原宿で90年続く米屋 引っ張りだこの秘密は「顔」の見える付き合い

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ファッションの街・原宿(東京都渋谷区)で90年以上店舗を構える小さな米屋が、業界の注目の的だ。1930(昭和5)年創業の「小池精米店」。3代目代表の小池理雄さん(52)はコンサルタント業などを経て家業を継いだ。生産者の声を消費者につなぐ提案・対話型の販売が実を結び、事業継承後の売り上げ3倍増を実現。米の魅力を発信するイベントも数多くこなし、和食の名店からご近所まで、「小池さんのお米」の人気はとどまるところを知らない。7月には、そのマーケティング術を記した著書「なぜ、その米は売れるのか?」(家の光協会刊)を出した。その話を聞く。
<連載 毎日農業記録賞×聞く>特集ページ ――店を継いだ経緯からうかがいます。 ◆2006年でした。父が入院し、店の存続問題が浮上しました。私は3人姉弟の長男です。大学卒業後は出版社で編集の仕事をし、その間に社会保険労務士の資格を取って企業相手のコンサルタント会社に転職しました。もともと米屋を継ぐ意識はなかった。「継げ」と言われたこともなかった。ただ、不思議と心が動きました。店は原宿でも唯一、昔からの商店が残る一角にあります。祖父が創業した「小池精米店」がつぶれたらどうなるのか?ということを具体的に考えると、「それはいやだな」という思いがこみあげてきました。仕事を通じて中小企業の経営者らと膝を交える中で、「経営」への興味も芽生えていました。 ――業界にも、そしてご自身にも、かなり厳しいことを指摘しておられますね。 ◆まず私自身のことから。コンサル業は「仕入れ」のない仕事です。こちらが提示するものが即、商材になる。利益の出やすい業界にいたわけです。米屋は違う。仕入れて売る。粗利で決まる。たぶんもうかっていないんだろうなあ、と思っていましたが、案の定でした。粗利が薄い。5年くらいは、前職のアルバイトをして店を支えている状態でした。 転機は、東日本大震災直後の経験です。コメの買い占めで、突如、店の前に普段はありえない客の長蛇の列ができました。「うれしい悲鳴」のように映るかもしれませんが、とんでもない。米の需要が急増すると、仕入れ値も急騰する。利益を考えれば売値を上げざるを得ないのですが、卸先のお客様に同意はいただけませんでした。赤字転落です。 米屋がマーケットの動きにいかに左右される商売なのかを実感すると同時に、仕入れ値が上がっても自分で売値を決められないままでは、そもそも商売として成り立たないということを痛感しました。適正価格の確保は死活問題です。 同業の先輩たちが「昔はよかったなあ」と言うのをよく聞きます。1995年まで続いた食糧管理制度の時代、米の販売は許可制で、基本的に米屋でしか販売できず、米屋にとっては「配るもの」でした。努力しなくても売れたからです。「商品」としてとらえる発想はなかった。 ――日本の米は「消費者に買いたたかれている」とも書いておられます。 ◆米を「商品」ととらえる発想が薄いことは、消費者にも重なるのではないでしょうか。米業界の側にも、米の価値を伝える努力をほとんどしてこなかったという側面があります。異業種から参入した立場ゆえに、見えたことでもあります。 日本の農政は米の安定供給を第一に運営されてきました。大事なことですが、一方でそれは「米はあってあたり前」という認識にもつながり、ならば「安かろう」に飛びつくわけです。野菜や肉にはこだわる和食の名店でも、米については「どこ産の何の品種か分からない」「白けりゃいいんだ」という声が返ってきました。そこでは、生産者の生活には想像が及ばない。残念ですが、そもそも、米に関心がないんだということです。 ――その意識を変えるところからスタートした。 ◆そうと分かれば、やることはたくさんある。飲食店も、米についても何か工夫したいと漠然と考えていることが伝わりました。潜在的なニーズはある。ならば、こちらから提案すればいい。必要なのは、密なコミュニケーションです。相手の希望を聞く。料理との相性を考え、サンプルを提供する。生産者の取り組みも伝え、産地応援につながるようなストーリーも提供する。キャッチボールを繰り返すうちに、お互いの理解は深まりました。 ――衣料品で例えれば、創意工夫を凝らした「ブティック」経営のような印象を受けます。ただ、米消費の裾野を広げるには、「量販店」のような規模の仕掛けが必要だとも感じます。 ◆「量販店」という発想は違うと思いますね。今、家庭の一般消費者と米業界は断絶しています。エンドユーザーのほとんどは、米袋が無機質に積まれたスーパーや通販サイトで買っています。そこには米のことを話す人がいないので、知る機会がそもそもないのです。 私は運がよかった。お客でもあるカフェのオーナーから「店でイベントをやる。お米についてのワークショップをしませんか」という声がかかりました。「お米ゼミ」と名付けて、米の品種や産地、炊飯の話から始め、脱穀や籾摺(もみす)り体験までやりました。米屋の自分には「そんなに面白いの?」というようなことでも、皆さん、目を輝かせます。