村上春樹『海辺のカフカ』『1Q84』も“禁書”に? 国連の「新サイバー犯罪条約」が“表現の自由”を脅かしかねない理由

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現在、「国連サイバー犯罪条約(新サイバー犯罪条約)」という条約の案を国連が完成させて、日本を含めた各国が締約するかどうかの検討をしているところです。
この条約はインターネット時代の犯罪対策という目的でさまざまな分野の国際協力をうたうものですが、いわゆる表現の自由(とりわけ性表現の自由)との関係で大きな問題をはらんでおり、日本でも議論が広がりつつあります。
この記事では、憲法・法律に詳しくない一般の方を念頭において、この条約の持つ問題点や今後の課題について、表現の自由との関係という切り口から説明します(本文:弁護士・堀新)。
国連サイバー条約は、IT技術の発達に伴う国際的な犯罪の増大をふまえて、取り締まりの強化が求められていると考えられるさまざまな行為(児童ポルノ、違法アクセス、違法傍受など)を各国が犯罪として扱い、国際的な捜査協力を行ったり、処罰したりするなどの対応を行うことを定めるものです。
これまでもこの種の分野について欧州発で締結された多国間条約として「サイバー犯罪条約(ブダペスト条約)」というものが存在しており、日本もすでにその締約国にはなっていますが、国連サイバー条約は「国連としての多国間条約」という点に新たな意義があります。
今後の予定としては、今年10月にベトナム・ハノイで署名式が行われた後、各国が加入のための国内手続きを進め、締約国が40か国になると条約が発効します。具体的には、40番目の批准書・受諾書・承認書または加入書が寄託された日の90日後に、条約は効力を生じることとされています。
この条約の中では、第14条の条文がいわゆる「表現の自由」との関係で問題になります。
第14条は「児童性虐待または児童性搾取の資料」がネットを利用して取り扱われることについて、犯罪として取り締まるように各国に義務づける条項であり、いわゆる児童ポルノ的なものの規制にあたります。
以下にその条文を紹介しますが、外務省の公式訳がまだ発表されていないので、日本語訳は筆者の独自のものであることをご承知おきください。
第14条:オンラインの児童性虐待または児童性搾取の資料に関する犯罪
第1項.各締約国は、以下の行為が故意にかつ正当事由なく行われた場合には、その行為を国内法に基づき犯罪行為として規定するため、必要な立法その他の措置を取るものとする:
(a)情報通信技術システムを通じて児童性虐待または児童性搾取の資料を、制作、提供、販売、配布、送信、放送、表示、出版その他の方法により利用可能とする行為;
(b)情報通信技術システムを通じて児童性虐待または児童性搾取の資料につき要求、調達またはアクセスする行為;
(c)情報通信技術システムまたはその他の保存媒体に保存された児童性虐待または児童性搾取の資料を所有または管理する行為
(d)本項(a)号から(c)号に従って規定された犯罪に資金提供する行為。この行為を締約国は別個の犯罪として定めることができる。
ここまで見ると、とにかく「児童性虐待または児童性搾取の資料」が取り締まりの対象だということがわかります。
それでは、その取り締まりの対象となる「児童性虐待または児童性搾取の資料」とは、そもそもどのようなものが想定されているのでしょうか。
「悪質な児童虐待をして作ったような映像や写真などが規制されるなら、結構なことではないか」と大半の人が考えるでしょうが、ここではそのような言い方ではなく「児童性虐待または児童性搾取の資料」という非常に漠然とした名称になっています。これだけでは具体的にはよくわかりません。
この「児童性虐待または児童性搾取の資料」の定義にあてはまるかどうかで、処罰されるかどうかが違ってくるのですから、線引きが非常に重要です。その具体的な定義は、条文の続きの第2項に書いてあります。
第14条(続き)
第2項.本条の目的の観点からは、「児童性虐待または児童性搾取の資料」という用語は、以下にあたる18歳未満の人物を描写、記述または表象する視覚的な資料を含むものとし、また以下にあたる文書コンテンツまたは聴覚コンテンツをも含めることができる:
(a)実際の性行為、または性行為の模倣に従事している18歳未満の者;
(b)性行為に従事している他人の面前にいる18歳未満の者;
(c)主として性的な目的のためにその性器が露出されている18歳未満の者;または
