「園長になると聞いた時は、『あいつが園長? 大丈夫なのか?』と思いました。昔からの知人はみんな心配していましたね。あいつの父親は、幼稚園の他にもお茶の工場を経営する金持ちで、いわば立義(増田立義園長)はボンボン。子供の頃からズボラな性格だったので、水戸黄門の『うっかり八兵衛』ならぬ『ええからげん(=いい加減)八兵衛』と呼ばれていました。そんな性格が災いしたのか、まさかこんな事故が起こるとは……」(増田園長の知人)
【画像】中の様子がうかがえない特殊な塗装の幼稚園バス。このバスに5時間置き去りにされ千奈ちゃん(3)は熱中症でなくなった炎天下のバス車中に取り残されて… 9月5日午後2時10分ごろ、静岡県牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」の通園バス内で、河本千奈ちゃん(3)が意識を失っているのを幼稚園の職員が発見した。千奈ちゃんは病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。 死因は熱中症とみられている。バスの運転手だった増田園長(73)らが園児を降車させる際、千奈ちゃんを車中に残したままであることに気づかず、3歳の女の子を5時間以上も通園バスの中に閉じ込めてしまったのだ。全国紙社会部記者が解説する。窓にまで施された色鮮やかな塗装が目を引く送迎バス「バスは増田園長が運転し、70代の女性職員も乗車していました。千奈ちゃんを含む6人の園児を乗せ、園には5日午前8時50分ごろ到着したようです。この日の牧之原市の最高気温は30.5度で、まさに蒸し風呂状態。午後2時10分ごろ、園児を帰宅させるため職員がバスに乗って発見した時には、千奈ちゃんは既に意識も呼吸もなく、体温も非常に高い状態でした。車内には千奈ちゃんが飲み干したとみられる空の水筒も見つかったようです」悲劇が起こった川崎幼稚園の地元での評判は… 昨年の夏、福岡県の保育園で送迎バスに取り残された5歳の園児が命を落としてしまった事故が思い起こされる。この時は、保育園側が降車時の確認を怠っていたことが原因だったことが分かっているが、今回も同様の「過失」があったと疑われている。「出欠管理は保護者が登園時にQRコードを端末にかざして確認するシステムでしたが、バスで通う園児は保護者がいないため職員がまとめて出席扱いにするのが慣例でした。バスに乗っていた園長と女性職員は「バスを降りる園児の数は、相手が確認すると思っていた」と言い訳しているようです。降車時の点検も出欠確認も杜撰だった可能性があり、静岡県警は業務上過失致死容疑も視野に捜査を進めています」(同前) 悲劇が起こった川崎幼稚園は1962年に認可を受けた歴史ある幼稚園だ。1976年に園長になった父の後を継ぎ、2002年に増田園長が園長に就任している。園は幼い子供で賑わい、近隣住民たちにとっては癒しの光景だったようだ。園の評判は決して悪くない。近所の評判は悪くなかった「可愛い子供がキャーキャーいいながら遊ぶ姿を毎日見かけました。一人ひとりの面倒を丁寧に見ている印象で、保育士さんも優しく子供に声をかけていましたよ。町内の行事で園長を見かけた時には、『子供は宝です。大切に育てたい』と熱弁をふるっていたのを覚えています」 住民たちは駐車場の草むしりをしたり、気さくに挨拶する園長の姿をしばしば目にしている。園長の人柄もあってか、川崎幼稚園に信頼を寄せる家庭も多かったようだ。「家が近い子供は、両親や祖父母が手を引いて幼稚園に連れていきますが、最近は遠くから通う子供が増え、バスで送り迎えする家庭が増えました。千奈ちゃんのお宅は近くにお住まいですけど、お母さんが妊娠したことを機に、送り迎えが大変だからバスを利用するようになったと聞いています。それがこんな事故につながってしまうなんて、言葉も出ません」(近隣住民) だが一方で、増田園長を古くから知る友人は、以前から園の運営について心配していたという。増田園長の幼少期からの知人が話す。園長の口癖は「俺は知らない」「そんなことは言ってない」「事故を聞いたとき、率直なところ『やってしまったな』と思いました。