悠仁さま19歳で“お妃探し”はどうなる? 小室眞子さん結婚では“迷走”も…秋篠宮家の過去から読み解く「理想のお相手」の条件とは

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19歳の誕生日を迎えた秋篠宮家の悠仁さま。ご両親である秋篠宮さまと紀子さまの出会いは学習院大学時代だった。筑波大学に進学された悠仁さまの“お妃候補探し”にも多くの関心が寄せられている。
【画像】落ち着いた濃紺のスーツ&ワンピース姿で婚約会見に臨んだ礼宮さまと川嶋紀子さん(当時)
理想とされるお相手の条件とは何か――。秋篠宮さまと親交の深いジャーナリスト・江森敬治氏による「週刊文春」の記事を全文公開する。(初出:「週刊文春」2025年9月11日号/年齢・肩書きは当時のまま)
男性皇族の成年式は秋篠宮さま以来40年ぶり
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「浩宮に『記者会見でお妃をめぐる質問が出たら、当方、弱冠18歳、学生の身分、と答えてほしい』といわれました(笑い)」
これは、現在の天皇陛下が学習院大学に入学した年である1978年の10月に、母の上皇后さまが誕生日会見で語った言葉だ。当時、浩宮さまだった天皇陛下をめぐり、結婚問題を親子で話し合ったことはあるか、という記者からの質問に答えたものである。
昨年9月に18歳の誕生日を迎えた秋篠宮家の長男、悠仁さま(18)。今年9月6日、満を持して「成年式」に臨まれる。男性皇族の成年式は、父の秋篠宮さま(59)以来、実に40年ぶりのことだ。
成年式で、悠仁さまは成年用の冠を授かる「加冠の儀」を行うほか、天皇、皇后両陛下と対面する「朝見の儀」で天皇陛下から大勲位菊花大綬章を授かる。こうして広く成年皇族であることが表明されるのだ。
冒頭のとおり、天皇陛下の結婚問題がクローズアップされたのは18歳の頃だった。成年皇族となった悠仁さまはもうじき19歳、結婚問題が取り沙汰されてもおかしくはないだろう。

冒頭の上皇后さまの回答の後、記者からは続けて「ご自身はどんな方がふさわしいとお考えですか」と質問があった。お相手に求める“理想の条件”を尋ねられたのだ。上皇后さまはこう述べた。
「あれこれ希望することは、お上がりになる方に一つの決まったワクを与えることになるので控えたく思います。ただ、伝統の世界は奥行きの深い世界ですので、気長に経験を積み、何ごとも温かくはぐくみ育てる方であっていただければとそれだけを考えています」
同年12月には、父である上皇さまの誕生日会見でも同様の質問があった。上皇さまはこう答えている。
「まず第一に、本人がいいと思うことがありますね。それともう一つは、皇族妃という公的な立場があるわけで、皇室会議をへるという意味があるわけですから、皆が見ていいと思う人でなければならないと思うわけです。そして、喜びも苦しみもともにしていくという人であってほしいと思ってます」(いずれも『新天皇家の自画像 記者会見全記録』文春文庫より)
悠仁さまの場合、お相手にはどのような条件が求められるだろうか。私は秋篠宮さまと約34年にわたって個人的な交際を続けてきたが、折々の秋篠宮さまの言葉などをふまえると、お相手には“理想の四条件”が挙げられると考える。
第一の条件は、上皇さまも語っていた「本人がいいと思う人」だ。
天皇陛下と秋篠宮さまが、それぞれ成年式前の記者会見で理想の女性のタイプを尋ねられた際の答えを見てみよう。天皇陛下は学習院中、高等科では男子校だったが、進学した学習院大学は男女共学であることに触れ、こう答えている。
「入った当初は、何となく自分でも女子学生とつき合う時に何かぎごちなさってものを感じたんですけれど、最近は、ま、少しずつ慣れてきたかなという感じも受けるんです。ですから、まあ理想像っていうのは徐々に徐々にできてくるんじゃないかなと思います」
秋篠宮さまは、こうだ。
「結婚はあまり遅くならない方がいいと考えています。30歳よりかは前にしたいですね。タイプですか。(略)なかなかむずかしいんですね、身近にもいいと思う人はいますし」(いずれも前出『新天皇家の自画像』より)

