「え、YouTubeでは先生と違う説明をしてたんですけど…?」教育系YouTuberの影響で“ヤバい学生”が増えている

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YouTubeで授業を公開するなどして受験生や学生・生徒たちを虜にしていく「教育系YouTuber」と呼ばれるインフルエンサーが活躍する昨今。彼らの多くが無料で授業動画を公開しており、受験生はどこにいても自分の好きなタイミングで授業動画を視聴することができる。私が受験生だった十数年前と比較してみても、現在の受験生は恵まれた環境に置かれていると言えるだろう。
【写真】この記事の写真を見る(2枚) だが、一方でその弊害とも言うべき事態を耳にすることも少なくない。

AFLO◆◆◆「YouTubeで勉強しているから授業は聞かなくても良い」 先日、知人の中学校教員からこのような相談を受けた。「授業中にこちらの説明を聞かない生徒がいたので授業後に話を聞いてみたところ、『●●(教育系YouTuber)の動画で見たから聞く必要がない』と言われた」「直接は言われなくとも、自分の授業よりYouTuberの方が信用できるというような話を生徒たちがしているのも知っている。どうしたら良いか悩んでいる」 私はその知人の実際の指導現場を見ていないため、あくまで一般論にはなるが、比較された上で見切りをつけられてしまっている現状を変えるためには、YouTuberに負けないだけの指導力を習得しなければならないのは間違いない。 実際、現場の教師や講師よりもわかりやすく感じるケースはあるだろうし、見ていて「魅せ方」という点において本当に上手だと感じる教育系YouTuberも存在する。我々現場の講師たちが彼らから学ばなければならない部分も大きいだろう。 この知人の経験と同様のことは塾や予備校の現場でも起こっている。ある事項を説明した際に、時として「YouTubeではこんな風に説明されていたのだが、この考え方ではいけないのか」という質問を受けることがあるようだ。 単純に「この考え方も許容されるのか」という純粋な疑問としてなら良いが、あたかもYouTubeの方が正しく、講師の説明は間違っているかのような、ある種攻撃的な姿勢で質問に来ることもしばしばある。信奉する対象としての“教育系YouTuber” 考えてみれば、こうした話が聞かれるのは今に始まったことではない。以前から「塾の先生にこう教わった」「あの先生はこんなことを言っていた」からと、別の考え方を提示する教師や講師の指導を受け入れない生徒は存在したものだ。動画隆盛の時代に入って、信奉する対象に教育系YouTuberが加わっただけとも言えるだろう。 それに、現場の教師や講師が間違っており、YouTuberの方が正しい発信をしているケースもあることは否定できない。その場合、現場の教師や講師の指導力の向上が必要であり、指導者側に反省すべき点が多々あるのも言うまでもないことである。 とはいえ、対象が学校教員であれ、塾・予備校の講師であれ、教育系YouTuberであれ、一方を絶対視して他の指導を受け入れない姿勢は少なくとも受験生として好ましいものとは言えない。大学受験生向けの映像授業自体は昔からあった そもそも、大学受験生向けの映像授業の歴史は古い。現在、スマートフォンやタブレットを通してどこからでも受講可能な「モバサテ」を提供している代々木ゼミナールは1985年ごろからVHSで受講できる「ビデオスクール」を、1989年には通信衛星を利用して講義を全国に配信する「サテラインゼミ」を開始した。また、現在も映像授業を中心として展開している東進ハイスクール・東進衛星予備校は1991年から衛星授業を開始している。さらに、昨今ではコロナ禍の影響を受けて、自宅で映像授業の受講が可能になった予備校も多い。 これら従来の映像授業と、動画SNSによる授業映像とは一体何が異なるのだろうか。従来の“映像授業”と“動画SNS”との大きな違い 真っ先に挙げられるのが「講師(演者)の質と信頼性の安定感の差」だろう。 予備校や大手企業によって制作される従来型の映像授業は、公開までに関わる人間の数が多く、かなりの工数をかけていることが多い。基本的に採用試験を通過した講師がカリキュラムに基づいて講義を提供する。