秋は外に出たくなる季節だ。空は高く、空気は澄み、紅葉とともに街が動き出す。家族連れは遊園地へ、観光地へ、ショッピングモールへと向かう。休日の駐車場は満車、レジには列ができ、笑い声があふれている。だが、この「人の多さ」が、子どもを最も危険に晒す。行楽地のトイレほど、親が無防備になる場所はない。
多くの親はこう考える。「商業施設だから安全」「公園は明るいから大丈夫」「人が多い場所で事件なんか起きるはずがない」。だが、「犯罪機会論」の視点から見れば、それは真逆だ。子供がたくさんいれば、それだけ「犯罪の機会」が多くなり、犯罪者を引きつける。
そうした場所の中で、最も危険なのがトイレだ。日本のトイレは、世界でもっとも犯罪を誘発しやすい。まさしく「トイレは犯罪の温床」である。理由は簡単だ。グローバル・スタンダードである「犯罪機会論」が普及していないからだ。
犯罪が起きた場所に注目する「犯罪機会論」では、40年以上にわたる研究の結果、犯罪が起きやすいのは「入りやすく見えにくい場所」であることがすでに分かっている。ところが、日本ではこの理論が浸透していないため、トイレの構造が「入りやすく見えにくい場所」になっている。
女児が殺害された熊本のスーパーマーケットのトイレ(2011年)がその典型だ。犯人は「だれでもトイレ」に女児と一緒に入り、性的行為を犯していた。ところが、トイレの外から女児を捜す声が聞こえ、ドアをノックされたので、犯人はパニックに陥った。そのため、右手で女児の口をふさぎ、左手で首を圧迫し、女児を窒息死させてしまったのだ。
「犯罪機会論」の視点から現場を診断すると、殺害現場は「入りやすく見えにくい場所」だったと言わざるを得ない。一直線の通路の手前に女性用、突き当りに男性用、その間に「だれでもトイレ」という配置。しかも、ほぼ隣り合っている。「だれでもトイレ」は、男性がトイレに向かうルート上にあるがゆえに、犯人が不自然なく入れてしまった。つまり「入りやすい場所」にあった。
そして、トイレの入り口は、壁が邪魔をして、買い物客や従業員の視線が届きにくい「見えにくい場所」でもあった。
なお、スーパーには監視カメラが設置されていたが、犯人には抑止力とはならなかった。というのは、監視カメラが怖いのは、犯行が発覚するかもしれないとビクビクしている犯罪者だけだからだ。この事件の犯人は、監視カメラがある店で、4時間、堂々と女児を物色し続けた。この事実から、犯人は、犯行が発覚しないと思っていたことが推測される。つまり、子供を最後までだまし通せる自信があったのだ。
監視カメラに自分の顔が捕らえられたとしても、犯行が発覚しない以上、録画映像が見られることもない――そう犯人は思っていたに違いない。ところが、トイレまで子供を捜しに来るという想定外の展開があり、慌てふためいて殺人に至ったのだ。
対照的に、犯罪機会論が十分に活用されている海外では、トイレの設計そのものが、犯罪の機会を奪うよう工夫されている。言い換えれば、レイアウト的に「入りにくく見えやすい場所」になっているのだ。
例えば、次の写真はゾーニング、つまりスペースによる「すみ分け」が確保された韓国のトイレである。ゾーニングは「入りにくい場所」を作る基本だ。
このトイレには、左手前から男性用、女性用、右手前から男性身体障害者用、女性身体障害者用、と四つのゾーンがある。このように、利用者の特性に配慮したゾーニングが施されているトイレは、犯罪者が紛れ込みにくい「入りにくい場所」だ。
しかも、女性のトイレは、熊本の事件現場とは逆で、奥まったところに配置されている。つまり、「入りにくい場所」になっているのだ。女性用トイレが奥側にあると、女性が男性の犯罪者に尾行されても、トイレに入る前に「おかしい」と気づくことができる。周囲の第三者も、「なぜあの男は奥側に行くのか」と異変を感じ取ることができるので、犯罪者は尾行しにくい。
こうした配慮に基づき設計されているのが海外のトイレだ。その結果、犯罪機会論を採用していない日本のトイレとは、デザインが大きく異なることになった。
次の図表1は、日本と海外の公共トイレのよくあるパターンを比較したものだ。
