「桐島聡」死亡、事件で妹亡くした男性「発見が遅すぎた」…「彼らの思想は理解できない」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

衝撃の告白から4日。
1970年代の連続企業爆破事件で指名手配中の「東アジア反日武装戦線」メンバー、桐島聡容疑者(70)を名乗る男が29日、入院先で死亡した。男は偽名で社会に溶け込んでおり、一連の事件の遺族は「発見が遅すぎた」と無念さをにじませた。
■白髪交じり
「店内に流れるロック音楽に体を揺らしていた」。神奈川県藤沢市のJR藤沢駅近くでバーを経営する60歳代男性は、「内田洋(うちだひろし)」という白髪交じりの男をよく記憶している。数年前まで月に1回ほど訪れていた。
立ち寄るようになったのは約20年前。銭湯帰りにカウンターでビールをあおると、バンド演奏に合わせ、上機嫌に体を揺らした。常連客からは「ウッチー」の愛称で呼ばれていた。
仕事は「建築土木関係」と明かしたが、多くを語ろうとせず「自分は人を幸せにできるタイプじゃない」とも話した。男性は男の自宅を訪ね、音楽ビデオを譲り受けたこともあるといい、「本当に桐島容疑者だとすれば驚きだ」と語った。
男は数十年前から藤沢市の土木工事会社に住み込みで働いていたが、末期の胃がんを患い、今月、同県鎌倉市の病院に入院した。
近隣でも「内田さん」で知られ、会社に出入りする際には、住民らと日常的にあいさつを交わしていた。
<正体を知られてはならない。極端な秘密主義に陥らぬこと。最低限、隣人とのあいさつは不可欠>
「東アジア反日武装戦線」の教本「腹腹時計」には、メンバーの行動を律する記述がある。ある捜査員は「本当に桐島容疑者だとすれば、『普通の人』を演じていたのだろう」と話した。
■「普通の生徒」
桐島容疑者は広島県出身。尾道市内の高校を卒業後、明治学院大在学中の75年4月に東京・銀座の韓国産業経済研究所で手製爆弾を爆発させたとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配された。
高校の同級生によると、小柄で目立たない性格だったが、体育祭などではクラスメートと一緒に汗を流す普通の生徒だったという。
同級生の一人で福山市の自営業男性(70)は、「重大な事件に関与するとは思わなかった。死亡した男が桐島なら、今までどこで何をしていたのか知りたかった」と語った。
■「事件解明を」
「見つけるのが遅すぎた」。連続企業爆破の「三菱重工ビル爆破事件」で、会計事務所職員だった妹の松田とし子さん(当時23歳)を亡くした男性(77)は29日、残念そうに話した。
74年8月30日の発生当時、とし子さんは職場に近い東京・丸の内を歩いていて巻き込まれた。この事件では8人が死亡し、負傷者は約380人に上った。
東アジア反日武装戦線はその後、75年5月まで約9か月間、爆破事件を重ねた。桐島容疑者は三菱重工ビルの事件では指名手配されていないが、男性は「彼らの思想は今でも理解できない。警察は男が残した言葉や足跡から一連の事件を解明してほしい」と願った。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。