抗がん剤投与を途中で打ち切った訳 61歳記者の闘病生活

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毎日新聞彦根通信部に単身赴任中の私(61)はステージbの直腸がんと診断され、昨年11月に患部を切除手術した。12月からは再発を防ぐための抗がん剤治療をスタート。しかし、手や喉のしびれ、倦怠(けんたい)感、味覚や消化器異常などに次々と襲われた。医師用ガイドラインでは6カ月治療を「強く推奨」しているが、一連の副作用に耐えられず、投与を3カ月で打ち切ることにした。今回は決断に至るまで迷いや苦悩をリポートしたい。【伊藤信司】
まさか私が? 直腸がんステージbと診断正常細胞にも打撃 手術後の経過を改めて説明したい。昨年12月2日、白金の働きでがん細胞を自滅させるオキサリプラチン230ミリグラムを点滴注射。直後からがんの増殖を抑える錠剤カペシタビンを飲み始めた。これを朝晩6錠ずつ2週間服用▽1週間休薬▽4週間目に再び来院してオキサリプラチン点滴――という治療周期(クール)に入った。当初は計8クールを、半年にわたり続ける予定だった。 ところが2クール目で手足のしびれ、便秘などがひどくなった。私が使った抗がん剤は従来型の「殺細胞タイプ」で、活発に増殖するがん細胞を攻撃するものだ。しかし、同様に細胞分裂の速い消化管粘膜、骨髄などにも悪影響が及ぶのだという。 3クール目の1月13日、オキサリプラチン点滴は約2割減らし190ミリグラムにとどめた。さらに休薬中は便秘が改善したので、錠剤も減らしたいと医師に訴えたが、「まず下剤で症状を緩和しましょう」とやんわり断られた。 点滴注射に伴う末端のしびれは、手袋や使い捨てカイロなどで暖を取り、徐々に楽になっていった。その一方、「食事と排せつ」で悩みが続いた。独身生活が長く、元々料理は得意だったのだが、舌のまひで塩辛い味付けしかできなくなった。便秘も治らず、下剤や大量のヨーグルトも試したが効果は薄かった。薬物療法短縮を模索 寒中の夜長にインターネットを使い、解決策を探し続けた。ある晩「CAPOX療法は3カ月でも劣勢なし」という見出しに目が留まった。それは埼玉県内の主要病院であった研修会の資料だった。「CAPOX」はカペシタビンとオキサリプラチンの略称を組み合わせた、まさに私の治療法だった。 今春の統一地方選も迫っていた。その前に抗がん剤と縁が切れれば、遊説や開票作業などの取材現場にも戻ることができ、職場の戦力になれるかもしれない――。そんな思いで毎日新聞大阪本社の産業医にメールを送って情報を確かめてみた。そうすると次のような返信メールが届いた。 「私が患者なら、3カ月投与は6カ月投与に比べて遜色なく、副作用ははるかに軽減できるので、特に副作用がつらい場合は3カ月を選ぶと思います」 「地獄に仏」とはこのことだった。一般論ではなく、主観も交えたアドバイスに「名医とは何か」も分かった気がした。最新論文も参照 根拠となる学術論文も教えてくれた。大腸・直腸がん患者は世界的にも増えており、ステージ郡擬圓僚儻緤篏化学療法(抗がん剤投与)を短縮できないか、日米欧が共同研究しているという。 論文は約1300人を対象にした、日本の治験結果だった。「CAPOX3カ月は、特に再発低リスクの患者において最適な治療である可能性が示唆された」と指摘していた。 急いで手術後にもらった、がんの進行具合を決める基になるTNM分類と呼ばれる診断結果を見直した。壁深達度はT3で、大腸粘膜下層を越えて固有筋層に食い込んでいる状態だった。一方、リンパ節転移は3個以下にとどまり(N1)、遠隔転移は認められない(M0)となっていた。 論文によれば、私はぎりぎり再発低リスク群に含まれる。これも天に感謝したいような発見だった。周囲を説得 今年の正月は静岡市にある妻の実家で過ごした。義母(81)は難病で左下肢を切断したばかり。義妹の夫(51)も腎移植経験者で、2人とも大量の薬を飲み続けていた。 そんな身内がいる妻は「先憂後楽と思って最後まで頑張ってみたら」と断薬に気乗りしない様子だった。長女(25)と次女(22)も黙っていたが、表情から気持ちは母親寄りに見えた。 2月3日、主治医(29)に当初のスケジュールを半減し、4クールで終えたいと申し出た。抗がん剤を始める際、主治医は私の再発可能性が約3割あると指摘し、「これを2割以下に抑える、ダメ押しの治療です」と説明していた。 そんな例えを思い出し「抗がん剤を我慢して6点リードを確保するより、3点リードでもいい」「快適な食生活や運動習慣で気分を高め、主体的にがんと闘いたい」とアピールした。 私の熱心な主張にガイドライン重視派だった若手医師も、最後には私の思いを酌み、全面協力してくれることになった。