〈なぜ彼女は「1晩3000円」でカラダを売るのか…裕福な家庭に生まれた少女→大人になって『新宿のたちんぼ』になった理由〉から続く
「母には自分をハブにしたママ友たちへのコンプレックスがあって、それが私に向けられていたと思うんですよ」
《ーー衝撃写真ーー》「痩せほそったハダカ」はどう見ても60歳以上…新宿で「立ちんぼ」を続ける“年齢不詳の老女”
28歳のときに新宿で街娼を始めた、舞台女優の琴音さん(仮名)。高級住宅街で生まれ、中学の成績はトップクラス、高校では生徒会長にもなった彼女はなぜ「たちんぼ」になってしまったのか? その背景にある母親の存在を、ノンフィクションライターの高木瑞穂氏の文庫『ルポ 新宿歌舞伎町 路上売春』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。なおプライバシー保護の観点から本稿の登場人物はすべて仮名である。(全3回の2回目/続きを読む)
写真はイメージ getty
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舞台女優でもある琴音が街娼になったのは28歳、コロナ禍前の2019年夏である。「親ガチャ(ネット俗語で、親を自分で選べないこと)」により、人生は大きく左右される。よく言われるように、何度か会ううちに少しずつ語られた路上に立つまでの道のりは、確かにそれを体現したかのようなものだった。
琴音は1992年、瀟洒な家々が並ぶ横浜市内の高級住宅街で生まれた。大手商社でサラリーマンをしていた父と、専業主婦の母。絵に描いたような準富裕層家庭のひとりっ子だったが、幼稚園に上がるころになると琴音は、母によるしつけという名の虐待で全身に痛ましいアザをつくるようになった。学習塾、英会話スクール、ピアノ、バレエ、新体操──過保護で教育熱心だった母は、それらの成績がふるわないと、大切な一人娘を愛するばかりに琴音を全裸にして殴る蹴るを繰り返したのだった。
虐待は決まって父のいない隙に行われた。だから父親は知らないし、また母が怖くて相談もできなかったという。ちなみにその虐待は、琴音が小学校の中学年になると止んだ。母が改心したわけではなく、琴音が成長して抵抗できるようになったからだった。
「母には自分をハブにしたママ友たちへのコンプレックスがあって、それが私に向けられていたと思うんですよ」
通っていたのはセレブ幼稚園で、保護者同士の見栄の張り合いが絶えなかった。そんななか母は、寝坊をしがちで、登園時間に間に合わないことが頻発してママ友から仲間外れにされていた。その結果、周囲が娘に小学校受験をさせることを知らされず、準備が遅れて自分の娘だけ公立小学校に進学させるはめになった。きっとそれが悔しかったんだよね。だから私を立派に育ててママ友たちを見返したかったんだよね──琴音は母が虐待を繰り返した持論を当時の自分に問いかけるようにして語った。
当時の琴音は「自分が悪い」と思い込んでいた。やりたい習い事はすべてやらせてくれたり、お弁当には琴音の好きな食べ物をいっぱい詰め込んでくれたりしたからなのか、虐待を母なりの愛情表現として受け止めていた。虐待は止んだが、母なりの庇護意識からなのか、その後もママ友たちへの復讐心を元にした過剰なまでの教育は続いた。娘が立派に育っている。なら、もっとキツい指導を与えよう。おかげでリストカットしたり、不登校にもなったけど、そんなのよくあることだし、家庭教師をつけてテストだけ受ければ問題なし。私の教育方針は間違ってないはずだ。
事実、再び登校し始めた中学時代の琴音の成績は常にトップクラスで、高校では生徒会長にもなった。琴音は琴音で悲しませまいとして必死に母の期待に応えたのである。結果として、琴音は晴れて、母も自分も望んだ有名私立芸大に合格する。
振り返れば、琴音がゆくゆくは舞台女優を目指すと決めたのは、中2の夏のことだ。演劇好きの母の誘いで帝国劇場でミュージカル鑑賞をしたことで、見事にハマったのである。
高校生になると、自ら行動を起こして小劇団で汗を流すようにもなった。「憧れていた女優は?」と聞くと、母の毒親ぶりを語るときとは違い、「余貴美子。そんなに綺麗じゃないのに舞台や映画に引っ張りだこだったから、私にもできると思って」と、琴音は夢に向かって邁進していた当時の自分を重ねて、このときだけは声を弾ませた。
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(高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))