【岡田 俊】多くの人を悩ませる…「ADHD」は「いつまで続く」のか? いったい「どんな人が当てはまる」のか?

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うつ病、自閉スペクトラム症、統合失調症……。多くの現代人を悩ませる発達障害や精神疾患について、原因解明や治療法開発のための研究が進んでいます。本記事では、脳科学の視点から最先端の研究を紹介した『「心の病」の脳科学』(講談社ブルーバックス)の中から、「注意欠如・多動症(ADHD)」についてご紹介しましょう。*本記事は『 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか』を一部再編集の上、紹介しています。

最初に記された「ADHDの症例」注意欠如・多動症(ADHD)の人は、知的障害のない人であれば同じ年齢の人と比べて、知的障害のある人であれば同じ発達段階の人と比べて、注意が散漫だったり、落ち着きがなく、待つことが苦手だったりすることで、日常生活に困難を抱えています。ただし、ADHDがどのような状態であるのかという概念や診断基準は、時代とともに移り変わってきました。ADHDが最初に記載されたのは、1845年に医師でもある絵本作家が著した子どもの記載でした。そこには、今でいうADHDの子どもの様子がこのように描写されています。やがて もぞもぞ しはじめてそれから いすを がたがたいわせそれから あしを ばたばたさせてもじもじ ごそごそ おちつかずまえや うしろに いすを ゆらす〔ハインリッヒ・ホフマン:著、佐々木田鶴子:訳『もじゃもじゃペーター』1985年、ほるぷ出版刊〕脳の損傷や炎症が原因?医学的には1902年、英国の医学誌『ランセット』に掲載されました。しかし、その病態が明らかになったわけではありません。当時ADHDは、脳の損傷や炎症に伴う疾患だと考えられました。しかし、そのような明確な損傷や炎症は明らかになりません。そのため、目に見えない原因による機能障害という意味で、今でいうADHDのことを微細脳機能障害(minimal brain damage)と呼ぶ時代が長く続いたのです。たしかに後で紹介するように、ADHDの人の脳のはたらき方は、ほかの多くの人と比べて相対的に違います。しかし、ADHDがある人に共通して脳の損傷や炎症が関連しているという証拠はいまだないのです。どこからが「ADHD」なのか1960年代以降は、精神疾患を客観的に評価できる「症状」に基づいて診断するようになりました。日本でも広く使われている米国精神医学会の「精神疾患の診断・統計マニュアル」の第5版(DSM – 5/2013年)からは、ADHDは神経発達症群の一つに位置付けられています。 神経発達症群は、通常の発達(定型発達)とは異なる特徴を持ち、そのために日常生活上の困難をきたす状態を言い、知的能力障害、自閉スペクトラム症、限局性学習症、協調運動症などが含まれます。神経発達症は、人生の早い段階から始まり、生涯にわたってその特性が持続しうると考えられています。日本で「発達障害」と言い習わされる障害群と神経発達症群は概ね重なり合うと考えていいでしょう。ADHDの診断に必要な症状の項目の中には、誰でも経験していそうな事柄が多くあります(図「ADHDの診断に必要な症状の項目」)。では、どこからがADHDで、どこからが定型発達なのでしょうか。重要なことは、(1)症状が12歳以前から、(2)特定の場面だけではなくて学校、家庭、職場などの複数の場面で、(3)発達水準と比べて顕著に認められ、(4)日常生活に支障をきたすほどなのかどうか、です。ADHDの診断に必要な症状の項目 *米国精神医学会「精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版(DSM-5)」をもとに作成20人に1人の子どもが診断されうるどれくらいの人たちがADHDと診断されているのでしょうか。小学校に通う学童期における有病率(一般人口に占める診断しうる人の割合)は3~7%で、男児のほうが女児よりも3~5倍高いと考えられています。一方、大人では2.5%程度であり、男女比はおよそ1対1です。つまり、およそ20人に1人の子ども、40人に1人の大人がADHDと診断されうるというわけです。このようにADHDはごくありふれた病気であり、それだけの人が何らかの支援を受ける必要性があるかもしれないのです。2005年に日本では「発障害者支援法」が施行されました(2016年改正)。知的能力障害や明確な自閉スペクトラム症特性のある子どもには、 療育(りょういく)と呼ばれる発達支援が行われてきました。しかし近年、発達障害には、ADHDや限局性学習症などがあるけれども知的障害のない子どもたち、さらには大人に至るまで、幅広い当事者がいると認識されるようになりました。 発達障害者支援法は、そうした幅広い発達障害特性のある人々に対し、ライフステージに合った生涯にわたる支援を行う必要性とその義務を明示しました。ADHDも発達障害の一つなので、生涯にわたってどのような支援が必要かという視点が重要となるのです。