68歳の老後の一人暮らしの様子を公開しているYouTubeチャンネル「年金一人暮らしのぺこりーの」のぺこりーのさん。
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チャンネルを開設して初めて投稿した「ようやく妻が死んでくれた」というタイトルの動画は876万回(2025年7月時点)も再生。それ以降、年金の支給額や収入を公開したり、1日の暮らしを赤裸々に発信している。なぜぺこりーのさんは家族や老後の生活の発信を始めたのか。その理由を聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)
ぺこりーのさん 写真=山元茂樹 /文藝春秋
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――現在はどのような活動をしているのですか。
ぺこりーの 専業のYouTuberとして老人の一人暮らしの様子を発信しています。現役時代はデジタルコンテンツのWebマーケティングなどに携わっていて、退職後の数年間は新規事業のコンサルなどをしていました。ただ、それもコロナ禍に終わりまして。月に約12万円支給される年金とYouTubeの収入を頼りに生きています。
――なぜYouTubeを始めたのでしょうか。
ぺこりーの YouTubeをたまたま見ていた時におばあちゃんが食事をしながら年金について話をしている動画が流れてきたんですよ。チャンネルの情報を見てみたら登録者がすごく多かったんです。「えっ、これでこんなに見られるの? 自分でも作れそう」と思い、2022年にYouTubeへの投稿を始めました。
――最初の動画が「ようやく妻が死んでくれた」です。ドキッとするタイトルですね。
ぺこりーの これまでコンテンツ制作に関わってきたのでYouTubeというプラットフォームに興味はありました。ただ、YouTubeのレギュレーションがわからなかったんですよね。だから「このタイトルの動画を出したらYouTubeはどんな反応するんだろうか」と試しに上げてみたんです。
動画を公開したら一気にコメントが1000件くらいつきました。「このタイトル、釣りじゃねえか」「嫁さんの死を金に換えやがって」みたいな辛辣なコメントも多くて。それをひとつずつ消していましたね。
いまはYouTubeで辛辣なコメントをもらうたびに「妻の死をこうやって金に換えて生きてます」みたいな冗談を言っています(笑)。ここまで言えるようになるのにすごく時間がかかりました。
――奥様を亡くしてから立ち直るのにはどのくらいの時間がかかったのですか。
ぺこリーの しばらくの間、立ち直れなかったんですよ。嫁を亡くした後の4年間は記憶があやふやです。
――奥様が亡くなった時のことをお聞きしてもよろしいですか。
ぺこりーの ボルダリングのジムで撮影をしていた時に大学病院から電話がかかってきたんです。「えっ。なんで?」と不思議に思いながら電話に出ると、看護師さんから「奥さんが心肺停止になり、AEDをかけて意識が戻った」ことを説明されました。
嫁に電話を代わってくれたんですが、嫁は「仕事中にごめんなさい」と何度も謝るんですよ。「しゃべれるんだ」と思いながらすぐにタクシーを呼んで病院に向かいました。
病院に着いて「こんなに大きな病院に……」と言葉をなくしながらも病室に向かったら緊急手術になって。嫁が手術室に入る前に「私、死ぬのかな? 死にたくないけど、もし死んだら2匹のワンコと一緒のお墓に入れてね」と言ったんです。これが最後の言葉になりましたね。
――病名は。
ぺこりーの 急性心筋炎という心臓の筋肉に炎症が起こる病気でした。手術が終わって集中治療室に運ばれた嫁はコードやモニターがたくさんついていました。ここの記憶もあやふやではありますが、医者は希望を持たせるような曖昧な話ばかりするんですよね。私も「治るはず」と思って、毎日夕方4時頃に病院に行く生活を送っていました。
病院から家に帰って2匹のワンコにご飯をあげて、散歩に行って……。いつもフラフラで自分も倒れそうでしたし、1日も気の休まる日はありませんでした。明日になればこれまでみたいに話せるようになるんじゃないか。そんなことばかり考えていました。
――先が見えないですね。
ぺこりーの 最後の最後まで嫁が回復すると信じていました。ただ、3ヶ月が経った頃に決断をしなければいけなくなったんです。医者から「この管を外したら終わりです」って言われて。「ああ……俺が決めないといけないのか」と思いました。
でも、その時は外してあげたかったんですよね。だから「もう楽にさせてください」と言って。生命を維持するためのコードが外れていき、数分で息を引き取りました。
――ショックの大きいことが続きますね。
ぺこりーの 人生で一番つらい期間でした。ただ、嫁の葬式を執り行なう必要はあったので、なんとか気力を振り絞りました。嫁は本当に友達が多かったんです。飲み仲間や犬の散歩仲間やママ友……。葬式には何十人どころではない人たちが見送りに来てくれました。
明るい性格の嫁に合った葬式をしようと思っていたんですよ。斎場では嫁のスマホに入っていたRIP SLYMEや安室奈美恵の曲をずっとかけていましたね。食事をする場所で酒を飲みながらどんちゃん騒ぎしていました。
――式を終えた後はいかがでしたか。
ぺこりーの やっぱり気を張っていたんでしょうね。次の日は身体が硬直してまったく動けなかったです。ずっと家で寝ていました。その辺りから記憶が飛んでいるので「どうやって生きていたんだろうなあ」と思います。
――しばらく仕事は休んだんですか。
ぺこりーの もともとSNS関係の会社の担当役員を務めていましたが、1年経った頃に退職しました。任期満了での退任だったのか、途中で辞めたのかは覚えていません。
この頃にらんまるくんというワンコも嫁の後を追うように亡くなったんですよ。まだ、10歳でした。もう1匹ゆいまるくんというワンコがいるんですけど、この子がいなかったら耐えられなかった気がします。
――仕事を辞めた後はどのような生活を送っていたんですか。
ぺこりーの 会社を辞めた後にWebや事業開発関係のコンサルの仕事の声をかけていただいたんです。沖縄や宮城など全国を飛び回るようになり、全国にいる仕事仲間と飲み歩いたりもして。忙しいおかげで気が紛れました。もし何もやっていなければ、嫁の後を追っていたかもしれません。
――仕事に打ち込んでいたんですね。
ぺこりーの 人間は生きることに興味がなくなると死んでしまうような気がするんですよね。でも、クライアントがいると「必要としてくれている」と思えるんです。それに新規事業に関わると嫌でも気持ちが前向きになるんですよね。新しいことを考えるとワクワクしてきますから。
――この頃から少しずつ立ち直っていったのでしょうか。
ぺこりーの それでも立ち直れなくて。嫁が亡くなってからの4年間は死んだような生活を送ってきました。
ただ、立ち直るきっかけを与えてくれた恩人がいます。その方は旦那さんをガンで亡くした方で、京都で一緒に飲むことがあったんですよ。その時に「いつまでも泣いてるのはあなただけよ。奥様はもう病気の苦痛から解放されて天国で笑っているわ」と言われて。その言葉がものすごく刺さったんです。「ずっと悲しんでいるけど、嫁さんは天国で笑っているんだよな」と思えました。
気持ちがスッと楽になって「誰かの言葉でこうやって救われるんだなぁ」と思いましたね。それから頭に血が通ってきて、嫁との思い出を振り返るブログを始めたんです。パートナーを亡くして自分みたいにもがいている人はたくさんいるはず。「そういう境遇の人の役に立てばいいな」と考えました。
〈「これだけで生活するのは苦しい」妻は58歳で急逝、年金は月に約12万円…一人暮らしの男性(68)が明かす、老後の“お金事情”〉へ続く
(中 たんぺい)