山灰を噴き上げたり、溶岩を噴出したり、火砕流を発生させたり、泥流を流したりと、さまざまなタイプの噴火を起こしている。富士山が「噴火のデパート」と呼ばれる所以だが、こうした噴火を続けた結果、現在のようにきれいな円錐形の成層火山となった。成層火山とは、山頂付近に急斜面を、山麓に広い裾野をもつ火山体である。溶岩や火山灰が次々に層を成して積もった結果、このような美しい形ができたのである。日本の多くの地域で、類似の成層火山が「○○富士」と呼ばれている。北海道の羊蹄山(蝦夷富士)、青森県の岩木山(津軽富士)、鹿児島県の開聞岳(薩摩富士)などで、いずれも富士山同様、火山噴出物によって広い裾野が形成された。日本一高い成層火山となった富士山は、過去に大きな噴火を数十回も繰り返している。その際には、火山灰や溶岩などさまざまな物質を火口から噴き出してきた。噴火による被害とは、とりもなおさず、これらの噴出物が人間にもたらすさまざまな被害である。東京都新越しにみる富士山のシルエット photo by gettyimagesそこで今回は、火山が噴出物のうち「火山灰」を中心に、どのような被害をもたらすのかをみていこう。江戸時代の富士山噴火いまから300年ほど前の1707年に、その前から数えて約200年ぶりの大爆発を起こした。宝永噴火と呼ばれるものである。この噴火では、火山灰と軽石が大量に噴出し、東へ飛んでいった。大量に出た細かい火山灰は、偏西風に乗って横浜や江戸方面へ降り積もった。当時の武家に残された多数の古文書の調査によると、火山灰は横浜で10センチメートル、江戸では5センチメートルの厚さになったと推定されている。宝永噴火の火山灰が到達した地域と火山灰の厚さ火山灰は10日以上も降りつづき、昼間でもうす暗くなった。当時、江戸にいた儒学者で政治家の新井白石は、こう書き記している。家を出るとき、雪が降っているように見えるので、よく見ると、白い灰が降っているのである。西南のほうを見ると、黒雲がわき起こり、雷の光がしきりにした。西ノ丸にたどりつくと、白い灰が地をおおい、草木もまたみな白くなった。(中略)やがて御前に参上すると、空がはなはだしく暗いので、あかりをつけて進講をした。「折りたく柴の記」桑原武夫現代語訳、日本の名著15『新井白石』中央公論社 いったん空中に浮かんだ火山灰は、なかなか落ちてこない。新井白石は、火山灰は3週間も舞いあがった、と書き残している。地面に落ちても、ふたたび風に乗って舞いあがってしまうからだ。火山灰とはガラスのかけらである火山灰は、タバコや炭が燃えて残る灰とはまったく異なる。火山灰の実体は、軽石や岩石が細かく砕かれたものである。軽石とは、液体のマグマが引きちぎられて冷えて固まったものだ。熱いマグマが泡だつときに軽石ができる。マグマに溶けていた水が水蒸気となるからだ。この泡が、軽石の中では小さな穴となって残っている。これを気泡という。気泡をもつ軽石がさらに細かく砕かれたものが火山灰なのである。火山灰が「灰」と呼ばれるのは、細かくてフワフワしていて、風に舞うほどだからなのだ。軽石が細かくなって火山灰が生産される。大規模な噴火では軽石に含まれる泡の壁ができて、バブル・ウォール型火山ガラスと呼ばれる火山灰ができる 基本的には、火山灰はマグマから軽石を経由して大量に生産される。このようにしてできる火山灰の正体は、ガラスの破片である。「ガラス」というと普通は、窓ガラスやガラスのコップを思い浮かべるだろう。実はガラスとは、物質がきちんとした結晶構造をもたない状態のことをいう。ガラスは結晶に比べるとずっと脆く、細かく割れると鋭い破片になるのである。マグマが急に冷やされて固まると、ガラスの状態になる。もしマグマが非常にゆっくりと冷えると、ガラスではなく結晶ばかりの塊になる。マグマが急冷したときだけ、ガラスになるのだ。つまり、噴火の際に火山灰が噴出するということは、次のことを意味する。マグマが引きちぎられて空中へ放り出されたあと急速に冷えてガラスの破片になることそのため火山灰には、鋭い破面をもったガラスが含まれるのである。これらが肺の中に吸入されると、先に述べた珪肺という症状を起こすのである。さて、これで火山灰が「燃えかす」ではないことが理解していただけただろう。岩石の細かいかけらである火山灰は、水に溶けることもなく、いつまでも消えることがない。乾燥すれば何週間も舞いあがり、雨が降るとまるでセメントのように固まってしまう。城の壁に使われている漆喰のように硬化するのである。火山噴出物の分類そもそも火山の噴出物は、大きさによって分類されている。火山学における定義では、噴火の際に火山から放出される物質の中で、直径が2ミリメートル以下のものを火山灰という。最大でざらざらした砂粒のようなものから、最小では小麦粉よりも細かい粒子までがある。いちばん小さな「火山灰」から始まって、「火山礫」、「火山岩塊」という3つがある。火山灰より大きくて握りこぶし大くらい(直径64ミリメートル)までを火山礫、それより大きなものを火山岩塊という。火山岩塊には数メートルの巨大な岩石までが含まれる。富士山の礫 photo by gettyimages また、火山からもくもくと立ち昇る噴煙には、白いものと黒っぽいものがある。白いものは水蒸気が凝結した非常に細かい水滴であるが、黒っぽい噴煙には火山灰が混じっている。これは誰にでも簡単にわかるので、鹿児島県の桜島などに出かけたときはぜひ見ていただきたい。空高く巻き上げられた火山灰は、風に運ばれて非常に遠くまで飛んでいく。この途中で、火山灰のサイズと密度に応じてふるい分けられながら、地上に達する。グラニュー糖のような粗い火山灰は近くに落ち、小麦粉のような細かい火山灰は遠くまで運ばれるのである。そして降り積もる火山灰によって、人々の健康や生活、また政治や経済にまで大きな被害をもたらすのである。防災に欠かせないハザードマップ火山灰などの噴火災害から身を守るためには、どこが危険なのかを示した地図が必要である。それがハザードマップ(火山災害予測図または火山災害危険区域予測図、英語ではvolcanic hazard map)である。噴火が発生したらどの地域にいかなる危険が及ぶのかを示したもので、火山防災で最も重要な役割を占めるといってもよい。ハザードマップにはさまざまな目的がある。住民に対して噴火現象そのものについて理解してもらうこと、住民や観光客が安全に避難できるルートを示すこと、避難のための施設を整備すること、火山活動のないときにどのような土地利用をすればよいかを示すこと、などである。一般に、火山は繰り返し噴火を起こすので、類似した現象が見られることが多い。噴火のもたらす災害にも共通点があるため、現在までの噴火履歴をくわしく知り、将来に備えることが重要である。そこで、過去数百~数千年間の噴火の様子から、噴火地点、噴火の推移、様式や規模の変化などを推測し、地図にしたものがハザードマップなのである。ハザードマップは1970年代から、活火山をもつ世界各国で作成が始まった。日本でも活火山の山麓にある防災意識の高い自治体で作られはじめた。その後、1992年に当時の国土庁が「火山噴火災害危険区域予測図作成指針」を公表し、全国的にハザードマップが作成されるようになった。しかし、海底火山と北方領土を除いても、日本にある111個の活火山のうち、まだ4割程度の40あまりの火山でしか完成していないのが現状である。これに対し、富士山には2000年に入ってもハザードマップがなかったが、同年10月に噴火の予兆である可能性がある低周波地震が発生して、急遽作られることになり、4年後の2004年春に、ようやく富士山全域のハザードマップ(全体のハザードマップ)が公表された。後ればせながら、火山防災の基礎地図ができあがったのである。富士山全体のハザードマップ 火砕流、噴石、溶岩、泥流などの到達範囲が示されている 降灰被害が読み取れる「ドリルマップ」火山灰が大量に積もると、地層として残る。降り積もった火山灰は過去の噴火の証拠となる。富士山では宝永噴火や平安時代の貞観噴火の証拠にもとづき、今後の予測がなされている。では実際に、富士山のハザードマップではどのように描かれているかを見てみよう。火山灰の積もり方については、まず季節ごとの降灰分布を示す地図が作成される。基本的に日本の上空には偏西風が吹いているので、火山灰は東の方角へ飛んでいく。しかし、季節によって風の向きは多少異なる。たとえば、冬のあいだは強い西風が吹いているので、火山灰は東へ集中的に飛ばされるが、夏のあいだは風向きが変化しやすいので、火山灰は全方向に散る傾向がある。このため富士山の西の方にも、若干の火山灰が降ることが予想されている。こうした降灰の変化をすべての月ごとに示した地図を降灰の「ドリルマップ」という。次に、月別に描かれた降灰の「ドリルマップ」をすべて重ね合わせた地図を作成する。これを降灰の「可能性マップ」という。降灰の可能性マップ。月別に描かれた降灰のドリルマップをすべて重ね合わせたもの1枚で12ヵ月分を一度に見渡せるように重ねた図というわけだ。