雪遊び中に姿見えなくなった7歳男児…情報提供呼びかける母「忘れた日は一度もない」

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盛岡市で2007年、県立みたけ養護学校(現・盛岡みたけ支援学校)小学部1年の滝村隆規(たかのり)君(当時7歳)が行方不明になってから5日で17年となる。
今年は、障害者支援団体がコロナ禍で中断していた街頭での広報活動を再開。4年ぶりに情報提供を呼びかける母親の規枝代(きしよ)さん(58)は「隆規を忘れた日は一度もない。無事に帰ってきてほしい、ただそれだけを毎日願っている」と思いを語った。(坂本俊太郎)
行方不明となった同年2月5日は、雪が少なく、暖かく晴れた日だった。規枝代さんによると、隆規君は正午前、盛岡市の館坂橋から約200メートル下流の北上川河川敷で、他の児童と雪遊び中に姿が見えなくなった。引率していた障害者支援施設の男性職員が目を離したわずかな間の出来事だったという。
好奇心旺盛で活発な隆規君は、これまでもどこかに行ってしまうことがあったが、必ず保護されるなどして帰って来ていた。だが、この日は違った。県警がヘリコプターや警察犬などを活用して捜索したが、発見されなかった。
盛岡西署によると、これまでに同署員を中心に延べ約1000人を捜索に動員。16年までに計約50件の情報が寄せられたものの、17年以降は情報がなく、所持品なども見つかっていない。
規枝代さんは「あの時から何も変わらない。どこかで生きているのではという気持ちを17年間持ち続ける日々で、古傷にもなっていない」と振り返る。

隆規君は1999年6月17日、滝村家の長男として生まれた。父・隆浩さんと規枝代さんの一文字を取って名付けられ、祖父・隆さんから続く3代目「たかちゃん」として愛された。
外で遊ぶのが好きで、バランスボールに乗っては体力の限界まで体を動かし続け、「将来はアスリートだね」と家族で話した。行方不明になった2日後には学校で初めてのスキー教室に参加する予定で、楽しみにしていたという。
そんな隆規君の帰りを家族みんなで待っていたが、隆さんは17年に他界。隆浩さんが21年、祖母・タエ子さんも昨年3月に亡くなった。規枝代さんは「どうして葬式に隆規がいないのか……。亡くなる前に一目会わせたかった」と悔やむ。法的に死亡とみなされる「失踪宣告」は申請せず、隆規君宛ての成人式の案内状も大切に保管している。
規枝代さんは「風化させたくない」と、10年ほど前から、当時隆規君を引率していた障害者支援施設などの街頭活動に参加。コロナ禍中も手記を公開し、今年は4年ぶりに情報提供を呼びかける。
隆規君は今年で25歳になる。「きっと今が人生で一番輝かしい時代だと思う。そういう人がどこかにいるかもしれないと、心の片隅にとどめてもらいたい」。規枝代さんはいつまでも息子の帰りを待っている。
情報提供は盛岡西署(019・645・0110)へ。

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