採用試験の内容は様々であるにせよ、ある程度信頼がおける講師でなければカメラの前に立つことが許されないことが多く、内容やコンプライアンスのチェック体制も整っているケースが大半だ。授業自体は生放送で行われるものであっても、事前のカリキュラムや教材の作成時には多くの人が関わっている。 一方で動画SNS上のコンテンツはどうだろうか。信頼できるクリエイターも存在するものの、講師や制作サイドの質にばらつきがあるのは否めない。中には過激な発言で注目を集める手法を好んだり、わかりやすさを追求するあまりに過度な単純化を行ったり、「嘘」の内容を発信しているケースも散見される。 もちろん予備校講師が間違った発信をすることもあり得るし、先述の通り信頼できるクリエイターも少なくない。そのため、塾・予備校=善、動画SNS=悪などと簡単に考えるわけにはいかない。しかしながら、参入障壁の低い動画SNSがいわば「玉石混交」であることはX(旧Twitter)上でも多く指摘されていることである。 受験生に限らず、情報の真偽を確かめるのは難しい。虚偽の内容や不正確な発信をしている場合はともかく、「わかりやすさ」を追求する中でターゲットに合わせて意図的な省略や単純化が行われている可能性もある。それらも加味した上で信頼できる情報を発掘することに労力を割くのは流行りの「タイパ」の面から見ても得策とは言えないだろう。登録者数30万人超の“教育系YouTuber”の証言 ところで、このように授業動画の正確性にばらつきが見られ、ある種ファンビジネスのような様相を呈している動画SNSの現状について、実際に授業動画を提供するクリエイターはどのように考えているのだろうか。 登録者数が30万人を超える、とある教育系YouTuberは次のように語る。「授業動画の正確性に気をつけるのはもちろん、勉強法を紹介するときもこれまでの経験や自分の実践をもとに紹介するようにしています。そしてできるだけ現場からフィードバックをもらい、生の声を聞いてブラッシュアップすることは欠かせません。特に勉強法には『合う/合わない』があるのは当然なので、それも伝えるようにして、取捨選択して自分の勉強に活かしてほしいと思っています」 このように「視聴者にとって有益なコンテンツを提供したい」という思いから、慎重に発信内容を検討・確認した上で動画を公開しているクリエイターも多いのは事実だ。 実際、情報の取捨選択をしたり、学習法については効果を見極めつつ自分に「合う/合わない」を踏まえて上手く活用したりできれば学習効率を上げていくことができる動画SNSの可能性は否定できない。そこで、最後に動画SNSのコンテンツを活用する際に大切な3つのポイントを紹介しておきたい。動画SNSを勉強に活かすうえでの3つのポイント(1)スポットで活用する たとえば、どうしてもわからない分野・問題がある場合に、その単元を理解するためだけに見るなど、使い所を限定して用いる。(2)見たままにせず、必ず類題に自分で取り組んでみる 動画を視聴して「わかりやすい」「理解できた」と思うだけでなく、動画で紹介された考え方や解法を、類題やその単元の演習問題などを通して、その考え方が本当に通用するのかどうか/他の問題でも活用できるかどうかを試してみる。(3)過度の信頼を置きすぎないよう細心の注意を払う 問題によっては別解や別のアプローチが存在するケースもあることを念頭に置き、動画内で語られていた情報と異なる情報に接した際に、「これは間違っている」と決めてかからないよう注意する。時間が許すのであれば他の発信者と比較検討することも一つの手ではある。 無論、私は予備校講師であり、いわゆる「ポジショントーク」と取られる側面もあるだろうが、少なくとも情報の精度や信頼度のばらつきが大きいコンテンツ群を手放しに推奨することはできない。しかしその一方で、動画SNSが持つ可能性を否定する気は毛頭ない。日本でも教育格差の問題はかねてから指摘されており、無料や安価で授業を受講できる動画SNSは、その解決の一助になる可能性を十分に秘めている。 現場であれ動画であれ、「良いコンテンツは良い、悪いコンテンツは悪い」のである。とはいえ動画SNSの影響力は計り知れない以上、「悪貨は良貨を駆逐する」という恐れもある。 指導者・発信者側はより一層のレベルアップを図りつつ、視聴者の側は動画SNS上の学習コンテンツを活用する際に、それが玉石混交であることを念頭においた上で、盲信的にならないように注意することが肝要だろう。 間違っても、動画「だけ」を根拠に他のアプローチを拒絶することにならないようにしたいものである。(羽場 雅希)
