岸田首相も通う超名門料亭「金田中」料理長がブラック体質を告発 暴言、過酷な労働環境に一方的な「クビ宣告」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

大正時代に東京・新橋の花街で創業した「金田中(かねたなか)」は、「新喜楽」「吉兆」とともに“日本三大料亭”と称される老舗である。新橋演舞場の新設者としても知られた初代・岡副(おかぞえ)鉄雄氏の跡を継いだ2代目・昭吾氏も2014年に亡くなり、現在は3代目の真吾氏(61)が看板を守っている。そんな名門中の名門の“ブラック体質”を、グループ店舗の料理長が告発する。
***
【写真を見る】岸田首相も通う名店中の名店「金田中」 雰囲気たっぷりな店構えなのだが「岸田文雄首相も就任以来、財界人との会食や裏千家の例会など、数回にわたって足を運んできました」 と、全国紙デスクが解説する金田中は、政財界では「あそこに行けるようになったら一人前」と言い継がれてきた。岸田文雄首相 その金田中グループは、本店である「新ばし 金田中」のほか「金田中 庵」「銀座 岡半」「茶洒 金田中」を運営しているのだが、「岡副真吾社長のあまりの仕打ちにあきれ果て、3月末で料理長を辞めました」 そう吐露するのは、先月下旬まで「銀座 岡半」で料理長に就いていた50代男性。仮に山田氏としておくが、一体、名店で何が起きているというのか。「一日平均12時間以上は働いていた」「私は16年9月に金田中に入りました」 と振り返る山田氏。求人サイトの募集要項には「休日は月に8~10日」とあったというが、17年に料理長になって以降、膨大な業務を一身に背負うことになったという。「『岡半』の調理場には全体で3~4人しかおらず、通常営業に加えて通販商品の仕込みもあり、支配人の役割も兼ねていた私が休むわけにはいきませんでした。6年半の勤務で取得した有給休暇は合計で10日もありません。年間の休日が70日ほどしかなかった年もあり、おまけに一日の勤務時間は大体朝9時から23時ごろまで。休憩を除くと平均12時間以上は働いていました」(同) また給与面でも、「毎月の給与明細を見ると、残業代として『固定割増手当』という名目の支払いがあるのですが、実際にこなしてきた残業に比べたら、明らかに少ない。大体、この金額について会社から説明を受けたことはなく、合意したつもりもありません」 不満を抱いているのは山田氏だけではない。金田中グループのある関係者はこんな出来事を明かす。「社長から『肉の厚さが違った。お前のミスだから弁償しろ』と不当に責められ、自腹を切って3万円を店のレジに入金する羽目になった料理人もいました」「『知りませんでした』では済まされない」 山田氏の話に戻ろう。3月8日、決定的な“事件”が生じたのだと言う。「社長から新橋の本店に呼び出され、一方的な言いがかりをつけられました。『ランチのオニオングラタンスープに入れるバゲットがカリカリの状態ではなかった』『ハンバーグを生から調理せず、出来上がっているものを焼き直して提供した』などと、すべて事実無根。そもそも、私の担当した調理ではなかったのです」 ところが、それらを並べ立てて社長は、「『お前の給料のうち20万円は役職給だが、決められたことをしていないので支払えない。ただし生活があるだろうから3カ月は待つ。いつ終わりにするか返事をくれ』と、事実上のクビを宣告してきたのです」(同) 山田氏は堪忍袋の緒が切れ、数日後、社長に辞意を伝えたのだった。 名だたる老舗に、およそふさわしからぬトラブル。当の岡副社長に質すと、「(従業員を)怒鳴るのは、その時の良い悪いがあるわけですから。『これは違うよね』という話に関しては、それはあります。(労基法の)細かいことは分かりませんが、(中略)勤務について法規に反しているという認識は一切ありません。有給を取るよう指示もしているつもりで、(山田氏が)有給を取っていないことも把握していませんでした」 などと答えた。日本労働弁護団幹事長の佐々木亮弁護士はこう指摘する。「労基法の順守や従業員の健康管理などは使用者の責任ですから『知りませんでした』では済まされません」 4月6日発売の「週刊新潮」では、社長による数々の“暴言”の内容などと併せて、名門中の名門「金田中」の異常な労働環境について詳報する。「週刊新潮」2023年4月13日号 掲載
