国内屈指の国立理工系大である東京工業大学は、戦後すぐから理系大学にも関わらずリベラルアーツ教育に長年力を入れて来た。
現在は、2024年度秋を目途に、国立の東京医科歯科大学と統合することで合意し、世界最高峰の理系総合大学を目指している。更に2024年度の入試での『女子枠』を創設する入試改革も発表した。
『東京科学大学』。東京工業大学と東京医科歯科大学という国立大学同士が統合して出来る大学の仮の名称だ。
「一応、我々の中では決まっているけれども、法人統合というのが国会審議を経ないと正式にならないので、今後の国会で決まって、そこで正式になる」
東京工業大学(東京都目黒区)/写真:春川正明
文部科学省は昨年11月に、『国際卓越研究大学』制度の基本方針を発表した。世界最高水準の研究大学の形成を目指すために、10兆円規模の大学ファンドを創設する。
2024年度からその運用益の目標は年間3000億円だ。選ばれた1大学あたりの支援額は、これまでになくかなりの規模になるが、支援額は現在の大学が獲得している外部資金額に連動すると言われている。
多くのメディアは、今回の両大学の統合は、この国際卓越研究大学に選ばれることを目指したものだと報じ、私もそう思っていた。しかし、統合の目的を益学長に聞くときっぱりと否定。東京医科歯科大学との統合を進めた理由は、強い危機感だった。
「東工大が今のままでは限界を感じたというのが正直なところ。平成の30年間停滞して、東工大が主に関係する製造業のGDP(国内総生産)は世界でも日本でも伸びてない。
世界でGDPが伸びているのは、ITやバイオなど新しい産業を作ってきたから。良いモノを作れば売れるといって、結果として製造業にしがみついて、新しい芽を育てられなかった。
『工業工場で働く人材を育てるのではなく、育てた人材が工業工場を作る』。今風にいえば新しい産業を作ると、僕らは(1881年に設立された)東京職工学校の時代に言っているのに、この30年間経済が停滞して新しい産業を産み出してこなかった。東工大は『新しい産業を作る』と言ってやっていない。どうしようという、強い反省です。
改革ということで、色んな学院を作ったりしたけど、各学院のいろんな将来計画を聞いていても、まだまだ足りない。2016年に東工大は教育組織、研究組織の大きな改革をし、それぞれに将来計画を真剣に考えている。
でも、どうしても今の産業基盤から抜け切れてない。怒られるかもしれないけど、まだ製造業に抱きついてんだよ、みんなね。全然伸びていない産業に抱きついてどうするのだろうという話を真面目にし始めた。抱き着く先を変えないといけないよね、という」
そう考えていた時に、東京医科歯科大学の田中学長から統合の話が来た。
「たまたま田中さんが、『大学連携推進法人というスキームで一緒にやりませんか』という話をしてきた。最初は面倒な組織は作りたくなかったから、断ろうと思っていたんだけど、こっちも現状を打ち破ることを真剣に考えていた。
『一法人一大学になるぐらいの気合が(相手に)あるんだったら、それぐらいのことやってもいい』と。それが東工大の将来のためにもなるし、日本のためにもなるんだったら、そういうオプションがあってもいいのかなと申し入れた」
益学長の専門は半導体だ。日本の半導体が凋落してしまった3つの理由は「過剰品質を追い求めたこと、世界の動きの変化を捉えられなかったこと、経営者が投資判断を誤ったこと」だと益学長は指摘し、「この3つは日本の大学にもぴったり当てはまる」という。
日本がこの30年間伸びて来なかった理由はなんだと思うかと、益学長に聞いてみた。
「一言で言うと“ゆでガエル(状況の変化が緩やかだと、それに気づかず致命的な状況に陥る)”だったのかなあ。
日本ってそこそこのマーケットサイズを持っているから、ずっと変わらなくても生きていける国だったんだよね。でもこれって難しくて、それはそれでいいじゃないかという考えもあるかもしれない。でも、いつかはゆで上がってしまう。
でもね、残念ながら世界は大きく変化していて、新規な科学技術分野開拓、研究手法や、社会構造など様々なことをやっていたんだよね。その一方で、日本はそこそこでいいと思い続けたのが30年。なんでそうなったかっていうと、日本ってその間そもそも“挑戦したことがなかった国”だから。
東京工業大学・益一哉学長(写真:春川正明)
2020年にコロナ禍の出口が見えない時に『コロナ敗戦』という言葉が出て、ふと75年前の1945年、さらにその前の75年を考えた。
1870年(1868年は明治維新)以来、黒船来航以来、極論すると自分たちで主体的に何かをしようとした国じゃないんだよ。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』って、なんか俺たち頑張って世界を席巻できると思ったのにバブルが崩壊して、どうしようという時に、どうしないといけないって主体的なことを考えられなかった。
そこを僕らは、もう一回考え直さなきゃいけないんじゃないの、という気はしています」
東工大では2024年度の入試から、総合型選抜(旧AO入試)や学校推薦型選抜で『女子枠』を設けると発表した。学部の女子学生の比率は約13%で、「画一的な集団からは、新しい価値観は生まれない」という考えから実施することになった。
