「無職の父は廃棄された原付バイクの廃油を飲んだ」母は不倫、兄は万引き補導され…中1弟が見た”本当の地獄”

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今回は、アルコール依存症の父親と、そんな夫をどうすることもできず、家計を支える母親、そして親に隠れて暴力を振るう兄を持つ現在30代の男性の家庭のタブーを取り上げる。彼の「家庭のタブー」はなぜ生じたのか。彼は「家庭のタブー」から逃れられたのだろうか。
現在関東地方在住の知多翔平さん(仮名・30代)の両親は、北海道の漁師町で育ち、お見合いに近い形で出会った。当時、漁師と付き合っていた知多さんの母親に、母親の兄が、「お前みたいな人間には、優しく堅実な人間が良い。フラフラしていないで、サッサと嫁げ」と言って自分の友人だった父親を勧めてきたのだという。
「母の父は早くに亡くなったので、母の家の権力者は長男である伯父でした。当時、その町の漁師の仕事は危険であり、収入も不安定だったため、母は交際中の男性と別れ、父と結婚したそうです。父は東京にある電化製品の工場で働いており、母もすぐに上京しましたが、父は母が来る少し前に仕事を辞めていて、『結婚当初は大変だった』と母は言っていました。父は優しいけれど、堅実とはほど遠い人でした。父も母も仕事のあてはなく、生活費を捻出するために、新婚生活用にそれぞれの家が用意した家財を売り払ったと聞きました」
知多さんは父親の正確な年齢を知らず、母親より5~6歳上と認識していた。両親が何歳で結婚したかも知らず、ただ母親が27歳のときに知多さんの兄を出産したということだけは知っていた。その3年後、知多さんが生まれた。
知多さんが物心ついた頃、父親はラーメン屋で働いていた。母親もいつからかはわからないが、時々配達の仕事をしていた。まだこの頃は、知多家は穏やかだった。
ところが一見穏やかに見える知多家だったが、家庭崩壊の亀裂は知多さんが生まれる前にすでに走り始めていた。
北海道出身の母親は知多さんの兄が生まれた頃、慣れない環境での生活に加え、初めての出産・子育てに疲れ、兄を愛することができず、ネグレクト気味になっていたのだ。
しかしその3年後に生まれた知多さんのことは、2人目ということもあり、スムーズに愛することができた。それは父親も同じだったようで、兄に対しては父親はどう接していいか分からなかったようだが、知多さんに対しては目に入れても痛くないほど溺愛した。仕事が休みの日には、知多さんと2人きりで遊びに行った。
そんな知多さんに対し、兄が苛立ちや羨望、憎しみなどの複雑な感情を抱くのは当然の成り行きだろう。
これは知多さんが母親から聞いた話だ。
知多さんがまだベビーベッドで寝ていた頃のこと。母親は1歳にも満たない知多さんと4歳にも満たない兄を家に残し、買い物に出かけた。
しばらくして母親が帰宅すると、ベッドで知多さんがギャン泣きしている。普段あまり泣かない子だった知多さんがギャン泣きしていることに、母親はとても慌て、オムツが濡れていないか、熱がないかを見ようとした。すると、服やオムツで隠れる部分にだけ、つねったような爪痕がびっしりとあり、赤くなっていたという。
「これが母から聞いた、兄の“デビュー戦”です。3~4歳の頃から兄が僕に対して抱いていた憎しみの深さと、こんなエピソードをちょっとした笑い話かのように話す母に、僕は引きました」
知多さんは小学校入学後、持病の喘息の悪化により入院した。母親はいつも病室で付き添ってくれていて、父親も頻繁に面会に来てくれた。やがて退院し、夏休みが始まると、知多家は父親の仕事の都合で別の県に引っ越すことに。
知多さんは驚いた程度だったが、兄は転校を嫌がって暴れた。それでも子どもではどうすることもできない。まだ1年生になったばかりの知多さんはすぐに新しい環境に馴染めたが、5年生の兄はうまくいかなかった。
そんな兄を心配した母親は、遊びに連れて行ったりゲームを買い与えたりと手を尽くした。だがその甲斐なく、兄は不登校になってしまう。
知多さんが小学校3年生になった頃、母親が製菓工場のパートで働き始め、家にいない時間が増えると、兄の知多さんに対する暴力が本格的に始まった。知多さんが学校から帰ってくると、いきなり殴りかかってくることは日常茶飯事。あまりの痛みにうずくまっていると、「立て!」と言いながら蹴られ、立つと殴られた。
「この日から僕の日常は地獄と化しました。兄の機嫌を探り、適度に殴られ、ヤバい日は徹底して逃げました。ただ、兄は絶対に顔は殴りませんでした。初めは理由もなく、ただ暴力を振るわれるだけでしたが、徐々に『俺を睨んだだろ』「親にチクっただろ』と、根の葉もない理由をつけられるようになっていきました」