火山灰の積もる厚さから被害が読み取れる便利な図ともいえよう。宝永噴火の火山灰が見つかった近年、宝永噴火の際に江戸に降り積もった火山灰が見つかった。江戸時代に、現在の東京都千代田区で採取された火山灰が、奈良県大和郡山市の豊田家の所蔵品から発見されたのだ。灰色の粉末が約10グラム入った紙包みが2つあり、中の粉末を分析すると、宝永噴火で飛んできた火山灰であることがわかった。300年も前の試料が残されていたのは、日本の火山研究史上でもたいへん珍しいことである。ここでは興味深い点が2つある。まず、火山灰の堆積した場所がきちんとわかっていることだ。江戸時代の古地図で調べてみると、屋敷の中のどこで採取したか、その正確な場所まで判明したのである。具体的には、宝永火口から94キロメートル東北東にあたることがわかった。もう一つは、採取した時刻がわかっていることだ。1707年12月16日の昼過ぎに取られたことが包み紙に書かれているのだが、これは宝永噴火の初日にあたる。つまり、噴火初期の貴重な火山灰というわけである。化学分析してみると、たしかに富士山の東麓にある太郎坊に堆積する、宝永噴火の最初に積もった軽石と化学組成が一致した。このときには富士山からの鳴動が聞こえたことも記述されていた。いかに火山学が進んでも、近年ならいざしらず、300年も昔の噴火に関するこのように精度の高い情報はなかなか得られるものではない。几帳面な武士が紙に包んできちんと保存してくれたおかげである。火山の噴出物は、厚さにして20センチメートルほどになり、かつ表層がカバーされたものなら、地層として半永久的に残る。たとえば太郎坊(静岡県御殿場市にある富士山御殿場口5号目付近の地名)のような火山の麓では、もともと噴出物が厚く、さらにその上を次々と噴出物が覆っているために残りやすい。しかし江戸に降った火山灰は、厚さが5センチメートル程度のものだったので風に吹かれ、地層としては残ることができなかった。人為的に採取されたものだけを、われわれは調査できるのである。富士山の南東斜面に開く宝永火口 photo by gettyimages 降灰のシミュレーションここで、大規模な噴火が富士山で起きた場合にどのように火山灰が広がるのか、時間経過に沿ってシミュレーションを見てみよう。かりに1707年の宝永噴火と同規模の噴火が15日続いたと想定すると、富士山東部の静岡県御殿場市では1時間に1~2センチメートルの火山灰が降り続き、最終的に120センチメートルに達する。また、富士山の山頂から80キロ離れた神奈川県横浜市では1時間に1~2ミリメートルの火山灰が断続的に降り、最後には10センチメートルの厚さになる。これは江戸時代の記録とほぼ等しい数字である。さらに、90キロメートル離れた東京都新宿区では噴火開始の13日目から1時間に1ミリメートル降り、最終的に1.3センチメートル降り積もる。これにより、富士山の周辺では建物の倒壊などの被害が出るほか、噴火から10日過ぎには富士山から100キロメートル以上離れた首都圏の全域で、道路・鉄道・空港・通信・金融などあらゆる方面で影響が出る恐れがある。富士山の火山灰被害の対策は、桜島で噴出する火山灰が参考にされる場合があるが、実は両者には規模の点で大きな開きがある。宝永噴火をはじめとする富士山の大規模噴火では、最近50年間に桜島が毎年放出してきた火山灰の200年分を超える量が、たった半月で出たのである。しかも、江戸時代とはまったく異なるハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素が非常に多い。こうした点の災害シミュレーションも今後は必要になるだろう。ハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素も大きい photo by gettyimages 日本の防衛にも重大な影響が生じる!?火山灰の被害は直接的なものにとどまらず、間接的にも重大な災いをもたらす。1991年6月に起きたフィリピンのピナトゥボ火山の大噴火は、国際情勢にも大きな影響を与えた。火山灰が大量に降ったため、風下にあった米軍のクラーク空軍基地が使えなくなったのである。1991年のピナトゥボ噴火による火山灰で埋まった米空軍のクラーク基地 photo by gettyimagesその後の米軍はフィリピン全土から撤退を余儀なくされた。いわば火山の噴火が極東の軍事地図を描き換えてしまったのである。富士山が噴火すれば、神奈川県厚木市にある厚木米海軍飛行場と海上自衛隊厚木航空基地に関連する在日米軍の戦略が、大きく変わる可能性もある。2004年に内閣府から発表された富士山噴火の災害予測では、大量の火山灰が首都圏を中心として関東一円に大きな影響を与えることが明らかにされた。しかも、江戸時代と異なり高度の科学技術に依存している都市機能に、はたしてどの程度の被害が出るのか、不明な点は多い。富士山から降ってくる火山灰への対策は、直下型地震などとともに日本の危機管理項目の一つと言っても過言ではない。さらに連載記事<「溶岩流」果たしてどこまで到達するのか…「富士山が噴火した」ときの「衝撃的な被害規模」>では、富士山噴火の際の溶岩流について詳しく解説します。富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ
富士山は何万年ものあいだ、火山灰を噴き上げたり、溶岩を噴出したり、火砕流を発生させたり、泥流を流したりと、さまざまなタイプの噴火を起こしている。富士山が「噴火のデパート」と呼ばれる所以だが、こうした噴火を続けた結果、現在のようにきれいな円錐形の成層火山となった。成層火山とは、山頂付近に急斜面を、山麓に広い裾野をもつ火山体である。溶岩や火山灰が次々に層を成して積もった結果、このような美しい形ができたのである。
日本の多くの地域で、類似の成層火山が「○○富士」と呼ばれている。北海道の羊蹄山(蝦夷富士)、青森県の岩木山(津軽富士)、鹿児島県の開聞岳(薩摩富士)などで、いずれも富士山同様、火山噴出物によって広い裾野が形成された。
日本一高い成層火山となった富士山は、過去に大きな噴火を数十回も繰り返している。その際には、火山灰や溶岩などさまざまな物質を火口から噴き出してきた。噴火による被害とは、とりもなおさず、これらの噴出物が人間にもたらすさまざまな被害である。
東京都新越しにみる富士山のシルエット photo by gettyimages
そこで今回は、火山が噴出物のうち「火山灰」を中心に、どのような被害をもたらすのかをみていこう。
いまから300年ほど前の1707年に、その前から数えて約200年ぶりの大爆発を起こした。宝永噴火と呼ばれるものである。この噴火では、火山灰と軽石が大量に噴出し、東へ飛んでいった。大量に出た細かい火山灰は、偏西風に乗って横浜や江戸方面へ降り積もった。
当時の武家に残された多数の古文書の調査によると、火山灰は横浜で10センチメートル、江戸では5センチメートルの厚さになったと推定されている。
宝永噴火の火山灰が到達した地域と火山灰の厚さ
火山灰は10日以上も降りつづき、昼間でもうす暗くなった。当時、江戸にいた儒学者で政治家の新井白石は、こう書き記している。
家を出るとき、雪が降っているように見えるので、よく見ると、白い灰が降っているのである。西南のほうを見ると、黒雲がわき起こり、雷の光がしきりにした。西ノ丸にたどりつくと、白い灰が地をおおい、草木もまたみな白くなった。(中略)やがて御前に参上すると、空がはなはだしく暗いので、あかりをつけて進講をした。
「折りたく柴の記」桑原武夫現代語訳、日本の名著15『新井白石』中央公論社
いったん空中に浮かんだ火山灰は、なかなか落ちてこない。新井白石は、火山灰は3週間も舞いあがった、と書き残している。地面に落ちても、ふたたび風に乗って舞いあがってしまうからだ。火山灰とはガラスのかけらである火山灰は、タバコや炭が燃えて残る灰とはまったく異なる。火山灰の実体は、軽石や岩石が細かく砕かれたものである。軽石とは、液体のマグマが引きちぎられて冷えて固まったものだ。熱いマグマが泡だつときに軽石ができる。マグマに溶けていた水が水蒸気となるからだ。この泡が、軽石の中では小さな穴となって残っている。これを気泡という。気泡をもつ軽石がさらに細かく砕かれたものが火山灰なのである。火山灰が「灰」と呼ばれるのは、細かくてフワフワしていて、風に舞うほどだからなのだ。軽石が細かくなって火山灰が生産される。大規模な噴火では軽石に含まれる泡の壁ができて、バブル・ウォール型火山ガラスと呼ばれる火山灰ができる 基本的には、火山灰はマグマから軽石を経由して大量に生産される。このようにしてできる火山灰の正体は、ガラスの破片である。「ガラス」というと普通は、窓ガラスやガラスのコップを思い浮かべるだろう。実はガラスとは、物質がきちんとした結晶構造をもたない状態のことをいう。ガラスは結晶に比べるとずっと脆く、細かく割れると鋭い破片になるのである。マグマが急に冷やされて固まると、ガラスの状態になる。