立義(増田園長)の父親は海軍兵学校の出身で、予科練の帽子を被り、竹刀を片手に『親を大事にしろ』『いじめはダメだ』と子供たちを厳しく指導していました。一方の立義はボンボン気質。性格は親父とは正反対で、芯が全くない。口癖は『俺は知らない』『そんなことは言ってない』。いい加減な性格だから、子供の頃は『ええからげん八兵衛』と呼ばれていました」 2002年に川崎幼稚園の園長に就任した増田園長は、近隣の幼稚園を買収するなど経営拡大に熱を上げていた。だが手を広げすぎるあまり、肝心の子供の扱いや園の管理がなおざりになるのではないかという懸念の声は少なくなかった。「増田さんは近隣の幼稚園をどんどん自分の傘下に収め、ついには隣町の幼稚園にまで手を出そうとしました。『そこまでやらなくていいんじゃないか』と隣町の議員が怒ったこともありましたよ。市議会や役場の職員のなかでも、『あんなに拡大して大丈夫か』『職員が足りなくなるに決まっている』と不安視する声はたくさんありました。ただ、地元の議員にうまく根回しをしたからか、結局は認められることになりましたが……」(地元関係者)バスを塗りつぶす“ペインティング” 増田園長は2012年に園児を集めて静岡県警牧之原署と共同で交通安全パレードを実施しているほか、2014年には交通安全活動に尽力したとして、榛原地区安全運転管理協会から表彰状を受け取ったりするなど、“地元の名士”として知られていた。前述の知人が続ける。「交通安全パレードも含めて、立義はパフォーマンスをするのが得意でした。今回、千奈ちゃんが死亡したバスにある窓ごと車体を塗装する“ペインティング”も、周辺地域で始めたのは、川崎幼稚園が最初だったと思います。車内が見えなくなってしまって、見送るお母さんが可哀そうだなと思っていました。あくまで可能性ではありますが、このペインティングがなければ、助けを呼ぶ千奈ちゃんに気付いた人もいて、こんな悲劇は生まれなかったのかもしれません」 炎天下のバスに取り残され、失われてしまった3歳女児の命。管理体制に不備はなかったのか。“うっかり”で済む事故ではない。◆◆◆「文春オンライン」では、今回の件について、情報を募集しています。下記のメールアドレス、または「文春くん公式ツイッター」のDMまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス:[email protected] 文春くん公式ツイッター:https://twitter.com/bunshunho2386(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
炎天下のバス車中に取り残されて… 9月5日午後2時10分ごろ、静岡県牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」の通園バス内で、河本千奈ちゃん(3)が意識を失っているのを幼稚園の職員が発見した。千奈ちゃんは病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。 死因は熱中症とみられている。バスの運転手だった増田園長(73)らが園児を降車させる際、千奈ちゃんを車中に残したままであることに気づかず、3歳の女の子を5時間以上も通園バスの中に閉じ込めてしまったのだ。全国紙社会部記者が解説する。窓にまで施された色鮮やかな塗装が目を引く送迎バス「バスは増田園長が運転し、70代の女性職員も乗車していました。千奈ちゃんを含む6人の園児を乗せ、園には5日午前8時50分ごろ到着したようです。この日の牧之原市の最高気温は30.5度で、まさに蒸し風呂状態。午後2時10分ごろ、園児を帰宅させるため職員がバスに乗って発見した時には、千奈ちゃんは既に意識も呼吸もなく、体温も非常に高い状態でした。車内には千奈ちゃんが飲み干したとみられる空の水筒も見つかったようです」悲劇が起こった川崎幼稚園の地元での評判は… 昨年の夏、福岡県の保育園で送迎バスに取り残された5歳の園児が命を落としてしまった事故が思い起こされる。この時は、保育園側が降車時の確認を怠っていたことが原因だったことが分かっているが、今回も同様の「過失」があったと疑われている。