だが、一方でその弊害とも言うべき事態を耳にすることも少なくない。
AFLO
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先日、知人の中学校教員からこのような相談を受けた。
「授業中にこちらの説明を聞かない生徒がいたので授業後に話を聞いてみたところ、『●●(教育系YouTuber)の動画で見たから聞く必要がない』と言われた」
「直接は言われなくとも、自分の授業よりYouTuberの方が信用できるというような話を生徒たちがしているのも知っている。どうしたら良いか悩んでいる」
私はその知人の実際の指導現場を見ていないため、あくまで一般論にはなるが、比較された上で見切りをつけられてしまっている現状を変えるためには、YouTuberに負けないだけの指導力を習得しなければならないのは間違いない。
実際、現場の教師や講師よりもわかりやすく感じるケースはあるだろうし、見ていて「魅せ方」という点において本当に上手だと感じる教育系YouTuberも存在する。我々現場の講師たちが彼らから学ばなければならない部分も大きいだろう。
この知人の経験と同様のことは塾や予備校の現場でも起こっている。ある事項を説明した際に、時として「YouTubeではこんな風に説明されていたのだが、この考え方ではいけないのか」という質問を受けることがあるようだ。
単純に「この考え方も許容されるのか」という純粋な疑問としてなら良いが、あたかもYouTubeの方が正しく、講師の説明は間違っているかのような、ある種攻撃的な姿勢で質問に来ることもしばしばある。
考えてみれば、こうした話が聞かれるのは今に始まったことではない。以前から「塾の先生にこう教わった」「あの先生はこんなことを言っていた」からと、別の考え方を提示する教師や講師の指導を受け入れない生徒は存在したものだ。動画隆盛の時代に入って、信奉する対象に教育系YouTuberが加わっただけとも言えるだろう。
それに、現場の教師や講師が間違っており、YouTuberの方が正しい発信をしているケースもあることは否定できない。その場合、現場の教師や講師の指導力の向上が必要であり、指導者側に反省すべき点が多々あるのも言うまでもないことである。
とはいえ、対象が学校教員であれ、塾・予備校の講師であれ、教育系YouTuberであれ、一方を絶対視して他の指導を受け入れない姿勢は少なくとも受験生として好ましいものとは言えない。
そもそも、大学受験生向けの映像授業の歴史は古い。現在、スマートフォンやタブレットを通してどこからでも受講可能な「モバサテ」を提供している代々木ゼミナールは1985年ごろからVHSで受講できる「ビデオスクール」を、1989年には通信衛星を利用して講義を全国に配信する「サテラインゼミ」を開始した。また、現在も映像授業を中心として展開している東進ハイスクール・東進衛星予備校は1991年から衛星授業を開始している。さらに、昨今ではコロナ禍の影響を受けて、自宅で映像授業の受講が可能になった予備校も多い。
これら従来の映像授業と、動画SNSによる授業映像とは一体何が異なるのだろうか。
真っ先に挙げられるのが「講師(演者)の質と信頼性の安定感の差」だろう。
予備校や大手企業によって制作される従来型の映像授業は、公開までに関わる人間の数が多く、かなりの工数をかけていることが多い。基本的に採用試験を通過した講師がカリキュラムに基づいて講義を提供する。採用試験の内容は様々であるにせよ、ある程度信頼がおける講師でなければカメラの前に立つことが許されないことが多く、内容やコンプライアンスのチェック体制も整っているケースが大半だ。授業自体は生放送で行われるものであっても、事前のカリキュラムや教材の作成時には多くの人が関わっている。
一方で動画SNS上のコンテンツはどうだろうか。信頼できるクリエイターも存在するものの、講師や制作サイドの質にばらつきがあるのは否めない。中には過激な発言で注目を集める手法を好んだり、わかりやすさを追求するあまりに過度な単純化を行ったり、「嘘」の内容を発信しているケースも散見される。
