家賃22万円、六本木にオフィスを構えた、48歳の元銀行員が「13万円の生活」に転落するまでの一部始終

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「ChatGPT」や「Canva」などの生成型AI技術の発達がめざましい。生成型AIとは人工知能の一種で、画像、音声、テキスト、3Dモデルなど与えられたデータを新たなデータに生成することができる技術だ。
この技術により、これまで手作業で行っていた仕事の精度があがり、リスクも軽減されると言われている。さらに、ディープラーニングで新たな技術が開発される可能性も見込まれているため、投資家たちからも熱い注目を浴びている。
賛否あるこの「生き方や働き方」を変えてしまう可能性のある技術の出現が、未来を正負どちらの方向に進むのかはまだ誰も分からない。しかし、人口知能技術が急速に発達した背景のひとつに、シリコンバレーの存在があるのは明らかだ。
1990年代末、シリコンバレーに若い技術者たちが次々とベンチャー企業を立ち上げて、来るべき新たな世界に乗り出した。いわゆる「ドットコムバブル」だ。日本でも、Yahooをはじめ楽天、サイバーエージェントなどのプラットフォーム事業を主軸に、六本木界隈に会社を企業を構え、世間を賑わしていた「ヒルズ族」に覚えのある方もいるだろう。
大手銀行で働いていた健司さん(仮名・48歳)もこの「バブル」を経験したひとりだ。大手銀行を6年で退社し、「サイト制作なら、自分にもビジネスチャンスがある」と六本木駅の近くに古いアパートを借りて、再スタートを切った。
当時は中小企業や個人経営のサイト制作はまだまだな状態で、たったの3ヵ月で月商100万円を超え、順風満帆にスタート。その後発注も順調に増え会社を設立。しかし、その後に思いがけない問題から歯車が狂っていく。
「最高で400万円こえました。でも僕は大儲けしたいという野望はなかったので、350万円以上で安定すればいいなと思っていたくらいです。目標を達成してしまった感もあり、僕はまたもや毎晩、マスコミやIT関係者と飲み会していましたね。
女性たちとの出会いとお持ち帰り。彼女は特に作らずに自由でいたい僕にちょうどいい環境。このままハッピーな人生が続くのかなと思っていたんです。
でもね。5年くらいたった頃かな。右腕の勝也(仮名)が会社を辞めたいって話してきたんです。びっくりですよ。もともと、社員でもフリーの仕事は続けていいよという話にしていたし、引き止めましたがダメでした。方向性の違いです」
では、方向性の違いとはなにか。
「これは一例ですが、Wordpressってご存じですよね? 今では世界でいちばん使用されている、公式サイトなどを作る時のプログラムソフトウエアです。SEO対策がしやすく管理しやすい。スマホからも見やすいサイトが作れるなどメリットが多いんです。
でも、当時はまだ、Wordpress以前の方式でサイトを作る企業も少なくなかったし、新しいことを学ぶのは大変だと思った。なので僕は、旧来通りのやり方でサイト構築をしていたんです。そのほうが、すでにネット上にサンプルが大量にあるので、自分が制作する参考にしやすかった。勝也は、Wordpress推進派で、意見が食い違いました」
ほかにも、ふたりの価値観はよく衝突していた。
健司さんは、とにかくサイトのビジュアル重視。もともとセンスには自信があったし、そのセンスで自分はここまでやってきたという思いもあった。でも勝也さんは、アートな感覚に重きを置かない。
とにかくネットでの顧客開拓から集客までの動線作りを重視する。ゆえに実際に制作したサイトでは売り上げがちゃんとあがるようにはできている。が、健司さんは、「もう少し見栄えを美しくできないか」と話す。
勝也さんは「お客様が納得しているんだから問題ない」と言う。そんな価値観の違いが、毎日のように繰り広げられていたのだ。
そして結局、勝也さんは去り、会社は傾いていった。
「彼も鬼じゃないんで、過去に関わった仕事のフォローはしてくれました。優しいヤツだと思います。それでも少しずつ売り上げは落ちていきました。ちょうどSNSがでてきてネットが多様化する時代と重なり、勝也がいなくなった僕はお手上げとなってしまいました」
mixi、Twitter(現X)、Facebook、YouTube。そしてInstagramにLINE、公式LINE……。ツールが増えるごとにやることは増える一方。時間とお金が追い付かなかった。
「もちろん、できる限り自分も学び、外注も増やして必死でやってみた。それでも、毎月10万円とか20万円とか、少しずつ売り上げが下がり経費だけが嵩む。
