まさに?魔法が解ける奇跡の2日間?…知る人ぞ知る「飛田新地の夏祭り」に行ってみた

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「打~ちまっしょ、もひとつせっ、た~んとたんと、めでたいな……、○○さん、○○さん、○○さん、……祝いましょ、……わっしょい! わっしょい!!」
子供たちの元気な掛け声が、飛田新地に響き渡る。7月24日水曜日、天気は晴れ。開始予定の午後1時の10分ほど前に、だんじりの巡行がスタートした。だんじりの上には小学生から中学生くらいの子供たちが男女交えて8人乗り、メガホンを使って大きな掛け声を出したり、太鼓をリズミカルに叩いている。「○○さん」というのは、新地の料亭や周囲の商店などの屋号である。
だんじりを引いたり押したりするのは、白い法被姿の子供や大人たち。老若男女が入り混じって、前方の綱を引いたり、後ろから押したりしている。大迫力である。素晴らしいのはだんじりに乗っている子供たちの掛け声で、とにかく威勢がいい。育ち盛りで生命力に満ちている。声に張りがあり、エネルギーがほとばしっているのだ。
見物人は20人くらいと、それほど多くない。常にカメラを構えて撮影に勤しんでいるのは7人ほどで、拍子抜けするほどの少なさである。でも、そんなことはお構いなしに、だんじりは商売繁盛を祈願しながら新地の中を元気いっぱいに進んでいく。何軒かの料亭は営業しており、店の前をだんじりが通ると、呼び込みのおばちゃんやセクシーな衣装の女性が興味津々で眺めている。法被姿の係の女性が呼び込みのおばちゃんからご祝儀を受け取り、お礼に粗品のタオルとウチワを渡している。女性たちは上り框(かまち)で顔を出したままで見物している女性もいれば、片手やウチワで口元を隠して見ている女性、玄関の奥に隠れてそっと覗き見している女性もいた。
暑い。最高気温35度を超える猛暑の中で「わっしょい! わっしょい!!」の掛け声とともにだんじりが進んでいく。途中、メイン通りと百番通りで休憩があり、ペットボトルのお茶やアイスクリーム、缶ビール、スイカが振る舞われる。まさしく?夏祭り?である。
この日の新地周辺は、午前中は普段と変わらない様子だったが、祭りが始まると一変。商店や住宅の中から人々が見物に出てきた。新地に遊びに来ていた男性たちも目を丸くして見ていた。スマホで祭りの様子を写真撮影したり動画を撮っている人も大勢いた。お年寄りも中年世代も若者も外国人も、みんな楽しそうである。だんじりは新地の中と周辺の商店街などを巡り、午後2時35分ごろにスタート地点の飛田ふれあい会館に戻り、初日の巡行は終了となった。
だんじりの後ろについて祭りを見物していた男性たちに、話を聞いてみた。
「この祭りのために東京から来たんです。色街に興味があって。実際に見れてうれしいです」(40歳くらいの男性)
「大阪に住んでいます。5年くらい前からこの祭りのことは知っていたんですが、なかなか来る機会がなくて。今回初めて見ました」(30歳くらいの男性)
祭りの休憩中に、2人とも充実した表情で語ってくれた。
翌7月25日木曜日。前日と同じような猛暑の中で、祭りが開催された。12時40分ごろと早めのスタートとなり、初日と同じコースをだんじりが進む。この日は熱中症対策から、店の前で止まって屋号を読み上げることはせず、ゆっくりと進みながら読み上げるかたちであった。そのため、前日より30分ほど早く終了した。それ以外は同じ内容であった。見物に来ていた一般客は15人ほどと、前日よりもやや少なかった。
飛田新地は大阪市西成区にある日本最大の歓楽街だ。大正7(1918)年に開業した飛田遊廓が前身であり、戦後の売春防止法の完全施行後も色街として令和の世に生き続けている国内で稀有な存在である。
