5期19年にわたって千葉県鎌ケ谷市市長を務めた清水聖士氏が、『市長たじたじ日記――落下傘候補から、5期19年、市長務めました』(三五館シンシャ)を上梓した。伊藤忠商事、外交官と輝かしいキャリアを持つ清水氏は2002年に鎌ケ谷市長選挙に出馬。大激戦を制し、同市の市長に就任した。
市役所の裏側や職務の実態、選挙の内幕など、政治の世界を離れたいまだからこそ語れる内容が満載の本書より、市長に就任した清水氏が恐怖した「カスハラ市民」のエピソードを紹介する(本書の一部を抜粋・再編集しています。登場人物はすべて仮名)。
前回記事〈私はこうして“経歴詐称疑惑”を切り抜けました…《千葉県の元市長》が大勢の市民の前で明かした「本当のこと」〉より続く。
【3回目/全3回】
市役所の窓口(注1)で自分の思いどおりにならないと、「市長を出せ」と言う輩がいる。市長はふつうそういう窓口にいないし、当然ながら「市長を出せ」と言われて、「はい、私が市長です」などと出ていくわけにはいかない。
たまに3階にある秘書課にまで押しかけてくる人もいる。秘書課のカウンターは廊下に面しているので、市長室の廊下側入口の扉越しに怒鳴り声が聞こえてくることもある。その声が聞こえているあいだは決してその扉を開けてはならない。
様子を見ようとわずかでも顔を出せばたいへんなことになる。秘書課の職員が体を張って、抗議する市民を市長室のほうへ通さないよう防波堤になってくれる。そして、なんとか説得し、なだめすかして、再度担当課に行って話すよう仕向けてくれるわけだが、それではおさまらない人間もいて–。
事件の始まりは、秘書課の長宗我部君からの報告だった。
【注1】市役所の窓口
役所窓口におけるトラブルは最近もたびたび報じられる。2024年11月、兵庫県川西市役所の生活支援課窓口で、生活保護の申請に訪れた男性が職員の態度に腹を立てアクリルスタンドを叩いて壊して現行犯逮捕。2025年4月、静岡県菊川市役所の福祉課窓口で、相談に訪れた50代の女性が、職員の顔を殴って現行犯逮捕。こういうニュースを見るたびに胸が痛くなる。
「学習センターの『市民ポスト』に市長宛の手紙が投函されていました」
長宗我部君が見せてくれた手紙には、エンピツで次のように殴り書きされてあった。
〈市長のご家族が、突然の訪問に驚き、恐ろしい思いをしないよう、事前に説明をしたいと思います〉
突然の訪問?恐ろしい思い?手紙の文面を読んでも、私にはなんのことかさっぱりわからなかった。
私の表情を読み取って、長宗我部君が補足してくれた。
「じつは市長にはご報告していなかったのですが、数日前、印鑑証明をめぐって窓口でトラブルになった男性がいまして、その人が『市長に会わせろ』と何度も市役所に押しかけてきているのです」
長宗我部君の説明によると、男は数日前、市役所の窓口でトラブルになり、大声で「市長を出せ!」と叫んだのだという。
その場は職員がなだめてなんとか帰らせたものの、翌日も再び窓口に現れて、市長に会わせるように要求をしたらしい。職員が対応し帰ってもらったが、それからも連日、窓口に姿を見せるようになったのだ。
じつはこうした事案はたまにあるので、いちいち私のところまで報告はあがってこない。数回目の訪問の際、西園寺副市長まで話があがったようだが、「まだ市長に報告する必要はない」と彼が判断してくれたのだ。心配性の私に知らせれば、気に病むことを察して配慮してくれたのだろう。
つまり、最初のトラブルからすでに5~6回も市役所を訪れ、私との面会を要求し続け、埒があかないと思い、「市民ポスト(注2)」という手段で直接、私宛にメッセージを伝えてきたわけだ。
それにしても、わが家への来訪を予告したうえ、「恐ろしい思い」とはただごとではない。秘書課と市民課で相談のうえ、鎌ケ谷警察署に報告することとなった。
どうにも厄介な人間がいるものだ。ただでさえ忙しい職員たちにも余計な負担をかけて心苦しいと思っていた。
その翌週のことだった。勤務を終えて、夜10時すぎに自宅に戻ると、妻が駆け寄ってきた。
「こんなのが入っとったよ」
そう言って渡されたコピー用紙にはエンピツで乱雑な文字が書かれてあった。
〈市から明確な回答がもらえるまで、市長宅への訪問を続けます〉
私はこの文字に見覚えがあった。「市民ポスト」に入れられた手紙の筆跡と同じものだったのだ。
【注2】市民ポスト
ここに投函されたメッセージは、秘書広報課の担当者が見たうえで、市長の執務室に届けてくれる。市民からの文書に対しては、「回答できないもの」「回答先住所・氏名のないもの」を除き、担当課に回し、必ず回答案を作ってもらう。とくに市長1~2期目は、お役所的な回答については適宜チェックし、差し戻していた。週明けの月曜日などはこの対応だけで一日が終わってしまう日も。当初は、市民の生の声を聴いているという充実感もあり、これが地方自治だと満足したものだったが、任期を重ねるにつれて、担当課からの回答案にそのまま判を押すだけになっていった。
「夕方に家に帰ってきたら、ポストにこの紙があったんよ。なんか気持ち悪いね」
妻が言う。これがポストに入っているということは、男は本当に自宅までやってきたのだ。家まで来たのであれば、私がいないかとインターフォンを押したはずだ。そう思い、インターフォンの画像を調べてみた。
あった!