「子どものADHD」は大人になると治るのか先ほど、ADHDの有病率は、学童期の子どもで3~7%、大人では2.5%程度であると書きました。では、大人になると半数の子どもたちは治ったのでしょうか。ADHDと診断された 128人の子どもたちを、調査当時の診断基準(DSM – III – R)で4年間にわたり5回評価した海外の調査によると、18~20歳までに当てはまる項目が減ることで、6割の人たちが診断基準を満たさずADHDと診断されなくなりました。ただし、5つ未満の項目の症状が残るという少し厳しい基準では、「症状がなくなった」と言える人は4割弱に減ります。6割以上の人たちはかなりの症状が残るのです。さらに、日常生活への支障が軽減しているという人は1割を切ります。9割以上の人たちでは、成人になっても日常生活での困難を抱えた状態が続くのです。photo by iStock大人になってから「ADHD症状」が出る人たちつまりADHDは、症状こそ軽くなることがあっても、何らかの日常生活の困難は続くということが明らかになり、生涯にわたって持続する神経発達症の一つと考えられるようになったのです。しかし、これとは矛盾するかのような報告が出てきました。ある都市や地域で一定の期間に生まれた子どもを大人になるまで追跡し、ADHD診断や症状の有無を調べるという息の長い貴重な研究データです。その結果分かったことは、子どものときにADHDと診断された人のうち、大人になった時点でADHDと診断しうる人は6人に1人にすぎないということです。一方、大人になってからADHDの症状に当てはまる人が多くいるのですが、そのうち子どものときからADHD症状のある人、すなわちADHDと診断しうる人はごくわずかである、というのです。同じような結果が、ブラジル、ニュージーランド、イギリスから同時期に公表されました。これは混乱する話です。「ADHDの多くは生涯にわたる神経発達症だ」という前提が覆ってしまうのです。一方、子どものときにADHDではないのに、大人になってからADHDの症状が出現するというのはどういう人たちなのでしょう。ADHDは「生涯にわたるもの」なのかこの問いに答える2つの研究が出てきました。まず、子どもから大人までADHD診断が持続するかどうかを決める要因について調べた研究です。結果として、ADHDの症状が重篤であったり、うつ病や行動上の問題を伴ったりしていて、医療的な支援を必要とする子どもは大人まで持続する人が多いという結果でした。 このことは、私たちのような医師が出会う医療を受けている子どもは、大人まで症状が持続することが多いということを意味します。言い換えると、現在用いられている診断基準は非常に特性が軽い人までを幅広く診断しうるように診断の敷居が低く設定されていて、誰もが支援を必要としているわけではありません。その中の症状の重い子どもや併存する精神疾患や行動上の問題のために治療を要する人は、これまで考えられているように大人まで持続するということが多い、ということです。photo by iStock過剰診断を避けるにはどうすればいいか次に、大人になってから症状が出るというケースについては、ADHDでない子どもを追跡した米国の研究から明らかになりました。もともとADHDではない子どもが他の精神疾患を伴ってくると、見かけ上、ADHDの診断基準を満たすような症状を呈するというのです。男の子の場合には、アルコールやマリファナなどの物質使用障害に伴う症状、女の子の場合には社交不安症などの不安症群に伴う症状が多く見られました。つまり、他の精神疾患によるADHD様の症状を除外して生育歴をきちんと評価しなければ、ADHDを過剰診断する可能性があるのです。現在の診断基準は、ADHDと診断して支援や治療を受けることが有益である可能性がある人を含む幅広いものです。そのうち、生涯にわたってADHDの症状が見られる人もいます。これこそが本質的な(神経発達症としての)ADHDなのです。成人まで持続するADHDは ブラジルの研究では調査した集団の1.1%、ニュージーランドの研究では0.3%、イギリスの研究では2.6%ということになります。しかしながら、症状に基づく診断だけでは、この人たちを最初から見極めることは困難なのです。ADHDの本質を見極めていくには、脳科学の側面からのアプローチが大切だといえます。 ◇ 本書『「心の病」の脳科学』では、 ADHDが生じるメカニズムについてなど、最新のADHD研究の成果とともに、より詳しくご紹介しています。
本記事では、脳科学の視点から最先端の研究を紹介した『「心の病」の脳科学』(講談社ブルーバックス)の中から、「注意欠如・多動症(ADHD)」についてご紹介しましょう。
*本記事は『 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか』を一部再編集の上、紹介しています。