「出欠管理は保護者が登園時にQRコードを端末にかざして確認するシステムでしたが、バスで通う園児は保護者がいないため職員がまとめて出席扱いにするのが慣例でした。バスに乗っていた園長と女性職員は「バスを降りる園児の数は、相手が確認すると思っていた」と言い訳しているようです。降車時の点検も出欠確認も杜撰だった可能性があり、静岡県警は業務上過失致死容疑も視野に捜査を進めています」(同前) 悲劇が起こった川崎幼稚園は1962年に認可を受けた歴史ある幼稚園だ。1976年に園長になった父の後を継ぎ、2002年に増田園長が園長に就任している。園は幼い子供で賑わい、近隣住民たちにとっては癒しの光景だったようだ。園の評判は決して悪くない。近所の評判は悪くなかった「可愛い子供がキャーキャーいいながら遊ぶ姿を毎日見かけました。一人ひとりの面倒を丁寧に見ている印象で、保育士さんも優しく子供に声をかけていましたよ。町内の行事で園長を見かけた時には、『子供は宝です。大切に育てたい』と熱弁をふるっていたのを覚えています」 住民たちは駐車場の草むしりをしたり、気さくに挨拶する園長の姿をしばしば目にしている。園長の人柄もあってか、川崎幼稚園に信頼を寄せる家庭も多かったようだ。「家が近い子供は、両親や祖父母が手を引いて幼稚園に連れていきますが、最近は遠くから通う子供が増え、バスで送り迎えする家庭が増えました。千奈ちゃんのお宅は近くにお住まいですけど、お母さんが妊娠したことを機に、送り迎えが大変だからバスを利用するようになったと聞いています。それがこんな事故につながってしまうなんて、言葉も出ません」(近隣住民) だが一方で、増田園長を古くから知る友人は、以前から園の運営について心配していたという。増田園長の幼少期からの知人が話す。園長の口癖は「俺は知らない」「そんなことは言ってない」「事故を聞いたとき、率直なところ『やってしまったな』と思いました。立義(増田園長)の父親は海軍兵学校の出身で、予科練の帽子を被り、竹刀を片手に『親を大事にしろ』『いじめはダメだ』と子供たちを厳しく指導していました。一方の立義はボンボン気質。性格は親父とは正反対で、芯が全くない。口癖は『俺は知らない』『そんなことは言ってない』。いい加減な性格だから、子供の頃は『ええからげん八兵衛』と呼ばれていました」 2002年に川崎幼稚園の園長に就任した増田園長は、近隣の幼稚園を買収するなど経営拡大に熱を上げていた。だが手を広げすぎるあまり、肝心の子供の扱いや園の管理がなおざりになるのではないかという懸念の声は少なくなかった。「増田さんは近隣の幼稚園をどんどん自分の傘下に収め、ついには隣町の幼稚園にまで手を出そうとしました。『そこまでやらなくていいんじゃないか』と隣町の議員が怒ったこともありましたよ。市議会や役場の職員のなかでも、『あんなに拡大して大丈夫か』『職員が足りなくなるに決まっている』と不安視する声はたくさんありました。ただ、地元の議員にうまく根回しをしたからか、結局は認められることになりましたが……」(地元関係者)バスを塗りつぶす“ペインティング” 増田園長は2012年に園児を集めて静岡県警牧之原署と共同で交通安全パレードを実施しているほか、2014年には交通安全活動に尽力したとして、榛原地区安全運転管理協会から表彰状を受け取ったりするなど、“地元の名士”として知られていた。前述の知人が続ける。「交通安全パレードも含めて、立義はパフォーマンスをするのが得意でした。今回、千奈ちゃんが死亡したバスにある窓ごと車体を塗装する“ペインティング”も、周辺地域で始めたのは、川崎幼稚園が最初だったと思います。車内が見えなくなってしまって、見送るお母さんが可哀そうだなと思っていました。あくまで可能性ではありますが、このペインティングがなければ、助けを呼ぶ千奈ちゃんに気付いた人もいて、こんな悲劇は生まれなかったのかもしれません」 炎天下のバスに取り残され、失われてしまった3歳女児の命。管理体制に不備はなかったのか。“うっかり”で済む事故ではない。◆◆◆「文春オンライン」では、今回の件について、情報を募集しています。下記のメールアドレス、または「文春くん公式ツイッター」のDMまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス:[email protected] 文春くん公式ツイッター:https://twitter.com/bunshunho2386(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
