価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。
法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。
※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
法律を学ばなくても生きてゆけることは確かである。万人が他人を騙そうとか盗もうとか殺傷しようとかしないならば、法律のほとんどは必要ないだろう。
だが、すでに我々は法律によって守られながら生きている。コンビニでビールを買うのも、部屋を借りて住むのも、会社を設立して経営していくのも、すべて法律によって可能になっている。
学術的にちょっと堅苦しく言うと、法律は「市民相互の自主的な取り決めの形成保護のための便宜を提供」するものなのである。つまり法律とは、現代の生活における道路、鉄道や電気、上下水道などのインフラのようなものだと捉えるとよいだろう。
本当は、一生法律を調べることも、法律と向き合うこともなく生きられる人こそ、もっとも幸運な人といえるかもしれない。トラブルに遭わずに済んでいるということだから。
でも、それは自分が損をさせられていることを知らない状態であるかもしれない。たとえば、過去にグレー金利の金融から金を借り、払う必要のない金を払っていたとしたら、出資法を知らないと過払い金は取り戻せない(別に弁護士事務所の宣伝をしているわけではない)。
その一方で、捕まらずに悪いことをしてやろうと企む者にとっても、法律は重要なテキストである。かつてアメリカのボクシング興行の立役者でありながら数多くの契約違反、搾取、殺人などで悪名をとどろかせたプロモーター、ドン・キングでさえ、「私の成功は法律の擁護があったからだ」と嘯いたという。
善人にも悪人にも、法律は現代社会で自由に生きるための術を与えているのである。
だが、法律も人の自由のための便宜に留まるうちはよいが、逆に不当な結果を生んだり、人の自由を妨害したりする手枷足枷になる場合も多い。
2019年3月にこんなことが起きた。アメリカで、ある中年男性が宝くじを当てて日本円にして300億円という賞金を獲得した。ところが、その男性はこれまでの人生でいっさい働いたことがなく、15年ほど妻の労働で養われ、数ヵ月前に離婚していた。その離婚後に買ったくじで巨万の富を得たのである。
離婚前に夫婦共同で作った財産ではないのだから、法律上はこの300億円は彼が独り占めしてよいことになる。現に彼は、この賞金は自分のものだと記者会見で答えていた。
しかし、それに対して全米から批判の声が上がった。無職の彼は、前妻からもらった金がなければそもそもくじを買えなかっただろう、ずーっと前妻に養われて生きてきたくせに、別れた後で自分だけハッピーになるのはおかしいじゃないか、前妻にも分けてやるべきだ、という批判である。
アメリカでは離婚後、収入の高い方が一定期間、収入の低い元配偶者を金銭的に援助せよという法律があるため、この無職男性は前妻の援助を受けている。離婚後も前妻(そんなに裕福ではない)の援助を受けながら、その中で買ったくじが当たって300億円を我がものにしたのである!
たしかに、前妻は損ばかりさせられていて、あんまりだと思える。しかし法律上は、いまだに仕事をしないこの中年男性が300億円を独り占めしてよいのである。その後、この件で全米では男性を支持する側としない側に分かれて論争となった(他人の金の使い方に外野がああだこうだ言ってもしょうがないのだが)。
このように、法律は時に、本当にこれでいいの? という事態をセーフにする場合があるということだ。
さらに連載記事<女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
【つづきを読む】女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」