もしマグマが非常にゆっくりと冷えると、ガラスではなく結晶ばかりの塊になる。マグマが急冷したときだけ、ガラスになるのだ。つまり、噴火の際に火山灰が噴出するということは、次のことを意味する。マグマが引きちぎられて空中へ放り出されたあと急速に冷えてガラスの破片になることそのため火山灰には、鋭い破面をもったガラスが含まれるのである。これらが肺の中に吸入されると、先に述べた珪肺という症状を起こすのである。さて、これで火山灰が「燃えかす」ではないことが理解していただけただろう。岩石の細かいかけらである火山灰は、水に溶けることもなく、いつまでも消えることがない。乾燥すれば何週間も舞いあがり、雨が降るとまるでセメントのように固まってしまう。城の壁に使われている漆喰のように硬化するのである。火山噴出物の分類そもそも火山の噴出物は、大きさによって分類されている。火山学における定義では、噴火の際に火山から放出される物質の中で、直径が2ミリメートル以下のものを火山灰という。最大でざらざらした砂粒のようなものから、最小では小麦粉よりも細かい粒子までがある。いちばん小さな「火山灰」から始まって、「火山礫」、「火山岩塊」という3つがある。火山灰より大きくて握りこぶし大くらい(直径64ミリメートル)までを火山礫、それより大きなものを火山岩塊という。火山岩塊には数メートルの巨大な岩石までが含まれる。富士山の礫 photo by gettyimages また、火山からもくもくと立ち昇る噴煙には、白いものと黒っぽいものがある。白いものは水蒸気が凝結した非常に細かい水滴であるが、黒っぽい噴煙には火山灰が混じっている。これは誰にでも簡単にわかるので、鹿児島県の桜島などに出かけたときはぜひ見ていただきたい。空高く巻き上げられた火山灰は、風に運ばれて非常に遠くまで飛んでいく。この途中で、火山灰のサイズと密度に応じてふるい分けられながら、地上に達する。グラニュー糖のような粗い火山灰は近くに落ち、小麦粉のような細かい火山灰は遠くまで運ばれるのである。そして降り積もる火山灰によって、人々の健康や生活、また政治や経済にまで大きな被害をもたらすのである。防災に欠かせないハザードマップ火山灰などの噴火災害から身を守るためには、どこが危険なのかを示した地図が必要である。それがハザードマップ(火山災害予測図または火山災害危険区域予測図、英語ではvolcanic hazard map)である。噴火が発生したらどの地域にいかなる危険が及ぶのかを示したもので、火山防災で最も重要な役割を占めるといってもよい。ハザードマップにはさまざまな目的がある。住民に対して噴火現象そのものについて理解してもらうこと、住民や観光客が安全に避難できるルートを示すこと、避難のための施設を整備すること、火山活動のないときにどのような土地利用をすればよいかを示すこと、などである。一般に、火山は繰り返し噴火を起こすので、類似した現象が見られることが多い。噴火のもたらす災害にも共通点があるため、現在までの噴火履歴をくわしく知り、将来に備えることが重要である。そこで、過去数百~数千年間の噴火の様子から、噴火地点、噴火の推移、様式や規模の変化などを推測し、地図にしたものがハザードマップなのである。ハザードマップは1970年代から、活火山をもつ世界各国で作成が始まった。日本でも活火山の山麓にある防災意識の高い自治体で作られはじめた。その後、1992年に当時の国土庁が「火山噴火災害危険区域予測図作成指針」を公表し、全国的にハザードマップが作成されるようになった。しかし、海底火山と北方領土を除いても、日本にある111個の活火山のうち、まだ4割程度の40あまりの火山でしか完成していないのが現状である。これに対し、富士山には2000年に入ってもハザードマップがなかったが、同年10月に噴火の予兆である可能性がある低周波地震が発生して、急遽作られることになり、4年後の2004年春に、ようやく富士山全域のハザードマップ(全体のハザードマップ)が公表された。後ればせながら、火山防災の基礎地図ができあがったのである。富士山全体のハザードマップ 火砕流、噴石、溶岩、泥流などの到達範囲が示されている 降灰被害が読み取れる「ドリルマップ」火山灰が大量に積もると、地層として残る。降り積もった火山灰は過去の噴火の証拠となる。富士山では宝永噴火や平安時代の貞観噴火の証拠にもとづき、今後の予測がなされている。では実際に、富士山のハザードマップではどのように描かれているかを見てみよう。火山灰の積もり方については、まず季節ごとの降灰分布を示す地図が作成される。基本的に日本の上空には偏西風が吹いているので、火山灰は東の方角へ飛んでいく。しかし、季節によって風の向きは多少異なる。たとえば、冬のあいだは強い西風が吹いているので、火山灰は東へ集中的に飛ばされるが、夏のあいだは風向きが変化しやすいので、火山灰は全方向に散る傾向がある。このため富士山の西の方にも、若干の火山灰が降ることが予想されている。こうした降灰の変化をすべての月ごとに示した地図を降灰の「ドリルマップ」という。次に、月別に描かれた降灰の「ドリルマップ」をすべて重ね合わせた地図を作成する。これを降灰の「可能性マップ」という。降灰の可能性マップ。月別に描かれた降灰のドリルマップをすべて重ね合わせたもの1枚で12ヵ月分を一度に見渡せるように重ねた図というわけだ。火山灰の積もる厚さから被害が読み取れる便利な図ともいえよう。宝永噴火の火山灰が見つかった近年、宝永噴火の際に江戸に降り積もった火山灰が見つかった。江戸時代に、現在の東京都千代田区で採取された火山灰が、奈良県大和郡山市の豊田家の所蔵品から発見されたのだ。灰色の粉末が約10グラム入った紙包みが2つあり、中の粉末を分析すると、宝永噴火で飛んできた火山灰であることがわかった。300年も前の試料が残されていたのは、日本の火山研究史上でもたいへん珍しいことである。ここでは興味深い点が2つある。まず、火山灰の堆積した場所がきちんとわかっていることだ。江戸時代の古地図で調べてみると、屋敷の中のどこで採取したか、その正確な場所まで判明したのである。具体的には、宝永火口から94キロメートル東北東にあたることがわかった。もう一つは、採取した時刻がわかっていることだ。1707年12月16日の昼過ぎに取られたことが包み紙に書かれているのだが、これは宝永噴火の初日にあたる。つまり、噴火初期の貴重な火山灰というわけである。化学分析してみると、たしかに富士山の東麓にある太郎坊に堆積する、宝永噴火の最初に積もった軽石と化学組成が一致した。このときには富士山からの鳴動が聞こえたことも記述されていた。いかに火山学が進んでも、近年ならいざしらず、300年も昔の噴火に関するこのように精度の高い情報はなかなか得られるものではない。几帳面な武士が紙に包んできちんと保存してくれたおかげである。火山の噴出物は、厚さにして20センチメートルほどになり、かつ表層がカバーされたものなら、地層として半永久的に残る。たとえば太郎坊(静岡県御殿場市にある富士山御殿場口5号目付近の地名)のような火山の麓では、もともと噴出物が厚く、さらにその上を次々と噴出物が覆っているために残りやすい。しかし江戸に降った火山灰は、厚さが5センチメートル程度のものだったので風に吹かれ、地層としては残ることができなかった。人為的に採取されたものだけを、われわれは調査できるのである。富士山の南東斜面に開く宝永火口 photo by gettyimages 降灰のシミュレーションここで、大規模な噴火が富士山で起きた場合にどのように火山灰が広がるのか、時間経過に沿ってシミュレーションを見てみよう。かりに1707年の宝永噴火と同規模の噴火が15日続いたと想定すると、富士山東部の静岡県御殿場市では1時間に1~2センチメートルの火山灰が降り続き、最終的に120センチメートルに達する。また、富士山の山頂から80キロ離れた神奈川県横浜市では1時間に1~2ミリメートルの火山灰が断続的に降り、最後には10センチメートルの厚さになる。これは江戸時代の記録とほぼ等しい数字である。さらに、90キロメートル離れた東京都新宿区では噴火開始の13日目から1時間に1ミリメートル降り、最終的に1.3センチメートル降り積もる。これにより、富士山の周辺では建物の倒壊などの被害が出るほか、噴火から10日過ぎには富士山から100キロメートル以上離れた首都圏の全域で、道路・鉄道・空港・通信・金融などあらゆる方面で影響が出る恐れがある。富士山の火山灰被害の対策は、桜島で噴出する火山灰が参考にされる場合があるが、実は両者には規模の点で大きな開きがある。宝永噴火をはじめとする富士山の大規模噴火では、最近50年間に桜島が毎年放出してきた火山灰の200年分を超える量が、たった半月で出たのである。しかも、江戸時代とはまったく異なるハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素が非常に多い。こうした点の災害シミュレーションも今後は必要になるだろう。ハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素も大きい photo by gettyimages 日本の防衛にも重大な影響が生じる!?火山灰の被害は直接的なものにとどまらず、間接的にも重大な災いをもたらす。1991年6月に起きたフィリピンのピナトゥボ火山の大噴火は、国際情勢にも大きな影響を与えた。火山灰が大量に降ったため、風下にあった米軍のクラーク空軍基地が使えなくなったのである。1991年のピナトゥボ噴火による火山灰で埋まった米空軍のクラーク基地 photo by gettyimagesその後の米軍はフィリピン全土から撤退を余儀なくされた。いわば火山の噴火が極東の軍事地図を描き換えてしまったのである。富士山が噴火すれば、神奈川県厚木市にある厚木米海軍飛行場と海上自衛隊厚木航空基地に関連する在日米軍の戦略が、大きく変わる可能性もある。2004年に内閣府から発表された富士山噴火の災害予測では、大量の火山灰が首都圏を中心として関東一円に大きな影響を与えることが明らかにされた。しかも、江戸時代と異なり高度の科学技術に依存している都市機能に、はたしてどの程度の被害が出るのか、不明な点は多い。富士山から降ってくる火山灰への対策は、直下型地震などとともに日本の危機管理項目の一つと言っても過言ではない。さらに連載記事<「溶岩流」果たしてどこまで到達するのか…「富士山が噴火した」ときの「衝撃的な被害規模」>では、富士山噴火の際の溶岩流について詳しく解説します。富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ
いったん空中に浮かんだ火山灰は、なかなか落ちてこない。新井白石は、火山灰は3週間も舞いあがった、と書き残している。地面に落ちても、ふたたび風に乗って舞いあがってしまうからだ。
火山灰は、タバコや炭が燃えて残る灰とはまったく異なる。火山灰の実体は、軽石や岩石が細かく砕かれたものである。
軽石とは、液体のマグマが引きちぎられて冷えて固まったものだ。熱いマグマが泡だつときに軽石ができる。マグマに溶けていた水が水蒸気となるからだ。
この泡が、軽石の中では小さな穴となって残っている。これを気泡という。気泡をもつ軽石がさらに細かく砕かれたものが火山灰なのである。火山灰が「灰」と呼ばれるのは、細かくてフワフワしていて、風に舞うほどだからなのだ。
軽石が細かくなって火山灰が生産される。大規模な噴火では軽石に含まれる泡の壁ができて、バブル・ウォール型火山ガラスと呼ばれる火山灰ができる
基本的には、火山灰はマグマから軽石を経由して大量に生産される。このようにしてできる火山灰の正体は、ガラスの破片である。「ガラス」というと普通は、窓ガラスやガラスのコップを思い浮かべるだろう。実はガラスとは、物質がきちんとした結晶構造をもたない状態のことをいう。ガラスは結晶に比べるとずっと脆く、細かく割れると鋭い破片になるのである。マグマが急に冷やされて固まると、ガラスの状態になる。もしマグマが非常にゆっくりと冷えると、ガラスではなく結晶ばかりの塊になる。マグマが急冷したときだけ、ガラスになるのだ。つまり、噴火の際に火山灰が噴出するということは、次のことを意味する。マグマが引きちぎられて空中へ放り出されたあと急速に冷えてガラスの破片になることそのため火山灰には、鋭い破面をもったガラスが含まれるのである。これらが肺の中に吸入されると、先に述べた珪肺という症状を起こすのである。さて、これで火山灰が「燃えかす」ではないことが理解していただけただろう。岩石の細かいかけらである火山灰は、水に溶けることもなく、いつまでも消えることがない。乾燥すれば何週間も舞いあがり、雨が降るとまるでセメントのように固まってしまう。城の壁に使われている漆喰のように硬化するのである。火山噴出物の分類そもそも火山の噴出物は、大きさによって分類されている。火山学における定義では、噴火の際に火山から放出される物質の中で、直径が2ミリメートル以下のものを火山灰という。最大でざらざらした砂粒のようなものから、最小では小麦粉よりも細かい粒子までがある。いちばん小さな「火山灰」から始まって、「火山礫」、「火山岩塊」という3つがある。火山灰より大きくて握りこぶし大くらい(直径64ミリメートル)までを火山礫、それより大きなものを火山岩塊という。火山岩塊には数メートルの巨大な岩石までが含まれる。富士山の礫 photo by gettyimages また、火山からもくもくと立ち昇る噴煙には、白いものと黒っぽいものがある。白いものは水蒸気が凝結した非常に細かい水滴であるが、黒っぽい噴煙には火山灰が混じっている。これは誰にでも簡単にわかるので、鹿児島県の桜島などに出かけたときはぜひ見ていただきたい。空高く巻き上げられた火山灰は、風に運ばれて非常に遠くまで飛んでいく。この途中で、火山灰のサイズと密度に応じてふるい分けられながら、地上に達する。グラニュー糖のような粗い火山灰は近くに落ち、小麦粉のような細かい火山灰は遠くまで運ばれるのである。そして降り積もる火山灰によって、人々の健康や生活、また政治や経済にまで大きな被害をもたらすのである。防災に欠かせないハザードマップ火山灰などの噴火災害から身を守るためには、どこが危険なのかを示した地図が必要である。それがハザードマップ(火山災害予測図または火山災害危険区域予測図、英語ではvolcanic hazard map)である。噴火が発生したらどの地域にいかなる危険が及ぶのかを示したもので、火山防災で最も重要な役割を占めるといってもよい。ハザードマップにはさまざまな目的がある。住民に対して噴火現象そのものについて理解してもらうこと、住民や観光客が安全に避難できるルートを示すこと、避難のための施設を整備すること、火山活動のないときにどのような土地利用をすればよいかを示すこと、などである。一般に、火山は繰り返し噴火を起こすので、類似した現象が見られることが多い。噴火のもたらす災害にも共通点があるため、現在までの噴火履歴をくわしく知り、将来に備えることが重要である。そこで、過去数百~数千年間の噴火の様子から、噴火地点、噴火の推移、様式や規模の変化などを推測し、地図にしたものがハザードマップなのである。ハザードマップは1970年代から、活火山をもつ世界各国で作成が始まった。日本でも活火山の山麓にある防災意識の高い自治体で作られはじめた。その後、1992年に当時の国土庁が「火山噴火災害危険区域予測図作成指針」を公表し、全国的にハザードマップが作成されるようになった。しかし、海底火山と北方領土を除いても、日本にある111個の活火山のうち、まだ4割程度の40あまりの火山でしか完成していないのが現状である。これに対し、富士山には2000年に入ってもハザードマップがなかったが、同年10月に噴火の予兆である可能性がある低周波地震が発生して、急遽作られることになり、4年後の2004年春に、ようやく富士山全域のハザードマップ(全体のハザードマップ)が公表された。後ればせながら、火山防災の基礎地図ができあがったのである。富士山全体のハザードマップ 火砕流、噴石、溶岩、泥流などの到達範囲が示されている 降灰被害が読み取れる「ドリルマップ」火山灰が大量に積もると、地層として残る。降り積もった火山灰は過去の噴火の証拠となる。富士山では宝永噴火や平安時代の貞観噴火の証拠にもとづき、今後の予測がなされている。では実際に、富士山のハザードマップではどのように描かれているかを見てみよう。火山灰の積もり方については、まず季節ごとの降灰分布を示す地図が作成される。基本的に日本の上空には偏西風が吹いているので、火山灰は東の方角へ飛んでいく。しかし、季節によって風の向きは多少異なる。たとえば、冬のあいだは強い西風が吹いているので、火山灰は東へ集中的に飛ばされるが、夏のあいだは風向きが変化しやすいので、火山灰は全方向に散る傾向がある。このため富士山の西の方にも、若干の火山灰が降ることが予想されている。こうした降灰の変化をすべての月ごとに示した地図を降灰の「ドリルマップ」という。次に、月別に描かれた降灰の「ドリルマップ」をすべて重ね合わせた地図を作成する。これを降灰の「可能性マップ」という。降灰の可能性マップ。月別に描かれた降灰のドリルマップをすべて重ね合わせたもの1枚で12ヵ月分を一度に見渡せるように重ねた図というわけだ。火山灰の積もる厚さから被害が読み取れる便利な図ともいえよう。宝永噴火の火山灰が見つかった近年、宝永噴火の際に江戸に降り積もった火山灰が見つかった。江戸時代に、現在の東京都千代田区で採取された火山灰が、奈良県大和郡山市の豊田家の所蔵品から発見されたのだ。灰色の粉末が約10グラム入った紙包みが2つあり、中の粉末を分析すると、宝永噴火で飛んできた火山灰であることがわかった。300年も前の試料が残されていたのは、日本の火山研究史上でもたいへん珍しいことである。ここでは興味深い点が2つある。まず、火山灰の堆積した場所がきちんとわかっていることだ。