【溝口 敦】「ヤクザに会うのが夢」外国人記者の「ヤクザ認識」にア然…取材現場で覚えた「強烈な違和感」

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日本最大の組織暴力と真っ向から立ち向かい続けたジャーナリスト溝口敦氏の半世紀にわたる戦いを記録した話題作『喰うか喰われるか』。同作の文庫化(4月14日発売)を記念して、溝口氏が山一抗争真っ只中に著した『ヤクザと抗争現場 溝口敦の極私的取材帳』から、珠玉のエピソードを公開する。今回は溝口氏が違和感を持った外国人記者が持つヤクザ認識について、ご紹介しよう。
フランス人の記者がどうしてもヤクザに直接会って取材したいのだが、といってきた。で、東京のある広域暴力団の中堅幹部クラスを紹介し、彼の取材現場に立ち会ったことがある。外人記者がヤクザにどんな質問をぶつけるのか、興味をひかれたからである。
記者と待ち合わせ、それから揃ってヤクザの家に出かけた。道々、彼は日本女性の通訳を通して質問してくる。
「絶対、彼らに聞いてはいけないってこと、あるでしょうか」
「ないでしょう。彼らはマスコミも好きだし、外人も好きです。ふつうの日本人と変わりません。たとえ失礼にあたる質問でも、外人なら許すでしょうし。ただ資金源のことは根掘り葉掘り聞き出そうとすると、気分を害するかもしれません」
なるべく正確に伝えたい。日ごろ思っている通りを答えた。次の瞬間──、
「あのー、面と向かって、ヤクザ一般を何と呼んだらいいのでしょうか。やはり客とか、任の道にいそしむとか、そういった方がいいのでしょうか」
「そりゃ、ヤクザでいいと思いますよ。ヤクザはヤクザと呼ばれても怒りはしません」
ぼくは内心、記者の心づかいの細やかさに舌を巻いた。よく勉強もしている。だが、日本全国、ヤクザはヤクザだ。ヤクザは八九三で合計すれば二十、花札でいえばブタになる。箸にも棒にも引っかからない人間たちだから、ヤクザなんだ、という語源説からすれば、決して褒め言葉ではないが、通称だから仕方がない。
ご承知の通り、関西では極道という。これは道を極めるのだから字ヅラはいいが、言葉の持つニュアンスはヤクザと一緒だ。誰も彼らを一道を極めた偉い人などとは思っていない。ヤクザも苦笑いぼくの経験では、ヤクザをヤクザとか極道とかいって、問題を起こしたことはただの一度もない。ヤクザの方も、彼ら自らのことをヤクザ、極道、はなはだしきは暴力団と称える。もっとも自ら暴力団というヤクザは、社会的視野を備えた少数派ではあるが。さて取材になって、フランス人記者とヤクザとの一問一答を傍聴したのだが、これが何ともいわくいいがたい調子。持ち上げるというか、取材の腰が引けているというか、いささか然とした。記者「ぼくは一九三〇年代のヤクザを扱った無声映画を見たことがある。そこでは驚いたことに、ヤクザが住民を守っている。フランスにもマフィアがいるが、住民と全く関係ないばかりか、住民の恨みを買っている。その点、日本のヤクザは特殊と思うが、どうか」こういう質問をされれば、ヤクザとしても嬉しくなって当然である。ニヤリと笑って、次のように答えた。「それは日本ではヤクザが住民と接触しているってことでしょう。たとえばヤクザがカタギの人から儲け話をもらう。となれば、そのカタギの人を何があっても守りますよ。持ちつ持たれつの関係なんです」ヤクザの答え方はまっ当である。変に自分たちを美化せず、現実的に利害が一致する場合は守るんだ、それ以外の何ものでもないといった語調である。ところがフランス人記者は飽くまでヤクザを必要以上に美化したいらしい。記者「住民を守るという面では警察と同じか」さすがのヤクザも苦笑いである。「こっちはビジネスなのだから。我々はマネーもらわないと飯食えないから」 記者「メキシコシティは無秩序だけど、東京は交通などもうまく機能しているし、治安もいい。安心して暮らせる。この秩序にヤクザが一役買っている面があるか」「あるでしょう。ヤクザが秩序を守っていると取れる面もあるしね。フランスやイタリアにも日本のヤクザと似たような団体があるんでしょうけど、そういうのと日本のヤクザがやっていることは一緒でしょうよ。だけど情に感じるところは日本の方が多いんじゃないかな」「会うことができ、天にも昇る気持ちです」はたで聞いていて、どうもぼくには、フランス人記者がヤクザを誤解しているような気がしてならなかった。彼が見た無声映画というのは百姓一揆か何かにヤクザが加勢したといった映画ではなかったのか。「七人の侍」のヤクザ版みたいな。現実は映画とは違う。あげく、取材の終わりかけになって、突然記者は「実は告白しなければならないことがあります」といい始めた。一瞬、何をいい出すのか、ヒヤリとした。まずいことをいわなければいいが、とこっちは気が気でないが、今さら止めるわけにはいかない。「ぼくは長年」と記者は重々しく口を開いた。「ヤクザに直接会うのが夢でした。きょう思いがけなくその夢がかなえられ、天にも昇る気持ちです。きょうという日はぼくにとって記念すべき日になりました。ほんとに有難うございました」これだけである。肩すかしもいいところ、思わずつんのめりそうになった。ヤクザの方も何をいわれるのか、身構えていたに違いない。「あっ、そう。それは良かった。またいらっしゃい。いつでもいいからよ」明らかに落胆の色さえ見せたのである。彼としても、ズバリ斬り込み、血が出るような質問を覚悟していたはずである。後編記事【外国人記者の「ヤクザ認識」への強烈な違和感…本当に頭の良いヤクザは「美化されたい」と思っていない】に続きます
