2019年、JR熱海駅構内において、当時交際していた年下男性の顔を切りつけ、現行犯逮捕された岩本和子(48歳)。その後、不起訴処分となり、2020年には写真集の発売をきっかけに44歳で復帰を果たすも、再び活動休止状態となっていた。しかし、昨年12月に突如ブログを開設。現在は芸能界復帰を目指している段階だという。本人に活動再開までの経緯を聞いた。
〈画像〉スケスケの妖艶な下着を片手に取材に応じる岩本和子
2019年5月、JR熱海駅で交際相手だった男性の頬を切りつけ、現行犯逮捕された岩本和子。
当時、彼女は複数の週刊誌グラビアに登場するだけでなく、主演映画や地上波番組にも出演し始めるなど、全国的な知名度が高まりつつある重要な時期であった。
なぜ、そんなタイミングで事件を起こしてしまったのか。
岩本(以下同)「当時、交際相手との間に子どもができました。私としては、仕事も大事だった一方で、年齢的にも出産できる最後のタイミングかなと思っていたんです。
『産みたいけど、仕事が……』と迷いながらも、日に日にお腹は大きくなる。男性からは『産んでほしい』と言われていましたが、妊娠6カ月のときに、彼が既婚者だと判明したんです。
悩みに悩んだ末に堕胎を選んだのですが、彼には、堕胎した子どもと私に詫びてほしかった。
それで彼を熱海駅に呼び出したところ、謝るどころか駅員に『この女は頭がヘンだ』と言いました。許せなくてカッターナイフで男の顔を切りつけたんです」
彼女によると、事件を起こした2019年5月18日は、リスクの高い「後期中絶手術」を受けた翌日だったという。
事件後、岩本は沼津拘置支所に拘留され、「心神耗弱」と鑑定されて閉鎖病棟で治療を受けたあと、不起訴処分となった。その後、2020年には写真集『独白』を発売し、一時的に芸能界復帰を果たしていた。
「拘置所や病院での生活でボロボロになった肌や髪を整え、2020年に復帰しました。しかし、事務所などと揉めて、再び休止せざるを得ない状況になってしまったんです。
その後は、約4年間、実家のある鳥取県で過ごし、家電量販店などでアルバイトをしながら静かに生活していました。
でも、どうしても芸能界への想いがあきらめきれなかった。なので、昨年11月に単身で大阪に引っ越し、12月からブログを再開したんです」
岩本は現在、大阪で1人暮らしをしながらメンズエステ店で働きつつ、芸能界復帰へ動いている段階だという。なぜ、メンズエステ店で働くことを選んだのだろうか?
「私はもともと日本エステティック協会認定のエステティシャンで、複数の資格を持っていました。そこで、施術対象を男性としたうえで、少しエロティックに癒しや活力を与えたいと思ったんです。
私にとっては芸能界に復帰することも、メンズエステで活動することも同じで。どこであれ『男性を元気にさせてナンボ』という気持ちは、ずっと変わらないんです」
取材中、岩本は「施術時にはこんなスケスケ下着を身につけている」と、下着を見せてくれた。
「このセクシーなランジェリーをはき、上はタンクトップ姿で、エステティシャンとしての技術を活かしています。
それにヨガやストレッチで鍛えた柔軟な体も活かして、たとえば両足を大きく回転させながらセクシーに見せつけるなど、“見せる”意識も持ちながら施術しています」
「そんな施術をしたら、男性は“反応”してしまうのでは?」と尋ねると、彼女は笑顔で「もちろん」と答えた。
「フルで反応されている方もいらっしゃいますね。私は現在『蝶ゆり子』という名前で働いていますが、中には岩本和子だと分かっているお客様もいます。
その方たちは『和子さん』『和ちゃん』と呼びながら嬉しそうにしてくださって本当に光栄です。ファンの方が会いにきてくださって嬉しいです。お客さんと一緒に感激のあまり泣いちゃうこともあります」
メンズエステ店で働きながら、岩本はどのようにして芸能界復帰を目指しているのだろうか。
「やはり、まずはグラビア復帰を目指しています。今は写真週刊誌の編集部などに営業電話をかけている最中です。
年末にお電話した際には、相手の方も『ああ~』と察してくださった様子でした。
あと、拘置所にいたときに実話誌に私の記事を掲載していただいたことがありました。その際、全国の拘置所にいる収監者の方々からたくさんお手紙をいただいたんです。
だから、その媒体では、なんとしても連載を持たせていただけたらうれしいと思ってます。それに、メンズエステでも拘置所生活を終えた方を対象とした『お疲れシャバコース』をサービスさせていただきたいです」
現在、岩本は事務所に所属しておらず、今後もその予定はないようだ。
「事務所には所属しません。ただ、私専用のマネジメント会社である“株式会社 岩本和子”を近日中に設立する予定です。
2020年には完全復帰の夢を叶えることができず、その後の4年間は本当に病みに病みました。
でも、病んでいる私の顔を、産まれるはずだった娘は見たくないはず……。その娘のためにも、2025年はやりたいことを全部やり切ると決めています」
インタビュー後編では、拘置所内での壮絶な暮らしと2025年の目標について聞いた。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班