2025年9月7日、新潟市の朱鷺(とき)メッセに、天皇家の長女・愛子さまの姿があった。「ぼうさいこくたい」と呼ばれる日本最大級の防災イベントである「防災推進国民大会」(内閣府など主催)が開かれており、愛子さまは能登半島地震の福祉支援などに関する2つのセッションに出席、熱心に聴講された。
会場には、全国から集まった、防災支援に取り組むNPOやボランティア、行政関係者らが参加し、「愛子さまのご聴講は大きな励みになる」との声も聞かれた。
愛子さまは、天皇、皇后両陛下の意向を踏まえ、防災や減災への取り組みが一層進められることを願っており、今回の大会ご出席は、愛子さまの専門性をさらに深めるとともに、被災地で活動する関係者の精神的支柱としての存在感を示す場ともなった。ジャーナリストの吉原康和氏がレポートする。
愛子さまは9月6日、皇居・宮殿で開かれた悠仁さまの成年式の中心儀式・加冠(かかん)の儀に参列したあと、同夜、「ぼうさいこくたい」開催地の新潟市に入り、大会2日目の7日午前中から朱鷺メッセで開かれたセッションに出席した。
出席したのは、「災害福祉支援~令和6年能登半島地震の取り組みと課題、今後の展望」と題されたセッションだ。午前10時半、内閣府幹部の先導で会場入りした淡いブルーの装いの愛子さまは、会場に向かって一礼し、最前列中央に着席した。
セッションでは、内閣府の検討委員会委員長として、能登半島地震の際に初めて出動した「災害派遣福祉チーム(DWAT)」の活動などを検証した新潟大学の田村圭子教授をはじめ、能登半島地震でDWATや被災者支援にかかわった石川県厚生政策課の中田淳さん、DWAT登録員として熱海市の土砂災害や能登半島地震など複数の避難所での支援活動に従事した静岡県長泉町社協職員の渡邉麻由さんらが登壇。
DWATは、大規模災害時に被災地の避難所などに派遣される専門的な支援を行うチームである。このセッションでは、能登半島地震における支援状況を振り返り、DWATの今後の在り方などについて討議した。
また、午後からは、避難生活における子どもの安心・安全な居場所の確保、被災した地域コミュニティの再建、ペットとの避難など、被災者が直面した困りごとについて話し合う「能登半島地震の事例から、支援で目指す姿を考える」と題されたセッションを聴講した。
いずれのセッションも愛子さまの関心の深い分野であり、勤務先の日本赤十字社(日赤、東京・港区)での実務経験とも重なる。参加されたセッションは、愛子さまの意向も踏まえ、内閣府がこの二つのセッションを提示し、愛子さまがこれを受け入れる形で実現した。
お昼に30分の休憩時間をはさんで延べ3時間にわたって行われたが、愛子さまは熱心にメモを取りながら聴講を続けた。午後2時すぎに会場を退場する際、深々と会場に向かって一礼すると、会場から大きな拍手が起こった。
午前中のセッションで発表された石川県庁の中田淳さんは、
「愛子さまは熱心にメモを取られ、お隣の全国社会福祉協議会の方に何度も質問されている姿が印象的でした。5月には石川県七尾市などの被災地を訪問いただいたのに続き、能登半島地震の防災支援に関するセッションにもご出席いただき、引き続き被災地とDWATの取り組みにも関心を持っていただき、大きな励みになりました」
と振り返った。
「防災推進国民大会」は、産学官民の関係者が日頃から行っている防災活動を発表し、交流する日本最大級の防災イベント。2016年から内閣府が毎年開催しているが、皇族が参列するのは今回が初めてだ。
愛子さまは8日には、地方事情視察として2004年の新潟県中越地震で全村避難した旧山古志村(現長岡市)などを視察し、語り部として被災体験を伝えるボランティアと懇談した。
近年頻発する気候変動や水問題に関連する災害に対し、天皇陛下は「自然災害が起きることが避けられないとすれば、その被害が小さくなるよう、できる限り日頃から防災・減災の意識を持って取り組みを心掛けることが重要」(令和2年の誕生日会見)などと繰り返し述べている。