最初に記された「ADHDの症例」注意欠如・多動症(ADHD)の人は、知的障害のない人であれば同じ年齢の人と比べて、知的障害のある人であれば同じ発達段階の人と比べて、注意が散漫だったり、落ち着きがなく、待つことが苦手だったりすることで、日常生活に困難を抱えています。ただし、ADHDがどのような状態であるのかという概念や診断基準は、時代とともに移り変わってきました。ADHDが最初に記載されたのは、1845年に医師でもある絵本作家が著した子どもの記載でした。そこには、今でいうADHDの子どもの様子がこのように描写されています。やがて もぞもぞ しはじめてそれから いすを がたがたいわせそれから あしを ばたばたさせてもじもじ ごそごそ おちつかずまえや うしろに いすを ゆらす〔ハインリッヒ・ホフマン:著、佐々木田鶴子:訳『もじゃもじゃペーター』1985年、ほるぷ出版刊〕脳の損傷や炎症が原因?医学的には1902年、英国の医学誌『ランセット』に掲載されました。しかし、その病態が明らかになったわけではありません。当時ADHDは、脳の損傷や炎症に伴う疾患だと考えられました。しかし、そのような明確な損傷や炎症は明らかになりません。そのため、目に見えない原因による機能障害という意味で、今でいうADHDのことを微細脳機能障害(minimal brain damage)と呼ぶ時代が長く続いたのです。たしかに後で紹介するように、ADHDの人の脳のはたらき方は、ほかの多くの人と比べて相対的に違います。しかし、ADHDがある人に共通して脳の損傷や炎症が関連しているという証拠はいまだないのです。どこからが「ADHD」なのか1960年代以降は、精神疾患を客観的に評価できる「症状」に基づいて診断するようになりました。日本でも広く使われている米国精神医学会の「精神疾患の診断・統計マニュアル」の第5版(DSM – 5/2013年)からは、ADHDは神経発達症群の一つに位置付けられています。 神経発達症群は、通常の発達(定型発達)とは異なる特徴を持ち、そのために日常生活上の困難をきたす状態を言い、知的能力障害、自閉スペクトラム症、限局性学習症、協調運動症などが含まれます。神経発達症は、人生の早い段階から始まり、生涯にわたってその特性が持続しうると考えられています。日本で「発達障害」と言い習わされる障害群と神経発達症群は概ね重なり合うと考えていいでしょう。ADHDの診断に必要な症状の項目の中には、誰でも経験していそうな事柄が多くあります(図「ADHDの診断に必要な症状の項目」)。では、どこからがADHDで、どこからが定型発達なのでしょうか。重要なことは、(1)症状が12歳以前から、(2)特定の場面だけではなくて学校、家庭、職場などの複数の場面で、(3)発達水準と比べて顕著に認められ、(4)日常生活に支障をきたすほどなのかどうか、です。ADHDの診断に必要な症状の項目 *米国精神医学会「精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版(DSM-5)」をもとに作成20人に1人の子どもが診断されうるどれくらいの人たちがADHDと診断されているのでしょうか。小学校に通う学童期における有病率(一般人口に占める診断しうる人の割合)は3~7%で、男児のほうが女児よりも3~5倍高いと考えられています。一方、大人では2.5%程度であり、男女比はおよそ1対1です。つまり、およそ20人に1人の子ども、40人に1人の大人がADHDと診断されうるというわけです。このようにADHDはごくありふれた病気であり、それだけの人が何らかの支援を受ける必要性があるかもしれないのです。2005年に日本では「発障害者支援法」が施行されました(2016年改正)。知的能力障害や明確な自閉スペクトラム症特性のある子どもには、 療育(りょういく)と呼ばれる発達支援が行われてきました。しかし近年、発達障害には、ADHDや限局性学習症などがあるけれども知的障害のない子どもたち、さらには大人に至るまで、幅広い当事者がいると認識されるようになりました。 発達障害者支援法は、そうした幅広い発達障害特性のある人々に対し、ライフステージに合った生涯にわたる支援を行う必要性とその義務を明示しました。ADHDも発達障害の一つなので、生涯にわたってどのような支援が必要かという視点が重要となるのです。「子どものADHD」は大人になると治るのか先ほど、ADHDの有病率は、学童期の子どもで3~7%、大人では2.5%程度であると書きました。では、大人になると半数の子どもたちは治ったのでしょうか。ADHDと診断された 128人の子どもたちを、調査当時の診断基準(DSM – III – R)で4年間にわたり5回評価した海外の調査によると、18~20歳までに当てはまる項目が減ることで、6割の人たちが診断基準を満たさずADHDと診断されなくなりました。ただし、5つ未満の項目の症状が残るという少し厳しい基準では、「症状がなくなった」と言える人は4割弱に減ります。6割以上の人たちはかなりの症状が残るのです。さらに、日常生活への支障が軽減しているという人は1割を切ります。9割以上の人たちでは、成人になっても日常生活での困難を抱えた状態が続くのです。photo by iStock大人になってから「ADHD症状」が出る人たちつまりADHDは、症状こそ軽くなることがあっても、何らかの日常生活の困難は続くということが明らかになり、生涯にわたって持続する神経発達症の一つと考えられるようになったのです。