久保田ちひろちゃん、高橋義行医師
【映像】イタリアで治療を受けるちひろちゃん(実際の映像)
名古屋大学病院の小児科医・高橋義行医師は、国内で治療法がないために亡くなる子どもを多く見てきた。高橋医師の患者である久保田ちひろちゃん(9)は神経にできるがん「神経芽腫」を患っている。有効な治療法が見つかったが、日本国内では認可されていないため、イタリアへ渡航することを決めた。
高橋医師は薬による同様の治療法を研究しているが、国内で患者に投与するにはさまざまな壁が立ちはだかる。なぜ、日本で命が救えないのか。緊急の治療を要する患者でも、新しい治療法が適用できない理由を探った。
高橋医師は、小児がん治療で国内トップレベルの実績を持つ小児科医だ。その中で抱える苦悩は、海外なら救える命が日本では救えないということ。「海外で受けられるのに、日本では提供できないのが悔しい」。
ちひろちゃん
名古屋大学病院で治療を受ける、久保田ちひろちゃん。2023年9月、埼玉県から一時的に病院内の施設に移り両親と生活していた。保育園に通っていた3歳のときに、神経の細胞にできるがん「神経芽腫」を発症していることがわかった。
ちひろちゃんの母・久保田祐香子さん
「熱もないし、風症症状とかもないけど、なんとなく元気がない。血液検査ができる大きな病院に行ったら、数値がおかしいとなり、そのまま入院で帰れなくなった。絶望しかなかった」(ちひろちゃんの母・久保田祐香子さん)
幼児に多い神経芽腫。発症する数は年間およそ100人と言われている。ちひろちゃんは、最も治りにくい「高リスク群」に分類され、名古屋大学病院へ転院。2年間の闘病で一時的にがんが消え、退院した。
しかし退院から4年が経とうとしていた2023年8月、埼玉で受けた定期検査で再発がわかった。ちひろちゃんの母は「『再発だから治せないのが前提』『夏休みだし夏休みが終わって、思い出を作ってから入院でいい』」と言われてすごく悲しかったことを覚えています」と振り返った。
入院までの1週間、家族で思い出を作った。そして、一縷の望みを託し、再び名古屋大学病院で治療を始めた。
高橋医師
「大量の抗がん剤を使うし、放射線治療もやるし、外科手術もやる。やれることは全部をやって、約半分くらいの生存率。すべてのことをやり切った後に再発した人は、助けることができないのが世界での共通認識」(高橋医師)
2023年12月、国内でがんの進行を止める方法は残されていなかった。高橋医師は白血病などのがん治療の研究を続けてきたが、10年ほど前から注目しているのがCAR-T(カーティー)細胞療法だ。
まず、患者の血液から、がんやウイルスを抑制する力をもつ「T細胞」を取り出し、ある遺伝子を細胞に組み込むことでがんを認識する最強のレーダー「CAR」が取り付けられる。これを「CAR-T細胞」という。
CAR-T細胞療法(イメージ)
細胞を培養し、薬として患者に投与。CAR-T細胞が、がん細胞が持つ物質を目印にがんを消滅させる。組み込む遺伝子を変えることで神経芽腫などさまざまながんに応用が可能。白血病のための技術は臨床試験に入っているが、神経芽腫についてはまだ動物実験の段階だという。
「マウスモデルでも効果を示すことはわかっているが、今のところ、もっと効果が高いほうがいいなと。『人に投与しましょう』というにはパワーが弱い」(高橋医師)
2023年4月、高橋医師が研究している、神経芽腫のCAR-T細胞療法でイタリアの病院が臨床試験の結果を発表した。「27人中9人(33%)の人が完全に腫瘍が消えた。そして27人中8人(30%)の人が部分的に50%以上小さくなった。2つ合わせて63%の人に治療効果が表れた」。
「これまで助けようがない患者さんが、3分の2の治療効果が得られて、3分の1の人が完全にがんが消えるというのは、驚くべき成果だと思う。世界中の医師、研究者がこの治療法に期待を持っていることも事実」
ちひろちゃんの両親はインターネットでCAR-T細胞療法を知り、イタリアでの治療を希望した。6000万円を超える高額な費用を確保するために、クラウドファンディングを通じて支援を求めた。その結果、目標金額を大幅に超える8000万円以上が集まり、イタリアで治療を受けられることが決まった。
「いよいよ自分たちが望んだ治療に挑むことができて、嬉しい気持ちと、国内でもなく、臨床試験ということで不安もあって…。やってよかったと思える未来がくるようにベストを尽くしてきたい」(ちひろちゃんの母)
バンビーノ・ジェス病院で治療を受けるちひろちゃん
ヨーロッパを代表する小児病院バンビーノ・ジェス病院は、神経芽腫のCAR-T細胞療法の臨床試験で結果を発表した病院。ちひろちゃんは、事前にイタリアに渡ってT細胞を採取し、この日の治療に備えていた。がんが再発して7カ月、一度切りのCAR-T細胞の投与だ。
「日本じゃまだできないから、同じ病気の子でも、ちひろよりもっと辛い思いをしているから、早くちひろが病気を治して日本でもできるようにしたい」(ちひろちゃん)
バンビーノ・ジェス病院の運営母体はバチカンのローマ教皇庁。病院の中に研究所があり、新薬の開発から臨床試験まで一括して行っている。
「この研究に関して、薬が広範囲の国や地域に適用されることに尽力しなければならない。日本やイタリアに限らず、どんな国であれ、病気を持ったこどもたちが治療を受けられないのは患者のせいではないし、そうであってはいけない。どの国でも子どもたちが同じ治療を受けられるようになるべきだ」(バンビーノ・ジェス病院 フランコ・ロカテリ医師)
神経芽腫を発症した6歳の女の子