9月5日午後2時10分ごろ、静岡県牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」の通園バス内で、河本千奈ちゃん(3)が意識を失っているのを幼稚園の職員が発見した。千奈ちゃんは病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。
死因は熱中症とみられている。バスの運転手だった増田園長(73)らが園児を降車させる際、千奈ちゃんを車中に残したままであることに気づかず、3歳の女の子を5時間以上も通園バスの中に閉じ込めてしまったのだ。全国紙社会部記者が解説する。
窓にまで施された色鮮やかな塗装が目を引く送迎バス
「バスは増田園長が運転し、70代の女性職員も乗車していました。千奈ちゃんを含む6人の園児を乗せ、園には5日午前8時50分ごろ到着したようです。この日の牧之原市の最高気温は30.5度で、まさに蒸し風呂状態。午後2時10分ごろ、園児を帰宅させるため職員がバスに乗って発見した時には、千奈ちゃんは既に意識も呼吸もなく、体温も非常に高い状態でした。車内には千奈ちゃんが飲み干したとみられる空の水筒も見つかったようです」
昨年の夏、福岡県の保育園で送迎バスに取り残された5歳の園児が命を落としてしまった事故が思い起こされる。この時は、保育園側が降車時の確認を怠っていたことが原因だったことが分かっているが、今回も同様の「過失」があったと疑われている。
「出欠管理は保護者が登園時にQRコードを端末にかざして確認するシステムでしたが、バスで通う園児は保護者がいないため職員がまとめて出席扱いにするのが慣例でした。バスに乗っていた園長と女性職員は「バスを降りる園児の数は、相手が確認すると思っていた」と言い訳しているようです。降車時の点検も出欠確認も杜撰だった可能性があり、静岡県警は業務上過失致死容疑も視野に捜査を進めています」(同前) 悲劇が起こった川崎幼稚園は1962年に認可を受けた歴史ある幼稚園だ。1976年に園長になった父の後を継ぎ、2002年に増田園長が園長に就任している。園は幼い子供で賑わい、近隣住民たちにとっては癒しの光景だったようだ。園の評判は決して悪くない。近所の評判は悪くなかった「可愛い子供がキャーキャーいいながら遊ぶ姿を毎日見かけました。一人ひとりの面倒を丁寧に見ている印象で、保育士さんも優しく子供に声をかけていましたよ。町内の行事で園長を見かけた時には、『子供は宝です。大切に育てたい』と熱弁をふるっていたのを覚えています」 住民たちは駐車場の草むしりをしたり、気さくに挨拶する園長の姿をしばしば目にしている。園長の人柄もあってか、川崎幼稚園に信頼を寄せる家庭も多かったようだ。「家が近い子供は、両親や祖父母が手を引いて幼稚園に連れていきますが、最近は遠くから通う子供が増え、バスで送り迎えする家庭が増えました。千奈ちゃんのお宅は近くにお住まいですけど、お母さんが妊娠したことを機に、送り迎えが大変だからバスを利用するようになったと聞いています。それがこんな事故につながってしまうなんて、言葉も出ません」(近隣住民) だが一方で、増田園長を古くから知る友人は、以前から園の運営について心配していたという。増田園長の幼少期からの知人が話す。園長の口癖は「俺は知らない」「そんなことは言ってない」「事故を聞いたとき、率直なところ『やってしまったな』と思いました。立義(増田園長)の父親は海軍兵学校の出身で、予科練の帽子を被り、竹刀を片手に『親を大事にしろ』『いじめはダメだ』と子供たちを厳しく指導していました。一方の立義はボンボン気質。性格は親父とは正反対で、芯が全くない。