日本のトイレは通常、三つのゾーンにしか分かれていない。男女専用以外のゾーンには「だれでもトイレ」などという名が付けられ、身体障害者用トイレは男女別になっていない。つまり、「入りやすい場所」だ。ゾーニングの発想が乏しいのは、「何事もみんなで」という精神論が根強いからかもしれない。
これに対し、海外のトイレは通常、四つのゾーンに分かれている。男女別の身体障害者用トイレが設置されることもあれば、男女それぞれのトイレの中に障害者用個室が設けられることもある。
海外では、男性用トイレの入り口と女性用トイレの入り口が、かなり離れていることも珍しくない。入り口が離れていると、男の犯罪者が女性を尾行して、女性用トイレに近づくだけで目立ち、前を行く女性も周囲の人も異変に気づく。
例えば、次の写真は、男女の入り口が離れているチェコのトイレだ。これだけ動線が分離していれば、怪しまれずに尾行するのは不可能に近い。
繰り返しになるが、日本では犯罪機会論が普及していない。そのため、危険なトイレが次々に提供されている。例えば、強制わいせつ事件(2021年)が起こった大井町駅前トイレは、品川区の実施した設計コンペティションで最優秀賞を受賞したトイレだ。この場所は駅前で人通りも多く、夜も比較的明るい。しかし、そこは「入りやすく見えにくい場所」だった。
この事件では、被害女性と面識がなかった犯人は、女性に声をかけて公衆トイレに押し込み、20分間、体を触った。犯人は「いちゃいちゃしたかった」と供述している。
女性が連れ込まれたのは「だれでもトイレ」。つまり「入りやすい場所」だった。さらに、入り口が道路側ではなく、線路側にあるので「見えにくい場所」でもあった。
駅やスーパーのトイレで事件が起こりやすい原因は、トイレのデザインが犯罪機会論に基づいていないことが第一だが、それだけでなく、そこが「不特定多数の人が集まる場所」でもあるからだ。したがって、行楽地のトイレも「不特定多数の人が集まる場所」であることに変わりがないので、そこも危険である。場所に注目する「犯罪機会論」の視点から言うと、行楽地のトイレも、「入りやすく見えにくい場所」である。
「不特定多数の人が集まる場所」には、誰でも簡単に入れる。つまり、「入りやすい場所」である。さらに、そこでは「注意分散効果」と「傍観者効果」が生まれる。要するに、他人の視線が期待できない、「心理的に見えにくい場所」である。
注意分散効果とは、人の注意や関心が分散し、視線のピントがぼけてしまうことだ。人が多いと、親は「誰かがうちの子を見てくれている」と思いがちだが、実際のところ、誰も「うちの子」を見ていない。「うちの子」にスポットライトを当てるのは親だけである。
また、傍観者効果とは、犯行に気づいても、「たくさんの人が見ているから、自分でなくても誰かが行動を起こすはず」と思って、制止や通報を控えることだ。その場に居合わせた人全員がそう思うので、結局誰も行動を起こさない。その様子を見て誰かが行動を起こすかといえば、それもない。今度は、「誰も行動を起こさないので、深刻な事態ではない」と判断してしまうからだ。
例えば、長崎市で男児が男子中学生に連れ去られ殺害された事件(2003年)でも、買い物客でにぎわう家電量販店、つまり、「不特定多数の人が集まる場所」が誘拐現場となった。この事件では、「当時、店内は会社帰りのサラリーマンや中高生でにぎわっていたというが、有力な目撃情報は寄せられていない」と報じられている。このように、不特定多数の人が集まる場所は、「入りやすく見えにくい場所」なのである。
海外では、犯罪機会論の視点から、「不特定多数の人が集まる場所」のように「心理的に見えにくい場所」であっても、できるだけ「物理的に見えやすい場所」にしようと工夫してきた。
例えば、現代のショッピングモールは、昔の監獄のデザインを受け継がれている。次の写真は、カナダのショッピングモールだが、このデザインを監獄のデザインと比べていただきたい。
監獄のデザインとして紹介するのは、オーストラリアの旧メルボルン監獄だ。ここは現在、歴史的建造物として一般公開されている。
