【島沢 優子】息子が中3で不登校に…発達障害の診断を受け入れられなかった親が「気づかなかった予兆」

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2024年10月31日文部科学省2023年度の「問題行動・不登校調査」で、全国の国公私立小中学校で「不登校」と判断された児童生徒が34万6482人(前年度比15・9%増)と発表された。不登校の生徒数は11年連続で増え続けている。
また、文部科学省が発表した令和4年(2022年)の調査結果では、小中学生において「学習面又は行動面で著しい困難を示す」と表現される、発達障害と思われる児童生徒数の割合は8.8%だった。1クラスが30人前後だとすると、クラスに約2~3人、発達障害の子どもがいることになる。発達障害だから不登校になるわけではないが、そうした子どもの中には学校の学習や活動に馴染めず、不登校になるケースもある。
さまざまな環境で悩み苦しむ子どもと親を、NPO法人『福祉広場』代表の池添素さんは支えている。不登校や発達障害の子どもと親にかかわり続けて40年。親たちに「素さんがいたから私たち親子は生きてこられた」と感謝される。
池添素さんに子どもの不登校の現状についてジャーナリストの島沢優子さんが取材し、具体的なエピソードと共にお伝えしていく連載「子どもの不登校と向き合うあなたへ~待つ時間は親子がわかり合う刻~」。第12回では、小学校の頃から「別室登校」を繰り返し、中学3年生から不登校になったマサキくんと向き合うマイコさんについてお伝えする。幼稚園の頃、「発達障害」という診断を受けていたマサキくんだが、マイコさんは重く受け止めていなかった。池添さんに相談した結果、ある衝撃な一言を言われる。不登校児の親たちを勇気づけ、闇から救い出した池添さんの言葉とは。
マイコさんが、息子マサキくんの「別室登校」を知ったのは、それが始まってからずっと後のことだ。小学3年の1学期だった。
「学校に行きたくないとか、そんなに言わなかったんです。気がついたら別室に行ってたんです」とマイコさん。担任から「実はなかなか教室に入れなくって、別室で折り紙してるんです」と言われた。とはいえ、驚くことはなかった。なぜなら、幼稚園児だったころから周囲とあまりうまくやれてなかったからだ。
「そうなっても仕方ないかなと思いました。幼稚園でお友達とうまいこと遊べない。すぐにケンカになってしまう。相手がいやがっていることを察することができずにやり過ぎてしまうんですね。でも、人のことは好きなもんだからやっぱり寄っていってしまう。そんな子でした」
ほかの子より体が大きく力が強かったこともあり、押し倒した、たたいたなど、相手の保護者から苦情をうけた学校から「相手のお宅に謝りに行ってください」と電話がかかってくることが度々あった。息子には何か理由があるかもしれないと思っても、自分が謝らなくてはその場が持たない。マイコさんは息子のために頭を下げ続けた。
「私もしんどかったけれど、本人はもっとしんどかったと思います。あの子からすれば、学校に行っても怒られる、ケンカになれば自分が必ず怒られる。でもって、家に帰ったらまた私から怒られる。毎日きつかったでしょう。それで教室に入れなくなったんでしょうね」
4年生までは保健室や別室への登校が続いたが、クラス替えがあった5年生から教室に入れるようになった。中学校は1年、2年と何事もなく通った。一度だけ学校で友達を殴ってしまい病院に迎えに行ったが、その後もごく普通に学校に行った。
とはいえ、3年になれば高校受験もある。先のことを考えると(なんかうまくいかへんかも)と一抹の不安を感じたマイコさんは、友人に相談。すると「いい先生がいるよ」と池添さんを紹介された。すぐ相談予約をし、飛んで行った。池添さんにこれまでの息子の育ちや状況を伝えるとこう言われた。
「あのな、お母さん、酷な言葉に聴こえるかもしれへんけど、こうなるのはある意味当たり前なんよ。療育に通ってなかったから大変なんよ」
実は、幼稚園に通わせていたころ、発達障害という診断を受けていた。幼稚園教諭からも療育を勧められた記憶があった。だが、マイコさんは重く受け止めなかった。
※療育(発達支援)とは…障害をもつ子供が社会的に自立することを目的として行われる医療と保育。(Weblio 国語辞典)
「(幼稚園の)先生から、マサキくんは(発達障害の)特性がある。でも、こういう方法もあるんですよっていうのは聞いてたんですけど、私は『そんなことないわ』って思ってました。そんなこと言うけど、きっと普通に育っていくわって思ってたんです」