ご承知の通り、関西では極道という。これは道を極めるのだから字ヅラはいいが、言葉の持つニュアンスはヤクザと一緒だ。誰も彼らを一道を極めた偉い人などとは思っていない。
ぼくの経験では、ヤクザをヤクザとか極道とかいって、問題を起こしたことはただの一度もない。ヤクザの方も、彼ら自らのことをヤクザ、極道、はなはだしきは暴力団と称える。もっとも自ら暴力団というヤクザは、社会的視野を備えた少数派ではあるが。
さて取材になって、フランス人記者とヤクザとの一問一答を傍聴したのだが、これが何ともいわくいいがたい調子。持ち上げるというか、取材の腰が引けているというか、いささか然とした。
記者「ぼくは一九三〇年代のヤクザを扱った無声映画を見たことがある。そこでは驚いたことに、ヤクザが住民を守っている。フランスにもマフィアがいるが、住民と全く関係ないばかりか、住民の恨みを買っている。その点、日本のヤクザは特殊と思うが、どうか」
こういう質問をされれば、ヤクザとしても嬉しくなって当然である。ニヤリと笑って、次のように答えた。
「それは日本ではヤクザが住民と接触しているってことでしょう。たとえばヤクザがカタギの人から儲け話をもらう。となれば、そのカタギの人を何があっても守りますよ。持ちつ持たれつの関係なんです」
ヤクザの答え方はまっ当である。変に自分たちを美化せず、現実的に利害が一致する場合は守るんだ、それ以外の何ものでもないといった語調である。ところがフランス人記者は飽くまでヤクザを必要以上に美化したいらしい。
記者「住民を守るという面では警察と同じか」
さすがのヤクザも苦笑いである。
「こっちはビジネスなのだから。我々はマネーもらわないと飯食えないから」
記者「メキシコシティは無秩序だけど、東京は交通などもうまく機能しているし、治安もいい。安心して暮らせる。この秩序にヤクザが一役買っている面があるか」「あるでしょう。ヤクザが秩序を守っていると取れる面もあるしね。フランスやイタリアにも日本のヤクザと似たような団体があるんでしょうけど、そういうのと日本のヤクザがやっていることは一緒でしょうよ。だけど情に感じるところは日本の方が多いんじゃないかな」「会うことができ、天にも昇る気持ちです」はたで聞いていて、どうもぼくには、フランス人記者がヤクザを誤解しているような気がしてならなかった。彼が見た無声映画というのは百姓一揆か何かにヤクザが加勢したといった映画ではなかったのか。「七人の侍」のヤクザ版みたいな。現実は映画とは違う。あげく、取材の終わりかけになって、突然記者は「実は告白しなければならないことがあります」といい始めた。一瞬、何をいい出すのか、ヒヤリとした。まずいことをいわなければいいが、とこっちは気が気でないが、今さら止めるわけにはいかない。「ぼくは長年」と記者は重々しく口を開いた。「ヤクザに直接会うのが夢でした。きょう思いがけなくその夢がかなえられ、天にも昇る気持ちです。きょうという日はぼくにとって記念すべき日になりました。ほんとに有難うございました」これだけである。肩すかしもいいところ、思わずつんのめりそうになった。ヤクザの方も何をいわれるのか、身構えていたに違いない。「あっ、そう。それは良かった。またいらっしゃい。いつでもいいからよ」明らかに落胆の色さえ見せたのである。彼としても、ズバリ斬り込み、血が出るような質問を覚悟していたはずである。後編記事【外国人記者の「ヤクザ認識」への強烈な違和感…本当に頭の良いヤクザは「美化されたい」と思っていない】に続きます
記者「メキシコシティは無秩序だけど、東京は交通などもうまく機能しているし、治安もいい。安心して暮らせる。この秩序にヤクザが一役買っている面があるか」
「あるでしょう。ヤクザが秩序を守っていると取れる面もあるしね。フランスやイタリアにも日本のヤクザと似たような団体があるんでしょうけど、そういうのと日本のヤクザがやっていることは一緒でしょうよ。だけど情に感じるところは日本の方が多いんじゃないかな」
はたで聞いていて、どうもぼくには、フランス人記者がヤクザを誤解しているような気がしてならなかった。彼が見た無声映画というのは百姓一揆か何かにヤクザが加勢したといった映画ではなかったのか。「七人の侍」のヤクザ版みたいな。現実は映画とは違う。
あげく、取材の終わりかけになって、突然記者は「実は告白しなければならないことがあります」といい始めた。一瞬、何をいい出すのか、ヒヤリとした。まずいことをいわなければいいが、とこっちは気が気でないが、今さら止めるわけにはいかない。
「ぼくは長年」と記者は重々しく口を開いた。「ヤクザに直接会うのが夢でした。きょう思いがけなくその夢がかなえられ、天にも昇る気持ちです。きょうという日はぼくにとって記念すべき日になりました。ほんとに有難うございました」
これだけである。肩すかしもいいところ、思わずつんのめりそうになった。ヤクザの方も何をいわれるのか、身構えていたに違いない。
「あっ、そう。それは良かった。またいらっしゃい。いつでもいいからよ」
明らかに落胆の色さえ見せたのである。彼としても、ズバリ斬り込み、血が出るような質問を覚悟していたはずである。
後編記事【外国人記者の「ヤクザ認識」への強烈な違和感…本当に頭の良いヤクザは「美化されたい」と思っていない】に続きます

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