【全2回(前編/後編)の前編】
健康に留意していたのに、ある日突然、原因不明の症状に襲われる。検査に検査を重ねようやく診断結果が出ると、時すでに遅し。待っていたのは、非情な余命宣告だった……。原発不明がんで夫・保雄さんを亡くした書評家・東えりか氏が明かす、原発不明がんの恐ろしさと対策方法とは。
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【写真を見る】あの「美女冒険家」も… 原発不明がんで命を落とした著名人たち
2004年3月、俳優でザ・ドリフターズのリーダー、いかりや長介さんが亡くなった。マスコミ発表された病名は「原発不明頸部リンパ節がん」。ただ当時の記事を読むと「頸部リンパ節がん」についての記述が多く「原発不明」に関して説明されているものはほとんど見つからなかった。
息子の浩一氏が著した『いかりや長介という生き方』(幻冬舎文庫)には、いかりやさんの首に不審な腫れがあることに浩一氏が気付き、03年に大学病院で精密検査を受けさせた時のことがこう記されている。
――医師の返事は、
「いかりやさん、残念ながら、最悪の状態です」
という宣告だった。
何が最悪かといえば、頸動脈にがん細胞があるために、摘出する外科手術ができない。しかも、0からIV期まで5段階あるうちのステージIVという段階にきているという。手術をしても100%動脈を傷つけてしまうので、それはすなわち死を意味している。「こうなると、今後の治療手段はごく限られたものになります」と宣告されたという。――
激しい抗がん剤の副作用に耐え最後まで希望を捨てず、病院での治療を続けたが、宣告を受けてからわずか11カ月後に亡くなった。
いかりやさんの訃報から22年。この間、何人かの著名人が次々に原発不明がんで亡くなっている。
18年10月、柄本明さんの妻で俳優の角替(つのがえ)和枝さんは1年余りの闘病の末、逝去。享年64。
24年5月、戦隊もので人気を博した俳優の本橋由香さんは発病後3年余りで亡くなる。享年46。
俳優で冒険家の和泉雅子さんは25年5月に倒れ7月9日に亡くなるまで自宅療養を選択した。享年77。
経済アナリストの森永卓郎さんは23年12月にステージIVの膵臓がんだと公表したが、後に原発不明がんであったことが判明した。
ただその後も『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』『がん闘病日記 お金よりずっと大切なこと』(どちらも三五館シンシャ)、『読んではいけない 日本経済への不都合な遺言』(小学館)など多数の著作を残した。亡くなる前日までラジオ出演をしたことは記憶に新しい。25年1月28日逝去。享年67。
これらの方たちに共通するのは「症状が現れ、検査したときには既に、がんの末期であった」点だ。これが「原発不明がん」という病気の一つの特徴である。
実は私の夫、東保雄も原発不明がんによって、66歳で命を落とした。
22年の10月、日課にしているスポーツクラブの帰りに突然、激烈な腹痛を起こし、そのまま緊急入院となった。当初の診断は「十二指腸の閉塞」で入院加療2週間の予定だった。
だが症状は全く改善せず、原因が不明のまま衰弱していく。時は新型コロナ禍。私は病室に入ることもできず、会えるのは数週間に1度、主治医が同席する診察室だけだ。「がん細胞が見つからないのでがんではない」という言葉だけを信じていた。
そして3回目の面談で衝撃的な言葉を聞く。
「当院でこの症状を診たことのある医師はいないので、そちらでセカンドオピニオン先を探せないか」
二人で手分けして探し、診断を仰いだが何の手掛かりも得られない。22年12月末、腹水からがん細胞が見つかり、一時危篤状態に。余命数週間ではないかと告げられて驚愕(きょうがく)する。
夫は抗がん剤を含む新薬の臨床試験に関する仕事をしていた。毎年人間ドックを欠かさず、体調が悪ければすぐにクリニックに行った。神経質なほど体調管理をしていたのに、だ。
その後強引に、がんの拠点病院の一つである都立駒込病院に転院させてはじめて「原発不明がん」であると診断を受ける。抗がん剤治療が選択されたが、副作用が強く出現。転院してわずか1カ月後に治療を中止した。ここで医師から「余命はもって1カ月くらい」と宣告される。
20年前のいかりやさんの場合と違うのは「緩和ケア」の充実である。最期の瞬間まで治療を継続するのか、それとも痛みや苦しみを除く処置だけを行い、最期の瞬間を穏やかに迎えるのかの決定は患者側に委ねられる。私たち夫婦は自宅に戻ることを選択し、夫婦二人だけで死ぬまでの18日間を静かに過ごした。
夫が亡くなった後、私はどうしてもこのがんの正体を知りたいと思い、主治医や専門家、緩和ケアに携わった担当者に取材を行った。発病から死までの約5カ月間の経緯とこのがんの研究・治療の最前線に関する内容を記した著書『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』(集英社)を2025年10月に上梓した。
反響は大きく、原因の分からないがんで身内を亡くした方などから多くのメッセージを頂いている。
健康管理をきちんとしていた人間が、なぜ突然末期がんを宣告されるのか。
いかりやさんは、宣告の3年前に初期の食道がんを内視鏡手術で切除しており、その後定期健診を欠かしていなかったという。
いくら注意しても、ある日突然襲いかかってくる。それが「原発不明がん」という病気の恐ろしさだ。
病名から「放射能の影響?」と思う人がいるかもしれないが、「原発」といっても「原子力発電所」とは無関係である。
原発不明がんという病名は英語の「CUP:Cancerof Unknown Primary」の直訳で、最初にがんが発生した場所(原発巣)が分からず、転移先でがん細胞が増殖してしまったがんのことをいう。
実はこの「原発不明」であるがゆえに、治療方法が確立しておらず、肺や胃などにできる一般的ながんに比べて生存率は著しく低い。
そもそもがんという病気は、何らかの理由で細胞内の遺伝子が傷ついて変異することが原因である。
細胞の変異は若い頃から起こるが、通常はすぐ修復されて復元する。だが老いてくると変異は修復できずに蓄積されて、がんになる確率が格段に上がるのだ。がん検診が40歳から推奨されるのはそのためである。
がんの初期は自覚症状がまったくない。だから人間ドックや健康診断などの定期健診で初期のがんを発見して切除する必要がある。この切除という治療ががんを完治させる唯一の方法だと言ってもいい。
それでも残念なことに、切除したのちに転移が発覚することは往々にして起こる。その転移先のがんを治療するために一番大切なことが「発生した場所が特定できていること」なのだ。
具体的に説明すると、検診で見つかった初期の肺がんを切除した1年後、肝臓に転移が見つかったとする。この場合「肝臓がん」ではなく原発巣である「肺がん」の治療が行われる。転移したがん細胞は、原発巣と同じ特徴を持つからだ。抗がん剤も肺がん用を使う。
検診で早期発見し、ごく初期のうちに摘み取ることがなぜ必要なのか、これで理解できると思う。
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後編では、原発不明がんを発見、治療するのが難しい理由などについて解説していただく。
東えりか(あづまえりか)書評家。1958年千葉県生まれ。信州大学農学部卒。動物用医療器具関連会社で勤務の後、85年より小説家・北方謙三氏の秘書を務める。2008年に書評家として独立。11年から24年までノンフィクション書評サイト「HONZ」副代表を務める(現在閉鎖)。日本推理作家協会会員。「週刊新潮」「小説新潮」「婦人公論」「本の雑誌」「公明新聞」「日本経済新聞」で書評を担当。文庫解説担当著書多数。
「週刊新潮」2026年4月9日号 掲載