「日本では理工系の女子学生が90年代には増えたけど、2000年代で頭打ちになっているんだよね。いろいろ僕らも努力しているのです。
女子校で出張講義をしたりとか、『一日東工大生』として近隣の有力校から女子生徒を中心に招待したりとか、女性活躍推進フォーラム とか色々やったりするのだけれど、日本全体で全然増えていない。これは、普通の努力をしていたらもうダメだと思った」
東工大の数々の新しい試みを取材する中で、面白い取り組みだなと思ったのは2018年に設置された『未来社会デザイン機構』だ。
“あるべき”未来ではなく、“ありたい”未来社会の姿について、学生だけでなく若者、企業、公的機関など多様な人たちと共に熟議を促すための対話ワークショップを開催し、2200年までの『東工大未来年表』を発表した。
東京工業大学未来年表(写真提供:東京工業大学)
「大学が次にどうするかと考えたら、将来を考えてみるということをしないとダメだよねと。研究者はそれぞれに自分の研究がどうなるか考えているわけだけど、もう少し大きい視点で考えてはという所から来ている。
考えるんだったら、一人で考えるよりも色々な人、それこそ多様性の中で議論する必要があるよね」
大学のトップとして、卒業していく学生を採用する企業に対して言いたいことはあるかと聞くと、こう答えた。
「お互い様なんだけど、真面目にね『何をして欲しい』とか『何をすべきか』ということを、日本の大学も企業も考えてなかったんだよね。
(企業も)自分たちで全部育てるのは土台無理だと思えば、『その教育を、大学さんちゃんとやってください』と言えばいいのに、それは言わないんだよね、未だに。
僕らもちゃんと『こういう教育をやって、こういう能力をつけさせて卒業させていますので、ちゃんと企業も評価してください』と言えばいいのに、日本って無駄をしているよね、どっちもね」
教育を所管する文部科学省に対しては、厳しい指摘をした。
「『大学を十把一絡げに扱わないで』ということ。『いろんなレベルがあって、いろんな多様な大学があったら、多様なやり方でコントロールしてください』と。
国立大学については、いろいろ文科省のプロジェクトがあって、様々な形で大学をサポートしようという気持ちはあるんだけど、何かと細かいことを指定してくるんだよね。『もうちょっと、やらせたら信用してくださいよ』と。
国立大学は税金を使わせていただいているので、それに対する説明責任がちゃんとあるんだけれども、だからと言って、箸の上げ下ろしまでコントロールするのは、それに時間を使っている方が無駄なんじゃないのという気はします」
筆者の益学長への印象が、インタビューの前後でがらりと変わった。
取材する前は、熱い情熱で改革を強力に推し進める人という印象を持っていたが、実際に話を聞いてみると、自然体で自分を冷静に客観視しているように感じた。そこで大学を変えてやろうとか、東工大を変えてやるという様な熱い思いはないのかと聞いてみた。
「そんな、おこがましい気持ちではやっていない。『俺が大学を変えてやろう』なんて思ったことない」
益学長自身の中では、改革マインドに溢れていて、俺が改革するんだという感じではないのかと重ねて聞くと、少しの沈黙の後でこう答えた。
「やっぱりいい大学にしたいという気持ちはある。日本もいい国にしたいという気持ちもある。みんなも幸せな国で、幸せなところで住んで欲しいと思う気持ちもある。『改革は絶対俺がやらなきゃいけない』とか、周りはそう見えるかもしれないけど、なんか違うな、そう思ってないな。
大学を預かる者として、あるいは大学を良くしないといけない責任において、今、何をやらないといけないかを考え、実行していって、それがたまたま改革というように映るだけの様な気がするけど」
『改革が別に目的じゃないということですか?』と更に聞くと
「そうそう、そうそう。ああそう言えばいいんだ。そう、改革が目的じゃないんだよ。
良い社会を持つためには、大学そのものも志を持たないといけないし、ここに居る人も志を持たないといけないよねという話だ。そうだ、改革が目的じゃないんだ。だから俺、答えられなかったんだよ今。あ、いいこと聞いた」
東京工業大学(写真:春川正明)
最後に、「大学はイノベーション(技術革新)を創出する拠点だ」と言う益学長は、大学を最終的にどうしたいか、目指すべき大学について聞いた。
「やっぱりね、大学っていろんな“知”があって、いろんなことを考えている人がいるわけじゃないですか。社会に対しては、いろんな形があると思うんだけど、夢を与え続けるというか、夢を生み出し続けるというか、そういう大学。
その夢っていうのは、まあ分かりやすい研究成果でもいいし、産業を興してもいいし、会社に対して夢を与えてもいいし、何かを生み出す。
夢っていうのは、ある意味、『無から有を生む』様なもの。そういうことが出来る人を育てたり、社会に夢とか何かを生み出し続けるようなことが、大学のあるべき、ありたい姿なんだろうと思います」
そこに向けて、今のところ順調に進んでいるのだろうか。
「順調かどうかわかんない。統合ひとつとっても、文化は違うし。生成系AIじゃないけど、技術の進歩は信じられないくらい速い。当然、世界は変化している。でも、僕ら自身が変わり続けようという『志』を持っていれば、何とかなるかな」
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