口癖は『俺は知らない』『そんなことは言ってない』。いい加減な性格だから、子供の頃は『ええからげん八兵衛』と呼ばれていました」 2002年に川崎幼稚園の園長に就任した増田園長は、近隣の幼稚園を買収するなど経営拡大に熱を上げていた。だが手を広げすぎるあまり、肝心の子供の扱いや園の管理がなおざりになるのではないかという懸念の声は少なくなかった。「増田さんは近隣の幼稚園をどんどん自分の傘下に収め、ついには隣町の幼稚園にまで手を出そうとしました。『そこまでやらなくていいんじゃないか』と隣町の議員が怒ったこともありましたよ。市議会や役場の職員のなかでも、『あんなに拡大して大丈夫か』『職員が足りなくなるに決まっている』と不安視する声はたくさんありました。ただ、地元の議員にうまく根回しをしたからか、結局は認められることになりましたが……」(地元関係者)バスを塗りつぶす“ペインティング” 増田園長は2012年に園児を集めて静岡県警牧之原署と共同で交通安全パレードを実施しているほか、2014年には交通安全活動に尽力したとして、榛原地区安全運転管理協会から表彰状を受け取ったりするなど、“地元の名士”として知られていた。前述の知人が続ける。「交通安全パレードも含めて、立義はパフォーマンスをするのが得意でした。今回、千奈ちゃんが死亡したバスにある窓ごと車体を塗装する“ペインティング”も、周辺地域で始めたのは、川崎幼稚園が最初だったと思います。車内が見えなくなってしまって、見送るお母さんが可哀そうだなと思っていました。あくまで可能性ではありますが、このペインティングがなければ、助けを呼ぶ千奈ちゃんに気付いた人もいて、こんな悲劇は生まれなかったのかもしれません」 炎天下のバスに取り残され、失われてしまった3歳女児の命。管理体制に不備はなかったのか。“うっかり”で済む事故ではない。◆◆◆「文春オンライン」では、今回の件について、情報を募集しています。下記のメールアドレス、または「文春くん公式ツイッター」のDMまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス:[email protected] 文春くん公式ツイッター:https://twitter.com/bunshunho2386(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「出欠管理は保護者が登園時にQRコードを端末にかざして確認するシステムでしたが、バスで通う園児は保護者がいないため職員がまとめて出席扱いにするのが慣例でした。バスに乗っていた園長と女性職員は「バスを降りる園児の数は、相手が確認すると思っていた」と言い訳しているようです。降車時の点検も出欠確認も杜撰だった可能性があり、静岡県警は業務上過失致死容疑も視野に捜査を進めています」(同前)
悲劇が起こった川崎幼稚園は1962年に認可を受けた歴史ある幼稚園だ。1976年に園長になった父の後を継ぎ、2002年に増田園長が園長に就任している。園は幼い子供で賑わい、近隣住民たちにとっては癒しの光景だったようだ。園の評判は決して悪くない。
「可愛い子供がキャーキャーいいながら遊ぶ姿を毎日見かけました。一人ひとりの面倒を丁寧に見ている印象で、保育士さんも優しく子供に声をかけていましたよ。町内の行事で園長を見かけた時には、『子供は宝です。大切に育てたい』と熱弁をふるっていたのを覚えています」
住民たちは駐車場の草むしりをしたり、気さくに挨拶する園長の姿をしばしば目にしている。園長の人柄もあってか、川崎幼稚園に信頼を寄せる家庭も多かったようだ。