しかし、これとは矛盾するかのような報告が出てきました。ある都市や地域で一定の期間に生まれた子どもを大人になるまで追跡し、ADHD診断や症状の有無を調べるという息の長い貴重な研究データです。その結果分かったことは、子どものときにADHDと診断された人のうち、大人になった時点でADHDと診断しうる人は6人に1人にすぎないということです。一方、大人になってからADHDの症状に当てはまる人が多くいるのですが、そのうち子どものときからADHD症状のある人、すなわちADHDと診断しうる人はごくわずかである、というのです。同じような結果が、ブラジル、ニュージーランド、イギリスから同時期に公表されました。これは混乱する話です。「ADHDの多くは生涯にわたる神経発達症だ」という前提が覆ってしまうのです。一方、子どものときにADHDではないのに、大人になってからADHDの症状が出現するというのはどういう人たちなのでしょう。ADHDは「生涯にわたるもの」なのかこの問いに答える2つの研究が出てきました。まず、子どもから大人までADHD診断が持続するかどうかを決める要因について調べた研究です。結果として、ADHDの症状が重篤であったり、うつ病や行動上の問題を伴ったりしていて、医療的な支援を必要とする子どもは大人まで持続する人が多いという結果でした。 このことは、私たちのような医師が出会う医療を受けている子どもは、大人まで症状が持続することが多いということを意味します。言い換えると、現在用いられている診断基準は非常に特性が軽い人までを幅広く診断しうるように診断の敷居が低く設定されていて、誰もが支援を必要としているわけではありません。その中の症状の重い子どもや併存する精神疾患や行動上の問題のために治療を要する人は、これまで考えられているように大人まで持続するということが多い、ということです。photo by iStock過剰診断を避けるにはどうすればいいか次に、大人になってから症状が出るというケースについては、ADHDでない子どもを追跡した米国の研究から明らかになりました。もともとADHDではない子どもが他の精神疾患を伴ってくると、見かけ上、ADHDの診断基準を満たすような症状を呈するというのです。男の子の場合には、アルコールやマリファナなどの物質使用障害に伴う症状、女の子の場合には社交不安症などの不安症群に伴う症状が多く見られました。つまり、他の精神疾患によるADHD様の症状を除外して生育歴をきちんと評価しなければ、ADHDを過剰診断する可能性があるのです。現在の診断基準は、ADHDと診断して支援や治療を受けることが有益である可能性がある人を含む幅広いものです。そのうち、生涯にわたってADHDの症状が見られる人もいます。これこそが本質的な(神経発達症としての)ADHDなのです。成人まで持続するADHDは ブラジルの研究では調査した集団の1.1%、ニュージーランドの研究では0.3%、イギリスの研究では2.6%ということになります。しかしながら、症状に基づく診断だけでは、この人たちを最初から見極めることは困難なのです。ADHDの本質を見極めていくには、脳科学の側面からのアプローチが大切だといえます。 ◇ 本書『「心の病」の脳科学』では、 ADHDが生じるメカニズムについてなど、最新のADHD研究の成果とともに、より詳しくご紹介しています。
注意欠如・多動症(ADHD)の人は、知的障害のない人であれば同じ年齢の人と比べて、知的障害のある人であれば同じ発達段階の人と比べて、注意が散漫だったり、落ち着きがなく、待つことが苦手だったりすることで、日常生活に困難を抱えています。
ただし、ADHDがどのような状態であるのかという概念や診断基準は、時代とともに移り変わってきました。
ADHDが最初に記載されたのは、1845年に医師でもある絵本作家が著した子どもの記載でした。そこには、今でいうADHDの子どもの様子がこのように描写されています。
やがて もぞもぞ しはじめて
それから いすを がたがたいわせ
それから あしを ばたばたさせて
もじもじ ごそごそ おちつかず
まえや うしろに いすを ゆらす
〔ハインリッヒ・ホフマン:著、佐々木田鶴子:訳『もじゃもじゃペーター』1985年、ほるぷ出版刊〕
医学的には1902年、英国の医学誌『ランセット』に掲載されました。しかし、その病態が明らかになったわけではありません。当時ADHDは、脳の損傷や炎症に伴う疾患だと考えられました。
しかし、そのような明確な損傷や炎症は明らかになりません。そのため、目に見えない原因による機能障害という意味で、今でいうADHDのことを微細脳機能障害(minimal brain damage)と呼ぶ時代が長く続いたのです。
たしかに後で紹介するように、ADHDの人の脳のはたらき方は、ほかの多くの人と比べて相対的に違います。しかし、ADHDがある人に共通して脳の損傷や炎症が関連しているという証拠はいまだないのです。
1960年代以降は、精神疾患を客観的に評価できる「症状」に基づいて診断するようになりました。日本でも広く使われている米国精神医学会の「精神疾患の診断・統計マニュアル」の第5版(DSM – 5/2013年)からは、ADHDは神経発達症群の一つに位置付けられています。
