〈日本の酷道〉渡った先は行き止まり! 岐阜県の山中で遭遇した“ナゾの吊り橋”…いったい誰がなぜ架けた?

ずっと気になっているナゾの吊り橋が岐阜県にある。
【画像】岐阜県の山中にポツンと架けられた「行き止まり吊り橋」…一体誰がなぜつくった? その橋の名は、木天蓼橋(またたびきょう)。コンクリート製の吊り橋という変わった人道橋で、20年間以上にわたり廃道の状態で放置されていた。しかし、昨年再訪すると大きな動きがあった。アクセスするための道が整備され、全面通行止だったのが歩行者のみ通行できる状態に変わっていたのだ。 しかし、木天蓼橋を渡ったところで道は行き止まりで、これといったものは何もない。何のために架けられた橋なのか、なぜ今になって整備されたのか、謎だらけの橋だった。

渡った先が行き止まりになっているにもかかわらず立派な橋【画像】岐阜県の山中に架けられた「行き止まり吊り橋」への道のりを写真で見る◆◆◆“崩落のため全面通行止” 再訪したのは2022年6月のこと。岐阜県揖斐川町の県道268号を走っていると小津トンネルが現れるが、トンネルには入らず右脇の旧道へと入る。この旧道の先に木天蓼橋がある。 旧道の入り口は数年前までは草木ボーボーで荒れ果てており、“崩落のため全面通行止”という看板が掲げられていた。それがきちんと整備され、看板は“車両通行止 歩行者通行可”に変わっていた。つまり、歩行者の通行が解禁されたのだ。わざわざ歩行者通行可と書いてくれているのが嬉しい。 高知川に沿って伸びている旧道は、土砂や草木は撤去されているものの、無数の落石や木の枝が転がり、歩きやすいとは言い難い状態だった。 数分間歩いていると、舗装路が崩壊している現場に差しかかった。道路の3分の2が崩れ落ちてしまっており、川底まで数十メートルほどの高さがある。万が一落ちてしまったら、重傷は免れないだろう。 おそらく、この崩壊があったので、数年前まで全面通行止になっていたものと思われる。現在は崩落箇所に棒を立ててロープを張り、残った3分の1の道幅で歩行者のみ通行できるようになっている。この状態が本当に安全なのか素人には判断がつかないが、崩壊箇所から大きな木が生えているので、少なくとも10年間以上はこの状態を保っていると思われる。 旧道を歩くこと10分、荒れた旧道に似つかわしくないピカピカの橋が見えてきた。木天蓼橋だ。高知川に沿って伸びる旧道から対岸に向けて木天蓼橋が架けられている。 コンクリートとステンレスで造られた木天蓼橋は弓なりにしなっているが、従来の吊り橋には欠かせない主塔やワイヤーが一切見えない。橋台の間に鋼材を張り、それをコンクリートで包んで橋にした吊床版橋というもので、これも吊り橋の一種だ。吊り橋を渡った先には… 山の中で、木製の吊り橋を目にすることはよくあるが、コンクリートとステンレスの特殊な吊り橋というのは珍しい。見えている金属部分が全てステンレスのため、架橋から27年が経っていても古びた感じがしない。見るからにお金もかかっていそうだ。 立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。 山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。 ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。 旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
その橋の名は、木天蓼橋(またたびきょう)。コンクリート製の吊り橋という変わった人道橋で、20年間以上にわたり廃道の状態で放置されていた。しかし、昨年再訪すると大きな動きがあった。アクセスするための道が整備され、全面通行止だったのが歩行者のみ通行できる状態に変わっていたのだ。
しかし、木天蓼橋を渡ったところで道は行き止まりで、これといったものは何もない。何のために架けられた橋なのか、なぜ今になって整備されたのか、謎だらけの橋だった。
渡った先が行き止まりになっているにもかかわらず立派な橋
【画像】岐阜県の山中に架けられた「行き止まり吊り橋」への道のりを写真で見る◆◆◆“崩落のため全面通行止” 再訪したのは2022年6月のこと。岐阜県揖斐川町の県道268号を走っていると小津トンネルが現れるが、トンネルには入らず右脇の旧道へと入る。この旧道の先に木天蓼橋がある。 旧道の入り口は数年前までは草木ボーボーで荒れ果てており、“崩落のため全面通行止”という看板が掲げられていた。それがきちんと整備され、看板は“車両通行止 歩行者通行可”に変わっていた。つまり、歩行者の通行が解禁されたのだ。わざわざ歩行者通行可と書いてくれているのが嬉しい。 高知川に沿って伸びている旧道は、土砂や草木は撤去されているものの、無数の落石や木の枝が転がり、歩きやすいとは言い難い状態だった。 数分間歩いていると、舗装路が崩壊している現場に差しかかった。道路の3分の2が崩れ落ちてしまっており、川底まで数十メートルほどの高さがある。万が一落ちてしまったら、重傷は免れないだろう。 おそらく、この崩壊があったので、数年前まで全面通行止になっていたものと思われる。現在は崩落箇所に棒を立ててロープを張り、残った3分の1の道幅で歩行者のみ通行できるようになっている。この状態が本当に安全なのか素人には判断がつかないが、崩壊箇所から大きな木が生えているので、少なくとも10年間以上はこの状態を保っていると思われる。 旧道を歩くこと10分、荒れた旧道に似つかわしくないピカピカの橋が見えてきた。木天蓼橋だ。高知川に沿って伸びる旧道から対岸に向けて木天蓼橋が架けられている。 コンクリートとステンレスで造られた木天蓼橋は弓なりにしなっているが、従来の吊り橋には欠かせない主塔やワイヤーが一切見えない。橋台の間に鋼材を張り、それをコンクリートで包んで橋にした吊床版橋というもので、これも吊り橋の一種だ。吊り橋を渡った先には… 山の中で、木製の吊り橋を目にすることはよくあるが、コンクリートとステンレスの特殊な吊り橋というのは珍しい。見えている金属部分が全てステンレスのため、架橋から27年が経っていても古びた感じがしない。見るからにお金もかかっていそうだ。 立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。 山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。 ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。 旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
