虐待サバイバーである羽馬千恵さん(42歳)は、幼少期に受けた虐待について、実名で打ち明ける一人だ。幼少期から18歳まで、母から心理的虐待を、継父からDVや性的虐待を受け続け、現在もなお後遺症による精神疾患に苛まれる。なぜこのような事態に陥ってしまったのか。羽馬さんが幼少期を振り返る。
羽馬さんが12歳の時、母は2度目の離婚をして、すぐに再婚した。
新しい義父はユウジと名乗った。それまでシングルマザーとして、水商売で働きながら子育てをしていた母は、経済力のあるユウジに惚れ込んでいた。再婚すると、母はパートを減らし、高価な洋服を纏うようになり、ユウジから提供された資金でスナックを開業した。
一方で、思春期の羽馬さんは、ユウジを受け入れるのに抵抗があった。前の継父からも虐待を受けていたからだ。
ユウジが来る前は、ミツオという男が継父だった。ミツオは土木系の職に就いていたが、家では酒を飲んでいることが多く、感情の波が激しい人だった。機嫌が悪いと、羽馬さんに料理や洗濯を強制し、駄々をこねるとさまざまな形で暴力を振るってきた。
羽馬さんが8歳の時に、ミツオと母の間に妹が生まれたことで、ミツオの態度はさらに悪化した。ミツオは自分と血がつながっている妹を贔屓して、養女である羽馬さんには「誰に似たんだ」「お前は馬鹿だ」と罵る。食事では苦手な野菜を多く盛られて残すと殴られ、熱湯風呂に長時間入れられてのぼせて吐くこともあった。
母もまたミツオにDVを振るわれていた。母が羽馬さんを庇うと、ミツオは逆上するばかりで、羽馬さんは虐待を受け続けるしかなかった。負のスパイラルが家庭に渦巻いていたのである。
こうした過去もあり、羽馬さんは新しい義父を迎えるのを拒絶した。ユウジの背中には大きな刺青が入っており、パチンコの釘師していると明かし、どこか物騒な雰囲気があった。それまでユウジと面識がなかったこともあり、見ず知らずの男との同居が始まるのは苦痛だと訴えた。
それでも母は「今度は絶対良い人だから!」と、一方的にユウジを家に住まわせた。
ユウジとの生活が始まっても当然、羽馬さんはユウジに心を開かなかった。それが気に食わなかったのか、次第に母は刺々しい発言を向けるようになった。
「再婚当初から、母は『ユウジさんには懐きなさい』と諭すように言っていたものの、私が拒否し続けると、次第に言葉がきつくなっていきました。
『あの人をパパと呼びなさい。これは命令です!』『そんなに家が気に入らないなら施設に行け!』『お前なんか産むんじゃなかった!』などと言い放ち、無理矢理ユウジさんのことをパパと呼ばされました。
母はそれだけ、経済力のあるユウジさんに、しがみついていたのだと思います。母自身もまた幼少期の家庭環境が悪かった。祖父は愛人にお金を注ぎ込み、そのうえ家庭内では暴力を振るうような人で、母がシングルマザーの時も経済的な援助を拒んだそうです。
だからこそ母は、私を食べさせていくと同時に、自身も幸せで裕福な家庭を築きたいと渇望していた。そのうえ離婚と再婚を繰り返していただけに、なんとかして夫婦関係をうまく維持したかったのだと思います。私にもよく『今度こそ幸せになるんだ』とか、『やっぱり男は経済力だ』と話していたのを覚えています」
ユウジもまた、自身を受け入れない態度が気に食わなかったのか、羽馬さんに性的嫌がらせを迫るようになった。
「私が中学生になった頃から、ユウジさんは思春期の私を面白がるように、性的ないやがらせをしてきました。
『昨日、お母さんと3発やったぞ』と報告してきたり、風呂上がりに全裸で追いかけてきて『本当は(全裸を)見たいんやろ?』と言ってきたりしました。学校に行く時に、ユウジさんと母が全裸で寝そべっていて、私に勃起した下腹部を見せつけてくることもありました。
つらかったのは、私が起きている時間に母とセックスして、大きい喘ぎ声を聞かせてきたことです。当時は多感な時期だったので、刺激が強烈でショックも大きかった。次第に、私は二人を、不潔な存在だと思い込むようになりました。
ユウジさんの入浴後は風呂に入れない、母の下着も触れない、一時は生理的な気持ち悪さから家具にさえ触れられない時期もありました。普段から壁越しで聞こえる母とユウジさんの会話が、喘ぎ声のように聞こえる事もあり、思わず耳を塞いでしまうほどでした」
こども家庭庁が公表する「児童虐待の定義」にも、親が子に「性的行為を見せる」ことがそれに該当すると記されている。普通の感覚では理解できないが、そうした行為に及ぶ親がいるのが実情だ。
ユウジが性的虐待を繰り返すなかで、それでも母はユウジに懐くよう強制する。羽馬さんは、ユウジを拒絶する感情を抑え、無理やり「パパ」と呼び続けた。上辺でしかパパと言っていないのに、ユウジも母も満足なのか、2人の考えていることがよく分からなくなった。
そして、豹変していく母の姿を目の当たりにする。
次第に母とユウジの関係も破綻し、毎晩夜遅くに夫婦喧嘩をすることも増えていった。壁越しにゴン!と、ユウジが母を殴る鈍い音が響き、母の悲鳴や呻き声が聞こえては、夜通し恐怖に苛まれた。家中にビール瓶やガラス片が飛び散り、母の顔が青黒く腫れ上がっていることも日常になっていく。