「家が近い子供は、両親や祖父母が手を引いて幼稚園に連れていきますが、最近は遠くから通う子供が増え、バスで送り迎えする家庭が増えました。千奈ちゃんのお宅は近くにお住まいですけど、お母さんが妊娠したことを機に、送り迎えが大変だからバスを利用するようになったと聞いています。それがこんな事故につながってしまうなんて、言葉も出ません」(近隣住民) だが一方で、増田園長を古くから知る友人は、以前から園の運営について心配していたという。増田園長の幼少期からの知人が話す。園長の口癖は「俺は知らない」「そんなことは言ってない」「事故を聞いたとき、率直なところ『やってしまったな』と思いました。立義(増田園長)の父親は海軍兵学校の出身で、予科練の帽子を被り、竹刀を片手に『親を大事にしろ』『いじめはダメだ』と子供たちを厳しく指導していました。一方の立義はボンボン気質。性格は親父とは正反対で、芯が全くない。口癖は『俺は知らない』『そんなことは言ってない』。いい加減な性格だから、子供の頃は『ええからげん八兵衛』と呼ばれていました」 2002年に川崎幼稚園の園長に就任した増田園長は、近隣の幼稚園を買収するなど経営拡大に熱を上げていた。だが手を広げすぎるあまり、肝心の子供の扱いや園の管理がなおざりになるのではないかという懸念の声は少なくなかった。「増田さんは近隣の幼稚園をどんどん自分の傘下に収め、ついには隣町の幼稚園にまで手を出そうとしました。『そこまでやらなくていいんじゃないか』と隣町の議員が怒ったこともありましたよ。市議会や役場の職員のなかでも、『あんなに拡大して大丈夫か』『職員が足りなくなるに決まっている』と不安視する声はたくさんありました。ただ、地元の議員にうまく根回しをしたからか、結局は認められることになりましたが……」(地元関係者)バスを塗りつぶす“ペインティング” 増田園長は2012年に園児を集めて静岡県警牧之原署と共同で交通安全パレードを実施しているほか、2014年には交通安全活動に尽力したとして、榛原地区安全運転管理協会から表彰状を受け取ったりするなど、“地元の名士”として知られていた。前述の知人が続ける。「交通安全パレードも含めて、立義はパフォーマンスをするのが得意でした。今回、千奈ちゃんが死亡したバスにある窓ごと車体を塗装する“ペインティング”も、周辺地域で始めたのは、川崎幼稚園が最初だったと思います。車内が見えなくなってしまって、見送るお母さんが可哀そうだなと思っていました。あくまで可能性ではありますが、このペインティングがなければ、助けを呼ぶ千奈ちゃんに気付いた人もいて、こんな悲劇は生まれなかったのかもしれません」 炎天下のバスに取り残され、失われてしまった3歳女児の命。管理体制に不備はなかったのか。“うっかり”で済む事故ではない。◆◆◆「文春オンライン」では、今回の件について、情報を募集しています。下記のメールアドレス、または「文春くん公式ツイッター」のDMまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス:[email protected] 文春くん公式ツイッター:https://twitter.com/bunshunho2386(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「家が近い子供は、両親や祖父母が手を引いて幼稚園に連れていきますが、最近は遠くから通う子供が増え、バスで送り迎えする家庭が増えました。千奈ちゃんのお宅は近くにお住まいですけど、お母さんが妊娠したことを機に、送り迎えが大変だからバスを利用するようになったと聞いています。それがこんな事故につながってしまうなんて、言葉も出ません」(近隣住民)
だが一方で、増田園長を古くから知る友人は、以前から園の運営について心配していたという。増田園長の幼少期からの知人が話す。
「事故を聞いたとき、率直なところ『やってしまったな』と思いました。立義(増田園長)の父親は海軍兵学校の出身で、予科練の帽子を被り、竹刀を片手に『親を大事にしろ』『いじめはダメだ』と子供たちを厳しく指導していました。一方の立義はボンボン気質。性格は親父とは正反対で、芯が全くない。口癖は『俺は知らない』『そんなことは言ってない』。いい加減な性格だから、子供の頃は『ええからげん八兵衛』と呼ばれていました」
2002年に川崎幼稚園の園長に就任した増田園長は、近隣の幼稚園を買収するなど経営拡大に熱を上げていた。だが手を広げすぎるあまり、肝心の子供の扱いや園の管理がなおざりになるのではないかという懸念の声は少なくなかった。