江戸時代の古地図で調べてみると、屋敷の中のどこで採取したか、その正確な場所まで判明したのである。具体的には、宝永火口から94キロメートル東北東にあたることがわかった。もう一つは、採取した時刻がわかっていることだ。1707年12月16日の昼過ぎに取られたことが包み紙に書かれているのだが、これは宝永噴火の初日にあたる。つまり、噴火初期の貴重な火山灰というわけである。化学分析してみると、たしかに富士山の東麓にある太郎坊に堆積する、宝永噴火の最初に積もった軽石と化学組成が一致した。このときには富士山からの鳴動が聞こえたことも記述されていた。いかに火山学が進んでも、近年ならいざしらず、300年も昔の噴火に関するこのように精度の高い情報はなかなか得られるものではない。几帳面な武士が紙に包んできちんと保存してくれたおかげである。火山の噴出物は、厚さにして20センチメートルほどになり、かつ表層がカバーされたものなら、地層として半永久的に残る。たとえば太郎坊(静岡県御殿場市にある富士山御殿場口5号目付近の地名)のような火山の麓では、もともと噴出物が厚く、さらにその上を次々と噴出物が覆っているために残りやすい。しかし江戸に降った火山灰は、厚さが5センチメートル程度のものだったので風に吹かれ、地層としては残ることができなかった。人為的に採取されたものだけを、われわれは調査できるのである。富士山の南東斜面に開く宝永火口 photo by gettyimages 降灰のシミュレーションここで、大規模な噴火が富士山で起きた場合にどのように火山灰が広がるのか、時間経過に沿ってシミュレーションを見てみよう。かりに1707年の宝永噴火と同規模の噴火が15日続いたと想定すると、富士山東部の静岡県御殿場市では1時間に1~2センチメートルの火山灰が降り続き、最終的に120センチメートルに達する。また、富士山の山頂から80キロ離れた神奈川県横浜市では1時間に1~2ミリメートルの火山灰が断続的に降り、最後には10センチメートルの厚さになる。これは江戸時代の記録とほぼ等しい数字である。さらに、90キロメートル離れた東京都新宿区では噴火開始の13日目から1時間に1ミリメートル降り、最終的に1.3センチメートル降り積もる。これにより、富士山の周辺では建物の倒壊などの被害が出るほか、噴火から10日過ぎには富士山から100キロメートル以上離れた首都圏の全域で、道路・鉄道・空港・通信・金融などあらゆる方面で影響が出る恐れがある。富士山の火山灰被害の対策は、桜島で噴出する火山灰が参考にされる場合があるが、実は両者には規模の点で大きな開きがある。宝永噴火をはじめとする富士山の大規模噴火では、最近50年間に桜島が毎年放出してきた火山灰の200年分を超える量が、たった半月で出たのである。しかも、江戸時代とはまったく異なるハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素が非常に多い。こうした点の災害シミュレーションも今後は必要になるだろう。ハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素も大きい photo by gettyimages 日本の防衛にも重大な影響が生じる!?火山灰の被害は直接的なものにとどまらず、間接的にも重大な災いをもたらす。1991年6月に起きたフィリピンのピナトゥボ火山の大噴火は、国際情勢にも大きな影響を与えた。火山灰が大量に降ったため、風下にあった米軍のクラーク空軍基地が使えなくなったのである。1991年のピナトゥボ噴火による火山灰で埋まった米空軍のクラーク基地 photo by gettyimagesその後の米軍はフィリピン全土から撤退を余儀なくされた。いわば火山の噴火が極東の軍事地図を描き換えてしまったのである。富士山が噴火すれば、神奈川県厚木市にある厚木米海軍飛行場と海上自衛隊厚木航空基地に関連する在日米軍の戦略が、大きく変わる可能性もある。2004年に内閣府から発表された富士山噴火の災害予測では、大量の火山灰が首都圏を中心として関東一円に大きな影響を与えることが明らかにされた。しかも、江戸時代と異なり高度の科学技術に依存している都市機能に、はたしてどの程度の被害が出るのか、不明な点は多い。富士山から降ってくる火山灰への対策は、直下型地震などとともに日本の危機管理項目の一つと言っても過言ではない。さらに連載記事<「溶岩流」果たしてどこまで到達するのか…「富士山が噴火した」ときの「衝撃的な被害規模」>では、富士山噴火の際の溶岩流について詳しく解説します。富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ
基本的には、火山灰はマグマから軽石を経由して大量に生産される。このようにしてできる火山灰の正体は、ガラスの破片である。
「ガラス」というと普通は、窓ガラスやガラスのコップを思い浮かべるだろう。実はガラスとは、物質がきちんとした結晶構造をもたない状態のことをいう。ガラスは結晶に比べるとずっと脆く、細かく割れると鋭い破片になるのである。
マグマが急に冷やされて固まると、ガラスの状態になる。もしマグマが非常にゆっくりと冷えると、ガラスではなく結晶ばかりの塊になる。マグマが急冷したときだけ、ガラスになるのだ。
つまり、噴火の際に火山灰が噴出するということは、次のことを意味する。
そのため火山灰には、鋭い破面をもったガラスが含まれるのである。これらが肺の中に吸入されると、先に述べた珪肺という症状を起こすのである。
さて、これで火山灰が「燃えかす」ではないことが理解していただけただろう。
岩石の細かいかけらである火山灰は、水に溶けることもなく、いつまでも消えることがない。乾燥すれば何週間も舞いあがり、雨が降るとまるでセメントのように固まってしまう。城の壁に使われている漆喰のように硬化するのである。
そもそも火山の噴出物は、大きさによって分類されている。火山学における定義では、噴火の際に火山から放出される物質の中で、直径が2ミリメートル以下のものを火山灰という。最大でざらざらした砂粒のようなものから、最小では小麦粉よりも細かい粒子までがある。いちばん小さな「火山灰」から始まって、「火山礫」、「火山岩塊」という3つがある。
火山灰より大きくて握りこぶし大くらい(直径64ミリメートル)までを火山礫、それより大きなものを火山岩塊という。火山岩塊には数メートルの巨大な岩石までが含まれる。
富士山の礫 photo by gettyimages
また、火山からもくもくと立ち昇る噴煙には、白いものと黒っぽいものがある。白いものは水蒸気が凝結した非常に細かい水滴であるが、黒っぽい噴煙には火山灰が混じっている。これは誰にでも簡単にわかるので、鹿児島県の桜島などに出かけたときはぜひ見ていただきたい。空高く巻き上げられた火山灰は、風に運ばれて非常に遠くまで飛んでいく。この途中で、火山灰のサイズと密度に応じてふるい分けられながら、地上に達する。グラニュー糖のような粗い火山灰は近くに落ち、小麦粉のような細かい火山灰は遠くまで運ばれるのである。そして降り積もる火山灰によって、人々の健康や生活、また政治や経済にまで大きな被害をもたらすのである。防災に欠かせないハザードマップ火山灰などの噴火災害から身を守るためには、どこが危険なのかを示した地図が必要である。それがハザードマップ(火山災害予測図または火山災害危険区域予測図、英語ではvolcanic hazard map)である。噴火が発生したらどの地域にいかなる危険が及ぶのかを示したもので、火山防災で最も重要な役割を占めるといってもよい。ハザードマップにはさまざまな目的がある。住民に対して噴火現象そのものについて理解してもらうこと、住民や観光客が安全に避難できるルートを示すこと、避難のための施設を整備すること、火山活動のないときにどのような土地利用をすればよいかを示すこと、などである。一般に、火山は繰り返し噴火を起こすので、類似した現象が見られることが多い。噴火のもたらす災害にも共通点があるため、現在までの噴火履歴をくわしく知り、将来に備えることが重要である。そこで、過去数百~数千年間の噴火の様子から、噴火地点、噴火の推移、様式や規模の変化などを推測し、地図にしたものがハザードマップなのである。ハザードマップは1970年代から、活火山をもつ世界各国で作成が始まった。日本でも活火山の山麓にある防災意識の高い自治体で作られはじめた。その後、1992年に当時の国土庁が「火山噴火災害危険区域予測図作成指針」を公表し、全国的にハザードマップが作成されるようになった。しかし、海底火山と北方領土を除いても、日本にある111個の活火山のうち、まだ4割程度の40あまりの火山でしか完成していないのが現状である。これに対し、富士山には2000年に入ってもハザードマップがなかったが、同年10月に噴火の予兆である可能性がある低周波地震が発生して、急遽作られることになり、4年後の2004年春に、ようやく富士山全域のハザードマップ(全体のハザードマップ)が公表された。