神経発達症群は、通常の発達(定型発達)とは異なる特徴を持ち、そのために日常生活上の困難をきたす状態を言い、知的能力障害、自閉スペクトラム症、限局性学習症、協調運動症などが含まれます。神経発達症は、人生の早い段階から始まり、生涯にわたってその特性が持続しうると考えられています。日本で「発達障害」と言い習わされる障害群と神経発達症群は概ね重なり合うと考えていいでしょう。ADHDの診断に必要な症状の項目の中には、誰でも経験していそうな事柄が多くあります(図「ADHDの診断に必要な症状の項目」)。では、どこからがADHDで、どこからが定型発達なのでしょうか。重要なことは、(1)症状が12歳以前から、(2)特定の場面だけではなくて学校、家庭、職場などの複数の場面で、(3)発達水準と比べて顕著に認められ、(4)日常生活に支障をきたすほどなのかどうか、です。ADHDの診断に必要な症状の項目 *米国精神医学会「精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版(DSM-5)」をもとに作成20人に1人の子どもが診断されうるどれくらいの人たちがADHDと診断されているのでしょうか。小学校に通う学童期における有病率(一般人口に占める診断しうる人の割合)は3~7%で、男児のほうが女児よりも3~5倍高いと考えられています。一方、大人では2.5%程度であり、男女比はおよそ1対1です。つまり、およそ20人に1人の子ども、40人に1人の大人がADHDと診断されうるというわけです。このようにADHDはごくありふれた病気であり、それだけの人が何らかの支援を受ける必要性があるかもしれないのです。2005年に日本では「発障害者支援法」が施行されました(2016年改正)。知的能力障害や明確な自閉スペクトラム症特性のある子どもには、 療育(りょういく)と呼ばれる発達支援が行われてきました。しかし近年、発達障害には、ADHDや限局性学習症などがあるけれども知的障害のない子どもたち、さらには大人に至るまで、幅広い当事者がいると認識されるようになりました。 発達障害者支援法は、そうした幅広い発達障害特性のある人々に対し、ライフステージに合った生涯にわたる支援を行う必要性とその義務を明示しました。ADHDも発達障害の一つなので、生涯にわたってどのような支援が必要かという視点が重要となるのです。「子どものADHD」は大人になると治るのか先ほど、ADHDの有病率は、学童期の子どもで3~7%、大人では2.5%程度であると書きました。では、大人になると半数の子どもたちは治ったのでしょうか。ADHDと診断された 128人の子どもたちを、調査当時の診断基準(DSM – III – R)で4年間にわたり5回評価した海外の調査によると、18~20歳までに当てはまる項目が減ることで、6割の人たちが診断基準を満たさずADHDと診断されなくなりました。ただし、5つ未満の項目の症状が残るという少し厳しい基準では、「症状がなくなった」と言える人は4割弱に減ります。6割以上の人たちはかなりの症状が残るのです。さらに、日常生活への支障が軽減しているという人は1割を切ります。9割以上の人たちでは、成人になっても日常生活での困難を抱えた状態が続くのです。photo by iStock大人になってから「ADHD症状」が出る人たちつまりADHDは、症状こそ軽くなることがあっても、何らかの日常生活の困難は続くということが明らかになり、生涯にわたって持続する神経発達症の一つと考えられるようになったのです。しかし、これとは矛盾するかのような報告が出てきました。ある都市や地域で一定の期間に生まれた子どもを大人になるまで追跡し、ADHD診断や症状の有無を調べるという息の長い貴重な研究データです。その結果分かったことは、子どものときにADHDと診断された人のうち、大人になった時点でADHDと診断しうる人は6人に1人にすぎないということです。一方、大人になってからADHDの症状に当てはまる人が多くいるのですが、そのうち子どものときからADHD症状のある人、すなわちADHDと診断しうる人はごくわずかである、というのです。同じような結果が、ブラジル、ニュージーランド、イギリスから同時期に公表されました。これは混乱する話です。「ADHDの多くは生涯にわたる神経発達症だ」という前提が覆ってしまうのです。一方、子どものときにADHDではないのに、大人になってからADHDの症状が出現するというのはどういう人たちなのでしょう。ADHDは「生涯にわたるもの」なのかこの問いに答える2つの研究が出てきました。まず、子どもから大人までADHD診断が持続するかどうかを決める要因について調べた研究です。結果として、ADHDの症状が重篤であったり、うつ病や行動上の問題を伴ったりしていて、医療的な支援を必要とする子どもは大人まで持続する人が多いという結果でした。 このことは、私たちのような医師が出会う医療を受けている子どもは、大人まで症状が持続することが多いということを意味します。