米にはエンタメ性があるんですね。消費者は「食べること」に関心がある。がぜん、米に興味を持つようになります。こんなチャンスが眠っていたことに、皆、気づいていなかった。評判でゼミの参加者が増えれば、品種改良を重ねる生産者のエピソードや、精米の工夫などにも話を広げます。消費者の皆さんの興味や知識が増えれば、「価格」以外の選択肢も生まれます。これが、裾野を広げることだと思います。 ――「食育」にも力を入れておられますね。 ◆マクロレベルで米の消費拡大を図るには、これしかないとも思っています。子どもの心に根付けば、未来につながるからです。 ただ、その方法を考えることと、熱意が必要です。都内のある区の小学校から、講師の依頼を受けました。その区にも米屋は何軒もあるのですが、すべて断られたというのです。もったいないなあ、という気持ちでいっぱいでした。 ある小学校では、生産県との交流で、農家から苗が送られてきたのですが、栽培の方法が分からず、バケツに入れたままになっていました。送りっぱなしでは交流にはならない。一緒に栽培を体験してこそ、食育につながるのだと思います。 ――戦中世代がいた家庭では、その体験から、「米の大切さ」が常に語られていました。それも食育だと思いますが、そういう伝承は時代とともに薄れつつあります。 ◆ウチは米屋ですが、戦時中、学童だった父は栄養失調で苦しんだといいます。その話をよく聞きました。ただ、私の視点は少し違います。やはり人間は、明るい方を向くものです。未来を考えるならば、同じ食育でも「楽しさ」を打ち出した方がよい。 ――生産者に向けては? ◆「同じ稲作でも、モチベーションがないと、ついつい手を抜いてしまうよ」。ある農家が語った本音です。モチベーションの源は、その米のエンドユーザーの顔が見えることです。同様に、エンドユーザーに響くのも、生産者の顔です。「顔」というのは、その生産者のポリシーです。「なぜ、その米を作るのか」ということです。自然農法へのこだわり、地域社会への貢献などさまざまでしょうが、それを伝え、エンドユーザーの共感が得られれば、その米は買われる。適正価格も実現します。 「米はあって当たり前」と言いましたが、「おいしい」のも当たり前です。それ以外で違いを見つけ、PRすることです。「ブランディング」と言い換えてもよい。たとえ小規模なイベントであっても産地から生産者が出てきて、消費者と交流する。感情移入によって、米の商品性は高まるのです。互いに顔が見える関係の付き合いが米にはマッチすることは、私の商売の経験からも分かります。【聞き手・三枝泰一】こいけ・ただお 1971年、東京都渋谷区生まれ。95年、明治大文学部史学地理学科卒。五ツ星お米マイスター、東京米スター匠。 第51回毎日農業記録賞の作文を募集しています。9月4日締め切り。詳細はこちらから。https://www.mainichi.co.jp/event/mainou/
――店を継いだ経緯からうかがいます。
◆2006年でした。父が入院し、店の存続問題が浮上しました。私は3人姉弟の長男です。大学卒業後は出版社で編集の仕事をし、その間に社会保険労務士の資格を取って企業相手のコンサルタント会社に転職しました。もともと米屋を継ぐ意識はなかった。「継げ」と言われたこともなかった。ただ、不思議と心が動きました。店は原宿でも唯一、昔からの商店が残る一角にあります。祖父が創業した「小池精米店」がつぶれたらどうなるのか?ということを具体的に考えると、「それはいやだな」という思いがこみあげてきました。仕事を通じて中小企業の経営者らと膝を交える中で、「経営」への興味も芽生えていました。
――業界にも、そしてご自身にも、かなり厳しいことを指摘しておられますね。
◆まず私自身のことから。コンサル業は「仕入れ」のない仕事です。こちらが提示するものが即、商材になる。利益の出やすい業界にいたわけです。米屋は違う。仕入れて売る。粗利で決まる。たぶんもうかっていないんだろうなあ、と思っていましたが、案の定でした。粗利が薄い。5年くらいは、前職のアルバイトをして店を支えている状態でした。
転機は、東日本大震災直後の経験です。コメの買い占めで、突如、店の前に普段はありえない客の長蛇の列ができました。「うれしい悲鳴」のように映るかもしれませんが、とんでもない。米の需要が急増すると、仕入れ値も急騰する。利益を考えれば売値を上げざるを得ないのですが、卸先のお客様に同意はいただけませんでした。赤字転落です。
米屋がマーケットの動きにいかに左右される商売なのかを実感すると同時に、仕入れ値が上がっても自分で売値を決められないままでは、そもそも商売として成り立たないということを痛感しました。適正価格の確保は死活問題です。
同業の先輩たちが「昔はよかったなあ」と言うのをよく聞きます。1995年まで続いた食糧管理制度の時代、米の販売は許可制で、基本的に米屋でしか販売できず、米屋にとっては「配るもの」でした。努力しなくても売れたからです。「商品」としてとらえる発想はなかった。
――日本の米は「消費者に買いたたかれている」とも書いておられます。