(d)拷問または残酷、非人間的もしくは屈辱的な扱いもしくは処罰を科されている18歳未満の者。但しそれらが性的な性質の資料であること。
さて日本の場合、この条文の何が、具体的な問題になるでしょうか。
まず当然ながら、未成年者に性行為や侮辱的な扱いを受ける場面を演じさせるような写真や映像の作品は禁止されることになります(「模倣」という言葉を使っているので、ドラマの演技であっても禁止対象です)。
ただし、現在の日本にも「児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(児童ポルノ禁止法)」が存在しており、18歳未満の者に性行為などの描写をする映像作品の制作等はすでに禁止されています。
そうなると、この条約の締約国となったとしても現状とほぼ変わりはないように思えるかも知れませんが、問題はそれだけにとどまりません。
国連サイバー条約は、現実の未成年ではなく、原則として創作物の架空の未成年キャラクター(いわゆる「非実在未成年」)にも第14条の規定が適用され、さらに文書による表現物(小説など)にも適用されうるものとしているからです(「原則として」というのは例外を作る方法があるからで、それは後ほど説明します)。
この条約をそのまま受け入れた場合、日本としては、法律を新たに改正や制定して、(「情報通信システム」を通じた送信や配布等をする作品においては)18歳未満の架空のキャラクターの性行為や性的に屈辱的な場面の描写の存在する小説、漫画、アニメ、ドラマ等までも制作、売買、配信などする行為を禁じなければならなくなります。
まず、いわゆるアダルト系の刺激的な漫画・アニメ・ゲームでこれに該当するような描写があるものが禁止対象になることは、当然予想がつきます。しかし問題はそれにとどまりません。一般的な漫画も18歳未満の性行為などの場面がある限り、この定義にあてはまってしまうからです。
筆者が知る限りでも、有名な漫画家の例としては、たとえば手塚治虫『アポロの歌』、竹宮恵子『風と木の詩』、萩尾望都『残酷な神が支配する』などが該当すると考えられます。
さらに小説も対象に含まれますから、これまた筆者の読んだことがある範囲でも、たとえばノーベル文学賞作家の大江健三郎『セブンティーン』、同じくノーベル文学賞作家の川端康成『眠れる美女』、さらに村上春樹『海辺のカフカ』『1Q84』、辻村深月『朝が来る』、窪美澄『ふがいない僕らは空を見た』などが禁止の対象になることが予想されます。
いずれも、18歳未満の人物の性行為や性的屈辱扱いについての描写があるからです。
「文学や芸術の価値がある作品は対象にならないのでは?」と思う人もいるでしょうが、さきほど見ていただいたとおり、国連サイバー犯罪条約の条文には「文学的・芸術的価値のある作品を除外する」などという項目は一切ありません(そもそも、誰がどういう権限で文学や芸術としての価値の有無を決めるのでしょうか?)。
これに加えて学術書も対象になる恐れがあります。定義からいって医学書は大丈夫でしょうが、文学や社会学等の分野での性意識や性欲の研究のために性的行為等やその描写を引用する書籍あたりは、記述の仕方次第では問題になる可能性が十分あります。
筆者が見た限りでは、たとえば上野千鶴子・東京大学名誉教授の『発情装置』という書籍はさまざまな性表現を取り上げた意欲的な本ですが、同書では外国の未成年の少年の全裸写真を掲載して性的欲求の観点から論じているので、条約の定義を免れるとは言えないように思われます。
以上のとおり、このまま国連サイバー犯罪条約に従って国内法を改正や制定していくと、単なる創作でしかない作品や専門書までも禁止の対象とされる事態になる恐れがあります。
とはいえ、まったく架空の小説や漫画の類の(これまた架空の)登場人物がたまたま設定上18歳未満だったからといって、性的な描写があれば犯罪として処罰されるというのは、かなり理解困難でしょう。
それでは、そのような事態を防ぐためには、日本は何をすればよいのでしょうか。
その手がかりとなるのが、第14条第3項の「限定」(留保)の部分です。
第3項.締約国は、本条の第2項で定める資料を以下のものに限定するように求めることができる:
(a)実在する人物を描写、記述もしくは表象するもの;または
(b)児童性虐待もしくは児童性搾取を視覚的に描写するもの。
この条項は、「各締約国が希望すれば、表現物のうち犯罪として規制する範囲を狭く抑える(犯罪にならない範囲を広げる)ことができる」ということを意味しています。