言い換えると、現在用いられている診断基準は非常に特性が軽い人までを幅広く診断しうるように診断の敷居が低く設定されていて、誰もが支援を必要としているわけではありません。その中の症状の重い子どもや併存する精神疾患や行動上の問題のために治療を要する人は、これまで考えられているように大人まで持続するということが多い、ということです。photo by iStock過剰診断を避けるにはどうすればいいか次に、大人になってから症状が出るというケースについては、ADHDでない子どもを追跡した米国の研究から明らかになりました。もともとADHDではない子どもが他の精神疾患を伴ってくると、見かけ上、ADHDの診断基準を満たすような症状を呈するというのです。男の子の場合には、アルコールやマリファナなどの物質使用障害に伴う症状、女の子の場合には社交不安症などの不安症群に伴う症状が多く見られました。つまり、他の精神疾患によるADHD様の症状を除外して生育歴をきちんと評価しなければ、ADHDを過剰診断する可能性があるのです。現在の診断基準は、ADHDと診断して支援や治療を受けることが有益である可能性がある人を含む幅広いものです。そのうち、生涯にわたってADHDの症状が見られる人もいます。これこそが本質的な(神経発達症としての)ADHDなのです。成人まで持続するADHDは ブラジルの研究では調査した集団の1.1%、ニュージーランドの研究では0.3%、イギリスの研究では2.6%ということになります。しかしながら、症状に基づく診断だけでは、この人たちを最初から見極めることは困難なのです。ADHDの本質を見極めていくには、脳科学の側面からのアプローチが大切だといえます。 ◇ 本書『「心の病」の脳科学』では、 ADHDが生じるメカニズムについてなど、最新のADHD研究の成果とともに、より詳しくご紹介しています。
神経発達症群は、通常の発達(定型発達)とは異なる特徴を持ち、そのために日常生活上の困難をきたす状態を言い、知的能力障害、自閉スペクトラム症、限局性学習症、協調運動症などが含まれます。
神経発達症は、人生の早い段階から始まり、生涯にわたってその特性が持続しうると考えられています。日本で「発達障害」と言い習わされる障害群と神経発達症群は概ね重なり合うと考えていいでしょう。
ADHDの診断に必要な症状の項目の中には、誰でも経験していそうな事柄が多くあります(図「ADHDの診断に必要な症状の項目」)。では、どこからがADHDで、どこからが定型発達なのでしょうか。重要なことは、(1)症状が12歳以前から、(2)特定の場面だけではなくて学校、家庭、職場などの複数の場面で、(3)発達水準と比べて顕著に認められ、(4)日常生活に支障をきたすほどなのかどうか、です。
ADHDの診断に必要な症状の項目 *米国精神医学会「精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版(DSM-5)」をもとに作成
どれくらいの人たちがADHDと診断されているのでしょうか。
小学校に通う学童期における有病率(一般人口に占める診断しうる人の割合)は3~7%で、男児のほうが女児よりも3~5倍高いと考えられています。一方、大人では2.5%程度であり、男女比はおよそ1対1です。つまり、およそ20人に1人の子ども、40人に1人の大人がADHDと診断されうるというわけです。
このようにADHDはごくありふれた病気であり、それだけの人が何らかの支援を受ける必要性があるかもしれないのです。2005年に日本では「発障害者支援法」が施行されました(2016年改正)。知的能力障害や明確な自閉スペクトラム症特性のある子どもには、 療育(りょういく)と呼ばれる発達支援が行われてきました。
しかし近年、発達障害には、ADHDや限局性学習症などがあるけれども知的障害のない子どもたち、さらには大人に至るまで、幅広い当事者がいると認識されるようになりました。
発達障害者支援法は、そうした幅広い発達障害特性のある人々に対し、ライフステージに合った生涯にわたる支援を行う必要性とその義務を明示しました。ADHDも発達障害の一つなので、生涯にわたってどのような支援が必要かという視点が重要となるのです。「子どものADHD」は大人になると治るのか先ほど、ADHDの有病率は、学童期の子どもで3~7%、大人では2.5%程度であると書きました。では、大人になると半数の子どもたちは治ったのでしょうか。ADHDと診断された 128人の子どもたちを、調査当時の診断基準(DSM – III – R)で4年間にわたり5回評価した海外の調査によると、18~20歳までに当てはまる項目が減ることで、6割の人たちが診断基準を満たさずADHDと診断されなくなりました。ただし、5つ未満の項目の症状が残るという少し厳しい基準では、「症状がなくなった」と言える人は4割弱に減ります。6割以上の人たちはかなりの症状が残るのです。さらに、日常生活への支障が軽減しているという人は1割を切ります。9割以上の人たちでは、成人になっても日常生活での困難を抱えた状態が続くのです。