2人とも、理想の女性像が具体的に描けておらず、初々しい様子が伝わってくる。悠仁さまも、今年3月に行われた成年会見で「理想の時期や相手についてまだ深く考えたことはありません」と答えたが、18歳の青年にとってはそれが正直な気持ちであろう。
お相手探しには、親の助言や協力がとても大切になる。特に、悠仁さまと仲の良い秋篠宮さまの果たす役割が大きいと思う。
その意味で、第二の条件には「親が受け入れられる人」が挙げられる。
秋篠宮さまは学習院大学2年生だった1985年5月に、紀子さまと大学構内の書店で出会った。その後、東宮御所に紀子さまを招き、上皇ご夫妻に紹介した。紀子さまはしばしば東宮御所を訪れ、上皇ご夫妻とテニスを楽しみ、お茶を共にした。上皇ご夫妻は「キコちゃん」と呼んで、とてもかわいがったらしい。そして1990年6月、秋篠宮さまが24歳の時に2人は結婚した。

秋篠宮さまは結婚からしばらくして、私にこう語ったことがある。
「私は、知り合った直後に家内を両親に紹介し、両親は付き合っていることは知っていましたし、結婚するんだろうなということもおそらく分かっていたと思います。また、相手が彼女だったらいいな、というふうに思っていたと思います」

秋篠宮さまの結婚には、「兄より先に結婚するのか」などという批判もあった。だが、上皇ご夫妻も認めた相手だったからこそ、結婚までスムーズに進んだようだ。逆に、秋篠宮家の長女である小室眞子さんの結婚は、義理の母親の金銭トラブルやその解決策などについて秋篠宮ご夫妻が十分に相談を受けていなかったことが迷走の原因らしい。悠仁さまの結婚は、秋篠宮ご夫妻が本人とよく相談し、悠仁さまの意向を踏まえながら、いろいろな進め方を模索していくのではないかと考える。
第三の条件は、「国民からの祝福を得られる人」だ。
上皇さまも「皆が見ていいと思う人でなければならない」と答えていたが、これは秋篠宮さまが眞子さんの結婚前に語った、「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ――」という言葉にも通じる。さらに男性皇族の場合、結婚で皇室を離れる女性皇族とは異なり、皇族の代表や三権の長らからなる皇室会議で結婚が正式決定される。なおさら国民の祝福が必要不可欠となる。

秋篠宮ご夫妻が当初から悠仁さまの相談に乗り、ご夫妻が結婚相手を受け入れていれば、それが国民にとっても何よりの安心材料となるだろう。
そして第四の条件が、「柔軟で適応力のある人」だ。
上皇后さまも会見で「気長に経験を積み、何ごとも温かくはぐくみ育てる」人であってほしいと語っている。皇室という特別な環境にあって、この素質はきわめて重要となるだろう。
ただ、長い歴史と伝統のある皇室に適応するあまり、先例主義を徹底すべきだという意味ではない。秋篠宮さまご夫妻も子育てにおいて、進学先を学習院にこだわらないといった柔軟性を見せてきた。悠仁さまのお相手にも、伝統を重んじつつ、時代に即した柔軟な姿勢で悠仁さまとともに歩んでほしいと願う。
皇位を安定的に継承し、皇室を発展させるためにも、国民の多くは、悠仁さまが温かい家庭を育むことを望んでいるはずだ。気が早いかもしれないが、悠仁さまよりさらに次の世代の皇位継承者の誕生を心待ちにする国民もいることを忘れないでもらいたい。
えもりけいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て2022年に退社した。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)の他、『秋篠宮』(小学館)など。
(江森 敬治/週刊文春 2025年9月11日号)

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