子供の人生を支配し、子供に害悪を及ぼす毒親。
両親に対してのモヤモヤは、他人には話しづらい傾向にある。「あなたのためだから」という「正義」を振りかざした体罰、子供の前で繰り返す夫婦喧嘩。繰り返すごとに子供の心の中では「ネガティブな親の存在」が育っていき、やがて誰にも言えないコンプレックスへと変わる。
毒親がただの「コンプレックス」だけで収まるのであれば、まだましなのかも知れない。子供の人生を破滅的な生き方へと引きずりこんでしまう事も珍しくないからだ。
私はこれまで純愛から不倫まで、多種多様な恋愛相談を受けてきたが、不毛な不倫に傾倒しすぎる女性たちの話をよくよく聞いてみると、根本的な原因の中に、「毒親」の存在を感じるものも多数ある。
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高橋愛美さん(仮名・34歳)も、相談こそ「30半ばになるのに、普通の恋愛ができず、50~60代の既婚者男性との不倫ばかりしていて、焦っている」という内容だったが、毒親への反発心から、自分の人生を壊し続けている事は明白であった。
彼女の父親は内科医、母親は精神科医の開業医だという。母親が教育熱心で「大学付属の中高一貫校に入れば人生勝ち組だから」と、小学生の頃から受験勉強が始まった。無事、母親が推奨する中学校に入学できた後は、「医者になれば人生安泰だから」と言われ、医学部を目指す事になったという。
「高校生までの私は、完全に母の言いなりでした。友達が出来ても、親の職業を聞いて値踏みしてくるような人だったので、家に友達を連れてくる事もできませんでした。ヒステリックで怒るとモノを投げつけるので、我が家の壁には母のつけた傷がいくつもあります。父は温和な人なのですが、母が私たちに暴力を振るいそうになった時に羽交い絞めにして押さえつけてくれていました。母はそんな父を日頃から『DV男』と罵り、毎日のように夫婦喧嘩をしていました」毒親の敷いたレールの上でしか歩けない人生愛美さんは、リビングで怒鳴りあう両親の声を聞きたくなくて、耳を塞いで勉強したが、医学部には届かず、薬学部に進学した。彼女自身は納得できる進学先だったが、絶望した母に「脳の出来は父親似だったのね。仕方ないから医者と結婚しなさい」と言われ、その場で吐いたそうだ。Photo by gettyimages「やっぱりうちの家庭はおかしいと確信し、家にいたくなくて大学生になってからは夜遊びをするようになりました。でも終電で帰ると、玄関で母が待っていて、『レイプされたらどうするの!』、『こんな時間まで帰らないなんてだらしない。近所で恥ずかしい思いをするのは私なんだから』と怒鳴り散らされ、喧嘩の繰り返しでした。結局、遊ぶ事をやめて、友達の誘いも断り、大学と自宅の往復だけの生活になりました」卒業後は、母の縁故採用で、総合病院の薬剤師として勤務。親に逆らえず、親の敷いたレールの上でしか歩けず、家を出る勇気もなく、深い友達も作れないまま時間だけが過ぎていったそうだ。その状況を「救ってくれた」というのが、29歳の時に出会った健太さん(仮名・当時30歳)だった。「私は母によって、フリルのついた服ばかり着せられていたから、カジュアルな服も来てみたかったんです。それで気晴らしに有給をとってショッピングモールに買い物に行った時にモール内のアパレルショップで働いていた健太さんに出会いました」 愛美さんが『元気がでそうなカジュアルな服を探している』と相談したところ、彼女が絶対に選ばない、ハイウエストのワイドデニムに真っ白なTシャツをインする組み合わせを見立ててくれたのが縁となった。試着してみると、本当に活発的な気持ちになったのがうれしくて購入。愛美さんは店の常連となり、その過程で2人の距離も縮まり、交際が始まったそうだ。彼の言葉で毒親から解放されたかと思ったが「ファッションセンスのある彼の影響は凄かった。私は、服にあわせて髪型をロングの巻き髪だったのですが、それをベリーショートにしたり、履いたことすらなかったスニーカー集めが趣味になったりしました。