悠仁親王の成年会見が3月3日に行われた。民法の改正で成人年齢が20歳から18歳に引き下げられたことから、天皇家の長女である愛子内親王が2022年3月に20歳で成年会見を行ったときよりも2歳若く会見を行ったことになる。
【写真】眞子さんを見つめる紀子さまの“険しいご表情”
2024年9月、18歳の成年の誕生日を迎え、天皇皇后両陛下へあいさつに向かわれる悠仁さま 時事通信社
その愛子内親王の成年会見では、家族を語ったエピソードが話題となった。両親である天皇・皇后は「私の喜びを自分のことのように喜び、私が困っているときは自分のことのように悩み、親身に相談に乗ってくれるような、私がどのような状況にありましても、一番近くで寄り添ってくれるかけがえのない有り難い存在」であると、愛子内親王はまず述べた。

さらには、静岡県下田市にある須崎御用邸の海でサーフボードを浮かべてそこに3人で座る挑戦をして全員で落下した思い出など、これまでに知られていなかった家族のエピソードを話した。天皇や皇后、そして娘の内親王が私たちと変わらないどこか普通の家族のようなあり方でいること、さらには彼ら自身が公的な場面とは違ったほのぼのとした側面もあることを示したのである。
「日頃から、家族では、その日にあった出来事などいろいろな話をいたします」という愛子内親王の言葉からは、天皇一家の仲の良さが浮かびあがる。愛子内親王の成年会見はそうした雰囲気がにじみ出ており、だからこそ愛子内親王とともに、天皇・皇后も含めた天皇一家への人々の支持はより高まった。

一方、今回の悠仁親王の成年会見はどうだったのか。同じように家族のエピソードは出てきた。父親の秋篠宮が几帳面な性格で、卵料理を作ってくれるときにはそのかたさにこだわる側面があること。母親の紀子妃は庭の果実を使ってシロップやジャムを作っていること、高校の花壇を整備するボランティアに参加して緑に触れる機会を楽しんでいたこと。姉である小室眞子さんや佳子内親王は世話をしてくれたこと。さらに、御料牧場に家族で行ったときには、イチゴを収穫して一緒にパフェを作ったこと。

悠仁親王の会見での家族のエピソードは、野菜や果物、食に関するものが多く、生物に興味がある彼らしい側面が出ていたと言えるだろうか。
ただ、そのエピソードは愛子内親王のそれと比べると、やや断片的なようにも思われる。それぞれの家族のエピソード、つまり、父親はこう、母親はこう、姉たちはこうといった具合で、家族一緒のものとなるとパフェの話しかない。その意味では、一家としての仲の良さというエピソードではないようにも見える。ここに大きな違いがあった。

しかしこれは、天皇家よりも秋篠宮家は仲が良くないという単純な話でもないように思われる。この背景には、近年の秋篠宮家に対する逆風や「私」を優先していることへの批判という風潮が根底にあるのではないか。
昨年、紀子妃は誕生日に際しての文書回答のなかで、宮内記者会からの「ネット上などで秋篠宮家へのバッシングともとれる情報による批判」という言葉を「ネット上でのバッシング」と言い換えた。あくまで記者は「ともとれる」という言い方をしていたものを、紀子妃は「バッシング」と言い切った。

さらに秋篠宮は同年の誕生日の記者会見で、「当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じる」と強調した。当事者である秋篠宮家にとって、小室圭さんと眞子内親王の結婚をめぐる騒動以降に吹き荒れる自分たちへの批判に対して、かなり思いつめており、強い意思を吐露するようになったのである。悠仁親王に関して言えば、東京大学への入学に反対する署名運動まで起きた。その秋篠宮家に対する批判のなかに、彼らが自身の「私」を重要視しているという声は大きい。
悠仁親王が今回の成年会見のなかでプライベートな問題をかなり慎重に話していたのは、こうした背景があったからではないだろうか。家族の「私」の部分が多く語られればネガティブに捉えられかねない。そうした状況への配慮とも言えるだろうか。
一方、昭和の時代、父親である秋篠宮(当時は礼宮)の成年会見(1985年11月29日)では、多岐にわたるプライベートな話題が取り上げられている。自身の興味がある自然史(特にナマズ)、訪問したイギリスやタイの印象、大学で学んでいる中国語についてなど。秋篠宮はそれほど上手ではないと注釈を加えながらあえて中国語で話すなど、かなりのアドリブを交えて会見は進められた。
さらに兄である現在の天皇(当時は浩宮)を「お兄ちゃま」と呼び、自分は兄から「アヤチャン」と呼ばれていること、兄弟でけんかはほとんどしていないことなどにも言及している。このように、かなりプライベートな話が会見で出ていることは、今回の悠仁親王とは違うなと思わされる。

さらに、礼宮は好きな音楽・ミュージシャン、好きなタレント・俳優を問われ、歌手ではビートルズや江利チエミ、ダイナ・ショア、浅川マキ、俳優ではチャップリンを挙げた。記者からそれに対して「オジンくさい」と言われませんか?と問われ、「しょっちゅういわれます(笑い)」と答えている。今回、好きな音楽などを問われて、「具体的に申し上げにくいんですけれども」とにごした悠仁親王の会見とはやはり異なる。
礼宮はこのとき、結婚についても問われている。「あまり遅くならない方がいいと考えています」と答え、具体的なタイプを聞かれると、「たとえばテレビに出ている新珠三千代さんとか。最近の若い人はあんまりよく知らないので……」と述べた。
なお、1980年2月20日に行われた浩宮の成年会見でも、その質問に「困ったな(笑い)」と述べつつ、記者から竹下景子の名前が出たところ「そう、竹下景子なんかいいと思います(笑い)」と答えている。

礼宮も浩宮もこの答えが本気であるのかはわからない。昭和の時代とは異なり、令和の現在では皇族が個人名を挙げることは難しいかもしれない。ただし、父親も伯父も、成年会見ではざっくばらんな態度で臨み、しかもメディアが求める回答を意識しつつ、それをうまくかわす答えを述べた。それによって、彼らの普段の人柄がにじみ出る成年会見となった。
もちろん、昭和と令和では時代も異なる。皇族に求められる像も異なるだろう。しかし、ときにはプライベートな部分も見せる浩宮や礼宮の回答を見ていると、むしろそちらの方が親しみのある将来の皇族の姿を想起させるような感じもする。

悠仁親王が、今回の成年会見が起点となって、今後もメディアに登場し、今回以上に新しい自身の側面を人々に見せていくことを期待したい。
(河西 秀哉)