もちろん予備校講師が間違った発信をすることもあり得るし、先述の通り信頼できるクリエイターも少なくない。そのため、塾・予備校=善、動画SNS=悪などと簡単に考えるわけにはいかない。しかしながら、参入障壁の低い動画SNSがいわば「玉石混交」であることはX(旧Twitter)上でも多く指摘されていることである。
受験生に限らず、情報の真偽を確かめるのは難しい。虚偽の内容や不正確な発信をしている場合はともかく、「わかりやすさ」を追求する中でターゲットに合わせて意図的な省略や単純化が行われている可能性もある。それらも加味した上で信頼できる情報を発掘することに労力を割くのは流行りの「タイパ」の面から見ても得策とは言えないだろう。
ところで、このように授業動画の正確性にばらつきが見られ、ある種ファンビジネスのような様相を呈している動画SNSの現状について、実際に授業動画を提供するクリエイターはどのように考えているのだろうか。
登録者数が30万人を超える、とある教育系YouTuberは次のように語る。
「授業動画の正確性に気をつけるのはもちろん、勉強法を紹介するときもこれまでの経験や自分の実践をもとに紹介するようにしています。そしてできるだけ現場からフィードバックをもらい、生の声を聞いてブラッシュアップすることは欠かせません。特に勉強法には『合う/合わない』があるのは当然なので、それも伝えるようにして、取捨選択して自分の勉強に活かしてほしいと思っています」
このように「視聴者にとって有益なコンテンツを提供したい」という思いから、慎重に発信内容を検討・確認した上で動画を公開しているクリエイターも多いのは事実だ。
実際、情報の取捨選択をしたり、学習法については効果を見極めつつ自分に「合う/合わない」を踏まえて上手く活用したりできれば学習効率を上げていくことができる動画SNSの可能性は否定できない。そこで、最後に動画SNSのコンテンツを活用する際に大切な3つのポイントを紹介しておきたい。
(1)スポットで活用する
たとえば、どうしてもわからない分野・問題がある場合に、その単元を理解するためだけに見るなど、使い所を限定して用いる。

(2)見たままにせず、必ず類題に自分で取り組んでみる
動画を視聴して「わかりやすい」「理解できた」と思うだけでなく、動画で紹介された考え方や解法を、類題やその単元の演習問題などを通して、その考え方が本当に通用するのかどうか/他の問題でも活用できるかどうかを試してみる。

(3)過度の信頼を置きすぎないよう細心の注意を払う
問題によっては別解や別のアプローチが存在するケースもあることを念頭に置き、動画内で語られていた情報と異なる情報に接した際に、「これは間違っている」と決めてかからないよう注意する。時間が許すのであれば他の発信者と比較検討することも一つの手ではある。
無論、私は予備校講師であり、いわゆる「ポジショントーク」と取られる側面もあるだろうが、少なくとも情報の精度や信頼度のばらつきが大きいコンテンツ群を手放しに推奨することはできない。しかしその一方で、動画SNSが持つ可能性を否定する気は毛頭ない。日本でも教育格差の問題はかねてから指摘されており、無料や安価で授業を受講できる動画SNSは、その解決の一助になる可能性を十分に秘めている。
現場であれ動画であれ、「良いコンテンツは良い、悪いコンテンツは悪い」のである。とはいえ動画SNSの影響力は計り知れない以上、「悪貨は良貨を駆逐する」という恐れもある。 指導者・発信者側はより一層のレベルアップを図りつつ、視聴者の側は動画SNS上の学習コンテンツを活用する際に、それが玉石混交であることを念頭においた上で、盲信的にならないように注意することが肝要だろう。 間違っても、動画「だけ」を根拠に他のアプローチを拒絶することにならないようにしたいものである。(羽場 雅希)
現場であれ動画であれ、「良いコンテンツは良い、悪いコンテンツは悪い」のである。とはいえ動画SNSの影響力は計り知れない以上、「悪貨は良貨を駆逐する」という恐れもある。
指導者・発信者側はより一層のレベルアップを図りつつ、視聴者の側は動画SNS上の学習コンテンツを活用する際に、それが玉石混交であることを念頭においた上で、盲信的にならないように注意することが肝要だろう。
間違っても、動画「だけ」を根拠に他のアプローチを拒絶することにならないようにしたいものである。
(羽場 雅希)

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