自分が変わっていくごとに、母の洗脳が溶けていくようで、彼のおかげで、自分の意志を持つ喜びを得られた気がします」Photo by gettyimages交際から1年を迎える頃にはお互いに結婚を意識するようになり、愛美さんは2人の最大の障壁になるであろう母の存在を思い切って告白。「結婚相手は医者にしなさいと言われている」まですべて伝えた。「彼は親身になって話を聞いてくれて、『医者ほど稼げる自信はないけど、2人で幸せになれるように一生懸命働く。お母さんには誠心誠意お願いして、必ず愛美と結婚する』と言ってくれました。私は涙が止まらなくなりました。だって私の最大のコンプレックは親でしたから…」健太さんのような、娘を大切に思ってくれる定職を持った男性が結婚を申し入れてきた場合、多くのご家庭では、娘の門出を祝福するだろう。しかし、愛美さんの母親は違った。結婚のお願いに訪れた健太さんを、「あなたのためだから」という「正義」を振りかざして猛反対しはじめたというからだ。毒親に関する各種アンケート調査では、<自分の親を毒親と感じている子供>が6割以上いる反面、<自分が毒親だと自覚している親>は3割程度と、親と子の認識の相違が浮き彫りになっている。 愛美さんの母親も、自身が毒親であることを自覚していないタイプに思われる――。後編『「お前ごときが私の娘を!」母は結婚挨拶の場で激高し…34歳娘が絶望…毒親に翻弄された「運命の恋」のヤバすぎる結末』に続く。
「高校生までの私は、完全に母の言いなりでした。友達が出来ても、親の職業を聞いて値踏みしてくるような人だったので、家に友達を連れてくる事もできませんでした。ヒステリックで怒るとモノを投げつけるので、我が家の壁には母のつけた傷がいくつもあります。
父は温和な人なのですが、母が私たちに暴力を振るいそうになった時に羽交い絞めにして押さえつけてくれていました。母はそんな父を日頃から『DV男』と罵り、毎日のように夫婦喧嘩をしていました」
愛美さんは、リビングで怒鳴りあう両親の声を聞きたくなくて、耳を塞いで勉強したが、医学部には届かず、薬学部に進学した。
彼女自身は納得できる進学先だったが、絶望した母に「脳の出来は父親似だったのね。仕方ないから医者と結婚しなさい」と言われ、その場で吐いたそうだ。
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「やっぱりうちの家庭はおかしいと確信し、家にいたくなくて大学生になってからは夜遊びをするようになりました。でも終電で帰ると、玄関で母が待っていて、『レイプされたらどうするの!』、『こんな時間まで帰らないなんてだらしない。近所で恥ずかしい思いをするのは私なんだから』と怒鳴り散らされ、喧嘩の繰り返しでした。結局、遊ぶ事をやめて、友達の誘いも断り、大学と自宅の往復だけの生活になりました」
卒業後は、母の縁故採用で、総合病院の薬剤師として勤務。親に逆らえず、親の敷いたレールの上でしか歩けず、家を出る勇気もなく、深い友達も作れないまま時間だけが過ぎていったそうだ。
その状況を「救ってくれた」というのが、29歳の時に出会った健太さん(仮名・当時30歳)だった。
「私は母によって、フリルのついた服ばかり着せられていたから、カジュアルな服も来てみたかったんです。それで気晴らしに有給をとってショッピングモールに買い物に行った時にモール内のアパレルショップで働いていた健太さんに出会いました」
