【全2回(前編/後編)の前編】
先ごろ高校を卒業された秋篠宮家の長男・悠仁さま。4月5日には進学される筑波大学で入学式が行われ、いよいよ新生活がスタートする。そんな折、秋篠宮さまと30年以上の親交があるジャーナリストが、次代のお世継ぎの“秘められたエピソード”を明かした。
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【独占写真20枚】ふっくらしたラインがうっすら…体形が変化したように見える「眞子さん」と、その姿を気遣わしげに見つめる「圭さん」
3月18日に筑波大附属高校の卒業式を終えられた悠仁さまは、20日に東京・八王子にある武蔵陵墓地をご参拝。昭和天皇と香淳皇后の陵墓で拝礼され、ご卒業を報告なさったばかりである。筑波大へは当面、宮邸から車で通学されながら、並行して大学付近に生活の拠点を設け、お帰りが遅い日などはその住居を利用できるよう準備が進められているという。
3月3日に臨まれた初めての会見で悠仁さまは、
〈幼少の頃から昆虫には興味を持っておりました〉
〈大学に入学しましたら、以前から興味を持っていました昆虫、とりわけトンボも含めて、幅広く学んでいきたい〉
そう述べられていた。1991年に秋篠宮さまと対面して以来、現在まで親交を深めてきたジャーナリスト・江森敬治氏の新著『悠仁さま』(講談社・4月3日発売)では、そんな悠仁さまの幼時のお姿が描かれている。「悠仁さまの初めてのパーソナルヒストリー」と銘打たれ、会見での緊張された面持ちとは大いに異なる「素顔」が随所にうかがえるのだ。
例えば、長らく関心を抱かれ高校時代に学術論文も執筆されていた前出の「トンボ」に関する記述である。悠仁さまが10歳だった頃、秋篠宮さまと江森氏との間で交わされたやり取りが、以下のようにつづられている。
〈悠仁さまは、昆虫の中でもトンボとチョウが好きらしい。「でも今、一番、関心のあるのはトンボでしょうね」と、父親(注・秋篠宮さま)は話した〉
〈「ところで、皇居や赤坂御用地にはどのような種類のトンボが生息しているのでしょうか?」と、門外漢の私は素直に疑問を投げかけてみた。しかし、秋篠宮さまは、困惑しながら次のように答えている。「息子に何度か説明を受けましたが、私自身、よくトンボの区別がつきません。魚類だったらある程度、理解できるのですが、虫はね。正直、私はよくわかりません」このように、あっさりと白旗をあげた。昆虫の知識については、悠仁さまは10歳で、父親を超えたらしい〉
早くも秋篠宮さまを感嘆させていたという悠仁さまについて江森氏は、
〈(2008年)8月、ご一家で栃木県にある那須御用邸に滞在したがその折、秋篠宮さまがつかまえたトンボを、眞子さんから手渡される2歳直前の悠仁さまの写真を私は見たことがある。(中略)悠仁さまの「原点」とも言うべき場面かもしれない〉
そう記している。
幼い頃の悠仁さまは、「悠」の音読みから、秋篠宮さまには「ゆうちゃん」「ゆうゆう」、そして二人のお姉さま方には「ゆっぴー」と呼ばれていたという。同書では、お茶の水女子大附属幼稚園2年目の「年中組」となられた11年ごろのご様子にも触れており、
〈生き物や植物が好きなところは(秋篠)宮さまと共通している。(中略)恐竜にも興味を持つ悠仁さまは一部の骨しか出土していないが、史上最大といわれる草食恐竜のアルゼンチノサウルスが好きだ。こうしたことからなのか、世界の生き物が紹介されるNHKテレビの番組「ダーウィンが来た!」を一緒によく見る。また、本を見ながら大きさ比べをする。宮さまと一緒に犬や恐竜同士で大きさを比較しては、「こっちが大きい」「こっちのほうが大きいよ」と話し合っているのだという〉
〈そんな2人はその頃、超大型犬を自宅で飼いたいと考えていた。紀子さまは「小さい犬もかわいいじゃない」と水を向けるが悠仁さまは頑として聞かないらしい〉
さらに父子の親密ぶりについては、こう記されている。
〈一緒にお風呂に入り話をしたり、宮さまが両手で「水鉄砲」をつくって、それで悠仁さまにお湯をかけたりして遊ぶ。右手の三本の指を左手の手のひらで包み込み、指と手のひらの間にお湯を入れて勢いよく飛ばすという仕組みだ〉
〈「成長するにつれ、行動の幅が広がっているように思いますね」と、宮さまは目を細める。たとえば宮さまは木登りは苦手だが、悠仁さまは高い木の上も大丈夫。下から宮さまはハラハラしながら見守り「早く降りて来い」と、いつも心の中で心配している〉──。
著者の江森氏が振り返る。
「お風呂の話からもうかがえるように、秋篠宮さまは悠仁さまが本当にかわいくて仕方がないといったご様子でした。大型犬は結局、飼わなかったようですが、恐竜や世界最大の蛾(が)など、秋篠宮さまの影響でもっぱら“大きなもの”に興味を示されていた悠仁さまはその後、『小さいのもいいよ』と、ご両親に勧めるようになられたと聞きました」
日頃から木登りに親しまれた悠仁さまは、赤坂御用地のモミジの木に登られていると、5歳のお誕生日の際宮内庁からも紹介されている。ところが、
「実は秋篠宮さまは、やんちゃで活発といった世間のイメージとは正反対で、登山や木登りが苦手なのです。高いところで無邪気に喜んでおられる悠仁さまを見て、気が気でなかったことでしょう」
そんな“溺愛”ぶりが伝わってくるエピソードがある。かつて会見で、二人のお姉さま方は秋篠宮さまを“導火線が短い”、すなわち怒りっぽいと評しておられたのだが、
〈最近は「丸くなった」のか、姉の眞子さん、佳子さまに比べると、悠仁さまを叱ることが少ないらしい。5歳になった悠仁さまが悪さをしても、宮さまが怒らないものだから、姉2人は悠仁さまを指して、「叱れ、叱れ」と宮さまをうながすこともあるそうだ〉
後編【「悠仁さまの“帝王学”のスタートラインは…」 秘話を親交の深いジャーナリストが明かす】では、悠仁さまの帝王学の始まりともいえるエピソードを紹介する。
「週刊新潮」2025年4月3日号 掲載