中川恵一教授に相談 毎日新聞で「がんのヒミツ」を連載する東京大大学院の中川恵一特任教授は、ウェブサイト(https://www.gankenshin50.mhlw.go.jp/movie/index.html)でも、40本以上の啓発講座を配信している。親しみやすい物腰でがんの現状や予防対策を明快に語り、思わず引き込まれてしまう。 自身も2018年12月、ぼうこうがんが判明し切除手術を受けたと公表。「人生の時間に限りがあることを感じ、より一生懸命生きるようになった」とも述べている。また男性の場合、がんの原因は「たばこが約3割、酒が9%」などと指摘。一方で「半分ぐらいは理由が分からず、運の要素がある病気」と解説している。 私はがん宣告を受けて以来、これまでの深酒や運動不足など不摂生が悔やまれてならなかった。しかし健康に気を付けていても、この病気になる可能性はあるということらしい。そんな折、毎日新聞主催の「大腸がんシンポジウム」が2月19日に大阪市で開かれ、中川教授も講演すると聞いた。ぜひ聴講してインタビューもできればと思い、メールで都合を問い合わせた。 「携帯にお電話くださいますか?」と返信があり、電話したところ当日はあいにく時間が取れないとのこと。一方で「質問があれば今答えましょう」と気遣ってくれた。 シンポの内容は後日公開予定(現在はhttps://www.youtube.com/watch?v=sNi9d9c_E3oで配信)だったので、悩んだ末に抗がん剤治療期間を短縮することを話した。「暗い海で灯台を探すような毎日です」と弱音を吐くと「あまり考えすぎないことです」と諭された。教授自身も毎朝の運動を欠かさない一方、お酒も楽しみながらがんに立ち向かっているという。断薬については「がん拠点病院などでセカンドオピニオンを聞くのがベター」と助言してくれた。新たな病院へ 薬の副作用で白血球の数値が下がってしまい、4クール目の開始は2月13日にずれ込んだ。白金製剤のオキサリプラチンを前回からさらに30ミリグラム減らして点滴注射。続いて朝晩2週間飲むカペシタビンも、1回6錠から4錠にした。薬の蓄積で体が弱る恐れもあり、この週は千葉県船橋市の自宅に戻りリモートで取材・執筆した。 「あと1週間」「あと3日」――と我慢しながら錠剤を飲んでいく。同27日朝、昨年10月以来のがん治療に一旦のピリオドを打ち、遅い正月がようやく訪れた気分だった。 3月16日、名古屋駅前の病院を再訪した。主治医は新年度に転勤になるため、これまでの感謝を込めてささやかな手土産を渡し、エールを送った。 ただ術後5年間は再発の恐れがあり、半年おきにCT(コンピューター断層撮影)検査、1年おきに大腸内視鏡検査が必要だ。将来的にも経過観察は自宅近くでできる方がいいと考え、首都圏のがん専門病院を探してみた。
正常細胞にも打撃
手術後の経過を改めて説明したい。昨年12月2日、白金の働きでがん細胞を自滅させるオキサリプラチン230ミリグラムを点滴注射。直後からがんの増殖を抑える錠剤カペシタビンを飲み始めた。これを朝晩6錠ずつ2週間服用▽1週間休薬▽4週間目に再び来院してオキサリプラチン点滴――という治療周期(クール)に入った。当初は計8クールを、半年にわたり続ける予定だった。
ところが2クール目で手足のしびれ、便秘などがひどくなった。私が使った抗がん剤は従来型の「殺細胞タイプ」で、活発に増殖するがん細胞を攻撃するものだ。しかし、同様に細胞分裂の速い消化管粘膜、骨髄などにも悪影響が及ぶのだという。
3クール目の1月13日、オキサリプラチン点滴は約2割減らし190ミリグラムにとどめた。さらに休薬中は便秘が改善したので、錠剤も減らしたいと医師に訴えたが、「まず下剤で症状を緩和しましょう」とやんわり断られた。
点滴注射に伴う末端のしびれは、手袋や使い捨てカイロなどで暖を取り、徐々に楽になっていった。その一方、「食事と排せつ」で悩みが続いた。独身生活が長く、元々料理は得意だったのだが、舌のまひで塩辛い味付けしかできなくなった。便秘も治らず、下剤や大量のヨーグルトも試したが効果は薄かった。
薬物療法短縮を模索
寒中の夜長にインターネットを使い、解決策を探し続けた。ある晩「CAPOX療法は3カ月でも劣勢なし」という見出しに目が留まった。それは埼玉県内の主要病院であった研修会の資料だった。「CAPOX」はカペシタビンとオキサリプラチンの略称を組み合わせた、まさに私の治療法だった。
今春の統一地方選も迫っていた。その前に抗がん剤と縁が切れれば、遊説や開票作業などの取材現場にも戻ることができ、職場の戦力になれるかもしれない――。そんな思いで毎日新聞大阪本社の産業医にメールを送って情報を確かめてみた。
そうすると次のような返信メールが届いた。
「私が患者なら、3カ月投与は6カ月投与に比べて遜色なく、副作用ははるかに軽減できるので、特に副作用がつらい場合は3カ月を選ぶと思います」