後ればせながら、火山防災の基礎地図ができあがったのである。富士山全体のハザードマップ 火砕流、噴石、溶岩、泥流などの到達範囲が示されている 降灰被害が読み取れる「ドリルマップ」火山灰が大量に積もると、地層として残る。降り積もった火山灰は過去の噴火の証拠となる。富士山では宝永噴火や平安時代の貞観噴火の証拠にもとづき、今後の予測がなされている。では実際に、富士山のハザードマップではどのように描かれているかを見てみよう。火山灰の積もり方については、まず季節ごとの降灰分布を示す地図が作成される。基本的に日本の上空には偏西風が吹いているので、火山灰は東の方角へ飛んでいく。しかし、季節によって風の向きは多少異なる。たとえば、冬のあいだは強い西風が吹いているので、火山灰は東へ集中的に飛ばされるが、夏のあいだは風向きが変化しやすいので、火山灰は全方向に散る傾向がある。このため富士山の西の方にも、若干の火山灰が降ることが予想されている。こうした降灰の変化をすべての月ごとに示した地図を降灰の「ドリルマップ」という。次に、月別に描かれた降灰の「ドリルマップ」をすべて重ね合わせた地図を作成する。これを降灰の「可能性マップ」という。降灰の可能性マップ。月別に描かれた降灰のドリルマップをすべて重ね合わせたもの1枚で12ヵ月分を一度に見渡せるように重ねた図というわけだ。火山灰の積もる厚さから被害が読み取れる便利な図ともいえよう。宝永噴火の火山灰が見つかった近年、宝永噴火の際に江戸に降り積もった火山灰が見つかった。江戸時代に、現在の東京都千代田区で採取された火山灰が、奈良県大和郡山市の豊田家の所蔵品から発見されたのだ。灰色の粉末が約10グラム入った紙包みが2つあり、中の粉末を分析すると、宝永噴火で飛んできた火山灰であることがわかった。300年も前の試料が残されていたのは、日本の火山研究史上でもたいへん珍しいことである。ここでは興味深い点が2つある。まず、火山灰の堆積した場所がきちんとわかっていることだ。江戸時代の古地図で調べてみると、屋敷の中のどこで採取したか、その正確な場所まで判明したのである。具体的には、宝永火口から94キロメートル東北東にあたることがわかった。もう一つは、採取した時刻がわかっていることだ。1707年12月16日の昼過ぎに取られたことが包み紙に書かれているのだが、これは宝永噴火の初日にあたる。つまり、噴火初期の貴重な火山灰というわけである。化学分析してみると、たしかに富士山の東麓にある太郎坊に堆積する、宝永噴火の最初に積もった軽石と化学組成が一致した。このときには富士山からの鳴動が聞こえたことも記述されていた。いかに火山学が進んでも、近年ならいざしらず、300年も昔の噴火に関するこのように精度の高い情報はなかなか得られるものではない。几帳面な武士が紙に包んできちんと保存してくれたおかげである。火山の噴出物は、厚さにして20センチメートルほどになり、かつ表層がカバーされたものなら、地層として半永久的に残る。たとえば太郎坊(静岡県御殿場市にある富士山御殿場口5号目付近の地名)のような火山の麓では、もともと噴出物が厚く、さらにその上を次々と噴出物が覆っているために残りやすい。しかし江戸に降った火山灰は、厚さが5センチメートル程度のものだったので風に吹かれ、地層としては残ることができなかった。人為的に採取されたものだけを、われわれは調査できるのである。富士山の南東斜面に開く宝永火口 photo by gettyimages 降灰のシミュレーションここで、大規模な噴火が富士山で起きた場合にどのように火山灰が広がるのか、時間経過に沿ってシミュレーションを見てみよう。かりに1707年の宝永噴火と同規模の噴火が15日続いたと想定すると、富士山東部の静岡県御殿場市では1時間に1~2センチメートルの火山灰が降り続き、最終的に120センチメートルに達する。また、富士山の山頂から80キロ離れた神奈川県横浜市では1時間に1~2ミリメートルの火山灰が断続的に降り、最後には10センチメートルの厚さになる。これは江戸時代の記録とほぼ等しい数字である。さらに、90キロメートル離れた東京都新宿区では噴火開始の13日目から1時間に1ミリメートル降り、最終的に1.3センチメートル降り積もる。これにより、富士山の周辺では建物の倒壊などの被害が出るほか、噴火から10日過ぎには富士山から100キロメートル以上離れた首都圏の全域で、道路・鉄道・空港・通信・金融などあらゆる方面で影響が出る恐れがある。富士山の火山灰被害の対策は、桜島で噴出する火山灰が参考にされる場合があるが、実は両者には規模の点で大きな開きがある。宝永噴火をはじめとする富士山の大規模噴火では、最近50年間に桜島が毎年放出してきた火山灰の200年分を超える量が、たった半月で出たのである。しかも、江戸時代とはまったく異なるハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素が非常に多い。こうした点の災害シミュレーションも今後は必要になるだろう。ハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素も大きい photo by gettyimages 日本の防衛にも重大な影響が生じる!?火山灰の被害は直接的なものにとどまらず、間接的にも重大な災いをもたらす。1991年6月に起きたフィリピンのピナトゥボ火山の大噴火は、国際情勢にも大きな影響を与えた。火山灰が大量に降ったため、風下にあった米軍のクラーク空軍基地が使えなくなったのである。1991年のピナトゥボ噴火による火山灰で埋まった米空軍のクラーク基地 photo by gettyimagesその後の米軍はフィリピン全土から撤退を余儀なくされた。いわば火山の噴火が極東の軍事地図を描き換えてしまったのである。富士山が噴火すれば、神奈川県厚木市にある厚木米海軍飛行場と海上自衛隊厚木航空基地に関連する在日米軍の戦略が、大きく変わる可能性もある。2004年に内閣府から発表された富士山噴火の災害予測では、大量の火山灰が首都圏を中心として関東一円に大きな影響を与えることが明らかにされた。しかも、江戸時代と異なり高度の科学技術に依存している都市機能に、はたしてどの程度の被害が出るのか、不明な点は多い。富士山から降ってくる火山灰への対策は、直下型地震などとともに日本の危機管理項目の一つと言っても過言ではない。さらに連載記事<「溶岩流」果たしてどこまで到達するのか…「富士山が噴火した」ときの「衝撃的な被害規模」>では、富士山噴火の際の溶岩流について詳しく解説します。富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ
また、火山からもくもくと立ち昇る噴煙には、白いものと黒っぽいものがある。白いものは水蒸気が凝結した非常に細かい水滴であるが、黒っぽい噴煙には火山灰が混じっている。これは誰にでも簡単にわかるので、鹿児島県の桜島などに出かけたときはぜひ見ていただきたい。
空高く巻き上げられた火山灰は、風に運ばれて非常に遠くまで飛んでいく。この途中で、火山灰のサイズと密度に応じてふるい分けられながら、地上に達する。グラニュー糖のような粗い火山灰は近くに落ち、小麦粉のような細かい火山灰は遠くまで運ばれるのである。
そして降り積もる火山灰によって、人々の健康や生活、また政治や経済にまで大きな被害をもたらすのである。
火山灰などの噴火災害から身を守るためには、どこが危険なのかを示した地図が必要である。それがハザードマップ(火山災害予測図または火山災害危険区域予測図、英語ではvolcanic hazard map)である。噴火が発生したらどの地域にいかなる危険が及ぶのかを示したもので、火山防災で最も重要な役割を占めるといってもよい。
ハザードマップにはさまざまな目的がある。住民に対して噴火現象そのものについて理解してもらうこと、住民や観光客が安全に避難できるルートを示すこと、避難のための施設を整備すること、火山活動のないときにどのような土地利用をすればよいかを示すこと、などである。
一般に、火山は繰り返し噴火を起こすので、類似した現象が見られることが多い。噴火のもたらす災害にも共通点があるため、現在までの噴火履歴をくわしく知り、将来に備えることが重要である。そこで、過去数百~数千年間の噴火の様子から、噴火地点、噴火の推移、様式や規模の変化などを推測し、地図にしたものがハザードマップなのである。
ハザードマップは1970年代から、活火山をもつ世界各国で作成が始まった。日本でも活火山の山麓にある防災意識の高い自治体で作られはじめた。その後、1992年に当時の国土庁が「火山噴火災害危険区域予測図作成指針」を公表し、全国的にハザードマップが作成されるようになった。しかし、海底火山と北方領土を除いても、日本にある111個の活火山のうち、まだ4割程度の40あまりの火山でしか完成していないのが現状である。