「岸田文雄首相も就任以来、財界人との会食や裏千家の例会など、数回にわたって足を運んできました」
と、全国紙デスクが解説する金田中は、政財界では「あそこに行けるようになったら一人前」と言い継がれてきた。
その金田中グループは、本店である「新ばし 金田中」のほか「金田中 庵」「銀座 岡半」「茶洒 金田中」を運営しているのだが、
「岡副真吾社長のあまりの仕打ちにあきれ果て、3月末で料理長を辞めました」
そう吐露するのは、先月下旬まで「銀座 岡半」で料理長に就いていた50代男性。仮に山田氏としておくが、一体、名店で何が起きているというのか。
「私は16年9月に金田中に入りました」
と振り返る山田氏。求人サイトの募集要項には「休日は月に8~10日」とあったというが、17年に料理長になって以降、膨大な業務を一身に背負うことになったという。
「『岡半』の調理場には全体で3~4人しかおらず、通常営業に加えて通販商品の仕込みもあり、支配人の役割も兼ねていた私が休むわけにはいきませんでした。6年半の勤務で取得した有給休暇は合計で10日もありません。年間の休日が70日ほどしかなかった年もあり、おまけに一日の勤務時間は大体朝9時から23時ごろまで。休憩を除くと平均12時間以上は働いていました」(同)
また給与面でも、
「毎月の給与明細を見ると、残業代として『固定割増手当』という名目の支払いがあるのですが、実際にこなしてきた残業に比べたら、明らかに少ない。大体、この金額について会社から説明を受けたことはなく、合意したつもりもありません」
不満を抱いているのは山田氏だけではない。金田中グループのある関係者はこんな出来事を明かす。
「社長から『肉の厚さが違った。お前のミスだから弁償しろ』と不当に責められ、自腹を切って3万円を店のレジに入金する羽目になった料理人もいました」
山田氏の話に戻ろう。3月8日、決定的な“事件”が生じたのだと言う。
「社長から新橋の本店に呼び出され、一方的な言いがかりをつけられました。『ランチのオニオングラタンスープに入れるバゲットがカリカリの状態ではなかった』『ハンバーグを生から調理せず、出来上がっているものを焼き直して提供した』などと、すべて事実無根。そもそも、私の担当した調理ではなかったのです」
ところが、それらを並べ立てて社長は、
「『お前の給料のうち20万円は役職給だが、決められたことをしていないので支払えない。ただし生活があるだろうから3カ月は待つ。いつ終わりにするか返事をくれ』と、事実上のクビを宣告してきたのです」(同)
山田氏は堪忍袋の緒が切れ、数日後、社長に辞意を伝えたのだった。
名だたる老舗に、およそふさわしからぬトラブル。当の岡副社長に質すと、
「(従業員を)怒鳴るのは、その時の良い悪いがあるわけですから。『これは違うよね』という話に関しては、それはあります。(労基法の)細かいことは分かりませんが、(中略)勤務について法規に反しているという認識は一切ありません。有給を取るよう指示もしているつもりで、(山田氏が)有給を取っていないことも把握していませんでした」
などと答えた。日本労働弁護団幹事長の佐々木亮弁護士はこう指摘する。
「労基法の順守や従業員の健康管理などは使用者の責任ですから『知りませんでした』では済まされません」
4月6日発売の「週刊新潮」では、社長による数々の“暴言”の内容などと併せて、名門中の名門「金田中」の異常な労働環境について詳報する。
「週刊新潮」2023年4月13日号 掲載

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。