この建築様式は、イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが考案したもので、「パノプティコン」と呼ばれている。それは、古代ギリシャ語の「パン(すべて)」と「オプティコン(観察)」の合成語だ。囚人は実際には見られていなくても、看守の視線を気にせざるを得ないので、「一望監視施設」とも呼ばれている。
ショッピングモールのデザインも、同じように犯罪機会論の発想から、「どこからか誰かから見られている状況」を作り出している。
こうした取り組みは、本来は行政や企業が担うべき課題だが、彼らが犯罪機会論の重要性に気づくまで、犯罪は待ってはくれない。それまでは、日本人の一人ひとりが、犯罪機会論を学び、「入りやすく見えにくい場所」に注意するしかない。
例えば、ショッピングモールのトイレを利用する際、次のような特徴が見られるのなら警戒レベルを上げていただきたい。
(1)男女・だれでもトイレの「入り口」と「動線」が同じor隣り合っている
男性が女性用トイレ付近にいても不自然に見えにくく、犯人がターゲットに接近しやすい。当記事の冒頭に紹介した熊本の事件のように、男性ルート上にある「だれでもトイレ」があてはまる。
(2)男性用が、女性用とだれでもトイレよりも奥にある
女性用トイレに向かう動線上に男性が入ってくることになり、尾行や待ち伏せのリスクが高まる。
(3)トイレの表示が不明瞭で、入り口を間違えやすい
犯人が「間違えて入っちゃいました」という言い訳を使いやすく、意図的に侵入するハードルが下がる。心理的に「入りやすい場所」になる。
(1)入り口が奥まっている、通行人から見えにくい
通路からの「自然な監視」が効かず、犯人が待ち伏せしたり、ターゲットを連れ込んだりする様子が人目に付きにくい。壁や柱、自販機などの死角も同様。物理的に「見えにくい」場所
(2)トイレ内に落書きやゴミが多い
「管理されていない=監視の目がない」というサインを犯人に送ってしまう。犯罪者からすれば「目撃されにくい」「通報されにくい」と見なされ、犯罪を誘発しやすくなる。心理的に「見えにくい場所」。
(3)トイレが階段の近くにある
犯罪者が怪しまれずに近づける。また、犯行後の逃走経路としても利用されやすくなる。物理的に「見えにくく」かつ「入りやすい=出やすい」場所。一方で、階段や踊り場に写真や絵画が飾ってあると“人を呼ぶ力がある”と捉えられ、少しは心理的に「見えやすい場所」になる。
(4)入り口前に休息用のベンチが設置されている
犯人が休憩を装ってターゲットを長時間物色したり、待ち伏せしたりするのに好都合。不審な行動かどうかがわかりづらい。周囲から目立たずに物色ができる、心理的に「見えにくい場所」。
その他にも危険なサインはある。
・個室に非常通報装置が設置されていない・入り口付近に監視カメラがない
「非常通報装置」があれば、被害を最小限に抑えやすくなり、広義では心理的に「見えやすい場所」になる。
また、「監視カメラ」は、犯罪者にとっては“誰かが注目している”と感じるので、心理的には「見えやすい場所」になるが、日本では、リアルタイムのモニタリングが低調なので、海外ほどの抑止力は期待できない。つまり、犯罪者に“監視されている”と思わせにくいので、注意が必要である。
こうした「入りやすく見えにくいトイレ」では、犯罪被害のリスクが相対的に高くなる。子供が利用するときには、保護者が同伴するのが望ましい。異性の親で中まで付き添えない場合は、入り口付近で待機することが有効だ。その際、子供には「トイレの中で誰かに何かを頼まれても断っていい」と伝えておくこと。また、親自身もスマートフォンを見ずに周囲を観察し、警戒している姿を見せることが犯罪抑止につながる。
このように、「入りやすく見えにくい場所」では、物理的にも心理的にも子供の背中を見失わないこと――それが子供を守る一番の鍵である。
———-小宮 信夫(こみや・のぶお)立正大学教授、社会学博士日本人として初めて英国ケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。本田技研工業、法務省、国連アジア極東犯罪防止研修所などを経て現職。警察庁「持続可能な安全・安心まちづくりの推進方策に係る調査研究会」座長などを歴任。———-
(立正大学教授、社会学博士 小宮 信夫)