photo by iStock大人になってから「ADHD症状」が出る人たちつまりADHDは、症状こそ軽くなることがあっても、何らかの日常生活の困難は続くということが明らかになり、生涯にわたって持続する神経発達症の一つと考えられるようになったのです。しかし、これとは矛盾するかのような報告が出てきました。ある都市や地域で一定の期間に生まれた子どもを大人になるまで追跡し、ADHD診断や症状の有無を調べるという息の長い貴重な研究データです。その結果分かったことは、子どものときにADHDと診断された人のうち、大人になった時点でADHDと診断しうる人は6人に1人にすぎないということです。一方、大人になってからADHDの症状に当てはまる人が多くいるのですが、そのうち子どものときからADHD症状のある人、すなわちADHDと診断しうる人はごくわずかである、というのです。同じような結果が、ブラジル、ニュージーランド、イギリスから同時期に公表されました。これは混乱する話です。「ADHDの多くは生涯にわたる神経発達症だ」という前提が覆ってしまうのです。一方、子どものときにADHDではないのに、大人になってからADHDの症状が出現するというのはどういう人たちなのでしょう。ADHDは「生涯にわたるもの」なのかこの問いに答える2つの研究が出てきました。まず、子どもから大人までADHD診断が持続するかどうかを決める要因について調べた研究です。結果として、ADHDの症状が重篤であったり、うつ病や行動上の問題を伴ったりしていて、医療的な支援を必要とする子どもは大人まで持続する人が多いという結果でした。 このことは、私たちのような医師が出会う医療を受けている子どもは、大人まで症状が持続することが多いということを意味します。言い換えると、現在用いられている診断基準は非常に特性が軽い人までを幅広く診断しうるように診断の敷居が低く設定されていて、誰もが支援を必要としているわけではありません。その中の症状の重い子どもや併存する精神疾患や行動上の問題のために治療を要する人は、これまで考えられているように大人まで持続するということが多い、ということです。photo by iStock過剰診断を避けるにはどうすればいいか次に、大人になってから症状が出るというケースについては、ADHDでない子どもを追跡した米国の研究から明らかになりました。もともとADHDではない子どもが他の精神疾患を伴ってくると、見かけ上、ADHDの診断基準を満たすような症状を呈するというのです。男の子の場合には、アルコールやマリファナなどの物質使用障害に伴う症状、女の子の場合には社交不安症などの不安症群に伴う症状が多く見られました。つまり、他の精神疾患によるADHD様の症状を除外して生育歴をきちんと評価しなければ、ADHDを過剰診断する可能性があるのです。現在の診断基準は、ADHDと診断して支援や治療を受けることが有益である可能性がある人を含む幅広いものです。そのうち、生涯にわたってADHDの症状が見られる人もいます。これこそが本質的な(神経発達症としての)ADHDなのです。成人まで持続するADHDは ブラジルの研究では調査した集団の1.1%、ニュージーランドの研究では0.3%、イギリスの研究では2.6%ということになります。しかしながら、症状に基づく診断だけでは、この人たちを最初から見極めることは困難なのです。ADHDの本質を見極めていくには、脳科学の側面からのアプローチが大切だといえます。 ◇ 本書『「心の病」の脳科学』では、 ADHDが生じるメカニズムについてなど、最新のADHD研究の成果とともに、より詳しくご紹介しています。
発達障害者支援法は、そうした幅広い発達障害特性のある人々に対し、ライフステージに合った生涯にわたる支援を行う必要性とその義務を明示しました。ADHDも発達障害の一つなので、生涯にわたってどのような支援が必要かという視点が重要となるのです。
先ほど、ADHDの有病率は、学童期の子どもで3~7%、大人では2.5%程度であると書きました。では、大人になると半数の子どもたちは治ったのでしょうか。
ADHDと診断された 128人の子どもたちを、調査当時の診断基準(DSM – III – R)で4年間にわたり5回評価した海外の調査によると、18~20歳までに当てはまる項目が減ることで、6割の人たちが診断基準を満たさずADHDと診断されなくなりました。
ただし、5つ未満の項目の症状が残るという少し厳しい基準では、「症状がなくなった」と言える人は4割弱に減ります。6割以上の人たちはかなりの症状が残るのです。さらに、日常生活への支障が軽減しているという人は1割を切ります。9割以上の人たちでは、成人になっても日常生活での困難を抱えた状態が続くのです。
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つまりADHDは、症状こそ軽くなることがあっても、何らかの日常生活の困難は続くということが明らかになり、生涯にわたって持続する神経発達症の一つと考えられるようになったのです。しかし、これとは矛盾するかのような報告が出てきました。
ある都市や地域で一定の期間に生まれた子どもを大人になるまで追跡し、ADHD診断や症状の有無を調べるという息の長い貴重な研究データです。その結果分かったことは、子どものときにADHDと診断された人のうち、大人になった時点でADHDと診断しうる人は6人に1人にすぎないということです。