これに対し、富士山には2000年に入ってもハザードマップがなかったが、同年10月に噴火の予兆である可能性がある低周波地震が発生して、急遽作られることになり、4年後の2004年春に、ようやく富士山全域のハザードマップ(全体のハザードマップ)が公表された。後ればせながら、火山防災の基礎地図ができあがったのである。
富士山全体のハザードマップ 火砕流、噴石、溶岩、泥流などの到達範囲が示されている
降灰被害が読み取れる「ドリルマップ」火山灰が大量に積もると、地層として残る。降り積もった火山灰は過去の噴火の証拠となる。富士山では宝永噴火や平安時代の貞観噴火の証拠にもとづき、今後の予測がなされている。では実際に、富士山のハザードマップではどのように描かれているかを見てみよう。火山灰の積もり方については、まず季節ごとの降灰分布を示す地図が作成される。基本的に日本の上空には偏西風が吹いているので、火山灰は東の方角へ飛んでいく。しかし、季節によって風の向きは多少異なる。たとえば、冬のあいだは強い西風が吹いているので、火山灰は東へ集中的に飛ばされるが、夏のあいだは風向きが変化しやすいので、火山灰は全方向に散る傾向がある。このため富士山の西の方にも、若干の火山灰が降ることが予想されている。こうした降灰の変化をすべての月ごとに示した地図を降灰の「ドリルマップ」という。次に、月別に描かれた降灰の「ドリルマップ」をすべて重ね合わせた地図を作成する。これを降灰の「可能性マップ」という。降灰の可能性マップ。月別に描かれた降灰のドリルマップをすべて重ね合わせたもの1枚で12ヵ月分を一度に見渡せるように重ねた図というわけだ。火山灰の積もる厚さから被害が読み取れる便利な図ともいえよう。宝永噴火の火山灰が見つかった近年、宝永噴火の際に江戸に降り積もった火山灰が見つかった。江戸時代に、現在の東京都千代田区で採取された火山灰が、奈良県大和郡山市の豊田家の所蔵品から発見されたのだ。灰色の粉末が約10グラム入った紙包みが2つあり、中の粉末を分析すると、宝永噴火で飛んできた火山灰であることがわかった。300年も前の試料が残されていたのは、日本の火山研究史上でもたいへん珍しいことである。ここでは興味深い点が2つある。まず、火山灰の堆積した場所がきちんとわかっていることだ。江戸時代の古地図で調べてみると、屋敷の中のどこで採取したか、その正確な場所まで判明したのである。具体的には、宝永火口から94キロメートル東北東にあたることがわかった。もう一つは、採取した時刻がわかっていることだ。1707年12月16日の昼過ぎに取られたことが包み紙に書かれているのだが、これは宝永噴火の初日にあたる。つまり、噴火初期の貴重な火山灰というわけである。化学分析してみると、たしかに富士山の東麓にある太郎坊に堆積する、宝永噴火の最初に積もった軽石と化学組成が一致した。このときには富士山からの鳴動が聞こえたことも記述されていた。いかに火山学が進んでも、近年ならいざしらず、300年も昔の噴火に関するこのように精度の高い情報はなかなか得られるものではない。几帳面な武士が紙に包んできちんと保存してくれたおかげである。火山の噴出物は、厚さにして20センチメートルほどになり、かつ表層がカバーされたものなら、地層として半永久的に残る。たとえば太郎坊(静岡県御殿場市にある富士山御殿場口5号目付近の地名)のような火山の麓では、もともと噴出物が厚く、さらにその上を次々と噴出物が覆っているために残りやすい。しかし江戸に降った火山灰は、厚さが5センチメートル程度のものだったので風に吹かれ、地層としては残ることができなかった。人為的に採取されたものだけを、われわれは調査できるのである。富士山の南東斜面に開く宝永火口 photo by gettyimages 降灰のシミュレーションここで、大規模な噴火が富士山で起きた場合にどのように火山灰が広がるのか、時間経過に沿ってシミュレーションを見てみよう。かりに1707年の宝永噴火と同規模の噴火が15日続いたと想定すると、富士山東部の静岡県御殿場市では1時間に1~2センチメートルの火山灰が降り続き、最終的に120センチメートルに達する。また、富士山の山頂から80キロ離れた神奈川県横浜市では1時間に1~2ミリメートルの火山灰が断続的に降り、最後には10センチメートルの厚さになる。これは江戸時代の記録とほぼ等しい数字である。さらに、90キロメートル離れた東京都新宿区では噴火開始の13日目から1時間に1ミリメートル降り、最終的に1.3センチメートル降り積もる。これにより、富士山の周辺では建物の倒壊などの被害が出るほか、噴火から10日過ぎには富士山から100キロメートル以上離れた首都圏の全域で、道路・鉄道・空港・通信・金融などあらゆる方面で影響が出る恐れがある。富士山の火山灰被害の対策は、桜島で噴出する火山灰が参考にされる場合があるが、実は両者には規模の点で大きな開きがある。宝永噴火をはじめとする富士山の大規模噴火では、最近50年間に桜島が毎年放出してきた火山灰の200年分を超える量が、たった半月で出たのである。しかも、江戸時代とはまったく異なるハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素が非常に多い。こうした点の災害シミュレーションも今後は必要になるだろう。ハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素も大きい photo by gettyimages 日本の防衛にも重大な影響が生じる!?火山灰の被害は直接的なものにとどまらず、間接的にも重大な災いをもたらす。1991年6月に起きたフィリピンのピナトゥボ火山の大噴火は、国際情勢にも大きな影響を与えた。火山灰が大量に降ったため、風下にあった米軍のクラーク空軍基地が使えなくなったのである。1991年のピナトゥボ噴火による火山灰で埋まった米空軍のクラーク基地 photo by gettyimagesその後の米軍はフィリピン全土から撤退を余儀なくされた。いわば火山の噴火が極東の軍事地図を描き換えてしまったのである。富士山が噴火すれば、神奈川県厚木市にある厚木米海軍飛行場と海上自衛隊厚木航空基地に関連する在日米軍の戦略が、大きく変わる可能性もある。2004年に内閣府から発表された富士山噴火の災害予測では、大量の火山灰が首都圏を中心として関東一円に大きな影響を与えることが明らかにされた。しかも、江戸時代と異なり高度の科学技術に依存している都市機能に、はたしてどの程度の被害が出るのか、不明な点は多い。富士山から降ってくる火山灰への対策は、直下型地震などとともに日本の危機管理項目の一つと言っても過言ではない。さらに連載記事<「溶岩流」果たしてどこまで到達するのか…「富士山が噴火した」ときの「衝撃的な被害規模」>では、富士山噴火の際の溶岩流について詳しく解説します。富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ
火山灰が大量に積もると、地層として残る。降り積もった火山灰は過去の噴火の証拠となる。富士山では宝永噴火や平安時代の貞観噴火の証拠にもとづき、今後の予測がなされている。
では実際に、富士山のハザードマップではどのように描かれているかを見てみよう。火山灰の積もり方については、まず季節ごとの降灰分布を示す地図が作成される。基本的に日本の上空には偏西風が吹いているので、火山灰は東の方角へ飛んでいく。
しかし、季節によって風の向きは多少異なる。たとえば、冬のあいだは強い西風が吹いているので、火山灰は東へ集中的に飛ばされるが、夏のあいだは風向きが変化しやすいので、火山灰は全方向に散る傾向がある。このため富士山の西の方にも、若干の火山灰が降ることが予想されている。
こうした降灰の変化をすべての月ごとに示した地図を降灰の「ドリルマップ」という。
次に、月別に描かれた降灰の「ドリルマップ」をすべて重ね合わせた地図を作成する。これを降灰の「可能性マップ」という。
降灰の可能性マップ。月別に描かれた降灰のドリルマップをすべて重ね合わせたもの
1枚で12ヵ月分を一度に見渡せるように重ねた図というわけだ。火山灰の積もる厚さから被害が読み取れる便利な図ともいえよう。
近年、宝永噴火の際に江戸に降り積もった火山灰が見つかった。江戸時代に、現在の東京都千代田区で採取された火山灰が、奈良県大和郡山市の豊田家の所蔵品から発見されたのだ。
灰色の粉末が約10グラム入った紙包みが2つあり、中の粉末を分析すると、宝永噴火で飛んできた火山灰であることがわかった。
300年も前の試料が残されていたのは、日本の火山研究史上でもたいへん珍しいことである。ここでは興味深い点が2つある。まず、火山灰の堆積した場所がきちんとわかっていることだ。江戸時代の古地図で調べてみると、屋敷の中のどこで採取したか、その正確な場所まで判明したのである。具体的には、宝永火口から94キロメートル東北東にあたることがわかった。
もう一つは、採取した時刻がわかっていることだ。1707年12月16日の昼過ぎに取られたことが包み紙に書かれているのだが、これは宝永噴火の初日にあたる。つまり、噴火初期の貴重な火山灰というわけである。