「増田さんは近隣の幼稚園をどんどん自分の傘下に収め、ついには隣町の幼稚園にまで手を出そうとしました。『そこまでやらなくていいんじゃないか』と隣町の議員が怒ったこともありましたよ。市議会や役場の職員のなかでも、『あんなに拡大して大丈夫か』『職員が足りなくなるに決まっている』と不安視する声はたくさんありました。ただ、地元の議員にうまく根回しをしたからか、結局は認められることになりましたが……」(地元関係者)バスを塗りつぶす“ペインティング” 増田園長は2012年に園児を集めて静岡県警牧之原署と共同で交通安全パレードを実施しているほか、2014年には交通安全活動に尽力したとして、榛原地区安全運転管理協会から表彰状を受け取ったりするなど、“地元の名士”として知られていた。前述の知人が続ける。「交通安全パレードも含めて、立義はパフォーマンスをするのが得意でした。今回、千奈ちゃんが死亡したバスにある窓ごと車体を塗装する“ペインティング”も、周辺地域で始めたのは、川崎幼稚園が最初だったと思います。車内が見えなくなってしまって、見送るお母さんが可哀そうだなと思っていました。あくまで可能性ではありますが、このペインティングがなければ、助けを呼ぶ千奈ちゃんに気付いた人もいて、こんな悲劇は生まれなかったのかもしれません」 炎天下のバスに取り残され、失われてしまった3歳女児の命。管理体制に不備はなかったのか。“うっかり”で済む事故ではない。◆◆◆「文春オンライン」では、今回の件について、情報を募集しています。下記のメールアドレス、または「文春くん公式ツイッター」のDMまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス:[email protected] 文春くん公式ツイッター:https://twitter.com/bunshunho2386(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「増田さんは近隣の幼稚園をどんどん自分の傘下に収め、ついには隣町の幼稚園にまで手を出そうとしました。『そこまでやらなくていいんじゃないか』と隣町の議員が怒ったこともありましたよ。市議会や役場の職員のなかでも、『あんなに拡大して大丈夫か』『職員が足りなくなるに決まっている』と不安視する声はたくさんありました。ただ、地元の議員にうまく根回しをしたからか、結局は認められることになりましたが……」(地元関係者)
増田園長は2012年に園児を集めて静岡県警牧之原署と共同で交通安全パレードを実施しているほか、2014年には交通安全活動に尽力したとして、榛原地区安全運転管理協会から表彰状を受け取ったりするなど、“地元の名士”として知られていた。前述の知人が続ける。
「交通安全パレードも含めて、立義はパフォーマンスをするのが得意でした。今回、千奈ちゃんが死亡したバスにある窓ごと車体を塗装する“ペインティング”も、周辺地域で始めたのは、川崎幼稚園が最初だったと思います。車内が見えなくなってしまって、見送るお母さんが可哀そうだなと思っていました。あくまで可能性ではありますが、このペインティングがなければ、助けを呼ぶ千奈ちゃんに気付いた人もいて、こんな悲劇は生まれなかったのかもしれません」
炎天下のバスに取り残され、失われてしまった3歳女児の命。管理体制に不備はなかったのか。“うっかり”で済む事故ではない。◆◆◆「文春オンライン」では、今回の件について、情報を募集しています。下記のメールアドレス、または「文春くん公式ツイッター」のDMまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス:[email protected] 文春くん公式ツイッター:https://twitter.com/bunshunho2386(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
炎天下のバスに取り残され、失われてしまった3歳女児の命。管理体制に不備はなかったのか。“うっかり”で済む事故ではない。
◆◆◆
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