愛子さまも、防災や減災への取り組みが一層進み、国民の安全・安心が守られていくことを心から願われており、側近は「新潟からオールジャパンで進める防災・減災をテーマにした大会への宮様のお出ましには大きな意味がある」と語っている。
社会人2年目を迎えた愛子さまは、日赤での勤務のほか、皇族としての公務の幅も着実に広げている。
5月3日には、東京・新宿区で開催された「第23回世界災害救急医学会」に出席。初めてお言葉を述べられた。同月18日からは、一泊二日で、昨年1月の地震と豪雨で被災した石川県七尾市と志賀町を訪問。初の被災地への訪問となった。そして、今回の「ぼうさいこくたい」でのセッションに参加し、愛子さまの関心の深い分野の専門性を深められた。
今後、愛子さまにはどのような活動と役割が期待されているのか。
愛子さまの成年皇族として公的な活動が本格していることに伴い、活動を支える専任職員を1人から3人に増員することが検討されているが、合わせて侍従職などの側近部局は、愛子さまにふさわしい活動の在り方を探っている。
その有力候補の一つは、愛子さまが今回参加した「ぼうさいこくたい」だ。毎年開催のこの大会への出席定例化も期待されている。宮内庁は「現時点で決まっていない」としているが、日赤での実務経験に裏打ちされた防災支援にかかわる公務は、国民的な関心や時代性に即したニーズの高いテーマといえそうだ。
また、皇族方は、それぞれの役割や関心事に応じて各種団体やイベントの名誉総裁の職務を担っている。皇后さまが務める日赤の名誉総裁をはじめ、秋篠宮さまが務めている「大阪・関西万博」(就任時期は4月13日~10月13日)や高円宮妃久子さまが務める「日本サッカー協会」の名誉総裁が知られるが、愛子さまが現在、担われている名誉総裁職はない。
天皇家の内親王では、上皇ご夫妻の長女、黒田清子さん(当時紀宮)が結婚で皇籍離脱するまで、日本テニス協会の名誉総裁(現在は秋篠宮家二女の佳子さまが務める)を務めていたことがあり、愛子さまも将来、公的団体やイベントの名誉総裁を務めることになることは間違いない。
2002年9月、上皇后美智子さま(当時皇后)が、スイス・バーゼルで開かれた国際児童図書評議会(IBYY)創立50周年記念大会に、同会の名誉総裁として出席したことがあった。一人の母親としての読書体験に根差したスピーチは注目を集め、児童図書の普及活動をしている世界の児童図書関係者に大きな励みと勇気を与えた。
大会関係者が「皇后(美智子)さまには、子どもの本を通じて、平和と国際理解の大切さを世界に訴える大きな力があります」と振り返った後、「心ひそかに願うことは今後もこうした大会へのご参加です」と付け加えたことを覚えている。いわば、大会の精神的支柱としてのパトロン(支援者)の存在感である。
大会期間中、美智子さまは大会の基調講演や分科会も欠かさず聴講し、休み時間には、世界中の旧知の児童文学者との再会を楽しんでいるご様子だった。
愛子さまが聴講する姿を拝見して、23年も前のそんな情景をふと思い出した。
皇室の役割が時代と共に変わっていくように、皇族の役割も変わる。愛子さまの「ぼうさいこくたい」のご出席は、伝統と前例を重んじる皇室にとっても大きな意味を持つ。女性が幅広く活躍する今日、日赤での勤務経験の強みを生かし、皇族としてふさわしい分野で、国内外で活動することは、自然な流れだ。
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さらに【つづき】「悠仁さまの成年式後の「祝宴」が、「民間高級ホテルでの開催」になった「意外な事情」…背景に隠された「秋篠宮さまのこだわり」」の記事では、悠仁さまの成年式についてくわしく報じています。
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