ところが、何かうまくいかない。
「なんでやろう。うまくいかないぞ、うまくいかないぞっていうのはあったけど、そのときに私の中で療育っていう言葉と結びつかなくて。池添先生から療育やってへんのやからそりゃそうだわよって言われてハッとしました。そういうことやったんかって、やっと納得できました」
母の不安は的中。池添さんのもとを訪れてすぐの5月ごろ、マサキくんは不登校になった。
「もう学校に行かないぞっていう強い意思表示をしてきました。絶対行けへん、と。理由はわかりませんでした」
困り果てたマイコさんは池添さんのもとへ一目散に飛んでいった。すると「そりゃそうじゃないの。予兆があったじゃないの、もう!」と言われた。
「予兆と言われても全然わからへんかったから、ものすごくびっくりしたんです。親の私は気がついてなかったけれど、先生はわかってはって。そこでまたガーンって二度目の衝撃を受けました。やっぱり見る人から見たらなるべくして(不登校に)なったんだ、と」
子どものことは親が一番わかっていると私たちは思いたい。だが、わが子を良きにつけ悪しきにつけ客観的に見るのは難しい。実は外から見ている第三者のほうが見えていることは少なくない。発達障害を受け入れられなかったマイコさんは「池添先生にズバッと言ってもらえたお陰で、自分の殻が破れました」と感謝する。
池添さんは「学校に行かせるのはきっと無理だろうから、ここに通いなさい」と広場で週に一度スタッフと過ごすことを提案してくれた。マイコさんは勉強を教えてもらえるのかと思ったが、そうではなかった。スタッフはマサキくんの話を聴きながら、丁寧に少しずつ気持ちをほぐしてくれた。
そこからマイコさんは変わった。翌日学校に行けるように早く寝るようにと言ったり、朝に布団を引き剥がして無理やり起こすことをやめた。池添さんのこの言葉が刺さった。
――親にできることは何もないと思ったほうがいい――
「そうか、学校に行かせるのは無理なんやと思いました。頑張って行けって言っても、行かせられへん。私は基本待ってられない性分なので、できることは何もないなと思いながら環境を変えていくほうにいろいろ動こうとしてて。それも、やめなはれって言われましたね(笑)」
中学生になれば多くの子どもは強い意思を示す。体も大きい。無理強いすることはできないとマイコさんは悟った。
ところで、療育を受けなかったことをある意味「とがめられた」マイコさん、池添さんに対してよろしくない感情を抱くことはなかったのだろうか? そんな問いに、「いやいや、ショックでしたよ。でも衝撃が大き過ぎて、もう納得するしかなかった。腹を立てるっていうよりは、そうなんや、私、何もわかってなくて恥ずかしいなって思ったんです」と打ち明ける。
「それに、先生のことやっぱり信頼できる方だなと思っていましたね。人柄ですかね。細かなことは覚えてないですけど、先生の印象とか、物腰とかすべてですね。受け入れる幅が広いというか。私たち親に、こうしなさいっておっしゃらないし押し付けない。そういう方って、私たち親子がしんどい思いしてるときに近くにいらっしゃらなくて。大体みんな、こうせなあかんでと言ったり、この子はこういうところがダメやと評価する。そうすると、こっちもなんというか戦闘モードになってきますよね。なんやねん、うるさいわとか思う。だけど先生は基本、そうかそうかっていう感じで話を聴いてくれた」
マイコさん母子について、池添さんは「お母さんが、どこかの時点でこの子を信じようって思ったところがターニングポイントやったんやろうと思います」と振り返る。
――(マサキくんにとって)うちの若いスタッフとのやり取りとか、自分を受け止めてくれる場所みたいなものがあったことが、安心感につながっていったんやろうね。安心できる穏やかな空間があれば、みんなエネルギーを溜められるんやと思う――
学校に行かなくなったかと思ったら、あっという間に昼夜逆転の生活に突入した。
後編【中3で不登校になった息子に現れた救世主…大学まで合格した今、母親が思うこと】では、マサキくんの変化について。「信じる」と決めたマイコさんが息子の不登校について思うこととは。
【後編を読む】中3で不登校になった息子に現れた救世主…大学まで合格した今、母親が思うこと

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