海外で開発された治療法を希望する患者すべてが受けられるわけではない。ちひろちゃんと同じ神経芽腫を発症した6歳の女の子。3歳から治療をしているが、がんは頭の骨や足などに転移しているという。
CAR-T細胞療法を知ったとき、すでにがんが多くの場所に転移し治療を受けても効果が得られない状態になっていた。
「同じ病気なのに、なぜ娘は行けないのだろうと思った。『行きたい』という思いはもちろんあった。全国には再発して苦しんでいる方がいると思うので、助けられる方法があるなら日本でもぜひ進めてもらいたい」(女の子の母)
会合の様子
高橋医師は、がんで子どもを亡くした母親たちの会合に招かれた。4人全員、高橋医師が主治医を務めた子どもたちだった。
「亡くなってしまって辛い気持ちもあるし、治りたかった気持ちもあると思うけど、こうして先生やお母さんたちとお会いする機会を作って、小児がん(治療)に対して前向きなことができればと思い、企画をした」(神経芽腫で亡くなった慶治くん・当時2歳の母)
新しい治療法を少しでも早く日本で受けられるようにしてほしい。そんな思いを伝えるための会。高橋医師が参加するのは初めてだった。
「なかなか日本で承認されないタイミング。一部の病院で治験が行われていた時期もあったが、それも終わってしまったというタイミングだった。高橋先生も海外に行って、使えるよう活動をされていたと思うが、焦燥感を感じたときもあった」(神経芽腫で亡くなった音ちゃん・当時6歳の母)
「症例が少なかったり、小児がん自体が治験の結果を出すのに時間がかかったり。もう少し早くなるといい。いち患者としては、研究が早く進んで、より良くなるように期待している」(脳腫瘍で亡くなった惇人くん・当時5歳の母)
「今までこういった会に参加したことがなかったが、それは忙しいからではなくて、私が最終責任者で、亡くなってしまった患者さんのご家族に申し訳ない気持ちが強い。責められてもおかしくない、でも責められたら心が折れてしまう。なかなか勇気が出なくて、今まで参加できなかった」(高橋医師)
「アメリカにも行かせてもらって、治験も完遂したが、その半年後くらいに再発してしまった。でも教授が話されていたようなことはなくて…感謝している」(神経芽腫で亡くなった史織ちゃん・当時8歳の母)
日本の新薬開発は欧米に大きく差をつけられている。厚生労働省によると欧米で承認されながら、日本で未承認の品目は143品目ある。このうち86品目は開発の計画すらなく、およそ4割が子ども用の新薬だ。
「日本の企業が新しい薬を開発するケースが少なくなってきていて、主に海外のベンチャー、新しいバイオ系の企業から中心に開発をされてきている」(厚生労働省 医薬局・松倉裕二課長補佐)
海外で開発された新薬をいち早く日本で使う方法として国際共同治験がある。承認前の「治験」に日本を加えてもらうことで日本での臨床試験が可能になる。しかし、そこにも壁があるという。
「市場が小さくて開発されにくい薬の場合、日本人のために追加の治験を行うことが企業にとってはハードルになってしまう。その結果、国際共同治験に日本が参加しにくくなるという問題点がある」(松倉裕二課長補佐)
交渉する高橋医師
神経芽腫向けCAR-T細胞療法の国際共同治験に日本を加えてほしいという思いから、高橋医師はイタリアへ交渉に行くことにした。
「ちひろちゃんはイタリアに行くことができて、素晴らしいと思う。しかし、日本の患者さんが皆、イタリアやアメリカで治療を受けられるわけではない。再発して困っている患者さんのことを考えれば、日本で少しでも早くできるようにしたほうが良い」
CAR-T細胞療法のうち白血病向けのものは、高橋医師が日本で臨床試験を進めている。しかし、承認を得るのに必要な症例数が足りていない。そこで試験を拡大するための費用を日本政府に申請することにしたという。
そして、イタリアに来た理由のひとつが、ちひろちゃんの経過を確かめること。神経芽腫のCAR-T細胞を投与して5日目、高熱が続いていた。発熱はCAR-T細胞が、がんを攻撃していることによるもので効果が出ている証しだ。
フランコ・ロカテリ医師は、バンビーノジェス病院でCAR-T細胞療法の研究を指揮している。今後、ヨーロッパの国々にイスラエルやカナダを加えて、治験を進める計画があると明かしてくれた。そして国際共同治験に日本も加われるよう検討してくれるとのことだった。
2024年4月、高橋医師が日本政府に申請していた白血病向けの研究費が認められた。今後、白血病の患者25人に治験としてCAR-T細胞を投与することを目指す。
退院したちひろちゃん
同じころ、イタリアで神経芽腫の治療を続けるちひろちゃんが退院した。がん細胞が確認できなくなる程度まで回復していた。
「臨床試験をやっているタイミングやちひろの体調の具合など、本当にタイミングが良かった。ご支援いただいた方のお陰で、ちひろがこの治療を受けられたので、本当によかった」(ちひろちゃんの母)
「帰ったら友達いっぱいいるから学校の友達にも会いたいし、じいじやばあばも待っているから、お土産とか渡して、遊びたい」(ちひろちゃん)
「小児がんの治療成績は段々良くなっていきていて、7割以上の人が治るようになっている。しかし、3割弱の人は亡くなっているのも現実としてある。病気で亡くなる子どものうち、一番の原因が小児がんであることも変わっていないので、少しでもがんで亡くなる患者さんを減らすために頑張らないといけない」(高橋医師)
(名古屋テレビ放送制作 テレメンタリー『日本では救えない ~小児がん医師の苦悩~』より)