頭が薄くなった初老の男性がインターフォンのカメラに顔を近づけ、こちらをのぞき込んでいる。カメラに映る呆然としたような表情が不気味さを際立たせていた。私がそういう目で見るからだろうか、いかにも風采のあがらない顔つきだ。
一緒にインターフォンの画像を見ていた妻が言った。
「こんな人がまたうちに来たらかなわんわあ。あんた、早う警察に言うて」
たしかにうちには小さな娘がいる。不安になった私はすぐさま鎌ケ谷警察署に電話した。
といっても、市長と警察とのホットラインなどはないので、代表番号にかけ、警備課に回してもらった。
警備課の担当者は、市長からの電話にびっくりしていた。私は事の次第を話した。以前、鎌ケ谷警察署に一報を入れていたこともあり、警備課はすでにこの人物の件を承知していたが、本当に家にまで行くとは想定していなかったようだ。
30分ほどで制服姿の警察官2名がうちに駆けつけてくれた(注3)。
【注3】駆けつけてくれた
ある日、初老の男がわが家の前でおんぼろ自転車にスピーカーを載せ、私を批判する演説を始めたことがあった。そのときも鎌ケ谷警察に電話すると警官がすぐに駆けつけてくれた。こういう出来事があると、その後、数カ月にわたって、最寄りの交番のおまわりさんが毎日深夜にわが家に立ち寄り、「見回りに来ました」というメモを郵便受けに残していってくれた。おまわりさんにはご苦労をおかけしてしまった。
1人はそのまま家の玄関前で警戒にあたり、もう1人が家にあがって、事情を聴くとともにインターフォンの画像をデジカメで撮影した。「これは重要な証拠になります」と、インターフォンに記録されている来訪時刻もメモしていた。
妻は恐怖におののいた表情で警察官に、
「こんなことがあると安心して暮らせません。早く逮捕してください」
と懇願した。妻は家の中では京都弁だが、対外的には標準語だ。たしかにこちらのほうが切迫感が出る。妻の脅えた顔は真に迫っていた。
「うちには小さい娘もいるので、こういう輩に来られると不安です。署長にもたいへんお世話になっていまして、どうぞよろしくお願いします」
私も、署長と接点があることをそれとなくアピールしておく。実際に「社会を明るくする運動」で鎌ケ谷警察署長と一緒に市内をオープンカーでパレードしたことがあるし、署長とともに保護司会に出席したりするので警察幹部とは必然的につながりができるのだ(それがプラスになるかはわからないが)。
20分ほどの事情聴取を終えると、2人の警察官は「署長に報告し、対応します」と言って帰っていった。
あとは警察がなんとかしてくれるだろう。そう思えると、途端に気楽になった。私は心配性であると同時に楽天家でもあるのだ。
それから10日ほどがすぎたある日、警察から秘書課に電話があった。
「男を逮捕しました」
男は千葉県迷惑防止条例違反(つきまとい行為等の禁止)で逮捕された。事前に警察からその男に警告が出されていたにもかかわらず、私の自宅まで行ったことが決め手となったようだ。
市民が役所の対応に不満を持つことはあるだろう。窓口や市長室にクレームをつけにくるところまでは理解するにしても、自宅まで押しかけてくるのは一線を越えた脅迫行為だろう。市に言いたいことのある市民が次々に市長の自宅を訪れるなどという事態になれば、誰も安心して市長なんてやっていられない。
鎌ケ谷警察署の助言もあり、わが家は市役所まで徒歩2分という好立地にもかかわらず、毎日公用車が迎えに来てくれることになった。
そして、この事件の翌週から、わが家はALSOKに加入した。
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