飛田新地は普段は写真撮影を禁止している。だが年に2日だけ、例外的に撮影が許される日がある。それが毎年7月の24日と25日の2日間、この街で行われる通称「飛田 夏まつり こども太鼓だんじり」の時だ。この時だけは、堂々とカメラを掲げて飛田新地の街並みを背景に祭りの様子を撮影しても問題ないとされる。基本的に撮影がご法度な?聖域?において?魔法?が解けるこの2日間は?奇跡の2日間?とも呼ばれている。
この日は日本三大祭りの一つである大阪天神祭の日であり、曜日に関係なく毎年この日に夏祭りは開催される。正式には飛田地域内の「子ども太鼓曳行(えいこう)」という。この祭りの開催日程は西成区役所のホームページにも記載されている。’20年と’21年は新型コロナウイルス拡散防止のため開催中止となったが、’22年にコロナ対策を行い規模を縮小して3年ぶりに行われた。
祭りのスタートは午後1時ごろ。阪神高速の高架下にある飛田ふれあい会館が出発地点となる。ここから大門通り→山下筋→新開筋商店街→飛田本通商店街→下山下筋→青春通り→メイン通り(休憩1回目 子供はお茶やアイスキャンディー、大人はお茶や缶ビールなどで水分補給)→高架沿い→百番通り(休憩2回目 子供たちがスイカを食べる)→若菜通り→高架沿い→飛田ふれあい会館というルートを練り歩く。新地の中を隈なく巡る感じだ。
この祭りが始まったのは、昭和55~56(1980~81)年くらい。場所柄、町内の夏祭りがなかったので?子供たちのために?という思いでスタートしたという。新地内には子供たちの参加者募集の看板が貼られている。小雨決行で、雨天の場合は中止となる。なお、飛田ふれあい会館の道路向かいの柵には、料亭や商店の屋号と協賛金(寄付金)の金額が書かれた紙が、びっしり張り巡らされていた。
この日も料亭は普段通り営業し、昼間から開いている店もあった。料亭の前をだんじりが進む様子は見応え十分。絢爛豪華なだんじりや白と赤の法被姿の人たちと、風情ある料亭の組み合わせが、絶妙にマッチしているのだ。旧遊廓街の街並みにだんじりの一行が調和して、情緒あふれる古風な光景が生み出されていた。
なお、撮影できるのは、あくまで?祭りの様子?である。?料亭?や?料亭の女性?ではないので注意しよう。いつまでもこの良き伝統を続けるためにも、この2日間の祭りの時だけ?背景として街並みの撮影?はしても、?料亭の中の女性は撮影しない?など、最低限のマナーは守ろう。
飛田新地は現在「飛田新地料理組合」のもとで営業している。飛田新地に行けば分かるが、街の中は非常に清潔で、道端にゴミひとつ落ちていない。夜間は照明が明るい。公衆トイレや駐車場、休憩場も整備されている。それは、地域を守るための厳しい決まりがあり、コミュニティが未だに強固であるからこそ成立している。しっかりと管理している人の存在が、地域を支えているのだ。祭りの日の夜に、メイン通りの入り口でスマホを出した男性客が自転車で巡回している警備員に注意されていた。こうして飛田新地ではルールが守られている。
飛田新地料理組合で定められたルールのもとで、飛田新地は子供たちが参加する夏祭りが行われるほどクリーンな街となっている。地域の共同体の崩壊が進んでいる現代社会において、飛田新地が今も保っている住民自治に学ぶべき点は多い。飛田新地のたくましい姿は、日本社会が改めて見直すべき姿だといっても過言ではないだろう。コミュニティがしっかり機能している飛田新地は、今後もしぶとく生き残っていくに違いない。
後編『ビキニ美女だらけでまるで海水浴場!? 祭りの夜の飛田新地と松島新地を歩く』では、さらに祭りの夜の盛り上がりぶりや、松島新地の祭りの様子を紹介する。

後編『【飛田新地の歩き方・3】ビキニ美女だらけでまるで海水浴場!? 祭りの夜の飛田新地と松島新地を歩く』

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