不妊治療なしでの思いがけない妊娠「妻45歳、夫56歳で第一子を授かりました」中本家の日常と今後

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少子化対策として不妊治療には国から助成金が支払われるが、42歳までの女性が対象と年齢制限がある。その理由として、女性が43歳以上になると、不妊治療をしても妊娠する確率が低いことが挙げられる。
【写真】淳子さんと息子さんが初めて対面した瞬間 男性の精子も加齢によって老化し、不妊の原因は男性側にある場合も多いことがわかっている。 一方で夫56歳、妻45歳で思いがけず子どもを授かったという、レアなケースを赤裸々に綴った一冊の本が注目されている。

著者は夕刊フジ編集長の中本裕己さん。 著書『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(ワニ・プラス)では、壮絶だった高齢出産とシニア子育てのノウハウが綴られている。妻の申し出に当初は離婚話かと「妊娠は青天の霹靂でした」と言う中本さん。 結婚したときは、中本さんが48歳、妻の淳子さんが37歳だった。「年齢も年齢だし、そもそもふたりとも子どもができにくい身体なのかも」と思っていたという。「僕は再婚ですが、最初の結婚のときも子どもはできませんでした。妻は良性ですが子宮筋腫があり、医師からは妊娠しづらいと指摘されていました。とはいえ、自分たちの生殖能力を調べに行くことには抵抗があり、不妊治療はせず、自然に任せることにしたのです」(中本さん) その後、妻が妊娠することはなく、年齢的にも諦めていたという。「2人とも“宵越しの金は持たない”的な考えになっていて、稼いだお金は趣味の食べ歩きや旅行に使っていました。今は、あのお金をもう少し貯金しておけば、と少し後悔しています」(中本さん) ところが結婚から9年の月日がたち、中本さんが56歳、妻の淳子さんが44歳になったときに妊娠がわかった。 淳子さんから「大事な話がある」と言われたとき、中本さんは妊娠の話だとはつゆほども思わず、「離婚を切り出されたらどうしよう……」と不安になったという。 淳子さんは、サプリを飲むなどの“妊活”は一切していなかったそうだが、「海で泳ぐことが大好きで、妊娠する少し前には趣味を楽しみ、ストレスをためないような生活をしていたのがよかったのかも」と話す。 ひどいつわりもなく、妊娠6か月までは順調だった。「胎児の染色体異常を調べる出生前診断はしませんでした。私の妊娠は、体力的にもこれが最初で最後だと思いましたし、もし異常があっても産むという覚悟はできていました」(淳子さん) 一方で妊娠中は新型コロナウイルスが蔓延した2020年。淳子さんは妊娠初期だった3月から、仕事を休んで感染防止に努めた。 妊娠7か月目の安定期に入ったところで、仕事を再開したが、淳子さんはコロナではなく、おたふくかぜに感染してしまったのだ。おたふくかぜから心筋炎、母子に訪れた危機「そこから母子共に危険な緊迫の日々が始まった」と中本さんは話す。「妻はおたふくかぜが治らず、脱水症状を起こし、そのうえ心筋炎を併発して、一時、心不全に陥ってしまったのです。緊急入院から妊娠28週での帝王切開となり、子どもは男の子で無事に生まれましたがNICU(新生児集中治療管理室)へ。妻は危険な状態が続きICU(集中治療室)に入っていました」(中本さん) 淳子さんが息子と対面できたのは手術から5日後のことだった。「妻のベッドを息子の病棟まで移動して、初めて母子が触れ合うことができたのです。するとこの日を境に、妻はどんどん回復していきました。子どもに触れたことで、子育てのスイッチが入って、免疫力が高まったのではと思うような出来事でした」(中本さん) その後、淳子さんは心筋炎の後遺症もなく退院。子どもは3か月後に退院となり、育児がスタートした。「コロナ禍でリモートワークが進んでいたことで、子どもと一緒にいる時間が増えたのはよかったですね。お風呂に入れるのは僕の役目なので、飲み会も断って早く帰るようになり、お酒の量が減り、健康診断の数値もよくなりました(笑)。もともと生活習慣病ぎみだということを指摘されていたので、これはありがたいですね。 そして、僕たちが経験した出産の大変さと56歳からの子育てをフェイスブックに綴っていたところ、その経験を本にしてみないかというお話をいただいたんです。子どもが生まれたことでガラリと人生が変わりました」(中本さん) 中本さんには90歳の母親がおり、孫の顔を見せることができた。