学生時代は成績優秀だったのに、社会に出ると「仕事に集中できない」「業務の抜けが多い」「指示を忘れてしまう」「ミスが多い」と困りごとが噴出……。社会生活で苦しみ、エリート街道から転落してしまう彼らの背景には、発達障害が隠れていることも少なくないという
【画像】大人のADHDの特徴とは(内閣府大臣官房政府広報室)
一流私立大を卒業したものの、就職してから顕在化したSJさんの「困りごと」とは──。
精神科医の岩波明氏が、高学歴発達障害の人々のリアルや、適切な対処や治療によって社会復帰するまでの過程を記した著書『高学歴発達障害エリートたちの転落と再生』(文春新書)より、一部抜粋して再構成。【全4回の第2回。第1回を読む】
SJさん(女性、初診時20代)が発達障害の専門外来を受診したとき、彼女は大学を卒業して建築会社の事務として働いていた。仕事ではうまくいかないことが多かった。作業に集中できないことが多く、ミスが頻繁で、上司から頼まれたことをよく忘れた。周囲の音が気になって、話に集中できないこともあった。
仕事中、常に考えごとをしていることもあれば、思考が止まってしまい、頭が真っ白になる時もあった。同時に複数のことをすることが苦手で、上司と話していても混乱してしまい、いくつかのテーマの話が混ざってしまうこともあった。
学生時代も同様なことがあった。スーパーのアルバイトで、今まで扱っていた商品のことを忘れてしまったり、簡単なレジうちの作業を間違えたりすることがよくあった。運転免許は持っていたが、運転は苦手で事故になりそうなことも何度かみられた。
これまで2か所のメンタルクリニックを受診し、「神経衰弱」「身体表現性障害」などと診断されて抗不安薬と抗うつ薬が処方されたが、いずれも効果はみられなかった。現在通院中の医師からはADHDの可能性があることを指摘されたが、その医師には判断ができないということで、専門外来を受診したのであった。
SJさんは、明るい雰囲気の女性で快活な話しぶりの人だった。子供のころのことを聞くと、友達関係に問題はなかったが、そそっかしくて小さなケガが多く、片付けが苦手で机の中が汚いとよく注意されたことを記憶している。成績は優秀だったが、小5の通知表には、「話をよく聞いて反応できるようになってきました」という担任の記載がある。おそらくこれは、あまり先生の話を聞けていなかったことを意味している。
1年浪人し、レベルの高い私立大学の法学部に入学した。浪人中には一時的にうつ状態になることもあったが、大学入学後は順調に単位を取得し、留年することもなく卒業できた。ただレポートなどの課題は先送りすることが多く、出し忘れもよくあったという。
彼女の問題がはっきりしたのは、就職してからだった。顧客との電話のやり取りが頻繁にある仕事だったが、話の内容をすぐに忘れてしまうことがたびたびだった。自分では集中して聞いているつもりであっても、話の内容がインプットされないことが多かった。できるだけメモを取るようにしたが、それでもミスは多かった。また仕事がいくつか重なることも珍しくなかったが、これにも混乱して対応できないことがあった。こんな状態が持続するため、SJさんはこの会社を退職している。
以上の経過から、彼女の診断がADHDであることは明らかである。小児期から不注意さや集中力の障害が指摘され、思春期以降も同様の症状が持続していた。しかしながら、学生時代までは自らの能力でカバーが可能で大きな問題はなかったものの、就職して問題が顕在化したのである。
SJさんにはADHD治療薬の投与を開始し、しばらくの間投与量の調整を行ったが、次第に効果が明らかとなった。彼女はアパレル会社に転職し、事務と受付を担当したが、前の職場の時のようにケアレスミスが頻発することもなく、落ち着いて業務を遂行できるようになった。自分でも、集中力が改善したことを自覚し、時には過剰集中的に仕事をすることもみられている。その後年あまり経過をみているが、安定した状態が持続し、苦手だった片付けもできるようになってきている。
実は、社会人になってはじめて発達障害の専門外来を受診する人は多いという。学生時代までは多少の不適応をなんとか乗り切ることができても、社会人になり、仕事の現場に出ると学生時代のように「適当」にこなすというわけにはいかなくなる。
しかも 作業が遅れたり、ケアレスミスが頻発したりすると、当然評価は低下する。間違いを繰り返すことで対人関係を悪化させることだって考えられる。追い詰められて、初めて受診に至るケースは少なくないのだ。
(第3回を読む)