◆米を「商品」ととらえる発想が薄いことは、消費者にも重なるのではないでしょうか。米業界の側にも、米の価値を伝える努力をほとんどしてこなかったという側面があります。異業種から参入した立場ゆえに、見えたことでもあります。
日本の農政は米の安定供給を第一に運営されてきました。大事なことですが、一方でそれは「米はあってあたり前」という認識にもつながり、ならば「安かろう」に飛びつくわけです。野菜や肉にはこだわる和食の名店でも、米については「どこ産の何の品種か分からない」「白けりゃいいんだ」という声が返ってきました。そこでは、生産者の生活には想像が及ばない。残念ですが、そもそも、米に関心がないんだということです。
――その意識を変えるところからスタートした。
◆そうと分かれば、やることはたくさんある。飲食店も、米についても何か工夫したいと漠然と考えていることが伝わりました。潜在的なニーズはある。ならば、こちらから提案すればいい。必要なのは、密なコミュニケーションです。相手の希望を聞く。料理との相性を考え、サンプルを提供する。生産者の取り組みも伝え、産地応援につながるようなストーリーも提供する。キャッチボールを繰り返すうちに、お互いの理解は深まりました。
――衣料品で例えれば、創意工夫を凝らした「ブティック」経営のような印象を受けます。ただ、米消費の裾野を広げるには、「量販店」のような規模の仕掛けが必要だとも感じます。
◆「量販店」という発想は違うと思いますね。今、家庭の一般消費者と米業界は断絶しています。エンドユーザーのほとんどは、米袋が無機質に積まれたスーパーや通販サイトで買っています。そこには米のことを話す人がいないので、知る機会がそもそもないのです。
私は運がよかった。お客でもあるカフェのオーナーから「店でイベントをやる。お米についてのワークショップをしませんか」という声がかかりました。「お米ゼミ」と名付けて、米の品種や産地、炊飯の話から始め、脱穀や籾摺(もみす)り体験までやりました。米屋の自分には「そんなに面白いの?」というようなことでも、皆さん、目を輝かせます。米にはエンタメ性があるんですね。消費者は「食べること」に関心がある。がぜん、米に興味を持つようになります。こんなチャンスが眠っていたことに、皆、気づいていなかった。評判でゼミの参加者が増えれば、品種改良を重ねる生産者のエピソードや、精米の工夫などにも話を広げます。消費者の皆さんの興味や知識が増えれば、「価格」以外の選択肢も生まれます。これが、裾野を広げることだと思います。
――「食育」にも力を入れておられますね。
◆マクロレベルで米の消費拡大を図るには、これしかないとも思っています。子どもの心に根付けば、未来につながるからです。
ただ、その方法を考えることと、熱意が必要です。都内のある区の小学校から、講師の依頼を受けました。その区にも米屋は何軒もあるのですが、すべて断られたというのです。もったいないなあ、という気持ちでいっぱいでした。
ある小学校では、生産県との交流で、農家から苗が送られてきたのですが、栽培の方法が分からず、バケツに入れたままになっていました。送りっぱなしでは交流にはならない。一緒に栽培を体験してこそ、食育につながるのだと思います。
――戦中世代がいた家庭では、その体験から、「米の大切さ」が常に語られていました。それも食育だと思いますが、そういう伝承は時代とともに薄れつつあります。
◆ウチは米屋ですが、戦時中、学童だった父は栄養失調で苦しんだといいます。その話をよく聞きました。ただ、私の視点は少し違います。やはり人間は、明るい方を向くものです。未来を考えるならば、同じ食育でも「楽しさ」を打ち出した方がよい。
――生産者に向けては?
◆「同じ稲作でも、モチベーションがないと、ついつい手を抜いてしまうよ」。ある農家が語った本音です。モチベーションの源は、その米のエンドユーザーの顔が見えることです。同様に、エンドユーザーに響くのも、生産者の顔です。「顔」というのは、その生産者のポリシーです。「なぜ、その米を作るのか」ということです。自然農法へのこだわり、地域社会への貢献などさまざまでしょうが、それを伝え、エンドユーザーの共感が得られれば、その米は買われる。適正価格も実現します。
「米はあって当たり前」と言いましたが、「おいしい」のも当たり前です。それ以外で違いを見つけ、PRすることです。「ブランディング」と言い換えてもよい。たとえ小規模なイベントであっても産地から生産者が出てきて、消費者と交流する。感情移入によって、米の商品性は高まるのです。互いに顔が見える関係の付き合いが米にはマッチすることは、私の商売の経験からも分かります。【聞き手・三枝泰一】
こいけ・ただお
1971年、東京都渋谷区生まれ。95年、明治大文学部史学地理学科卒。五ツ星お米マイスター、東京米スター匠。
第51回毎日農業記録賞の作文を募集しています。9月4日締め切り。詳細はこちらから。
https://www.mainichi.co.jp/event/mainou/

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