「父親は僕が大学生のとき、52歳で亡くなりました。56歳で子どもができた自分は、父親から子育てのバトンを渡されたのではないかと考えています。母は孫の世話をできる年齢ではありませんが、とても喜んでくれて親孝行ができました。妻の母親は70代なので、ときどき育児のサポートに来てもらっています」(中本さん)ライフプランに前例がなくて困惑 子育てにはお金がかかるが、中本さんはまもなく60歳の定年を迎える。 夫婦共に「今を楽しもう」と考え、休みができたら海外を旅し、おいしいお店に出かけるというスタイルで、お金を貯めることは考えてこなかった。 若い人に比べると、働ける時間が少ない中、子どもの教育資金をどう捻出していくかは大きな課題だった。「妻も働いており、僕も65歳までは雇用延長で働ける見通しですが、仕事ができるうちは働いて、子どものために少しでもお金を残したいと考えています。学資保険に入ろうと思ったら、20~30代の夫婦を想定した保険がほとんどで愕然としたこともありました。 ファイナンシャルプランナーに相談し、加入条件がゆるい商品を提案してもらいましたが、選択肢はほぼなかった。シニア子育てのライフプランは前例がないということでしょう」(中本さん) 2歳になる息子の子育ては、体力面での不安もある。 淳子さんは「子どもと一緒に昼寝して、休めるときは休んで、体力を温存しています。無理はできません」と話す。 一方、中本さんは「これから子どもと一緒に遊ぶことで運動不足解消になり、健康になるはず」と前向きだ。 また、体力面では若い人に比べてハンデがあっても、精神面では余裕があるのがシニア子育てのメリットでもある。「僕も妻も社会人として経験を積み、周りの人たちから学んできました。息子がやりたいことがあれば、才能を伸ばしてあげたいですが、偏差値の高い大学に入学することが幸せにつながるとは限らないですし、お受験を頑張ろうとも思っていません。周りに流されないのは、この年齢ならではのしなやかさだと思います」(中本さん) 中本さん夫婦が楽しんで子育てをやっていることで、子育てへの不安が少なくなる人もいるだろう。「実は子どもが生まれるまでは、よその子どもがかわいいと思ったことがなかったんです。でも、子育てがこんなに面白く、やりがいがあるものだったとは! もっと早く知りたかったです」(中本さん) さまざまなライフスタイルの人が増えている昨今、中本さんの発信する情報はとても貴重だ。中本裕己さん●産経新聞社「夕刊フジ」編集長。1963年東京生まれ。関西大学社会学部卒。日本レコード大賞審査委員。浅草芸能大賞審査委員。(取材・文/紀和静)
男性の精子も加齢によって老化し、不妊の原因は男性側にある場合も多いことがわかっている。
一方で夫56歳、妻45歳で思いがけず子どもを授かったという、レアなケースを赤裸々に綴った一冊の本が注目されている。
著者は夕刊フジ編集長の中本裕己さん。
著書『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(ワニ・プラス)では、壮絶だった高齢出産とシニア子育てのノウハウが綴られている。
「妊娠は青天の霹靂でした」と言う中本さん。
結婚したときは、中本さんが48歳、妻の淳子さんが37歳だった。「年齢も年齢だし、そもそもふたりとも子どもができにくい身体なのかも」と思っていたという。
「僕は再婚ですが、最初の結婚のときも子どもはできませんでした。妻は良性ですが子宮筋腫があり、医師からは妊娠しづらいと指摘されていました。とはいえ、自分たちの生殖能力を調べに行くことには抵抗があり、不妊治療はせず、自然に任せることにしたのです」(中本さん)
その後、妻が妊娠することはなく、年齢的にも諦めていたという。
「2人とも“宵越しの金は持たない”的な考えになっていて、稼いだお金は趣味の食べ歩きや旅行に使っていました。今は、あのお金をもう少し貯金しておけば、と少し後悔しています」(中本さん)
ところが結婚から9年の月日がたち、中本さんが56歳、妻の淳子さんが44歳になったときに妊娠がわかった。
淳子さんから「大事な話がある」と言われたとき、中本さんは妊娠の話だとはつゆほども思わず、「離婚を切り出されたらどうしよう……」と不安になったという。
淳子さんは、サプリを飲むなどの“妊活”は一切していなかったそうだが、「海で泳ぐことが大好きで、妊娠する少し前には趣味を楽しみ、ストレスをためないような生活をしていたのがよかったのかも」と話す。
ひどいつわりもなく、妊娠6か月までは順調だった。