一方、大人になってからADHDの症状に当てはまる人が多くいるのですが、そのうち子どものときからADHD症状のある人、すなわちADHDと診断しうる人はごくわずかである、というのです。同じような結果が、ブラジル、ニュージーランド、イギリスから同時期に公表されました。
これは混乱する話です。「ADHDの多くは生涯にわたる神経発達症だ」という前提が覆ってしまうのです。一方、子どものときにADHDではないのに、大人になってからADHDの症状が出現するというのはどういう人たちなのでしょう。
この問いに答える2つの研究が出てきました。まず、子どもから大人までADHD診断が持続するかどうかを決める要因について調べた研究です。結果として、ADHDの症状が重篤であったり、うつ病や行動上の問題を伴ったりしていて、医療的な支援を必要とする子どもは大人まで持続する人が多いという結果でした。
このことは、私たちのような医師が出会う医療を受けている子どもは、大人まで症状が持続することが多いということを意味します。言い換えると、現在用いられている診断基準は非常に特性が軽い人までを幅広く診断しうるように診断の敷居が低く設定されていて、誰もが支援を必要としているわけではありません。その中の症状の重い子どもや併存する精神疾患や行動上の問題のために治療を要する人は、これまで考えられているように大人まで持続するということが多い、ということです。photo by iStock過剰診断を避けるにはどうすればいいか次に、大人になってから症状が出るというケースについては、ADHDでない子どもを追跡した米国の研究から明らかになりました。もともとADHDではない子どもが他の精神疾患を伴ってくると、見かけ上、ADHDの診断基準を満たすような症状を呈するというのです。男の子の場合には、アルコールやマリファナなどの物質使用障害に伴う症状、女の子の場合には社交不安症などの不安症群に伴う症状が多く見られました。つまり、他の精神疾患によるADHD様の症状を除外して生育歴をきちんと評価しなければ、ADHDを過剰診断する可能性があるのです。現在の診断基準は、ADHDと診断して支援や治療を受けることが有益である可能性がある人を含む幅広いものです。そのうち、生涯にわたってADHDの症状が見られる人もいます。これこそが本質的な(神経発達症としての)ADHDなのです。成人まで持続するADHDは ブラジルの研究では調査した集団の1.1%、ニュージーランドの研究では0.3%、イギリスの研究では2.6%ということになります。しかしながら、症状に基づく診断だけでは、この人たちを最初から見極めることは困難なのです。ADHDの本質を見極めていくには、脳科学の側面からのアプローチが大切だといえます。 ◇ 本書『「心の病」の脳科学』では、 ADHDが生じるメカニズムについてなど、最新のADHD研究の成果とともに、より詳しくご紹介しています。
このことは、私たちのような医師が出会う医療を受けている子どもは、大人まで症状が持続することが多いということを意味します。言い換えると、現在用いられている診断基準は非常に特性が軽い人までを幅広く診断しうるように診断の敷居が低く設定されていて、誰もが支援を必要としているわけではありません。
その中の症状の重い子どもや併存する精神疾患や行動上の問題のために治療を要する人は、これまで考えられているように大人まで持続するということが多い、ということです。
photo by iStock
次に、大人になってから症状が出るというケースについては、ADHDでない子どもを追跡した米国の研究から明らかになりました。もともとADHDではない子どもが他の精神疾患を伴ってくると、見かけ上、ADHDの診断基準を満たすような症状を呈するというのです。
男の子の場合には、アルコールやマリファナなどの物質使用障害に伴う症状、女の子の場合には社交不安症などの不安症群に伴う症状が多く見られました。つまり、他の精神疾患によるADHD様の症状を除外して生育歴をきちんと評価しなければ、ADHDを過剰診断する可能性があるのです。
現在の診断基準は、ADHDと診断して支援や治療を受けることが有益である可能性がある人を含む幅広いものです。そのうち、生涯にわたってADHDの症状が見られる人もいます。これこそが本質的な(神経発達症としての)ADHDなのです。
成人まで持続するADHDは ブラジルの研究では調査した集団の1.1%、ニュージーランドの研究では0.3%、イギリスの研究では2.6%ということになります。
しかしながら、症状に基づく診断だけでは、この人たちを最初から見極めることは困難なのです。ADHDの本質を見極めていくには、脳科学の側面からのアプローチが大切だといえます。

本書『「心の病」の脳科学』では、 ADHDが生じるメカニズムについてなど、最新のADHD研究の成果とともに、より詳しくご紹介しています。

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