多様な生き方が認められている昨今だが、死ぬときになるとかつての名残の“家システム”に直面する。エンディングデザイン研究所代表・井上治代さんの著書『おひとりさま時代の死に方』(講談社+α新書)では、お墓事情を皮切りに、法律と現代の家族の形との乖離(かいり)を指摘している。「孤独死」し、身元も確認できず、引き取り手のない遺体はどうなるのか…、一部抜粋・再編集して紹介する。
引き取り手のないご遺体の場合、火葬・埋葬などは自治体でおこなうことが法律で決められている。その場合、身元が確認されているか否かによって対象となる法律が違う。
身元確認ができていない場合は「行旅病人及行旅死亡人取扱法(行旅法)」によって、死亡地の市区町村が責任をもって火葬・埋葬をおこなうことが規定されている。
一方、本人の身元確認ができているのに、引き取る家族や親族などがいなかったり見つからなかったりする場合は、「墓地、埋葬等に関する法律」(以下、墓埋法)第9条に基づいて自治体の義務になっている。
「行旅法」は、明治32年の施行であるため、当時の社会のあり方が反映されている。明治時代では、世帯員数も多く、地域共同体意識も高かったので、看護や死後のことは家族が担うのが当然で、身元不明者が出るとすれば「旅行中」だったのだろう。
現在では、ひとり世帯が多く、親族も没交渉の人が多いため、身元確認ができない人は日常的に存在する。現代では「旅行中」に限られてはいないので、少し違和感があるが、この法律に基づいて頻繁に自治体が動いていることは確かである。
また、墓埋法第9条にも第2項がある。「(前略)その費用に関しては、行旅病人及び行旅死亡人取扱法(中略)の規定を準用する」という文言で、ここに「行旅法」が登場し、責任を負う者は自治体なのである。
この法律の大活躍によって、自治体では、身元がわからない遺骨の安置スペースが増え続け、葬祭費がかさみ続けている。
遺体を長期間火葬せずに葬儀会社に預けたままにするケースも出てきており、厚生労働省は引き取り手のない遺体や遺骨に対する自治体の取り扱いについて初めて実態調査を実施した。
日本では、入院に際して保証人が求められている。2016年のこと、首都圏にある医療機関のソーシャルワーカーから、エンディングセンターに電話が入った。
心臓発作で緊急入院した患者の皆川和子さん(仮名・81歳・未婚)が、「エンディングセンターの人に来てほしい」と言っていると。しかし、死後のことや入院時の身元保証の契約を結んでいなかった。それでも緊急入院だったので、私ともうひとりのスタッフが病院に向かった。
駆けつけてみると、皆川さんは集中治療室に入っていた。体調が悪かったので病院で検査を受けたら、そのまま入院になったという。
皆川さんを見ると、毅然とし、集中治療室にいる患者には見えない。しかし心臓が悪く、血管がふさがってしまえば死に至る危ない状態であるという説明があった。
そこで保証人が必要になったというわけである。
私は病院のソーシャルワーカーに、「保証人というのは、本人が治療費を払えなかったときの金銭的な保証なのか、それとも亡くなったときのご遺体の引き取りですか」と聞くと、後者だという。
一般的には「両方」なのだが、入院費に関しては入居していた施設の人からの説明で、預かり金がある様子であった。すぐに私は保証人の書類にサインをした。
実は皆川さんは、数年前にエンディングセンターと「死後サポート委任契約」を結んだ。しかし「甥が面倒を見てくれると言ってくれた」というので、契約を解除した。
うれしかったのだろうか、未婚で子どものいない皆川さんは、甥を相続人にした遺言書を書いた。ところが、甥は子どもの行事で忙しいからと、何もやってくれなかった。
そのような事情をエンディングセンターに相談したいと考えていた矢先に、緊急入院となってしまった、というわけである。
甥は皆川さんの入院に際しても関わろうという意志はみられなかったと、皆川さんが入居している高級高齢者施設の担当者が教えてくれた。
本来ならば委任契約を結んでいないので、エンディングセンターは保証人を引き受けられない。エンディングセンターが医療費の返済義務や死後の遺体の移送の義務を負うことになるので、そのお金の出所が保証されていないことになる。
契約なしにお亡くなりになれば、死後のことは手を出せないが、ご本人が存命であって判断能力があれば、そして双方が承諾すれば、保証人になることができる。
なぜ決断したのかというと、解約したけれどかつての契約書類があったのですぐに再契約すればいいと考えたことと、皆川さんが入居している施設がエンディングセンターと連絡を取り合って事情などを話してくれていたからだ。
皆川さんは、このあと無事退院することができて、エンディングセンターと死後事務委任の契約を済ませた。
井上治代社会学博士。東洋大学教授を経て、同大・現代社会総合研究所客員研究員、エンディングデザイン研究所代表。著書に『現代お墓事情─ゆれる家族の中で』、『いま葬儀・お墓が変わる』、『最期まで自分らしく』、『墓をめぐる家族論─誰と入るか、誰が守るか』、『墓と家族の変容』、『子の世話にならずに死にたい─変貌する親子関係』、『より良く死ぬ日のために』、『桜葬─桜の下で眠りたい』ほか多数。