気が付くと月商が200万円が150万、100万、50万……会社は機能しなくなり、取引先は消え、カードローンの借金だけが300万円に増えました。2015年の春、六本木の賃貸マンションから、かつて生まれ育った千葉県の実家に戻りました。39歳でした」
「当時、父は71歳で母は66歳。公務員だった二人とも、もうのんびり家で過ごす日々でした。僕の会社設立の応援もしてくれた3歳年上の姉もずっと独身でね。僕のカードローンを、彼女の貯金を崩して全額払ってくれましたよ。今もその3人と4人暮らしです。
父が建てた一軒家で、そこそこ広いしキレイ。姉はスーパーのパートや両親の世話など一生懸命やってくれています。一応僕は、ご近所さんに対しては、親孝行のためにITの仕事を実家でやることになったと話していますけどね。でも現実はね……」
もう、みんな離れていってしまった。営業をかけようにも、自分の年齢や過去を考えると、どこにどう話せばいいのかもわからない。
彼女も飲み友達も疎遠になり、ひきこもるように実家の一室で、パソコンに向かって過ごす日が多い。でも、そんな中、ひとつの光が見えてきた。ネット上で、自分の名前も顔も隠してITの仕事の請負人を始めたのだ。
「ココナラって知ってますか? 自分のスキルを顔出しなし、ニックネームで販売できるサイトなんです。千葉に戻って半年後くらいに登録して、その後は類似のところ全部で4ヵ所に登録しています
仕事の内容は、SEO対策できる原稿を書くWebライターの仕事や、SNSや公式LINEの代理業務などです。Wordpressでのサイト構築や管理代理業務もしていて、最近やっと毎月10万円ほど稼げるようになりました。
もっと効率のいい仕事もしたくて、月に3日か4日くらいは警備のバイトもしています。1日で10000円くらいになりますからありがたいです。もちろん、地元の知り合いにはバレないように、少し離れた街でやっていますよ」
収入から月に3万円は借金返済として、2万円は食費として姉に渡している。姉は両親の年金や貯蓄、自分のパート代で家族のトータルマネジメントをしているからだ。
健司さんとしては、お金の心配をしなくていい今の環境はかなり快適なのだとか。最初のうちは「稼げていない自分」をネガティブに感じていたが、最近は違う。これがいいと思うそうだ。
「家に戻ってからは、両親から“やっぱり銀行員を続けていればよかった”とグチグチ言われます。でも人って、その時の気持ちで動くしかないじゃないですか? その結果僕は、社会的地位もお金も失った。
今じゃ、マッチングアプリで好みの子がいても、デート代とか結婚資金とか考えると、会う気にもなれません。それでも、意外としあわせなんです。物事って、見方ひとつで、どうとでもとらえることができますよ」
今はまず、お金の心配がゼロ。あまり遊びに出かけないので、姉にお金を渡すと、けっこう手元に残るんです。お姉さんは、健司さんがココナラでいくら稼いでいるかは知らないから、もっと家に入れてとも言わない。だから、実はお金が貯まる。実は箪笥貯金が100万円あるそうだ。
「このくらいは僕の個人的な未来のお金としてプールしておかないとね。そろそろNISAもやってみようかなと。
こんな家に嫁いでくれて、姉と一緒に家事をしてくれて収入もある女性となら、結婚もできるのかもしれません。でも、そんな人がいればの話です。いないなら、もうこれで十分なんです」
実は健司さん。千葉に戻ってからの暮らしの中で、自分にとっての優先順位をよく考えてみたそうだ。すると、スリリングな起業の日々より、ささやかで穏やかなしあわせを選びたい自分に気づいたそうだ。
そして、今となっては、恋愛や結婚すらスリリングなこと。そこに一生懸命になるよりも、今の毎日を大切にしたいのだと言う。
なるほどとは思った。そういう着地点なのかと。
ひとつだけ気になったのは、そのタンス預金の中から、少しだけでもいいから、いつもがんばってくれているお姉さんにプレゼントを買ってあげてほしいということだ。少しは両親の老後のことをお姉さんと一緒に心配してあげてほしいということだ。
そしてどうか、相続問題でもめたりしないようにとも思う。そんなもめ方をしてしまったら、ちいさなしあわせが総崩れになってしまうからだ。
最初から読む:たった6年で「大手銀行」を辞めて、ベンチャーを起業した、48歳男性がたどった「転落の人生」
安藤房子さんのこれまでの連載はこちらからお読みいただけます。
https://gendai.media/list/author/andofusako

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