喧嘩の原因はわからない。母はユウジの経済力に依存し、ユウジはその代償とばかりに暴力を振るう。そんな歪な関係ができていたようにも映った。
学校に行っても授業に集中できるわけもなく、下校して家のドアを開けるときは、母が死んでいるかもしれないと本気で思った。羽馬さんからすれば、ユウジのせいで家庭崩壊しているのに、母は離婚に踏み切れない。その代わり、母はユウジのお金で、整形や占いに傾倒するようになった。
「母は、ユウジさんのお金で、整形したり、占いに傾倒したりするようになりました。きっと何かに依存していないと、精神的な安定を保てなかったんだと思います。
母は『この整形手術めっちゃ高いんよ。お金持ちだから美人になれるんや』と話してきたり、中学生の私に対して『処女の陰毛を3本お守りに入れると縁起が良いから(お前の陰毛を)よこせ』と要求してきたりしました。
母が豹変するたびパニックになり、『なぜそんなことをするのか』と聞けば、『私の勝手やろ!』と怒鳴られる。母は自分が幸せになることしか頭にないようで、私には一切興味がないようでした。母はよく友人と長電話していたのですが、その中で『子供を放っておく勇気も大事』と話していることもありました」
結局、羽馬さんが15歳の頃、母はユウジと離婚して、すぐに新しい恋人に乗り換えた。羽馬さんは新しい男との同居を全力で拒み、折れた母は家に食費だけ置いて、恋人の家に入り浸るようになった。
「母もまた、幼少期の家庭環境が好ましくなかったことで、そのぶん安寧した家庭を持ち、自身が幸せに暮らしたい願望を強く抱いていたはず」と、羽馬さんは振り返る。
筆者は多くの虐待サバイバーに取材してきたが、その一定数は両親の婚姻歴が複雑であったり、経済的状況が芳しくないのが実情だ。虐待の発端を辿ると、両親が育った家庭環境もまた歪であるケースが散見される。
羽馬さんの場合もまた、母が精神的な充足を渇望してパートナーを追い求めては、継父や恋人との関係が拗れると、さらに理想に拘泥してしまう。悪循環にのめり込み、結果的に子育てを蔑ろにしてしまった皺寄せが、羽馬さんの虐待に起因していたと考えられる。
いつ帰って来るか分からない母に対して、もっとお金を置いて欲しいと要求すると、口論の末、貯金箱で顔面を殴られることもあった。大量に鼻血が出る羽馬さんの顔を見て、母は「その顔、治るまで学校に行ったらあかんよ」と捨て台詞を残して出ていった。
母とその恋人がいない生活は、それまでとは打って変わって平穏だったものの、羽馬さんは徐々に不登校になった。
同級生が、母の手作りのお弁当を持参する中、一人コンビニで買った菓子パンを齧るのは惨めで、自身の境遇を恥じるようになった。先生には「母子家庭なんだからお母さんを大事にね」と、まるで見当違いなことを言われ、虐待について理解がないことに絶望した。
児童虐待防止法が制定される2000年以前で、世間的にも児童虐待の理解が及んでいない時代だった。
1990年代に入るまで、日本社会は児童虐待にほとんど関心を持たなかった。マスコミも研究者も、児童福祉の専門家も関係者もその多くが、アメリカと違って日本には児童虐待はほとんどないと考えていた。
だが、1990年代以降、そうした認識は大きく転換する。都市化、核家族化によって、児童虐待が「増加、深刻化している」として、2000年に改めて児童虐待防止法が制定される。(現代ビジネス2019.01.26「昔の日本人が無関心だった「児童虐待」なぜこれほど問題化したのか」より引用)
ただ、社会問題として顕在化した現代でも、家庭内で起きている問題を察することができない、または察しても触れることができない教師を始めとする「大人」が多い状況はそれほど変わらない。
結局、母がほぼいない家庭で、羽馬さんは欠席日数が増えていき、高校を中退した。中退を知った母は、余計ヒステリックになり、「大学は金がかかるから就職しろ!」と迫るようになった。母とは、高校生活や将来の進路を話す機会もなかった。
結局、母や義父が家にいてもいなくても、大して状況は変わらない。母は自身の幸せしか考えず、私のことはどうでも良いのだと感じた。
母との生活に限界を感じた羽馬さんは、高卒認定をとり、貸与型奨学金を借りて、地元の兵庫から北海道の大学へ進学した。北海道を選んだのは、とにかく実家から離れたところに逃げたいと思ったからだそうだ。
こうして独り立ちを果たし、羽馬さんはようやく母や継父からの暴力や辱めから解放された。晴れて一人暮らしを始め、大学生活を謳歌しようとしていた。その矢先、幼少期から受けてきた虐待の後遺症に苛まれるようになる。
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〈 「昨日、お母さんと…」継父から性的いやがらせ、母は整形と占いにのめり込んで…虐待サバイバーの「壮絶な幼少期」 〉へ続く。
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