逃亡49年「桐島聡」はなぜ、死に際に名乗り出たのか 「さそり」中心的メンバーが託した手紙の中身

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2024年1月29日に亡くなった東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバー、桐島聡容疑者(享年70)をしのぶ会が1日、都内で行われ、仲間からの手紙が公開された。「桐島聡は殺人者ではない」と主張する根拠とは。
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しのぶ会には、元さそりメンバーの宇賀神寿一さん(72)、元東アジア反日武装戦線大地の牙・浴田(えきだ)由紀子さん(74)らが登壇。約120人が参加し、立ち見が出るほどだった。その中では、「さそり」の中心的な存在だった黒川芳正・無期囚(77、宮城刑務所在監)からXに投函して欲しいと託された手紙も披露された。
桐島容疑者が所属していた「さそり」は東アジア反日武装戦線のひとつで、東京・山谷の労働運動を支援するグループから生まれた。帝国主義的な考え、労働者軽視、人種差別に反対するために鹿島建設資材置き場、間組本社、間組江戸川作業所(負傷者1名)の爆破事件を起こしたとされる。
桐島容疑者は、東アジア反日武装戦線が起こした「三菱重工本社爆破事件」(1974年8月30日、死者8名、負傷者376名、「狼」が実行犯)などの連続企業爆破事件のうち韓国産業経済研究所爆破事件(1975年4月19日、負傷者なし、「大地の牙」が実行犯)に関与した疑いで全国指定手配を受けた。
以降、49年間逃亡生活を送っていたが、24年1月25日に「内田洋」名義で神奈川県鎌倉市内の病院に入院した際に、「自分は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と病院側に伝え、同29日に末期がんのため亡くなった。
黒川無期囚からの手紙(朗読)では、桐島容疑者が一連の事件にどこまで関与していたかが改めて明かされた。
「同志・桐島は『さそり』のメンバーで、他の部隊(狼、大地の牙)との交流接触はなく、『さそり』が韓産研攻撃にはまったくタッチしていないのは周知の事実。よって桐島に対する韓産研への容疑は100%えん罪。桐島が実行したのは間組本社と間組作業所のみ。桐島は三菱重工の件には関わっておらず、殺人者ではない。桐島が人命を奪うことを肯定したことは1度もない。江戸川作業所で負傷者1名を出してしまったことを一番深く悩んだのは事件の当人である桐島だった」
また、黒川無期囚は、江戸川作業所で負傷者1名が出たことは49年間の逃避行生活と無関係ではないと推察する。
「(桐島容疑者は)負傷者への贖罪の意識から人並みの幸せを求めず、そういう人生を拒否することで、刑務所での服役以上に自分に鞭を打ち続けることではなかったのか。その日々が無駄でなかったことを自分自身に納得させ、己の存在証明を第三者に知らしめることが死に際の名乗りではなかったのか。ダイイングメッセージは同志への死亡通知で、苦行生活からの自己解放宣言ではなかったのか」と分析している。
また、「さそり」元メンバーの宇賀神寿一さんは「桐島が(逃避行先を)湘南にこだわったのは、自分との約束があったからではないか」といい、1975年5月19日のグループ一斉検挙の際、9月9日に鎌倉の宇賀神社で再会することを決めていたと明かした。
1975年に逮捕、77年にダッカ事件で超法規的措置で釈放、95年に逮捕された元大地の牙・浴田さんも「(事件当時、グループ間の交友はなく)桐島君のことは知らなかった。(逃亡生活の中で)自分が苦しんだのは人間関係。巻き込めば、幇助罪になる。親しくなった人に嘘をつき続けるのは、つらかったはず」と話していた。
桐島容疑者の遺骨は逗子市内の葬儀社が管理し、5年の保管期間を経てから無縁墓地に合葬される予定。今年は、桐島容疑者を主人公にした、古舘寛治主演の映画「逃亡」(足立正生監督、3月15日)と毎熊克哉主演の「桐島です」(高橋伴明監督、7月4日)が公開される。
デイリー新潮編集部

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