岐阜県の山中に架けられた「行き止まり吊り橋」への道のりを写真で見る◆◆◆“崩落のため全面通行止” 再訪したのは2022年6月のこと。岐阜県揖斐川町の県道268号を走っていると小津トンネルが現れるが、トンネルには入らず右脇の旧道へと入る。この旧道の先に木天蓼橋がある。 旧道の入り口は数年前までは草木ボーボーで荒れ果てており、“崩落のため全面通行止”という看板が掲げられていた。それがきちんと整備され、看板は“車両通行止 歩行者通行可”に変わっていた。つまり、歩行者の通行が解禁されたのだ。わざわざ歩行者通行可と書いてくれているのが嬉しい。 高知川に沿って伸びている旧道は、土砂や草木は撤去されているものの、無数の落石や木の枝が転がり、歩きやすいとは言い難い状態だった。 数分間歩いていると、舗装路が崩壊している現場に差しかかった。道路の3分の2が崩れ落ちてしまっており、川底まで数十メートルほどの高さがある。万が一落ちてしまったら、重傷は免れないだろう。 おそらく、この崩壊があったので、数年前まで全面通行止になっていたものと思われる。現在は崩落箇所に棒を立ててロープを張り、残った3分の1の道幅で歩行者のみ通行できるようになっている。この状態が本当に安全なのか素人には判断がつかないが、崩壊箇所から大きな木が生えているので、少なくとも10年間以上はこの状態を保っていると思われる。 旧道を歩くこと10分、荒れた旧道に似つかわしくないピカピカの橋が見えてきた。木天蓼橋だ。高知川に沿って伸びる旧道から対岸に向けて木天蓼橋が架けられている。 コンクリートとステンレスで造られた木天蓼橋は弓なりにしなっているが、従来の吊り橋には欠かせない主塔やワイヤーが一切見えない。橋台の間に鋼材を張り、それをコンクリートで包んで橋にした吊床版橋というもので、これも吊り橋の一種だ。吊り橋を渡った先には… 山の中で、木製の吊り橋を目にすることはよくあるが、コンクリートとステンレスの特殊な吊り橋というのは珍しい。見えている金属部分が全てステンレスのため、架橋から27年が経っていても古びた感じがしない。見るからにお金もかかっていそうだ。 立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。 山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。 ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。 旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
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再訪したのは2022年6月のこと。岐阜県揖斐川町の県道268号を走っていると小津トンネルが現れるが、トンネルには入らず右脇の旧道へと入る。この旧道の先に木天蓼橋がある。
旧道の入り口は数年前までは草木ボーボーで荒れ果てており、“崩落のため全面通行止”という看板が掲げられていた。それがきちんと整備され、看板は“車両通行止 歩行者通行可”に変わっていた。つまり、歩行者の通行が解禁されたのだ。わざわざ歩行者通行可と書いてくれているのが嬉しい。 高知川に沿って伸びている旧道は、土砂や草木は撤去されているものの、無数の落石や木の枝が転がり、歩きやすいとは言い難い状態だった。 数分間歩いていると、舗装路が崩壊している現場に差しかかった。道路の3分の2が崩れ落ちてしまっており、川底まで数十メートルほどの高さがある。万が一落ちてしまったら、重傷は免れないだろう。 おそらく、この崩壊があったので、数年前まで全面通行止になっていたものと思われる。現在は崩落箇所に棒を立ててロープを張り、残った3分の1の道幅で歩行者のみ通行できるようになっている。この状態が本当に安全なのか素人には判断がつかないが、崩壊箇所から大きな木が生えているので、少なくとも10年間以上はこの状態を保っていると思われる。 旧道を歩くこと10分、荒れた旧道に似つかわしくないピカピカの橋が見えてきた。木天蓼橋だ。高知川に沿って伸びる旧道から対岸に向けて木天蓼橋が架けられている。 コンクリートとステンレスで造られた木天蓼橋は弓なりにしなっているが、従来の吊り橋には欠かせない主塔やワイヤーが一切見えない。橋台の間に鋼材を張り、それをコンクリートで包んで橋にした吊床版橋というもので、これも吊り橋の一種だ。吊り橋を渡った先には… 山の中で、木製の吊り橋を目にすることはよくあるが、コンクリートとステンレスの特殊な吊り橋というのは珍しい。見えている金属部分が全てステンレスのため、架橋から27年が経っていても古びた感じがしない。見るからにお金もかかっていそうだ。 立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。 山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。 ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。 旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
旧道の入り口は数年前までは草木ボーボーで荒れ果てており、“崩落のため全面通行止”という看板が掲げられていた。それがきちんと整備され、看板は“車両通行止 歩行者通行可”に変わっていた。つまり、歩行者の通行が解禁されたのだ。わざわざ歩行者通行可と書いてくれているのが嬉しい。
