習字道具を忘れた子に“お仕置き”?「知り合いの子どもが習字道具を忘れて、ひたすら鉛筆で書き取りをさせられた」
先日、こんな内容のツイートが話題になりました。 添えられた写真を見ると、400字詰めの原稿用紙にびっしりと「ふるさと」という平仮名が並んでいます。あふれるような不毛感に、筆者もついため息が出てしまいました。
このツイートに対し、Twitterでは賛否両論が湧き返りました。 保護者から多かったのは、主に抗議の声でした。「子どもが忘れ物をするのはよくあることなんだから、こんなことをやらせないで、学校で道具を貸し出してほしい」「そもそも習字道具は学校が備品として用意するべきだ」などなど。 一方、先生などからは、「子どもが忘れ物をしないように指導するのは当然のこと」「学校の予算は限られているので習字道具をそろえるのは難しい」といった意見が上がっていました。 読むと、どちらも「そうだよね」と思えます。筆者の子どもも持ち物をそろえるのが苦手なタイプだったので、「親(母)がそろえるべし」というプレッシャーには悩まされましたし、今の子どもたちの登下校の荷物は昔と比べかなり重くなっており、そこへ書道セットが加わることにも賛成しかねるところがあります。
先生はどうすべきだったのかでも先生の立場を想像すると、特に不自然なことではなさそうです。習字道具を忘れた子どものために課題を別途用意するところまでは手が回らないので、「筆の代わりに鉛筆で書き取りをさせよう」と考えたのでしょう。 まれに貸し出し用の書道道具を用意している学校もあるようですが、汚れを落としたり筆の手入れをしたりと手間がかかるので、「鉛筆や消しゴムのようには貸し出せないよ」という先生の声が多いのもうなずけます。 うーん、どっちも分かるんだけどねえ……などと思いながらツイートを見返すと、書き取りをさせたのがひたすら平仮名4文字だったことがマズかった? という気がしてきました。平仮名を何度も書かせるのは、普段やらない毛筆であればこそ練習になりますが、鉛筆でやらせたところで、単なるお仕置きにしか見えません。
おそらくこれを書かせた先生に懲罰の意図はなかったと思うのですが、かといって「この作業で子どもが何を学ぶか」を考えたとも思えない。保護者は、そういうところも引っかかったのではないでしょうか。
習字の授業は今の時代に必要か道具の貸し出しうんぬんはいったん横に置いて、しみじみ思うのは「習字の授業はもうやめてもいいんじゃないですかね?」ということです。今回のツイートに対する反響を見ても、同様に考える人は少なくないと感じます。 小学校の習字(毛筆)の授業の狙いは、「点画に注意して文字を書けるようになること」「文字を整えて書けるようになること」といいますが、年賀状すら下火になった昨今、日常で筆を持つことはまずありません。せいぜいご祝儀袋の記名に筆ペンを使う程度で、実用的なニーズはほぼゼロの状況です。さらにいえば、スマートフォンやパソコンが普及した今、鉛筆やペンを握ることだって減っています。 日本古来の文化を知る、というのも大切なことだとは思います。筆者自身も、うまくもないわりに習字が大好きです。でもだからこそ、学校でやる必要はないと感じます。書道の専門家ではない学校の先生の指導で月に1、2度筆を握ったところで、習字の良さは分からないと思うからです。
道具の購入費や、汚れを落とす時間や労力のコストも……そもそも各家庭に求められる習字道具の費用だって、それなりの金額です。学校からあっせんされる書道セットは一式4000円前後はしますし、さらに冬休みの前には書き初め用の道具の追加購入を求める学校もあります。それらのほかに、半紙(一般サイズと書き初めサイズ)や墨汁を買い足さなければならなかったりもします。
習字にかかるコストは、お金だけではありません。墨を使えば、絵の具と同等かそれ以上にいろんなものが汚れますから、手や道具を洗ったり、汚れた机や床を拭いたり、洋服についた墨を落としたりする作業も発生します。先生や保護者が負っているこれらの労力や時間も、見落としがちですが大きなコストです。 今は洗濯で落ちるタイプの墨汁も売っていますが、学校からあっせんされる書道セットには入っていません。そのため別途購入することになりますし、それだって洗濯しないと落ちないわけですから、やはり手間は取られます。