特に重要なのが(a)号の部分で、ここで締約国=日本が、「本条の第2項で定める資料」(=児童性虐待もしくは児童性搾取の資料)を、「実在する人物を描写、記述もしくは表象するもの」に「限定」すれば、実在する18歳未満の児童に性行為をさせるような映像などの作品制作行為だけを犯罪として処罰するようにできるのです。
言い換えれば、日本が申し出れば「実在しない=非実在=架空、フィクションの人物」を登場させる行為は犯罪にならないようにできるということです(逆にいうと、特に日本が何も申し出なければ、原則通りになって、フィクションの人物の性行為であっても処罰するという状態になるわけです)。
一方(b)号の方は、これによって小説やラジオ番組等を除外し、視覚的なもの(映像、画像)だけに限定することになります。
以上のように、仮に国連サイバー犯罪条約を締結するとしても、日本としては、この第14条第3項の「限定」は何としても行い、各人が自由にフィクションの小説や漫画やアニメ作品を作れる自由を守るべきでしょう。
一方、その後の第4項では次のようにうたっています。
第4項.締約国は、自国の国内法に従って、また適用される国際的義務との整合性を取り、以下の行為を犯罪化から除外するための措置を取ることができる:
(a)自分自身を描写する資料を自分で作成するために児童が行う行為;または
(b)本条第2項(a)号ないし(c)号で定める資料を合意により制作、送信もしくは所有する行為。但しその基礎となる描写された行為は国内法の定めにより適法であって、なおかつその資料はもっぱら、従事した人物の私的かつ合意に基づいた使用のために保管されるものとする。
上記は未成年者が自分自身を撮影する場合や、合意に基づいて私的な使用限定で作成する場合を処罰対象から除外できる選択肢があるということで、こちらも検討する必要があるでしょう。
この第14条の最後には第5項もあります。
第5項.本条約のいかなる部分も、児童の権利の実現のためにより強く寄与する国際的義務に影響を与えるものではない。
上記は、他の条約に基づく義務には影響しないことを定めたものです。
日本国憲法は次のように定めています。
第21条 第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
「一切の」表現という書き方をしているので、漫画や小説やアニメ等の表現物は、論文や記事や演説等と同じく「表現の自由」の保障を受けるということを意味します。
もちろん表現の自由も絶対無制限というのではありませんが、それは「何らかの正当で合理的な目的のために必要でやむを得ない限度での制限のみが認められる」ということです(この基準もさまざまなニュアンスがありますが、おおむねこういう言い方で間違いはないでしょう)。
合理性のない目的のための制限とか、目的達成のために役に立つのかどうかの根拠や因果関係が定かでない制限、やるにしても必要な限度を超えた過剰な制限などは許されないと考えられています。
憲法の役割とは、基本的に、公権力による自由の侵害を抑止することです。そのため、「公権力による介入に対して表現の自由を保障する」という構造になっています。
今般、国連サイバー犯罪条約が各国に求めようとしているのは、まさに「法律を作って公権力が一定の表現行為を禁止し、従わない人に刑罰を与えて犯罪者扱いする」ということなのですから、憲法第21条が本来想定していた表現の自由問題の事案だということになります。
なお「公共の福祉に合った表現の自由だけが許される」と主張する人も一部にいますが、これは原則と例外を取り違えて自由の保障の意味を見失った発想です。逆に、「公共の福祉のためにやむを得ない制限だけに限って、表現の自由に加えることが許される」と考えなければなりません。
そうなると、仮に留保も付さないままこの条約が締結され、新たな法律が制定されて広範囲な規制が行われた場合、憲法第21条第1項違反となる可能性も出てきます。
ただし、それは個別の問題が起こって刑事裁判に至った後で裁判所が判断する段階の話です。現実に違憲の判決が出るとは限らないし、裁判所の違憲判断が確定するまでの間は法律が存在して適用され続けるのですから、表現活動の重大な萎縮が起こることが予想されます。
このように、「表現の自由」という観点から、国連サイバー犯罪条約について注視していく必要があるでしょう。
■堀新(ほり・しん)
弁護士。非法学部卒、元会社員。著書に『13歳からの天皇制』(2020年、かもがわ出版)。

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