高知川に沿って伸びている旧道は、土砂や草木は撤去されているものの、無数の落石や木の枝が転がり、歩きやすいとは言い難い状態だった。 数分間歩いていると、舗装路が崩壊している現場に差しかかった。道路の3分の2が崩れ落ちてしまっており、川底まで数十メートルほどの高さがある。万が一落ちてしまったら、重傷は免れないだろう。 おそらく、この崩壊があったので、数年前まで全面通行止になっていたものと思われる。現在は崩落箇所に棒を立ててロープを張り、残った3分の1の道幅で歩行者のみ通行できるようになっている。この状態が本当に安全なのか素人には判断がつかないが、崩壊箇所から大きな木が生えているので、少なくとも10年間以上はこの状態を保っていると思われる。 旧道を歩くこと10分、荒れた旧道に似つかわしくないピカピカの橋が見えてきた。木天蓼橋だ。高知川に沿って伸びる旧道から対岸に向けて木天蓼橋が架けられている。 コンクリートとステンレスで造られた木天蓼橋は弓なりにしなっているが、従来の吊り橋には欠かせない主塔やワイヤーが一切見えない。橋台の間に鋼材を張り、それをコンクリートで包んで橋にした吊床版橋というもので、これも吊り橋の一種だ。吊り橋を渡った先には… 山の中で、木製の吊り橋を目にすることはよくあるが、コンクリートとステンレスの特殊な吊り橋というのは珍しい。見えている金属部分が全てステンレスのため、架橋から27年が経っていても古びた感じがしない。見るからにお金もかかっていそうだ。 立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。 山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。 ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。 旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
高知川に沿って伸びている旧道は、土砂や草木は撤去されているものの、無数の落石や木の枝が転がり、歩きやすいとは言い難い状態だった。
数分間歩いていると、舗装路が崩壊している現場に差しかかった。道路の3分の2が崩れ落ちてしまっており、川底まで数十メートルほどの高さがある。万が一落ちてしまったら、重傷は免れないだろう。 おそらく、この崩壊があったので、数年前まで全面通行止になっていたものと思われる。現在は崩落箇所に棒を立ててロープを張り、残った3分の1の道幅で歩行者のみ通行できるようになっている。この状態が本当に安全なのか素人には判断がつかないが、崩壊箇所から大きな木が生えているので、少なくとも10年間以上はこの状態を保っていると思われる。 旧道を歩くこと10分、荒れた旧道に似つかわしくないピカピカの橋が見えてきた。木天蓼橋だ。高知川に沿って伸びる旧道から対岸に向けて木天蓼橋が架けられている。 コンクリートとステンレスで造られた木天蓼橋は弓なりにしなっているが、従来の吊り橋には欠かせない主塔やワイヤーが一切見えない。橋台の間に鋼材を張り、それをコンクリートで包んで橋にした吊床版橋というもので、これも吊り橋の一種だ。吊り橋を渡った先には… 山の中で、木製の吊り橋を目にすることはよくあるが、コンクリートとステンレスの特殊な吊り橋というのは珍しい。見えている金属部分が全てステンレスのため、架橋から27年が経っていても古びた感じがしない。見るからにお金もかかっていそうだ。 立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。 山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。 ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。 旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
数分間歩いていると、舗装路が崩壊している現場に差しかかった。道路の3分の2が崩れ落ちてしまっており、川底まで数十メートルほどの高さがある。万が一落ちてしまったら、重傷は免れないだろう。
おそらく、この崩壊があったので、数年前まで全面通行止になっていたものと思われる。現在は崩落箇所に棒を立ててロープを張り、残った3分の1の道幅で歩行者のみ通行できるようになっている。この状態が本当に安全なのか素人には判断がつかないが、崩壊箇所から大きな木が生えているので、少なくとも10年間以上はこの状態を保っていると思われる。
旧道を歩くこと10分、荒れた旧道に似つかわしくないピカピカの橋が見えてきた。木天蓼橋だ。高知川に沿って伸びる旧道から対岸に向けて木天蓼橋が架けられている。
コンクリートとステンレスで造られた木天蓼橋は弓なりにしなっているが、従来の吊り橋には欠かせない主塔やワイヤーが一切見えない。橋台の間に鋼材を張り、それをコンクリートで包んで橋にした吊床版橋というもので、これも吊り橋の一種だ。吊り橋を渡った先には… 山の中で、木製の吊り橋を目にすることはよくあるが、コンクリートとステンレスの特殊な吊り橋というのは珍しい。見えている金属部分が全てステンレスのため、架橋から27年が経っていても古びた感じがしない。見るからにお金もかかっていそうだ。 立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。 山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。 ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。 旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
コンクリートとステンレスで造られた木天蓼橋は弓なりにしなっているが、従来の吊り橋には欠かせない主塔やワイヤーが一切見えない。橋台の間に鋼材を張り、それをコンクリートで包んで橋にした吊床版橋というもので、これも吊り橋の一種だ。
山の中で、木製の吊り橋を目にすることはよくあるが、コンクリートとステンレスの特殊な吊り橋というのは珍しい。見えている金属部分が全てステンレスのため、架橋から27年が経っていても古びた感じがしない。見るからにお金もかかっていそうだ。
立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。 山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。 ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。 旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。
山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。
ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。 旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。
旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。 この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。 しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。 1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。
この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。
しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。
1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。まさかの人物と遭遇することに…! 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。
車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。
「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」「誰かに聞いて、うちに来たの?」 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ! これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」
「誰かに聞いて、うちに来たの?」
偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ!
これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。
木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。
小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。
しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。木天蓼橋の今後は…? いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。 そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。
小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。
そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。
通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。
いずれは旧道の崩落箇所も行政によって補修してもらい、自動車で旧道を走り抜けられるようにしたいともおっしゃっていた。以前、土砂災害が発生して小津トンネルが通行止になった時、この集落は孤立状態となった。県道が唯一のアクセス路となるため、旧道を代替路として確保しておきたいという狙いもあるようだ。
そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。 名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。 木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」「あれは僕が立てました」 なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。 橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。 それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
そして、ちょうど現在、木天蓼橋の名称(愛称)募集と写真コンテストを行っているということで、チラシをいただいた。木天蓼橋を見てきた直後だけに、これには正直驚いた。橋本さんは「木天蓼橋って読みにくいでしょ? もっと親しみやすい名前を募集したい」と話す。
名称と写真、それぞれに賞品も用意されているが、この状況で応募総数がどれほどなのか気になるところだ。1月20日まで募集しているので、興味がある方はぜひ応募してほしい。詳しくは月夜谷ふれあいの里ホームページに掲載されている。
木天蓼橋の謎が解決したところで、集落の入り口にあったカーナビ否定看板のことも聞いてみた。
「カーナビに従わず左折せよと書かれた看板がありましたが、あれはご存知ですか?」
「あれは僕が立てました」
なんと、橋本さんはあの看板の設置者でもあったのだ。
橋本さんによると、月夜谷ふれあいの里を目指して来た人たちが、あの交差点でカーナビに騙されて右折してしまう事例が多く発生していたのだという。県道本線が右折しているためか、カーナビが県道を進み続けるように指示することがあるようだ。右折すると行き止まりになるため、引き返してくる車が多く、それを気の毒に思った橋本さんがあの看板を設置したそうだ。
それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。 橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。 これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。 写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
それにしても、何という偶然だろうか。最初に話を聞いた方が木天蓼橋の再整備を進めている方で、かつカーナビ否定の看板を設置した方だったとは。一生分の私の運を使い果たしていないことを祈るばかりだ。
橋本さんは、そのほかにも小津地区の興味深い話を色々と聞かせてくれた。古くからある集落で古木があること、かつて銅山があったことや水力発電の取水口の話など、興味津々で聞き入ってしまった。
これから、木天蓼橋はどうなっていくのか。今後も探索のため小津地区を訪問することになりそうだが、引き続き、当地を見守っていきたい。
写真=鹿取茂雄(鹿取 茂雄)
(鹿取 茂雄)