化学分析してみると、たしかに富士山の東麓にある太郎坊に堆積する、宝永噴火の最初に積もった軽石と化学組成が一致した。このときには富士山からの鳴動が聞こえたことも記述されていた。
いかに火山学が進んでも、近年ならいざしらず、300年も昔の噴火に関するこのように精度の高い情報はなかなか得られるものではない。几帳面な武士が紙に包んできちんと保存してくれたおかげである。
火山の噴出物は、厚さにして20センチメートルほどになり、かつ表層がカバーされたものなら、地層として半永久的に残る。
たとえば太郎坊(静岡県御殿場市にある富士山御殿場口5号目付近の地名)のような火山の麓では、もともと噴出物が厚く、さらにその上を次々と噴出物が覆っているために残りやすい。
しかし江戸に降った火山灰は、厚さが5センチメートル程度のものだったので風に吹かれ、地層としては残ることができなかった。人為的に採取されたものだけを、われわれは調査できるのである。
富士山の南東斜面に開く宝永火口 photo by gettyimages
降灰のシミュレーションここで、大規模な噴火が富士山で起きた場合にどのように火山灰が広がるのか、時間経過に沿ってシミュレーションを見てみよう。かりに1707年の宝永噴火と同規模の噴火が15日続いたと想定すると、富士山東部の静岡県御殿場市では1時間に1~2センチメートルの火山灰が降り続き、最終的に120センチメートルに達する。また、富士山の山頂から80キロ離れた神奈川県横浜市では1時間に1~2ミリメートルの火山灰が断続的に降り、最後には10センチメートルの厚さになる。これは江戸時代の記録とほぼ等しい数字である。さらに、90キロメートル離れた東京都新宿区では噴火開始の13日目から1時間に1ミリメートル降り、最終的に1.3センチメートル降り積もる。これにより、富士山の周辺では建物の倒壊などの被害が出るほか、噴火から10日過ぎには富士山から100キロメートル以上離れた首都圏の全域で、道路・鉄道・空港・通信・金融などあらゆる方面で影響が出る恐れがある。富士山の火山灰被害の対策は、桜島で噴出する火山灰が参考にされる場合があるが、実は両者には規模の点で大きな開きがある。宝永噴火をはじめとする富士山の大規模噴火では、最近50年間に桜島が毎年放出してきた火山灰の200年分を超える量が、たった半月で出たのである。しかも、江戸時代とはまったく異なるハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素が非常に多い。こうした点の災害シミュレーションも今後は必要になるだろう。ハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素も大きい photo by gettyimages 日本の防衛にも重大な影響が生じる!?火山灰の被害は直接的なものにとどまらず、間接的にも重大な災いをもたらす。1991年6月に起きたフィリピンのピナトゥボ火山の大噴火は、国際情勢にも大きな影響を与えた。火山灰が大量に降ったため、風下にあった米軍のクラーク空軍基地が使えなくなったのである。1991年のピナトゥボ噴火による火山灰で埋まった米空軍のクラーク基地 photo by gettyimagesその後の米軍はフィリピン全土から撤退を余儀なくされた。いわば火山の噴火が極東の軍事地図を描き換えてしまったのである。富士山が噴火すれば、神奈川県厚木市にある厚木米海軍飛行場と海上自衛隊厚木航空基地に関連する在日米軍の戦略が、大きく変わる可能性もある。2004年に内閣府から発表された富士山噴火の災害予測では、大量の火山灰が首都圏を中心として関東一円に大きな影響を与えることが明らかにされた。しかも、江戸時代と異なり高度の科学技術に依存している都市機能に、はたしてどの程度の被害が出るのか、不明な点は多い。富士山から降ってくる火山灰への対策は、直下型地震などとともに日本の危機管理項目の一つと言っても過言ではない。さらに連載記事<「溶岩流」果たしてどこまで到達するのか…「富士山が噴火した」ときの「衝撃的な被害規模」>では、富士山噴火の際の溶岩流について詳しく解説します。富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ
ここで、大規模な噴火が富士山で起きた場合にどのように火山灰が広がるのか、時間経過に沿ってシミュレーションを見てみよう。
かりに1707年の宝永噴火と同規模の噴火が15日続いたと想定すると、富士山東部の静岡県御殿場市では1時間に1~2センチメートルの火山灰が降り続き、最終的に120センチメートルに達する。
また、富士山の山頂から80キロ離れた神奈川県横浜市では1時間に1~2ミリメートルの火山灰が断続的に降り、最後には10センチメートルの厚さになる。これは江戸時代の記録とほぼ等しい数字である。
さらに、90キロメートル離れた東京都新宿区では噴火開始の13日目から1時間に1ミリメートル降り、最終的に1.3センチメートル降り積もる。
これにより、富士山の周辺では建物の倒壊などの被害が出るほか、噴火から10日過ぎには富士山から100キロメートル以上離れた首都圏の全域で、道路・鉄道・空港・通信・金融などあらゆる方面で影響が出る恐れがある。
富士山の火山灰被害の対策は、桜島で噴出する火山灰が参考にされる場合があるが、実は両者には規模の点で大きな開きがある。宝永噴火をはじめとする富士山の大規模噴火では、最近50年間に桜島が毎年放出してきた火山灰の200年分を超える量が、たった半月で出たのである。
しかも、江戸時代とはまったく異なるハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素が非常に多い。こうした点の災害シミュレーションも今後は必要になるだろう。
ハイテクの過密都市を襲う状況には、不確定の要素も大きい photo by gettyimages
日本の防衛にも重大な影響が生じる!?火山灰の被害は直接的なものにとどまらず、間接的にも重大な災いをもたらす。1991年6月に起きたフィリピンのピナトゥボ火山の大噴火は、国際情勢にも大きな影響を与えた。火山灰が大量に降ったため、風下にあった米軍のクラーク空軍基地が使えなくなったのである。1991年のピナトゥボ噴火による火山灰で埋まった米空軍のクラーク基地 photo by gettyimagesその後の米軍はフィリピン全土から撤退を余儀なくされた。いわば火山の噴火が極東の軍事地図を描き換えてしまったのである。富士山が噴火すれば、神奈川県厚木市にある厚木米海軍飛行場と海上自衛隊厚木航空基地に関連する在日米軍の戦略が、大きく変わる可能性もある。2004年に内閣府から発表された富士山噴火の災害予測では、大量の火山灰が首都圏を中心として関東一円に大きな影響を与えることが明らかにされた。しかも、江戸時代と異なり高度の科学技術に依存している都市機能に、はたしてどの程度の被害が出るのか、不明な点は多い。富士山から降ってくる火山灰への対策は、直下型地震などとともに日本の危機管理項目の一つと言っても過言ではない。さらに連載記事<「溶岩流」果たしてどこまで到達するのか…「富士山が噴火した」ときの「衝撃的な被害規模」>では、富士山噴火の際の溶岩流について詳しく解説します。富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ
火山灰の被害は直接的なものにとどまらず、間接的にも重大な災いをもたらす。1991年6月に起きたフィリピンのピナトゥボ火山の大噴火は、国際情勢にも大きな影響を与えた。火山灰が大量に降ったため、風下にあった米軍のクラーク空軍基地が使えなくなったのである。
1991年のピナトゥボ噴火による火山灰で埋まった米空軍のクラーク基地 photo by gettyimages
その後の米軍はフィリピン全土から撤退を余儀なくされた。いわば火山の噴火が極東の軍事地図を描き換えてしまったのである。富士山が噴火すれば、神奈川県厚木市にある厚木米海軍飛行場と海上自衛隊厚木航空基地に関連する在日米軍の戦略が、大きく変わる可能性もある。
2004年に内閣府から発表された富士山噴火の災害予測では、大量の火山灰が首都圏を中心として関東一円に大きな影響を与えることが明らかにされた。しかも、江戸時代と異なり高度の科学技術に依存している都市機能に、はたしてどの程度の被害が出るのか、不明な点は多い。
富士山から降ってくる火山灰への対策は、直下型地震などとともに日本の危機管理項目の一つと言っても過言ではない。
さらに連載記事<「溶岩流」果たしてどこまで到達するのか…「富士山が噴火した」ときの「衝撃的な被害規模」>では、富士山噴火の際の溶岩流について詳しく解説します。
富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