5歳の兄と3歳の弟がトイプードルを取り合った結果、死なせてしまい…「かける言葉も見つからない」と自らを責める両親に住職が伝えたこととは

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愛犬とのお別れを、私たちはどのように受けとめればよいのでしょうか。今回、愛知県岡崎市にある圓福寺住職・小島雅道さんが経験したとあるエピソードとともに、私たちができることを紹介します。その小島住職「『生きる』というのは、『生かされている』ということ」と言っていて――。
【書影】大切な家族とのお別れを、どう受けとめてどう生きていけばいいのか――。小島雅道 『愛犬が最後にくれた「ありがとう」』
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ある日、3歳と5歳の兄弟と、お父さん、お母さんの4人が亡くなったワンちゃんを抱いて圓福寺に来られました。2人の兄弟は呼吸困難になるのではないかというほど泣きじゃくっています。
ひとまず葬儀の前に、お子さんたちを落ち着かせなければなりません。何があったのか、ご両親にお話を伺いました。
小さなかわいいトイプードルのオスのワンちゃんを飼い始めたばかりだったそうです。兄弟は喜んで、抱っこしたくて仕方がありません。
まずは5歳のお兄ちゃんが抱っこします。当然、3歳の弟も抱っこしたくなりますよね。お兄ちゃんからワンちゃんを奪おうと頑張りますが、お兄ちゃんは「ダメ!」と言ってしっかりワンちゃんを抱っこして渡してくれません。
大きなお兄ちゃんの力では、3歳の弟はとても太刀打ちできず、大声でケンカが始まってしまいました。
やがて取り合いはエスカレート。そしてなんと、ワンちゃんを落としてしまったようなのです。
高い場所から落としたわけではないのですが、打ちどころが悪くワンちゃんは動かなくなってしまいました。
それは幼い兄弟にとって、ショックなどという言葉で表せるものではありませんでした。
「僕たちが犬を殺してしまった」
「ケンカなんかしなければよかった」
一つの命をなくしてしまった不注意を猛省しながらも、泣きじゃくる2人を見て、ご両親はかける言葉も見つからなかったそうです。
でも、とにかく亡くなった子をなんとかしなくてはならないと、私のところに電話をくださったのです。
まず、このご家族に伝えなければならないことは、「『子どもたちが抱っこしなければ、この子は亡くならなかった』と思うのは間違いだ」ということです。
これは、あくまで仏教上の考え方で、また少し厳しい表現になりますが、そのワンちゃん自身がそれだけの生きる力がなかったということなのです。
このことを、まず、お父さん、お母さんに理解していただきます。
ご両親も、犬の生命をなくした不注意を後悔するとともに「こんな幼い子どもたちに犬を渡した自分たちが悪い」とご自身を責めていらっしゃったからです。
「生きる」というのは、「生かされている」ということ。
「いまできるのは、このワンちゃん自身が生まれてきた意味は何か、よく考えること」という事実を丁寧にお伝えしていきます。
お子さんたちにはこう言います。
「かわいいワンちゃんが亡くなって、悲しいよね、つらいよね」
お子さんたちはただただ泣いています。
「でも、ワンちゃんは悲しんでいる2人を見て、どう思うかな。『僕がこの世に犬として生まれてきて、そのせいで2人が泣いている。こんなに悲しませているなら、生まれてこなければよかった』と思っているかもしれない」
男の子2人は少し泣きやんで、びっくりした顔をします。
「今は亡くなってつらいっていうことばかり考えているかもしれないけれど、この子が来てくれたときはどう思った? うれしかったでしょ」
「うん」と2人。
「抱っこしたときもうれしかったよね。それだけでもワンちゃんは喜びを与えてくれたんだよ。じゃあ、今、君たち2人はお父さんやお母さん、まわりの人たちに喜んでもらえるようなことができているかな」
今、悲しんで泣きじゃくっているわが子の姿を見ているご両親は、もっと苦しいし、悲しいし、代わってやることもできない。どうしてあげることもできない。お父さん、お母さんも、とても悲しいのです。
「でも、本当にいちばん悲しくて苦しいのは誰だと思う? お父さん、お母さんかな?それとも君たちかな? そうじゃないよね。いちばん悲しくてつらいのは、ワンちゃんだよね」
ここまでゆっくりお話しすると、子どもたちも少し落ち着いてきます。
ワンちゃんを火葬することの意味を、どんなに幼い子どもであっても理解しなければ、悲しいだけの思い出になってしまいます(写真提供:Photo AC)
時間をかけてお話をしますが、現実的には、ワンちゃんをなるべく早く火葬しなければなりません。
ワンちゃんを火葬することの意味を、どんなに幼い子どもであっても理解しなければ、悲しいだけの思い出になってしまいます。
このままではワンちゃんも少しずつ腐っていってしまうこと、だからきれいな光で包んであげて、美しい姿に変えてあげようと伝えて、火葬をするのです。
お骨を拾うときに、ワンちゃんが感謝していることを喉仏(のどぼとけ)の骨を見せながら伝えます。喉仏は、まるで仏様がお衣を着て合掌している姿をしているからです。
このとき、ちょうど『鬼滅(きめつ)の刃(やいば)』が流行っていたので、それにたとえてお話もしました。『鬼滅の刃』は炭治郎(たんじろう)と禰豆子(ねずこ)が力を合わせた兄妹愛を描いている漫画で、私も大好きです。
だから、兄弟で力を合わせれば、どんな強いものにも立ち向かえるはず。
これから君たち2人は今回のことを忘れずに、炭治郎と禰豆子のようにしっかり力を合わせて立派な大人になるんだよ、と。
『鬼滅の刃』では、炭治郎と禰豆子の母は鬼に殺されてしまったあとも、心の中で生き続け、炭治郎と禰豆子が困難に遭うたびに、それを乗り越える力になってくれました。
それと同じように、ワンちゃんの命も君たちの中で生き続けている。だから苦しいときやつらいときは、いつも支えになってもらえるようにしよう。
ワンちゃんはずっと君たちの中で生き続けているし、困ったときに大きな力になってくれるよ、とお話しすると、2人はキラキラした目で「はい」と返事をしてくれました。
このご兄弟に、ワンちゃんの死をきっかけに仲が悪くなってほしくない、ずっと罪悪感を背負って生きてほしくありませんでした。だから、強い心を持って、前向きに生きていってほしいとお伝えしました。
お父さん、お母さんも、「ここに来てよかった」と本当に感謝されて帰って行かれました。
※本稿は、『愛犬が最後にくれた「ありがとう」』(青春出版社)の一部を再編集したものです。

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