年始の皇室行事として定着している「新年一般参賀」。天皇皇后両陛下が諸行事に臨まれる宮殿の東側に位置する長和殿、その全長約163メートルにも及ぶバルコニーに皇族方がおそろいになり、東庭に集った参賀者とご対面するという、正月恒例の光景だ。
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ただ、令和3年(2021年)、令和4年(2022年)は新型コロナウイルス感染拡大に配慮して中止に。翌年は再開されたものの、令和6年(2024年)は、ふたたび能登半島地震の被害に配慮して中止と、近年では行われている年のほうが少ない。
それだけに令和8年(2026年)の新年一般参賀にも注目が集まったが、その光景がメディアで報じられると、ネット上は上皇后である美智子さまの振る舞いをめぐって波紋が広がった。
昨年に引き続き、上皇さまとご一緒に白のドレスでお姿をお見せになったことを喜ぶ声が上がる一方、美智子さまの”お手振り”が昨年に続いて2年連続で見られなかったため、「お手振りができないほどご体調が悪いということか」との心配や、「お加減が悪いのであれば、もうお出ましにならなくても……」「公務から退いたのだから一般参賀に参加いただく必要はあるのか?」といった批判的な意見も見られる。
美智子さまは、2024年10月に右大腿骨上部を骨折し手術を受け、壮絶なリハビリに取り組んできたと報じられてもいる。今回の「お手振り問題」について皇室や日本史に関する著作が多い歴史エッセイストの堀江宏樹氏はこう話す。
「たしかに上皇后さまは大腿骨骨折などのけがからの回復期にあり、『杖を使わずに出席するためにバランスを保つ必要があった』という身体的な事情があったのかもしれません。それでも上皇后さまが『国民の前に姿を見せたい』とのお気持ちで立たれたことを考えると、この手の批判はいかがなものかと思います」
そもそも、一般参賀の歴史はいつ始まったのだろうか。
「皇族の方々が参賀者と対面する現在の一般参賀は、戦後まもない昭和23年(1948年)に始まったかなり新しい皇室行事。ただ、この時点では皇族が姿を見せていたわけではなく、昭和天皇と香淳皇后がお出ましになるようになったのは、昭和26年(1951年)からでした。
そこから、長いバルコニーにそろってお出ましになるという現在のスタイルが定着したのは、昭和44年(1969年)1月2日以降のことです。この時は無言で皆様がお手振りをなさるだけだったのですが、昭和56年(1981年)、昭和天皇が80歳をお迎えになられた記念として言葉を述べられたのが好評で、それ以降は毎年、何らかのお言葉が準備されるようになったのです。
しかし現在においても、皇族の方々の振る舞いに明確なルールというものは存在していません。そのため私たちとしては、お手振りの有無ひとつで、いたずらに一喜一憂することを控えるのが、もっともよろしいのではないでしょうか」(同前)
令和2年(2020年)の新年一般参賀以降、美智子さまのお手振りが控えめになり、昨年と今年はまったく見られなくなった。世間が”意味”を求めてしまうのも当然といえるだろう。
「男性皇族に比べ、女性皇族には世間の批判が集中するという現象は、以前から観測されています。美智子さまは積極的にお手振りなさらないものの、優しい笑顔を参賀者にお見せになっておられたので、決してネガティブな選択の結果、お手振りをおやめになったということではないと思われます」(同前)
平成21年(2009年)4月の記者会見で、皇室が守ってきた伝統について、上皇さまは「新嘗祭(にいなめさい)のように古い伝統のあるものは、そのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます」とお考えを示し、上皇后さまも「伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その2つがともに継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います」とお話されている。
「今回の『お手振り問題』とは、まさに上皇后さまのかつてのお言葉のように、『表に現れる型』と『秘められた心の部分』の問題であったのではないでしょうか。ご退位後も上皇さま、上皇后さまがお元気でいらっしゃるのは素直に素晴らしいことだと思います」(同前)
一挙手一投足が注目される皇族方。美智子さまの動きは、さらに耳目を集めそうだ。