愛美さんが『元気がでそうなカジュアルな服を探している』と相談したところ、彼女が絶対に選ばない、ハイウエストのワイドデニムに真っ白なTシャツをインする組み合わせを見立ててくれたのが縁となった。試着してみると、本当に活発的な気持ちになったのがうれしくて購入。愛美さんは店の常連となり、その過程で2人の距離も縮まり、交際が始まったそうだ。彼の言葉で毒親から解放されたかと思ったが「ファッションセンスのある彼の影響は凄かった。私は、服にあわせて髪型をロングの巻き髪だったのですが、それをベリーショートにしたり、履いたことすらなかったスニーカー集めが趣味になったりしました。自分が変わっていくごとに、母の洗脳が溶けていくようで、彼のおかげで、自分の意志を持つ喜びを得られた気がします」Photo by gettyimages交際から1年を迎える頃にはお互いに結婚を意識するようになり、愛美さんは2人の最大の障壁になるであろう母の存在を思い切って告白。「結婚相手は医者にしなさいと言われている」まですべて伝えた。「彼は親身になって話を聞いてくれて、『医者ほど稼げる自信はないけど、2人で幸せになれるように一生懸命働く。お母さんには誠心誠意お願いして、必ず愛美と結婚する』と言ってくれました。私は涙が止まらなくなりました。だって私の最大のコンプレックは親でしたから…」健太さんのような、娘を大切に思ってくれる定職を持った男性が結婚を申し入れてきた場合、多くのご家庭では、娘の門出を祝福するだろう。しかし、愛美さんの母親は違った。結婚のお願いに訪れた健太さんを、「あなたのためだから」という「正義」を振りかざして猛反対しはじめたというからだ。毒親に関する各種アンケート調査では、<自分の親を毒親と感じている子供>が6割以上いる反面、<自分が毒親だと自覚している親>は3割程度と、親と子の認識の相違が浮き彫りになっている。 愛美さんの母親も、自身が毒親であることを自覚していないタイプに思われる――。後編『「お前ごときが私の娘を!」母は結婚挨拶の場で激高し…34歳娘が絶望…毒親に翻弄された「運命の恋」のヤバすぎる結末』に続く。
愛美さんが『元気がでそうなカジュアルな服を探している』と相談したところ、彼女が絶対に選ばない、ハイウエストのワイドデニムに真っ白なTシャツをインする組み合わせを見立ててくれたのが縁となった。
試着してみると、本当に活発的な気持ちになったのがうれしくて購入。愛美さんは店の常連となり、その過程で2人の距離も縮まり、交際が始まったそうだ。
「ファッションセンスのある彼の影響は凄かった。私は、服にあわせて髪型をロングの巻き髪だったのですが、それをベリーショートにしたり、履いたことすらなかったスニーカー集めが趣味になったりしました。自分が変わっていくごとに、母の洗脳が溶けていくようで、彼のおかげで、自分の意志を持つ喜びを得られた気がします」
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交際から1年を迎える頃にはお互いに結婚を意識するようになり、愛美さんは2人の最大の障壁になるであろう母の存在を思い切って告白。「結婚相手は医者にしなさいと言われている」まですべて伝えた。
「彼は親身になって話を聞いてくれて、『医者ほど稼げる自信はないけど、2人で幸せになれるように一生懸命働く。お母さんには誠心誠意お願いして、必ず愛美と結婚する』と言ってくれました。私は涙が止まらなくなりました。だって私の最大のコンプレックは親でしたから…」
健太さんのような、娘を大切に思ってくれる定職を持った男性が結婚を申し入れてきた場合、多くのご家庭では、娘の門出を祝福するだろう。
しかし、愛美さんの母親は違った。結婚のお願いに訪れた健太さんを、「あなたのためだから」という「正義」を振りかざして猛反対しはじめたというからだ。
毒親に関する各種アンケート調査では、<自分の親を毒親と感じている子供>が6割以上いる反面、<自分が毒親だと自覚している親>は3割程度と、親と子の認識の相違が浮き彫りになっている。
愛美さんの母親も、自身が毒親であることを自覚していないタイプに思われる――。後編『「お前ごときが私の娘を!」母は結婚挨拶の場で激高し…34歳娘が絶望…毒親に翻弄された「運命の恋」のヤバすぎる結末』に続く。
愛美さんの母親も、自身が毒親であることを自覚していないタイプに思われる――。
後編『「お前ごときが私の娘を!」母は結婚挨拶の場で激高し…34歳娘が絶望…毒親に翻弄された「運命の恋」のヤバすぎる結末』に続く。