「胎児の染色体異常を調べる出生前診断はしませんでした。私の妊娠は、体力的にもこれが最初で最後だと思いましたし、もし異常があっても産むという覚悟はできていました」(淳子さん)
一方で妊娠中は新型コロナウイルスが蔓延した2020年。淳子さんは妊娠初期だった3月から、仕事を休んで感染防止に努めた。
妊娠7か月目の安定期に入ったところで、仕事を再開したが、淳子さんはコロナではなく、おたふくかぜに感染してしまったのだ。
「そこから母子共に危険な緊迫の日々が始まった」と中本さんは話す。
「妻はおたふくかぜが治らず、脱水症状を起こし、そのうえ心筋炎を併発して、一時、心不全に陥ってしまったのです。緊急入院から妊娠28週での帝王切開となり、子どもは男の子で無事に生まれましたがNICU(新生児集中治療管理室)へ。妻は危険な状態が続きICU(集中治療室)に入っていました」(中本さん)
淳子さんが息子と対面できたのは手術から5日後のことだった。
「妻のベッドを息子の病棟まで移動して、初めて母子が触れ合うことができたのです。するとこの日を境に、妻はどんどん回復していきました。子どもに触れたことで、子育てのスイッチが入って、免疫力が高まったのではと思うような出来事でした」(中本さん)
その後、淳子さんは心筋炎の後遺症もなく退院。子どもは3か月後に退院となり、育児がスタートした。
「コロナ禍でリモートワークが進んでいたことで、子どもと一緒にいる時間が増えたのはよかったですね。お風呂に入れるのは僕の役目なので、飲み会も断って早く帰るようになり、お酒の量が減り、健康診断の数値もよくなりました(笑)。もともと生活習慣病ぎみだということを指摘されていたので、これはありがたいですね。
そして、僕たちが経験した出産の大変さと56歳からの子育てをフェイスブックに綴っていたところ、その経験を本にしてみないかというお話をいただいたんです。子どもが生まれたことでガラリと人生が変わりました」(中本さん)
中本さんには90歳の母親がおり、孫の顔を見せることができた。
「父親は僕が大学生のとき、52歳で亡くなりました。56歳で子どもができた自分は、父親から子育てのバトンを渡されたのではないかと考えています。母は孫の世話をできる年齢ではありませんが、とても喜んでくれて親孝行ができました。妻の母親は70代なので、ときどき育児のサポートに来てもらっています」(中本さん)
子育てにはお金がかかるが、中本さんはまもなく60歳の定年を迎える。
夫婦共に「今を楽しもう」と考え、休みができたら海外を旅し、おいしいお店に出かけるというスタイルで、お金を貯めることは考えてこなかった。
若い人に比べると、働ける時間が少ない中、子どもの教育資金をどう捻出していくかは大きな課題だった。
「妻も働いており、僕も65歳までは雇用延長で働ける見通しですが、仕事ができるうちは働いて、子どものために少しでもお金を残したいと考えています。学資保険に入ろうと思ったら、20~30代の夫婦を想定した保険がほとんどで愕然としたこともありました。
ファイナンシャルプランナーに相談し、加入条件がゆるい商品を提案してもらいましたが、選択肢はほぼなかった。シニア子育てのライフプランは前例がないということでしょう」(中本さん)
2歳になる息子の子育ては、体力面での不安もある。
淳子さんは「子どもと一緒に昼寝して、休めるときは休んで、体力を温存しています。無理はできません」と話す。
一方、中本さんは「これから子どもと一緒に遊ぶことで運動不足解消になり、健康になるはず」と前向きだ。
また、体力面では若い人に比べてハンデがあっても、精神面では余裕があるのがシニア子育てのメリットでもある。
「僕も妻も社会人として経験を積み、周りの人たちから学んできました。息子がやりたいことがあれば、才能を伸ばしてあげたいですが、偏差値の高い大学に入学することが幸せにつながるとは限らないですし、お受験を頑張ろうとも思っていません。周りに流されないのは、この年齢ならではのしなやかさだと思います」(中本さん)
中本さん夫婦が楽しんで子育てをやっていることで、子育てへの不安が少なくなる人もいるだろう。
「実は子どもが生まれるまでは、よその子どもがかわいいと思ったことがなかったんです。でも、子育てがこんなに面白く、やりがいがあるものだったとは! もっと早く知りたかったです」(中本さん)
さまざまなライフスタイルの人が増えている昨今、中本さんの発信する情報はとても貴重だ。
(取材・文/紀和静)

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