1年経つ頃には、兄は暴力と恐怖で知多さんを支配していた。そのうちに兄は、「金を出せば殴らないけど、どうする?」という取引をけしかけるようになり、知多さんは暴力から逃れるために、お小遣いを節約した。
知多家が引っ越しした理由は、それまで父親が働いていたラーメン屋の経営が悪化し、父親を雇い続けることが難しくなった店主が、別のラーメン屋を紹介したからだった。
しかし新しいラーメン屋のオーナーとそりが合わなかった父親は、だんだん休みがちになり、もともと好きだったアルコールの量が増えていった。
ある日、父親は家の階段から転げ落ち、腰を痛めてしまう。母親はアルコール依存症を疑っており、腰を痛めたことと併せて病院にかかることを勧めたが、父親は拒んだ。なぜなら、父親は酒が入ると酔っ払っていた間の記憶がさっぱりなくなるからだ。
腰を痛めてから、父親は仕事に行かなくなった。知多さんが小学校5年生のときのことだ。家計のピンチを救うために、母親は友人知人からお金を借り、小さなスナックを始めた。昼間から深夜まで働き詰めの生活が続いた。
知多さんと兄は酒に溺れる父親が嫌で、何度も母親に抗議した。それでも母親は、「お父さんは思いやりのある優しい人だから」と言って父親をかばった。
「『優しい人だから待ってあげて』という意味だと僕は解釈しました。父に対する情なのでしょうが、僕は納得ができませんでした。しかも、母の機嫌が悪い時は『優しいけど行動力が全くない』と愚痴を聞かされました。気分によって発言が変わる母に混乱していた記憶があります。それでも結局母は父をかばい続けました」
その年の夏休みのこと。知多さんは夏休みの自由研究で、父親の観察日記を学校に提出。酒を飲み始める時間、ペース、量など、全てを細かく記録したものだ。父親は、溺愛する息子が自分について回ることを喜んでいた。後日、母親は学校に呼び出された。
「母はとても悲しそうな顔をして『つらい思いさせてごめんね』と言いましたが、僕はただ、『面白いかな?』と思ってやったことなので、自分の浅はかな行動を申し訳なく思いました。母は父に刺激を与えることを避けていた節があるので、父はこの件について全く知らないと思います」
同じ頃、兄は万引きで補導され、母親は警察に呼び出された。
知多さんが小学校5年生の年の秋頃、男性に親しげに肩を抱かれる母親(41歳)の写真を家の中で発見。まだ男女の恋愛について想像が及ばなかった知多さんは、無邪気にその写真を父親と兄に見せた。
「母がどのタイミングで不倫を始めたのかはわかりません。工場のパートに出始めて交友関係が広がったタイミングか、スナック経営の最中なのか。ただ、不倫が発覚したのは、父が完全に働かなくなった頃でした」
母親の不倫が発覚した後、父親のアルコール依存が加速した。それに伴い、徐々に夫婦関係は悪化し、両親はお互いに避け合うようになった。
父親は夜な夜な誰に向かうともなく「ふざけんじゃないよ~!」と叫び散らし、明け方まで家の中で暴れていた。そのため知多さんは寝不足が続いた。
ただ、知多さんにとって良いこともあった。父親が働きに行かず、家で飲んだくれているため、兄は知多さんに暴力を振るわなくなったのだ。その代わり、お金を要求されることだけは続いた。
そして知多さんが中学1年生の夏頃、事件が起こった。
いつも家で飲んだくれている父親が帰ってこないため、母親と一緒に近所を探し回っていたところ、父親が浜辺で倒れているとの連絡が入った。
倒れていた父親のそばには焼酎の瓶がいくつも転がり、不法投棄された原付バイクがあった。
父親は大量のアルコールと、原付の中に残っていた廃油を飲んだらしく、救急搬送先で胃洗浄された。
「父は本気で死ぬつもりだったんだと思います。当時の僕は、既に父のことを嫌いになっていましたが、父に愛された頃のことや父を好きだった自分の間で葛藤していた時期でもありました。しかし僕は、このあたりで初めて我が家の家庭崩壊を認識したのでした」
父親は発見が早かったせいか、後遺症もなく、数日の入院で家に帰って来たのだが、知多さんの苦悩は終わることはなかった。(以下、後編に続く)
———-旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。———-
(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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