「地獄に仏」とはこのことだった。一般論ではなく、主観も交えたアドバイスに「名医とは何か」も分かった気がした。
最新論文も参照
根拠となる学術論文も教えてくれた。大腸・直腸がん患者は世界的にも増えており、ステージ郡擬圓僚儻緤篏化学療法(抗がん剤投与)を短縮できないか、日米欧が共同研究しているという。
論文は約1300人を対象にした、日本の治験結果だった。「CAPOX3カ月は、特に再発低リスクの患者において最適な治療である可能性が示唆された」と指摘していた。
急いで手術後にもらった、がんの進行具合を決める基になるTNM分類と呼ばれる診断結果を見直した。壁深達度はT3で、大腸粘膜下層を越えて固有筋層に食い込んでいる状態だった。一方、リンパ節転移は3個以下にとどまり(N1)、遠隔転移は認められない(M0)となっていた。
論文によれば、私はぎりぎり再発低リスク群に含まれる。これも天に感謝したいような発見だった。
周囲を説得
今年の正月は静岡市にある妻の実家で過ごした。義母(81)は難病で左下肢を切断したばかり。義妹の夫(51)も腎移植経験者で、2人とも大量の薬を飲み続けていた。
そんな身内がいる妻は「先憂後楽と思って最後まで頑張ってみたら」と断薬に気乗りしない様子だった。長女(25)と次女(22)も黙っていたが、表情から気持ちは母親寄りに見えた。
2月3日、主治医(29)に当初のスケジュールを半減し、4クールで終えたいと申し出た。抗がん剤を始める際、主治医は私の再発可能性が約3割あると指摘し、「これを2割以下に抑える、ダメ押しの治療です」と説明していた。
そんな例えを思い出し「抗がん剤を我慢して6点リードを確保するより、3点リードでもいい」「快適な食生活や運動習慣で気分を高め、主体的にがんと闘いたい」とアピールした。
私の熱心な主張にガイドライン重視派だった若手医師も、最後には私の思いを酌み、全面協力してくれることになった。
中川恵一教授に相談
毎日新聞で「がんのヒミツ」を連載する東京大大学院の中川恵一特任教授は、ウェブサイト(https://www.gankenshin50.mhlw.go.jp/movie/index.html)でも、40本以上の啓発講座を配信している。親しみやすい物腰でがんの現状や予防対策を明快に語り、思わず引き込まれてしまう。
自身も2018年12月、ぼうこうがんが判明し切除手術を受けたと公表。「人生の時間に限りがあることを感じ、より一生懸命生きるようになった」とも述べている。また男性の場合、がんの原因は「たばこが約3割、酒が9%」などと指摘。一方で「半分ぐらいは理由が分からず、運の要素がある病気」と解説している。
私はがん宣告を受けて以来、これまでの深酒や運動不足など不摂生が悔やまれてならなかった。しかし健康に気を付けていても、この病気になる可能性はあるということらしい。そんな折、毎日新聞主催の「大腸がんシンポジウム」が2月19日に大阪市で開かれ、中川教授も講演すると聞いた。ぜひ聴講してインタビューもできればと思い、メールで都合を問い合わせた。
「携帯にお電話くださいますか?」と返信があり、電話したところ当日はあいにく時間が取れないとのこと。一方で「質問があれば今答えましょう」と気遣ってくれた。
シンポの内容は後日公開予定(現在はhttps://www.youtube.com/watch?v=sNi9d9c_E3oで配信)だったので、悩んだ末に抗がん剤治療期間を短縮することを話した。「暗い海で灯台を探すような毎日です」と弱音を吐くと「あまり考えすぎないことです」と諭された。教授自身も毎朝の運動を欠かさない一方、お酒も楽しみながらがんに立ち向かっているという。断薬については「がん拠点病院などでセカンドオピニオンを聞くのがベター」と助言してくれた。
新たな病院へ
薬の副作用で白血球の数値が下がってしまい、4クール目の開始は2月13日にずれ込んだ。白金製剤のオキサリプラチンを前回からさらに30ミリグラム減らして点滴注射。続いて朝晩2週間飲むカペシタビンも、1回6錠から4錠にした。薬の蓄積で体が弱る恐れもあり、この週は千葉県船橋市の自宅に戻りリモートで取材・執筆した。
「あと1週間」「あと3日」――と我慢しながら錠剤を飲んでいく。同27日朝、昨年10月以来のがん治療に一旦のピリオドを打ち、遅い正月がようやく訪れた気分だった。
3月16日、名古屋駅前の病院を再訪した。主治医は新年度に転勤になるため、これまでの感謝を込めてささやかな手土産を渡し、エールを送った。
ただ術後5年間は再発の恐れがあり、半年おきにCT(コンピューター断層撮影)検査、1年おきに大腸内視鏡検査が必要だ。将来的にも経過観察は自宅近くでできる方がいいと考え、首都圏のがん専門病院を探してみた。

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